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第三章 偽聖女の初陣
黄昏の空
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黄昏時。エレノアは西側の外壁に腰を掛け一人佇んでいた。
この一週間で村周辺に残る小鬼の掃討は完全に終わり、一週間前は小鬼が敷き詰めていた外周部分も安全になっていた。
エレノアはじっと燃え落ちる西日を眺め続けていた。待ち人がいるのである。
「お帰りなさい」
やがてエレノアは、遠くに待ち人の姿を確認すると、聞こえない事を承知で虚空に向けて声をかけた。
遠くには飛行の風魔法で移動するグレイの姿。
「……エレノアさん。もしかして待っていてくれたのかな」
「座ったらいいわ。沈む夕陽が綺麗なのよ、一緒に見ない?」
城壁に着地したグレイの問いかけに、エレノアは否定も肯定もせず、隣に座るように促した。
「……では、そうしようかな」
グレイは、ゆっくりとエレノアの隣に腰を掛け、同じように沈む夕陽を眺めていた。
「お疲れ様。調査はどうだったの」
「成果はあったよ」
グレイは薄汚れた羊皮紙の本を取り出して、エレノアに手渡した。
エレノアが本を開くと、見慣れない形の文字が書かれているが、それが砂王国で使われている筆記体だと分かった。
「これが小鬼の本拠地に?」
「ああ。明日の早朝ノーラス村を発ち、剣王国に帰ろうと思う。君も連れていくけど構わないかな」
グレイがエレノアに確認をした。
元よりそのつもりだったが既に一週間経ち、エレノアも村の生活を謳歌している。約束を違えないか心配になったのかもしれない。
「ええ。そうして貰えれば。仕事先があるといいのだけど。一応、民兵団から受け取った報酬があるから、しばらくの生活は大丈夫そうだけどね」
「母上の家に一度来て貰えないかな。君の紹介も兼ねてね。……それと、水術師の異父妹が居るんだ。君と年齢も近いし、僕と違ってさっぱりとした明るい性格だから、良い友人になれると思う。是非仲良くして欲しいな」
グレイには母方に妹がいるらしい。初耳である。ただ宮廷で水術師を務めていたという母方の子で父親違いとなると、その関係は複雑かもしれない。
「貴方と妹さんとの仲はどうなの?」
「良好な関係を築けているよ。まあ、知っての通り僕の家庭環境は複雑でね。今の母上の夫は再婚相手なんだ。最初の夫は日常的に暴力を振るう人で、それに同情的だった父上との一度の過ちがあって、僕が生まれたという事になって」
グレイが複雑な面持ちで自らの出生の過程を語った。
過ちをもって生を受けた身としては、その情事を完全否定も出来ないのかもしれない。
「王様との情事は、最初の暴力夫にも原因があったという事ね。……今の旦那さんはどうなのかしら」
「義父さんは優しくて尊敬できる人だ。母上はベタ惚れでね。……いい歳して見せつけてくるのはどうかなと思うくらいだよ」
苦笑いを浮かべつつ、グレイはさらに続けた。
「剣王都ファルシオンに僕の所属している民間の魔法研究所がある。そこにエレノアさんを紹介しようと思っている。内定と思ってくれて構わないよ。……君ほどの才能なら剣王国も欲しがるだろうけど、少なくとも今は自重したほうが良いと思ってね」
「それはそうかもしれないわ。聖王国と剣王国は同盟関係みたいだし」
「……まあ、後は国仕えになったら、君は国の意向に逆らえなくなってしまう。聖王国の事も根掘り葉掘り聞かれるだろうし、望まぬ戦争に駆り出される可能性も否定できない」
その言葉からはエレノアと聖王国に対する配慮が窺えた。
国の利を考えれば、王国の中枢に近い位置に居たエレノアから聖王国の情報を引き出す事は国の利に適う事である。
「僕としては、そうあって欲しくない。何よりエレノアさんが目の届かない処へ行ってしまうかもしれないのはね」
グレイが隣に座っているエレノアを抱き寄せると、エレノアはそのままグレイの肩にもたれ掛かった。
