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2章 |空蝉《うつせみ》に|泡沫《うたかた》に

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-慶永Side-

インターホンを鳴らす。

「はい、神法です」

「ども、雪落です」

紫苑の家、正確には姉の桜咲の家に来ていた。

福岡旅行のとき、彼女にスマホの充電器を貸したままだった。

次のデートのときでも良かったのだが、いつもあるものがなくなると急に不安になるものだ。

「いつも妹がお世話になっております。すみません、妹が気利かなくて。わざわざお越しいただかなくても直接持って行かせたんですが」

「いやいや、そこまでしてもらわなくても大丈夫ですよ」

この日彼女は夜遅くまでバイト。終わったら友達と飲みに行く予定があった。

一方姉の桜咲は仕事が早く終わったので俺が来るのを待ってくれていた。

「せっかくなので上がってください」

「いや、充電器を取りに来ただけなので」

「紫苑の秘密、知りたくないですか?」

突拍子のない言葉にどう反応して良いか戸惑った。

この人は本当に実の姉か?

顔立ちはたしかに似ているが、話し方や雰囲気からブレない軸のようなものを感じた。

それにしてもこの誘い方、何という言葉で形容すれば良いのだろう?

桜咲が右手をリビングの方へと伸ばして俺の手足を前へといざなう。

上手く乗せられた感じがしたが嫌な感じは全くしなかった。

「どうぞ」

革靴を脱いで上がらせてもらう。

「お邪魔します」

1DKの部屋には小さめのソファーベッドがそれぞれ1つずつあり、奥の広めの部屋と手前のリビングの部屋がある。

思っていたよりも部屋はシンプルで、白を基調としていてシックな感じになっている。

イメージしていた女子の部屋という感じではなかったが、この前のクマのぬいぐるみを大事そうに置いてくれていた。

リビングのソファーに座らせてもらう。

「お茶が良いですか?コーヒーが良いですか?」

桜咲がキッチンから右手に茶葉、左手にコーヒー豆のパックを持ちながら聞いてきた。

「じょあコーヒーで」

豆を挽きながら桜咲が質問してくる。

「紫苑って見た目によらず意外と抜けてませんか?」

思い当たる節がいくつかある。

1年間しか一緒にいない俺よりも、小さいころから一緒にいる桜咲にはもっと多くの引き出しがあるのだろう。

彼女にそっくりなその麗しい瞳で色々と話したそうな表情をしている。

「アイスに目がないのに、話に夢中で食べてること忘れちゃってるところとか」

「それ小さいときからずっとです。よくこぼして服をビチョビチョにしてたから、一時期コーン禁止令が出てカップアイスしか食べちゃダメだてルールがあったくらいですから」

それでもアイスを食べることを許されている時点で優しい家族だと思う。

「紫苑って小さいときからほんっとにアイスが大好きで、新しい味を見つけるとそれを食べられるまで駄々をね続けてたんです」

アイスに対する欲求えげつないな。

「そういえば、昔おもちゃ屋さんでソフトクリームの置物を見つけたとき、欲しくて欲しくてたまらなかったのか1日中泣きじゃくってたことがあって、クリスマスプレゼントでそれをあげたら大喜びしてたことがありました」

どんだけ欲しかったんだ。

彼女の前世は乳製品なのか?

「本人の希望で数時間家に置いてたら、ある日アイスクリーム屋さんと勘違いしてやってきた人がいたので、後日撤去したら玄界灘が揺れるくらい大泣きしちゃって。私も幼いながらに大変だったのを覚えてます」

にわかに信じがたいような話だったが、もしそれが本当なら一瞬だけでもアイスに生まれ変わりたいと思った。

「いまその置物はどこに?」

「実家の倉庫に放置されてます。いまとなっては無用の長物ちょうぶつです」

当時からそうだった気もするが。

我が家にも親が生前大切そうに持っていたMDコンポがあったが、嵩張かさばるだけで正直邪魔だった。

「そんなに小さいころからアイス好きだったら、幼いころの夢はアイスクリーム屋さんとか?」

「いえ、紫苑の小さいころの夢は、天使です」

「て、天使?」

全く想像していなかった角度に刺激に瞳孔と口が大きく開いた。

アイス屋以外の選択肢としてお姫様やアイドルを予想していたから、頭の中を整理するのに少し時間がかかった。

「これにはちゃんとした理由があって、紫苑が小さいときに海で溺れそうになったことがあったんです。そのときはお父さんが助けてくれてたんですけど、幼いながらに悔しかったんでしょうね。翌日から泳げるようになりたいって言って水泳をはじめたんです」

