優しい時間

ときのはるか

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第3章 ゆるやかな流れの中で

天使の真実(10)

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 初めて堂島と出会ったのはあの時だったのかと瞬にもなんとなく見当がついた。

 あの日の瞬は、はじめは確かに浮かれていたかもしれなかった。

 実の父に引き取られてから継母との三人暮らしは、父の実家に居た時の事を思えば十分に幸せだった。
 例え継母が父の前で取る態度と、自分と二人きりの時に取る態度がまったく違っていても、それでも暗い蔵に閉じ込められる事がないだけで安心できた。
 継母と二人で居る時はご飯がもらえなくても、父が居る時はもらえたし、小学校に行っている間は平穏だった。
 だから、それでも瞬は幸せだと思う事にしていた。

 ただ父も継母も自分をきちんと見て話しをしてくれない事が寂しかった。

 あの日は初めて父と新しい母に外食に連れて行ってもらった日だったと思う。
 それ以外、三人で出掛けた記憶は無い。

 父の仕事は忙しいらしく、家に帰って来るのはだいたい深夜だった。それに身重だった母は散々愚痴って、父はそのご機嫌取りで出掛けたのだった。

 父の仕事は忙しいらしく、家に帰って来るのはだいたい深夜だった。
 それに身重だった母は散々愚痴って、父はそのご機嫌取りで出掛けたのだった。

 本当は瞬は留守番のはずだったが、この時は珍しく父が瞬もたまには連れて行ってやろうと言ってくれたのだった。
 だから母は少し不機嫌で父もつられて無口になる。
 そんな場を和まそうと瞬は必死だったのだ。

 それが側から見れば瞬だけがどこか浮かれているように見えたかもしれない。

 しかし、いくら瞬が二人の手を取り笑いかけても二人は優しく振り向いてくれる事は無かった。
本当は泣き出したい気持ちでいっぱいだったが、それを必死に堪えていた。

 その場に居る誰もそんな瞬の気持ちなんて気付いてはくれないと思っていた。
父も継母も、そのどちらも、視線は瞬の上を通り越していった。
それがとても冷たく感じられて瞬の微笑みも自然と消えて無くなってしまったのだった。

 そんな自分の心を堂島は一瞬で見抜き感じ取ってくれたと聞いて、瞬の身体はどこもかしこも熱くなっていた。
カアッとなって熱が湧き出し、そしていたるところが締め付けられるようにキュウッとなって痛かった。

 特に胸の奥と革の下着で締め付けられている陰経が痛くて苦しかった。

 瞬は、この時ほど早く堂島に会いたいと思った事はなかった。

 一分一秒でも早く会いたい。
 会ってそして堂島の事をきつく抱き締めたい衝動に駆られていた。


 そんな瞬の心の変化を榊は感じ取りつつ更に話を進めていく。

「堂島様は瞬の事が心配でそれからもずっと気に掛けていらっしました。
 瞬があの家で辛い目にあっていた事も知っています。
 だからあなたのお父様の事業の資金を援助する代わりに、あなたを息子に欲しいと言いました。
 ですが堂島様には瞬の子育ては荷が重かったのでしょう。
 堂島様は一度も結婚もされていませんでしたし、子供を育てた事もありませんでした。
 ですから堂島様がその準備が整うまでの間と、瞬はここに預けられたのです。
 ですが堂島様にもこちら側の条件を出させて頂きました。
 瞬も見ての通りこの施設は普通の養護施設とは違います。
 ここに預けられている子供は彼らなりの事情があり、主人からの学費や食べ物そして寝る所などの援助を受ける代わりに、主人の好みをここで教え込まれ、そして主人の元へと返されているのです。主人に求められたら身体をその代償に差し出す夜もあるでしょう。
 でもそれをここの子たちは承知しています。その後の自分の未来に必要なものを主人が与えてくれるのですからそれは取引きと同じです。
 ですが瞬は彼らとは違うと以前申し上げた通り、堂島様から最初はただ瞬をここにかくまって欲しいと言われたのです。
 ですがここに居る子達がそんな楽して恩恵だけを得る子供が一緒に暮らしていると知ったらどう思いますか?」

「多分、その子を羨ましいと思うかもしれません。そしてその子のやる気が失われるかもしれない」

 瞬の言う事はずばり的を射ていた。
 榊もその答えに納得して話しを進める。

「そう言う事です。
 ここは何の主人のオーダーも無い子供が居る施設では無いのです。
 ですからただかくまう為だけに瞬を預かる事は出来ない、ここに入れるならそれなりの躾けのオーダーと、それ相当の金額を納めるように有栖川も堂島様に申し上げました。
 いくら友人同士と言えど、けじめは付けなければなりません。
 そこで堂島様からの依頼は、瞬を天使に仕上げて欲しいと言うオーダーをいただき、瞬の躾けは私が任される事になりました。
 私も初めは天使の事を良く知りませんでした。
 ですが幼い頃の天使とそれを取り囲む守護者の写真を見せられた時、その時の瞬とそっくりなお父様のイメージで瞬を躾けて行こうと決めました。
 堂島様にとって天使とは性的なものとは真逆の存在なのです。
 瞬、あなたのお父様は確かに学院に居る間は堂島様をはじめ有栖川達にとって癒しと成るべく美しく慈愛に満ちたまさに天使でした。それだけは信じてあげてください。
 あなたのお父様だって十二年間も自由もなくただ皆さんの為に慈愛のこもった微笑みを浮かべ癒しを与え続けてきたのです。
 厳しく自由を制限され外界から隔絶された生活を強いられ続けた方が、その反動が出たとしても誰も咎める事は出来ません。もう側に守護者は居ないのですから、自分の判断を見誤る事だってあるでしょう。
 それにあなたのお父様は常に疑う心を持たず女性にもお優しかったのだと思われます。
 あなたのお父様は多分…拒むという事が苦手な方だと思うのです」

 そう言われたら瞬もその傾向があり、何も言い返せなくなる。

 自分はその性格が父によく似ていると言われてしまう事が多かった。

 それが良い意味では無いのは分かっていたが、人から威圧的に何かを言われると身体が固まって言い返せなくなってしまうのだった。

「父も僕も強く言われると逆らえなくなるのです。
 おじい様もおばあ様も大変厳しい方なので、よく父も怒鳴られたり叩かれたりしていました。そうすると僕も父も動けなくなってしまい、だったら最初から逆らえない事には逆らわない方がいいと身体が勝手に受け入れる方を選ぶようになってしまうんです」

「そうだったのですね。
 それは辛い事だったと思います。
 ですが時には自分の主張をはっきり人に伝える事も重要な事なのです。
 瞬にもそれは分かりますよね?」

 榊の声は優しく瞬の耳に拡がっていく。
 その心地いい響きが瞬にいつもやる気を、そして勇気を与えてくれていた。

 瞬は思った。
 自分が天使だとしたら、榊はきっとその守護者なんだと…

 だが、榊は本当の守護者の代わりをしてくれている…ただそれだけなのだと今なら分かった。

「分かります」

 今度はそうはっきりと言えた瞬だった。


 だが瞬は幾分素直に言葉を受け止め過ぎていた。
 そこがまだ疑う事を知らない子供なんだとも思う。
 さっきあれだけもっと人の話を疑うようにしろと言ったのに、もう既にすっかり榊の話を鵜呑みにしていたのだった。


 榊は瞬に気付かれないように空を仰ぎ静かに息を吐く。

 だがそれも仕方がない。

 天使とはきっとそういうものなのだと思うのだった。
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