鼓動が少し高まっている。未だ慣れることはなかったが、こうやって少し寄り添うくらいであれば冷静に努める事が出来た。
「……仮に研究所に行ったとして仲良くできるかしら。エリングラードの魔法院では、一人のライバルを除いて腫れ物扱いされていたの。……私が悪かった面もあるけど」
「癖のある人ばかりだけど、魔法騎士が所属する王立魔法局よりは遥かに穏やかだよ。ただ、君の魔力に嫉妬する人はいるかもしれないけど、こればかりは」
「まあ、そういうのは経験からわかるわ。……以前は私も反省する点があったから。聖王国では心に余裕がなかったの。低い身分で聖王国に引き取られた身だったから」
エレノアが反省の弁を述べると、グレイが心配ないと言いたげに頷いた。
「あとは、王立魔法局と魔法研究所は微妙にライバル意識と対立があるから、その辺りが要注意かもしれない。……剣王国の為に対立なんてしている場合ではないのだけど」
「あら。同じ国の仲間じゃないの。仲良くしたらいいのに」
「それが難しいのは、エレノアさんだって聖王国での経験で分かっているんじゃないかな。剣王国は安全とは言い難い情勢でね。本当は身内で争っている暇なんてないはずなんだ」
そう言われて、聖王アレクシスと第一王子リチャードの派閥争いによる対立を思い出し、エレノアは納得した。
一枚岩というのはそう簡単ではないし、完全に国が一丸となれるのであれば苦労はない。一丸となって小鬼と立ち向かえたノーラス村の一件は特殊だったのだろう。それですらエレノアとグレイにすれ違いがあり、あわやという処があったくらいである。
「わかったわ。私も聖女候補だった頃と違って、もう少し穏やかに出来ると思うから。もし、悪い処があったら遠慮なく叱って欲しいわね。……冷たそうな顔と声は地だから勘弁して欲しいけど」
そう言うとエレノアは溜息をついた。おそらくは悪い処だらけであるが、グレイは微笑むばかりで何も言わなかった。
西空には夜の帳が下り、濃紺色の空が煌めき始めている。ここでも流れ星を幾つも見つける事が出来る。
エレノアはグレイに寄り掛かりながら、目に映ったほうき星にそっと願いを込めた。
この一週間で村周辺に残る小鬼の掃討は完全に終わり、一週間前は小鬼が敷き詰めていた外周部分も安全になっていた。
エレノアはじっと燃え落ちる西日を眺め続けていた。待ち人がいるのである。
「お帰りなさい」
やがてエレノアは、遠くに待ち人の姿を確認すると、聞こえない事を承知で虚空に向けて声をかけた。
遠くには飛行の風魔法で移動するグレイの姿。
「……エレノアさん。もしかして待っていてくれたのかな」
「座ったらいいわ。沈む夕陽が綺麗なのよ、一緒に見ない?」
城壁に着地したグレイの問いかけに、エレノアは否定も肯定もせず、隣に座るように促した。
「……では、そうしようかな」
グレイは、ゆっくりとエレノアの隣に腰を掛け、同じように沈む夕陽を眺めていた。
「お疲れ様。調査はどうだったの」
「成果はあったよ」
グレイは薄汚れた羊皮紙の本を取り出して、エレノアに手渡した。
エレノアが本を開くと、見慣れない形の文字が書かれているが、それが砂王国で使われている筆記体だと分かった。
「これが小鬼の本拠地に?」
「ああ。明日の早朝ノーラス村を発ち、剣王国に帰ろうと思う。君も連れていくけど構わないかな」
グレイがエレノアに確認をした。
元よりそのつもりだったが既に一週間経ち、エレノアも村の生活を謳歌している。約束を違えないか心配になったのかもしれない。
「ええ。そうして貰えれば。仕事先があるといいのだけど。一応、民兵団から受け取った報酬があるから、しばらくの生活は大丈夫そうだけどね」
「母上の家に一度来て貰えないかな。君の紹介も兼ねてね。……それと、水術師の異父妹が居るんだ。君と年齢も近いし、僕と違ってさっぱりとした明るい性格だから、良い友人になれると思う。是非仲良くして欲しいな」
