稀代の陰陽師は天邪鬼

雪那 六花

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夜の帳と秘する月

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「おのれ……!! 人に飼われた腰抜け風情が……!!」

 忌々しげに声を上げ、術にかかって動かぬ身体を無理に動かそうとしているのか、傷口からはブチブチと音がし、血が吹き出していた。皮が硬くあまり、深い傷はつけられなかったと言うのに。
 だが、その分、頭に血が上っているから、糸を燃やしている事には気付かないだろう。

「ならば、そんな奴にいい様にやられそうになっているお前は何だ? 腰抜け以下か?」

 晴明の式で有る事は、俺にとって何ら恥じる事ではない。故に、言われた言葉自体には全く腹は立っていなかったが、絡新婦の意識が更に俺に向く様、挑発的な言葉を吐きながら、再び絡新婦に飛びかかった。
 硬すぎる胴体にはあまり効きはしないだろうが、一発蹴り上げた。その勢いのまま、今度は手に炎をまとわせた状態で、爪を突き刺した。紅い炎が傷口から少しずつではあるが絡新婦の胴体を焼いていく。ジュウジュウと言う音と共に焦げた様な不快な臭いが辺りに広がった。
 絡新婦の口から、断末魔の様な叫び声が上がるのを横目に見ながら、俺は更に深く爪を突き刺す。いくら硬い皮だと言えども燃えれば脆くなる。先程よりも楽に刺さった。
 そうしてる間に晴明が真言を唱え終えた。それと同時に絡新婦の周りが円を描く様に淡く光り出す。晴明の術が無事発動した事をその光陣で確認して、俺は絡新婦から飛び降りた。
 晴明の事だから、俺に対する配慮は十分にされているんだろうが、それでも陰陽師の術の中というのは居心地が悪い。こればっかりは、妖のさがだろう。



「待たせたね、灼架」

 絡新婦から離れ、晴明の隣へと移るとそう声をかけられた。晴明の視線は、まだ絡新婦へと向いたままだ。

「いや、大丈夫だ」

 絡新婦がまだ然程さほど力を蓄えていなかったおかげで、晴明の緊縛の術もよく効いていて反撃もなかったし、楽だったと言える。毎度こうであれば楽なんだが――そう上手くは行かないだろう。まぁ、連日無理をしている晴明の負担が少しでも減るのであれば、俺自身の事はどうでも良いんだがな。
 俺にはと共にいる時、晴明はあまり直接的な攻撃を行わない。最終的な調伏をするのは勿論晴明なのだが、発動に時間のかかる術を選んで発動させるが故に、手数が少ないからだ。その晴明の判断が俺への信頼の証であってほしい――そう願うのは、我儘わがままだろうか?
 淡い光が段々と絡新婦の身体を包んで行くのを眺めながら、そんな物思いに浸ってるのがいけなかった。

「よくも……! よくも、よくも! よくも!! このあたくしを虚仮こけに……!!」

 そのまま完全に光に包まれて消えるはずだった絡新婦が怒りの声を上げる。最後の力を振り絞ったとばかりに、緊縛の術を解いて前足の一本を振り上げながら糸を吐き出した。鋼の様な糸が真っ直ぐに晴明の方へと向かっていく。

「晴明!! ――ッ」

 咄嗟に晴明の前に腕を伸ばした。それと同時にその腕に痛みが走る。腕の皮膚を糸が突き破った痛みだった。鋭利ではないそれは力任せにずぶりと入ってくる。
 だが、腕を貫通する前に、絡新婦は光に完全に包まれて消えた。

「灼架! 大丈夫か!?」

 目を見開き、そう問いかけてくる晴明に頷きを返し、勢いを無くして刺さっているだけになった糸を引き抜けば、そこから地面にぼたぼたと血が滴り落ちた。傷自体はほんの小さなものだが、骨に達する程の深さであったから、それなりに出血してしまった。

「――すまなかった、灼架。私の所為で傷を負わせてしまって。邸を出る前にお前に忠告されていたのになぁ……」

 ほんの一瞬、術が緩んでしまったんだ――と続ける晴明は眉を下げ、本当に申し訳無さそうな表情をしていた。

「何故、晴明が謝るんだ。謝るのは俺の方だろう? 俺が油断して晴明の身を危険に晒した。すまなかった」

 日頃の無理が祟っているのは気付いていたと言うのに。

「式失格だな。お前の身が無事でよかった。俺は妖だから、お前達人間よりも体は丈夫だ。問題ない」

 引き抜いた糸を燃やしながら答えたら、何故か不満そうな顔を返されてしまった。

「そう言う問題ではないんだがなぁ……」

 ならばどう言う意味だ? と首を傾げながら、止血を兼ねて傷口を焼こうとしたら、慌てて止められた。

「こらこら、そんな事をしたら痕が残ってしまうだろう。ほら、貸しなさい」

「いッ――!」

 貸せと言っておきながら、俺が何か言う前に問答無用で腕を掴まれた。痛みから思わず上げてしまった声は黙殺された。
 そして、傷口の少し上に懐から出してきた布を巻いてきつ目に縛っていく晴明の行動を、ただ大人しく眺めると言う選択肢しか、俺には残されていなかった。
 人間と天狐《てんこ》の合いの子である晴明は多少ながら、治癒能力がある。ただし、触っただけで治癒出来る程の力はないし、そもそもここまでの傷の止血を出来る訳でもない。そうであるが故、晴明はこうやって止血を試みているのだ。

「この血も落とさねばなぁ」

 本来であれば、風呂や水浴びなどと言う行為は、占術で吉日を占って行う行為であるが、そう言った貴族の仕来《しきた》りを無視する傾向にある晴明は、平然とそう言いながら、俺を引っ張って荒屋の裏にある井戸へ向かう。その井戸は、雑鬼達が常日頃から手入れをしているから、今も枯れずに残っている。この荒屋だってそうだ。朽ちてはいるが倒れずにいるのは、ひとえにここをねぐらにしている奴らがいるからだ。度々、こうやって乗っ取りを受けて追い出されるが、その元凶が居なくなれば再び戻ってくるのだから、雑鬼達は余程ここが気に入っているのだろう。その所為でいつまで経ってもここは買い手がつかないだろうが、どうせ空気が淀む場所だから、このままの方がいいんだ――と以前、晴明も言っていた。

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