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第四章 サムライガールズ・レボリューション

〈3〉中堅戦――居合道

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「ったく、あのアイドルかぶれは卒業だ卒業! ――凪ぃ!」

 先鋒、次鋒と立て続けに下されたことで、さしもの内村も焦りを抱かずにはいられなかったのだろう。中堅の榊原を乱暴に呼びつけていた。

「元から二年生には期待していなかったから、焦ることはない。現状二敗とはいえ、どちらもたかが一本負けだ。貴様か茉莉奈のどちらかが引き分けたとしても、一勝さえしてしまえば、直刃が二本を決め、取得本数で勝利となる」

 まるで自分に言い聞かせるような暗示の後で、内村は榊原の面に口を寄せて、囁く。

「貴様の結果はどうであろうと構わん……壊せ」
「御意に」

 踵を返した榊原は、薄く貼りついたような冷笑を浮かべた。





 * * * * * *





 対面の姫芽香は、心中穏やかではなかった。内村の声こそ聞こえなかったが、唇の動きから、『コロセ』か『コワセ』のどちらかであることは読み取れたからだ。
 とてもじゃないが、現代剣道の場でまず聞くことのない言葉。どちらであっても、ロクな試合が待っているとは思えない。

 それだけ、相手もこの中堅戦に必死なのだろう。内村の真意は定かではないが、それに迷うことなく頷ける榊原の、荒事に慣れているらしい素振りも不安要素だった。

――あんなもの、実際に人を斬ったこともないくせに刀振り回して満足するお遊戯っしょ?
――くっ……。揚げ足をとるようで悪いけれど、あなたは人を斬ったことがあるのかしら。
――あるよ。何人も。

 あれはどういう意味だったのだろうか。居合をお遊戯と言うからには、こちら側の人間ではないことは窺い知れる。そもそも居合道は通常、初心者は模擬刀を用いて稽古を行うため、高校生がそうそう真剣に関わる機会はないのだ。
 合宿中の自分のようなイレギュラーを除けば、だが。

 一応、初心者でも居合道を修めるという理由があれば、真剣を持つことは可能である。しかし、刃引きされた模擬刀ですら、納刀や血振りの際の油断一つで大怪我をするのだ。大抵は、全日本剣道連盟で定められた『五段以上は公の場で真剣を使用すること』という義務付けに従うため、四段程度から真剣に慣れるというステップが一般的である。

 背筋が凍てつくような薄い笑みの前に立つ前に、姫芽香は今一度、面紐の結び目から竹刀の弦の張り具合から、道具一式を確認していく。

 ただで壊されてやるわけにはいかない。

 コートに入ると、既に待っていた榊原には、温泉で遭遇したときのようなおどけた雰囲気はなかった。生来のものか、内村に言われたからか。どちらにせよ、異様に感じられた。

「奇遇だねぇ、お遊戯の」
「ええ。あなたと戦うことができて嬉しいわ」
「あたいも嬉しいよ。なんせ、あんたにこの手でメスを入れられるんだからさ」

 獰猛な狂犬のように歯を剥かれ、姫芽香は息を呑む。
 そう言えば、榊原は医学部だと言っていたか。何人も切ったことがあるというのは、研修生としての経験のことだろうか。

「(それにしても、メスと竹刀を混同するなんて――)」

 一笑に付そうとして、はっとした。混同できても不思議ではないのだと、気づいてしまった。
 自分たち自身が最たる例である。人体を傷つける道具同士、メカニズムの応用が利くかもしれない。小さく奥歯が震えだす。皮肉だ。こんな形で仇になるとは思わなかった。

「(ダメ、呑まれちゃダメよ)」

 首を振る。この手合いに、懼れは最も抱いてはならない感情だ。
 心を鎮めるように息を吐き、腰を落とす。開始の号令と同時に、姫芽香は速攻を仕掛けた。

「参ります――無想宿神流奥義『星馳電激せいちでんげき』!」

 疾雷が天を駆け巡るように、素早く足を捌く。天とは地、即ちこの床が天。抉るように下から放たれる電光石火の突きが、榊原の喉元へと迫る。

「あいや、最初から本気かい。ぞくぞくするねぇ!」

 榊原は突きを躱すように足を右斜め前へ開くと、そのまま手元へと竹刀を振り下ろした。

「くぅっ……!?」

 両手を跨ぐように叩きつけられ、激痛が走る。姫芽香はもつれるように倒れ込みながら、自分の迂闊さを後悔した。小手を取られることはないと油断して、腕自体を狙われる可能性など考慮していていなかった。

 何が呑まれてはダメだ。敵の手の内も判らないままに愚策をしかける時点で、既に恐怖に呑まれていたということに気がつかずに、何が。
 体に鞭打って立ち上がると、榊原の嗤い顔と目が合う。