グレイには母方に妹がいるらしい。初耳である。ただ宮廷で水術師を務めていたという母方の子で父親違いとなると、その関係は複雑かもしれない。
「貴方と妹さんとの仲はどうなの?」
「良好な関係を築けているよ。まあ、知っての通り僕の家庭環境は複雑でね。今の母上の夫は再婚相手なんだ。最初の夫は日常的に暴力を振るう人で、それに同情的だった父上との一度の過ちがあって、僕が生まれたという事になって」
グレイが複雑な面持ちで自らの出生の過程を語った。
過ちをもって生を受けた身としては、その情事を完全否定も出来ないのかもしれない。
「王様との情事は、最初の暴力夫にも原因があったという事ね。……今の旦那さんはどうなのかしら」
「義父さんは優しくて尊敬できる人だ。母上はベタ惚れでね。……いい歳して見せつけてくるのはどうかなと思うくらいだよ」
苦笑いを浮かべつつ、グレイはさらに続けた。
「剣王都ファルシオンに僕の所属している民間の魔法研究所がある。そこにエレノアさんを紹介しようと思っている。内定と思ってくれて構わないよ。……君ほどの才能なら剣王国も欲しがるだろうけど、少なくとも今は自重したほうが良いと思ってね」
「それはそうかもしれないわ。聖王国と剣王国は同盟関係みたいだし」
「……まあ、後は国仕えになったら、君は国の意向に逆らえなくなってしまう。聖王国の事も根掘り葉掘り聞かれるだろうし、望まぬ戦争に駆り出される可能性も否定できない」
その言葉からはエレノアと聖王国に対する配慮が窺えた。
国の利を考えれば、王国の中枢に近い位置に居たエレノアから聖王国の情報を引き出す事は国の利に適う事である。
「僕としては、そうあって欲しくない。何よりエレノアさんが目の届かない処へ行ってしまうかもしれないのはね」
グレイが隣に座っているエレノアを抱き寄せると、エレノアはそのままグレイの肩にもたれ掛かった。
鼓動が少し高まっている。未だ慣れることはなかったが、こうやって少し寄り添うくらいであれば冷静に努める事が出来た。
「……仮に研究所に行ったとして仲良くできるかしら。エリングラードの魔法院では、一人のライバルを除いて腫れ物扱いされていたの。……私が悪かった面もあるけど」
「癖のある人ばかりだけど、魔法騎士が所属する王立魔法局よりは遥かに穏やかだよ。ただ、君の魔力に嫉妬する人はいるかもしれないけど、こればかりは」
「まあ、そういうのは経験からわかるわ。……以前は私も反省する点があったから。聖王国では心に余裕がなかったの。低い身分で聖王国に引き取られた身だったから」
エレノアが反省の弁を述べると、グレイが心配ないと言いたげに頷いた。
「あとは、王立魔法局と魔法研究所は微妙にライバル意識と対立があるから、その辺りが要注意かもしれない。……剣王国の為に対立なんてしている場合ではないのだけど」
「あら。同じ国の仲間じゃないの。仲良くしたらいいのに」
「それが難しいのは、エレノアさんだって聖王国での経験で分かっているんじゃないかな。剣王国は安全とは言い難い情勢でね。本当は身内で争っている暇なんてないはずなんだ」
そう言われて、聖王アレクシスと第一王子リチャードの派閥争いによる対立を思い出し、エレノアは納得した。
一枚岩というのはそう簡単ではないし、完全に国が一丸となれるのであれば苦労はない。一丸となって小鬼と立ち向かえたノーラス村の一件は特殊だったのだろう。それですらエレノアとグレイにすれ違いがあり、あわやという処があったくらいである。
「わかったわ。私も聖女候補だった頃と違って、もう少し穏やかに出来ると思うから。もし、悪い処があったら遠慮なく叱って欲しいわね。……冷たそうな顔と声は地だから勘弁して欲しいけど」
そう言うとエレノアは溜息をついた。おそらくは悪い処だらけであるが、グレイは微笑むばかりで何も言わなかった。
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