ん?全然話がつながらないのだが。

整いかけた頭の中がまたぐちゃぐちゃになった。

空を飛ぶのと海を泳ぐのはインターステラーくらいかけ離れたものだと思う。

泳げるようになればそのまま空を飛べるようになるとでも思ったのだろうか。

本人に直接聞くわけにもいかないから真実にそっと蓋をしておこう。

「でも高校に入ると同時に水泳を辞めてテニス部に入ったんです」

そう言えば出会ってすぐのころ、テニス部に所属していたって言っていたけれど水泳経験もあったことははじめて知った。

「なんで急にテニス部に?」

「好きな人がいたらしいです」

好きな人というワードに強く鼓動が鳴る。

過去のことに嫉妬してもどうにもならないのはわかっていながらも心がそわそわしている自分がいた。

訂正するようにすぐさま桜咲が続ける。

「好きな人っていうのは憧れてる人って意味です。宝塚の人みたいなカッコイイ先輩がいて、その人とダブルスを組みたいって思ってたらしいです」

違う『好き』に心が凪いだ。

気にならないわけではない。
だが彼女の過去の恋愛事情について本人の許可なしに聞くのは違うと思った。

「あっ、これ絶対本人に言わないでくださいね。雪落さんに話したなんて言ったらガチでキレられちゃうんで」

過去の恥ずかしい思い出を恋人に知られるのは嫌だろうから墓場まで持って行くことを約束した。

「俺が紫苑のことを嫌いになることはないので」

「雪落さんが良い人で良かったです。妹のことを大切に想ってくれて嬉しいです」

「飾らないところはすごく魅力的だなって思うし、怒ったり笑ったり泣いたり、デートする度に新しい彼女に出会えるのが楽しいんだ。何より、多くの人に愛されてる人ってそういうところを自然と出せるからだと思う。俺にないものを彼女は持ってる。だから大切にしたいって思う」

いや、大切にする。

この想いにかげりは微塵みじんもない。

口に出しながらも改めて心に誓う。

「紫苑が羨ましいな」

「えっ?」

「私、彼氏ができても長続きしないんですよね。面食いだから顔が良かったらある程度クズでも許しちゃうんです。でも、結局クズはクズだから浮気とか借金とか当たり前にするようなやつばっかで、雪落さんみたいに内面をちゃんと視た上で想い続けてくれてる人に出会えて、妹は、紫苑は本当に良い出会いをしたなって思って」

桜咲の言葉は半分合っていて半分合っていない。

正直最初は外見から入ったし、中身は二の次だった。

ただ彼女を知っていくうちにギャップにどんどんやられていった。

表情豊かで意外と嫉妬深くてちょっと天然で、話す度に新しい彼女に出会える。

それが新鮮で楽しい。

だから彼女との出会いは俺の人生にとって大きな転機であり、邂逅かいこう僥倖ぎょうこうといっても過言ではない。

あまり長居しても失礼なのでそろそろおいとましようと腰を上げると、

「雪落さん、紫苑と結婚する気ありますか?」

唐突すぎる質問に目が点になった。

好きで付き合っているから一緒にいたいと思うのは普通だし、人一倍家庭に対する思いは強い。

でもこれはどういう意図があるのだろう?

下手に考えるよりもいまの素直な気持ちを言うことにした。

「結婚は付き合ったときからしたいと思ってるよ。でも紫苑まだ学生だし、落ち着くまではプロポーズしないかな」

「ですよね。あの子好きになったら周り見えなくなるし、人の意見聞かなくなるし、王子様を求めるような乙女気質なので、同棲とかは慎重にお願いしますね」

いまはまだ時期尚早と言いたいのだろう。

そこに関しては同感だ。

俺も仕事はまだまだだし、もっと余裕を持った状態でないと彼女を支えてあげることはできない。

「今日は色々とありがとう」

「こちらこそ長話に付き合ってもらってありがとうございました。次来るときは席外しておきますので遠慮なく楽しんでくださいね」

この子は本当に血のつながった姉妹か?

