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禁煙宣言
しおりを挟むわざとでは無いが、部屋でタバコを吸った。
寝ぼけていたのかと言ってくれれば救われるが、おそらく彼女はそうは言ってくれまい。
確か昨日の昼辺りに禁煙宣言をして、その一日は飴やガムを消費して何とか我慢していたのだ。
しかし吸わないと落ち着かないし、口寂しいばかりでどうもいけない。
その日はずっとイライラし続けていた気がする。
結局今日の朝、起きたばかりで何も考えずに、鞄に入れっ放しだったはずのタバコに気づけば火をつけていた。
灰皿にとん、と灰を落とした瞬間、走馬灯のように禁煙宣言からの記憶が蘇ったが、火をつけてしまったのだからともったいない精神で丸々一本吸い終えたのは数分前。
目の前にはタバコの箱、ライター、吸い殻の入った灰皿。
確実にクロである。
とたとた音を立てて部屋に入ってくる音がして、恐れていた奴が起きたか、と開いたままのドアを見た。
一歩入った途端に足を止めたのは僕の恋人。
歳にしては幼くまるい顔をくしゃりと顰めて(その表情はなかなかに不細工だった)、テーブルの側に置かれた椅子へ腰掛ける僕を見た。
そして、白状するまでもない証拠のブツを眺めて"またか"と察したようだった。
パッパッと右手で空気を払うようにしながら、彼女はキッチンへ歩き出す。
「…おはよ。ねえ、煙たいんだけど」
そう言いながらも特に換気をする訳でもなく、冷蔵庫を開けて物色している。
「……ご、ごめん」
「ていうか起きるの早くない?昨日私より遅かったでしょ」
半笑いでとりあえず謝ったが、それについてはもう触れてこなかった。
昨日は確かに彼女が寝ついた頃に帰宅した。
お互い働いている身としては同棲しているとはいえまさか学生みたいに門限がある訳でも無いし、相手も特に何があったとは聞かない。
「なんか、目が覚めちゃって」
何も言ってこないのをいい事に、僕は二本目に手を出そうとする。
「こら」
目ざとく見つけた彼女が突っ込んできた。
「あんたねえ、禁煙するって言ってたじゃん」
飲み物を出しながら、彼女はまるで僕の親みたいに口を出し始めた。
実は、禁煙宣言をしたのはこれでもう三度目である。
過去二度とも一週間も続いていない。
それなのに、三度目の宣言からわずか一日で断念してしまった。
やるなら徹底的に、が信条の彼女の説教で断念した理由に気づいてしまって、僕は小さく笑う。
「だから___ねぇ、聞いてるの?」
僕が笑ったのを訝しく思ったであろう彼女を誤魔化すべく、そのままタバコに手を伸ばし、ライターで火をつけた。
「……あ~あ、知らないよ?」
別に誰かがタバコをやめろと言った訳ではない。
このボロっちい築ウン十年の小さなアパートが禁煙の建物な訳でもない。
しかし彼女がわざわざそう言ったのは、僕が僕自身で禁煙すると決めた事による罪悪感のストレスを気にしてだろう。
吸っている事に気づいた数分前の僕は確かに罪悪感を感じたが、残念ながら今の僕にはそんなもの一切無い。
「こうなりゃ一本も二本も同じだ」
言い訳のように吐き捨てれば、彼女は仕方ないな、とでも言うようにふにゃりとと目尻を下げて笑った。
長い睫毛が伏せられ、窓から注がれる陽光に照らされた榛色の瞳がキラキラ光る。
何処かに陰のある、しかし柔らかく甘ったるい笑顔。
僕は、こいつのそういう顔がいっとう好きなのだ。
「…じゃあ、明日から禁煙する事にする」
そしてまた、禁煙宣言をした。
「絶対できない方に千円かけようか」
意地の悪い顔で彼女は言う。
「うーん、僕もそっちにかけるからチャラだなあ。」
だから俺も意地悪く返した。
「いやいや、そしたら宣言の意味が無いよ」
どうやら、僕は寂しかったらしい。
恋人に話しかけてもらう口実を作る為に、少しばかり嘘をついたとしてもバチは当たるまい。
そして、おかしな事に僕は、何だかんだ彼女に説教されるのも好きなようなのだ。
「やっぱタバコは一番美味ェわ」
「私とのちゅーよりも?」
「あぁ~…それはどっちだろうね」
聞いてはいるが既に朝の支度を始めた彼女に、僕はありがたく甘える事にした。
「ついでに朝ごはんもよろしくー」
「それは手伝ってよ」
間髪入れない彼女の返事にふふっと笑った僕は、こうやって戯れる朝は久しぶりだな、と思う。
僕達は似通った仕事をしているが、お互いの休みが被る時以外は早朝と夜中くらいしかちゃんと会話するようなことは無い。
同じ家に暮らしていながら、ある程度私生活はバラバラだった。
たまには2人で同じ日に休みを取って、昔のように宛もなく何処かへふらふら出掛けようか。
そしてそういう事を彼女も同じように思っていたら、なんて。
そんな訳無いか、と灰皿に二本目のタバコを押し付けて、癖のついた髪を櫛で梳かす彼女を抱きしめながら顔をこちらに向けさせ、啄むように口付けた。
きっと彼女はしかめっ面になり、僕の胸を押して逃げようとするに違いない。
そしたら僕はもっと強い力で抱きしめて、彼女の日向みたいにあたたかな香りを吸い込むのだ。
もう___仕方ないなぁ、あなたは。
そんな言葉を聞くまで、あと数秒。
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