SECOND!!

雨愁軒経

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第四章 減量と決戦と風に立つライオン

白い食卓と恋心と下心と

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 そしてついに迎えた夕食。
 普段から料理をしているらしい兎萌のエプロン姿は、よく馴染んでいた。蹴り姫にして家庭的とか、ちょっとずるいぞ、お前。

 かくして。


「…………あっるぇー?」


 並べられた皿に、葵は首を傾げる。
 学校で渡されている弁当から、なんとなく想像はついていた。ついていたのだが……。

 具体的には、食卓のコントラストが激しかった。グラデーションなどというものではない、きっぱりと明暗が分かれているのだ。

 対面に座る母の目の前には、白米に鮭、手羽元と大根の煮物に、ワカメとみかんの酢の物と、彩も整えた和の献立が完成している。

 一方で葵の目の前にあるものに、瞬きをする。瞼の裏と同じような乳白色が、目を開いていても広がっていた。
 何かよく分からないおかゆのようなものと、鶏ささみ。唯一の色彩であるレタスの葉の上には二個分をスライスしたゆで卵と、ゼリーをまとった胡麻のような白いつぶつぶが乗せられ、素敵にホワイティ―である。


「ええと兎萌さんや、このおかゆみたいなのは何?」


 指さすと、兎萌が自分のぶんのそれを電子レンジから取り出しながら言った。


「それはオートミールよ。いってみれば乾燥麦ね。食物繊維とビタミンが豊富で、必須脂肪酸まで付いて低GI。プロのアスリートやビルダーさんも御用達の優れものよ。白だしを加えて和風がゆにしてみたから、試してみて」
「ヒッスシボウサン……テイジーアイ……」


 呪文だった。とりあえず、アスリートの見地から提供されているものだから、まずいものではないのだろう。


「こっちのつぶつぶは?」
「それは水に浸したホワイトチアシード。スーパーフードってのは聞いたことがあるでしょう? 一部では、『人の生命維持には水とチアシードさえあれば事足りる』とも言われているくらいの超栄養食よ。ダイエットの他にも美肌効果があるから、イケメンになれるかもね」
「チアシード……スーパーフード……」


 またしても呪文だった。
 ただ一つ、葵にも理解できたことがある。


「もしかして、三日間ずっとこれ?」
「ええ、まあ。オートミールの味と、お肉は変えていくけれど、サラダは同じね。たんぱく源のゆでたまごに中心で」
「憧れの手料理が……味気ねえ!」


 あまりのショックに、葵は愕然と食卓に突っ伏した。


「意外と味変していけば飽きないものよ?」
「そうじゃないやい! あっちの普通のご飯が作ってもらいたいんだい!」


 駄々をこねる。


「こら葵、作ってもらえるだけ幸せじゃないの」
「ですよねえ? こんなに愛情たっぷりなのに」
「愛情たっぷりの結果、こんなに真っ白なのか……」
「やだなあ葵ったら。『あなた色に染めて』って、わざわざ言わせる気?」
「言う気もねえくせにいけしゃあしゃあとまあ!」


 葵は吠えた。

 しかし母が言っていることも事実なので、これは減量のためであって世の男子が憧れる『カノジョノテリョウリ』などというアイテムではないのだと、言い聞かせる。
 そう、これはノーカンなのだ。

 テーブルにのの字を書いていると、兎萌から願ってもない提案があった。


「もう、そんなに拗ねないでってば。試合が終わったら、好きなの作ってあげるから」
「っしゃああああああ!」


 盛大にガッツポーズをして立ち上がる。
 すぐ隣に座っていた兎萌が、びくんっと体を跳ねさせて、引き攣った顔でこちらを見上げた。


「そ、そんなに嬉しいの……?」
「イピカイエー、マザー○ァッカー!」
「キャラまで変わってるし……」


 これで後顧の憂いはなくなった。葵はいそいそと手を合わせると、レンゲを手に取り、オートミールがゆを掬った。


「なにこれうっま!」


 思わず叫んでしまう。

 出汁の味が優しい。底の方に少量の塩昆布ととろろ昆布を仕込んでいたらしく、二口目もまた絶妙な味加減が舌に浸透していった。


「なかなかイケるでしょ? 水の量で食感も変えられるから、明日の朝はちょっと硬めにするね。どっちが好みか比べてみて」
「お前……良い嫁さんになるよ……」
「なんつー変わり身の早さ。数秒前に何て言ってたかすっかり忘れてるわねコレ……」


 兎萌が呆れたように笑う。つられて葵も笑い、それが微笑ましいと、母も笑った。

 ふと、父のことが頭をよぎる。カップラーメンに惚れて来日した人間もいるくらいだ。世の中にはたくさんの美味しいものが溢れていて、『胃袋を掴む』なんてものが本当にあるのかと思っていたことがある。

 けれどきっと、その言葉を作った人は、照れ屋だったのだろう。素直に『心を掴まれた』と言えばいいのにと、葵は笑った。

 もちろん、俺も今はこっぱずかしくて口に出来たもんじゃあないが。


 いつかは、そう言えるようになりたいと、そっと心に留め置いた。





   *   *   *   *   *





 食器洗いを済ませて自室に戻った葵は、ドアを開けたところで硬直した。

 部屋の角に敷かれているのは、自分の布団。うんまあこれは当然だ。自分の部屋なのだから。
 問題は、その隣に敷かれている――


「お風呂、御馳走様でした。……って、どったの葵」
「いや、どったのっていうか。見ろよあの布団。ちょっと母さーん!?」


 家の奥に向かって呼びかけると、すぐに兎萌が続いて「すいません何でもないですー」と声を上げた。


「これは私が頼んだのよ」
「ええー……」


 親戚なんかが泊まる時は仏間の方の部屋を使ってもらうんだけど。そう口ごもるも、兎萌は我関せずといった様子で「これが葵の部屋なのねー、へーえ」と部屋を見渡している。こちらが部屋の中に入らない限り、突っ込むのは首だけという辺り、律儀というかなんというか。