お節介な近所のおばちゃんみたいな発言に苦笑いしながら彼女の家を後にした。


-紫苑Side-

東狐姐さんのお店でカラーリングしてもらった後、駅前に戻ると彼が待っていた。

代官山の駅前にあるジェラート専門店。

地元糸島のあまおうやオレンジ、桃を使ったジェラートを2人でベンチに座って食べる。

今日は久しぶりのデート。

旅行に行った以来、なかなか予定が合わなかった。

電車に乗って向かったのは中目黒。

お花見の名所、目黒川には多くの人が桜を見に訪れている。

駅前にあるドーナツ屋さんには何時間待ちだろうというくらいの行列ができていて、それを横目に目黒川沿いのカフェでまったりする。

写真を撮る彼の表情も最初のころにくらべてナチュラルになってきた。

一緒に変顔したりたまに目を瞑っていたりと、それは恋人というよりも仲の良い友達にも思えた。

ディナーは二択で迷った。

「焼肉と焼鳥どっちが良い?」

彼の質問にめちゃくちゃ迷った。

どっちも大好きだしすっごくお腹が空いている。

ネットで食事の写真や店内の雰囲気を見たらさらに迷った。

なかなか決められずにいると、

「じゃあゲームで決めよう」

まるで子供のような表情で爽やかにそう言う。

「ゲーム?」

「そう、110ゲーム」

「ヒャクジュウゲーム?」

彼が財布から100円と10円を1枚ずつ取り出し、

「紫苑が勝ったら焼肉で、俺が勝ったら焼鳥な。じゃあ目つぶって手ひらいて」

「何すると?」

「いいからいいから」

人の不安をよそに楽しそうな彼は何の説明もなく謎のゲームをはじめる。

言われるがまま目を瞑って両手を開き、彼の前に出す。

両手に冷たい感触がした。

そのひんやりしたものが何かわからず一瞬ピクッとなった。

彼が私の両手を包むようにパーからグーにした後、目開けていいよと言ったので、言われるがまま素直に目を開けた。

「問題です。右手と左手どちらに100円が入っているでしょう?」

えっ?何その問題?

「わからんし」

「直感でいいから」

「じゃあ右?」

「手開いてみて」

右手には10円が入っていた。

100円は左手だった。

「じゃあ俺の勝ちね、焼鳥食べよう」

「こんなんわからんし」

「100円と10円は直径0.9ミリしか違わないし、厚みも0.2ミリしか変わらない。重さに関しては0.3グラムしか変わらないからね。ちなみにお札は横の長さが違うだけで縦の長さはどれも同じなんだよ」

そんなことわかるわけがないし、何よりこのゲームめちゃくちゃつまらなかった。

「本当は焼肉が食べたかった?」

「そんなことないけど」

「じゃあ焼鳥な、行こう」

この人たまに強引で子供っぽい。

お店は満席だった。

店員さんによるとたまたまキャンセルが入ったタイミングだったらしいけれど、もし入らなかったらどうするつもりだったんだろう?

焼鳥屋さんはいっぱいあるし、ぶっちゃけお腹いっぱい美味しいものを食べられれば何でも良いのも事実。

珍しくお店の予約をしていなかったみたいだったからちょっと驚いた。

デートのときは必ずと言っていいほど予約をしておいてくれる。

こんなことはじめてかも。

カウンターに座り、焼鳥とワインをたしなんだ。

帰るにはちょっとだけ時間があったので目の前の本屋で時間を潰すことにした。

彼は見かけによらず小説が好きで、休みの日は色々なジャンルを読むみたい。

以前彼の家に泊まったときにちょっとだけ読ませてもらったことがあるけれど、文字ばかりですぐ眠くなっちゃうし、難しい言葉が多すぎて全然言葉が入ってこなかった。

やっぱり私はマンガや動画の方が好き。

会計を済ませた彼がやってきた。

「何買ったと?」

宇山 佳佑うやま けいすけさんの新作」

本の表紙を見せながら自慢気に言ってきた。

「その人知っとる。ネトフリで観たことあるけど面白かった」

「『桜のような僕の恋人』っしょ?あれマジで良かったよね!」

「そう、それ!切なくてばり泣いた」

「個人的に1番好きなのは『恋雨こいあめ』だけどな」

「恋雨?」

「そう恋雨。『この恋は世界でいちばん美しい雨』って作品めちゃくちゃ面白かった。やっぱ雨は命に匹敵するくらい儚いよな」

その独特な感性は理解できなかった。

久しぶりのデートは楽しかった。

同じ時間を共有し、手をつなぎ、キスをする。

彼との時間はアイスのように甘くとろけるような瞬間。

それだけで幸せだった。

でも、幸せすぎて怖くなった。
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