「よくまあ、男の部屋で寝ようと思えるな」
「なあに、手を出しちゃう感じ?」
「ちがっ……」


 葵は顔が火照るのを感じた。そういうところなんだぞ女子の皆々様方!!
 男の部屋に上がった時点で、そういうことだという認識になるということを忘れないでいてもらいたい!!


「あくまで監視よ、監視。夜中に冷蔵庫を探る頭の黒い……ああ、金か。金髪のネズミさんを取り締まらないと」
「そんなことしねえから安心しろって」


 エロ本を探そうとしているのか、机の下を覗き込もうとする首ねっこを掴む。これではどちらが取り締まる側かは分かったものじゃあない。

 とりあえず風呂に入って来るから変なことをするんじゃないぞと念押しし、足早に入浴を済ませ……さすがに拙いかと、もう一度体を洗っておいた。
 別にやましさからではない。断じて。

 部屋に戻ると、兎萌が本棚の前に立っていた。


「ちょっと参考書借りてるよー」
「お、おう……」


 胸を撫で下ろす。危ないところだった。この反応ならば、下段の奥に隠した蔵書は見つかっていないらしい。

 心臓が過熱気味で、とても勉強という気分ではなかったから、今日は早めに寝ることにした。

 布団に入ると、兎萌から「こっち向いてよ」とせがまれた。無視して背を向け続けていると、耳元で「無理矢理迫られたって悲鳴上げるよ」などと物騒なことを言うもんだから、大人しく従うことにする。


「そういえばお前、学校はどうするんだ?」
「ん? 行くよ?」
「制服持ってきてないだろ」
「あーね。ジムのロッカーに置いてきてる。どうせ朝練するんだし、いいかなーって」


 頬で枕にマーキングしながら、兎萌は無邪気に笑った。

 沈黙。こんな時、どんな話題を出せばいいか分からず、葵は困り果てた。勇魚も春近も、ハイテンションで騒ぐタイプではなかったから、合宿中は特に困りもしなかったのだが。

 黙っていると、不意に、兎萌が囁いた。


「……ちょっと見直した」
「何が?」
「だってこういう時、男子は『おせっせでダイエットじゃあ!』とか言い出すんでしょう?」
「おせっせて。どんな認識をしてんだよお前は。それに脚を……」
「脚?」


 葵は言葉に詰まった。

 脚を怪我している女の子に無理はさせられないだろうなんて、一丁前の躱し文句を、言えるわけがない。言ってはいけない。馬鹿馬鹿しい。
 単純に、自分がヘタれているだけだろうに。


「脚が怪我しているとはいえ、お前が本気で抵抗したら、俺なんて殺されるだろ」
「まあねー」


 声のボリュームを押さえながらも、兎萌がからからと喉を鳴らす。
 どうやら、誤魔化すことには成功したらしい。


「でも、さ」


 布団の端をきゅっと掴んで、顔を半分隠しながら、彼女は声を絞り出した。


「葵が本当にしたいって言うんなら、その、前祝いというか、景気づけ? みたいな感じで……いい、よ?」
「なっ……!?」


 布団をずらしたときにふわりと浮いた空気が、甘い香りを運んできた。

 一瞬で、全身の細胞が総動員したのを感じた。出撃の許可が降りたぞ、配置につけと、大脳が鳴らすアラームに、葵の中の理性が遮断されていく。
 だが、しかし。


「いいや、やっぱり今じゃねえわ」


 生唾とともに、首をもたげた欲望をも押し殺す。すんでのところで思いとどまる。

 背景、天国の父さん。俺をヘタレだと笑い飛ばしてください。ついでにグッボーイと微笑んで、頭を撫でてくれると大変嬉しいです。


「ちゃんと、舞流戦をぶっ倒した後だろ。そういうのは」


 兎萌の目を真っ直ぐに見つめ返す。


「ここで自分に負けるような中途半端じゃ、俺は試合に出る資格どころか、お前と付き合う資格もなくなっちまう」


 そう伝えると、彼女はおもむろに目を閉じた。
 目尻から、つう、と一掬の涙がこぼれたのが見える。


「わ、悪い! やっぱ俺、情けないこと言ってるよな!」


 本当に、こんなとき、どうすればいいのかが分からない。

 しかし、兎萌は小さく首を横に振って、


「ううん、私こそごめんね。今のはさすがに、茶化すにしてもタイミングが悪かったわ」


 そう言って、はにかんでくれた。


「それだけ真剣に考えてくれてるんだよね。やっぱり、葵は私の自慢の彼氏だよ」
「お、おう……ありが、とう?」


 葵はたじろいだ。自分が何も出来ていないことは、ちゃんと痛感していたから。

 やがて聞こえきた寝息の中、なかなか寝付けずにいた葵は、台所でコップ一杯の水を飲んでから、今度春近に連絡をして恋愛相談に乗ってもらおうと決めた。
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