「へぇ、立てるのかい、流石だねぇ。でもさ、もう腕、上がらないっしょ?」

 返す言葉もなく、ただ睨み返す。確かに言う通り、腕の感覚が無かった。


「人間の身体って面白くてさ。竹刀を上から握っても、腕全体が縦になるわけじゃないんよ。しかも左手が下、右手が上ときた。ここを上手い具合に叩けると、両腕の上腕二頭筋腱と右腕の尺側側副靭帯。同時に三つの靭帯をイカレさせることができるんだよねぇ」
「能書きはいいわ。試合を続けるわよ」
「怖いねぇ。そんじゃ、お言葉に甘えて行きますかね」

 愉快そうに飛び込んできた榊原は、姫芽香の上がらなくなった腕――小手を狙ってきた。当然の選択だろう。しかし、こちらも黙っているわけではない。

「腕が上がらないならば、肩で上げれば済むことよ!」

 姫芽香は肩甲骨を引き締め、小手を抜くように振り被った。しかし、

「そんなの知ってるって」

 榊原が歯を剥いた瞬間、姫芽香はまたも選択を誤ったことを悟った。
 小手が空振りした時、その剣先はどこへ向かうのか。それは多くの場合、相手の道着の袂や、脇の下などである。意図せずとはいえ、大会などでもよく見る光景だ。

 それを、身体の構造を熟知した者が、意図して行ったとしたら。

「はあぅっ!?」

 右の脇が抉り取られたかと思った。たたらを踏んで間合いを切る。
 そう、最初から間合いを切って逃げていれば良かったのだ。

「あれま、流石に前鋸筋までは無理だったか。あんたのオッパイは無事だよ、良かったねぇ」
「戯……言を……」

 睨みつけようにも、痛みによる反射性の涙で視界が滲んでいた。
 今の一撃で、背中から腕の付け根へと回る筋肉がやられたのだろう。肩甲骨で持ち上げようにも、右腕が引き攣れたように動かない。しかし、厄介である。あくまで打突、あくまで事故。剣道によくあるシチュエーションを利用して痛めつけてくるのだから、抗議もできない。

「だから言ったっしょ、居合はお遊戯だって。実際に斬り合わないから、この程度のことにも耐えられない。肉を切らせて骨を断つ、なんて言うけれどさ。あんたにその覚悟、あるんかい?」

 嘲笑うような視線に、姫芽香は歯を食いしばった。





「どうしました、斬らないのですか?」

 五大堂の道場で、刀子の冷たい言葉をかけられた時も歯噛みをしていた。
 胴を斬り下ろされたことで、横腹の薄皮が道着ごと裂け、血が滲んでいる。
 どうしてこんな理不尽なことをしなければならないのかと、最初は師を恨んだものだ。

 三日ほどした時には、もう帰りたいと、咲や凛に泣きついたりもした。
 五日も経過すれば、ある種の諦めというべきか、自棄のような感情が顔を出した。
 しかし、この七日間、ずっと変わらずに持ち続けてきた意志があった。

「やはり私は、人を斬りません」

 刀を構え直し、刀子の目を見据える。これまで何度も機会があった。さっきだってそうだ、胴を躱した後で一歩踏み込めば、たった一度刀を振り下ろせば、師を斬れていたかもしれない。
 だが、斬らなかった。斬ってしまえば終わりだと思ったのだ。

 かつての剣豪たちも、戦場では英雄と呼ばれていただろう。しかし、刀の時代が終わってしまえば、その人物自身は何ら変わらないというのに、たちまち殺人鬼として恐れられる存在になってしまった。故郷の仲間を救った活人剣を、忌まわしき殺人剣と呼ばれてしまった。
 本当の意味で侍を滅ぼしたのは、その他大勢の理解なき声かもしれない。石を投げられ、後ろ指をさされる中で、侍たちは何を思っただろうか。

 しかし。先人たちには申し訳ないが、そんな清濁併せ呑まねば心が押し潰されそうな修羅の道など、自分には必要なかった。

 現代剣道が竹刀を用いるのならば、自分は竹刀を握ろう。
 居合が演舞のみで、人を斬ることがないのなら、人を斬らずにいよう。
 それでいて、いざという時には誰かを守るために迷いなく刀を振ることができる剣士で在ること。それが、真剣という死の象徴に触れた姫芽香の答えだった。

 贅沢かもしれない。いや、正直になろう。贅沢でいたい。

「ですからこれで、命を絶つことの代わりとさせてください」

 ぴうっ――と、霞の空に、風切音が反響する。

「さすがね。姫芽香さん」

 そう、刀子が柔らかく笑んだ直後。鍔元から断たれた刀身が、からん、と木の板に落ちた。





 姫芽香は歯に込めた力を抜いて微笑み、胴越しに、腹の傷を撫でた。傷は出血ほど深いものではなく、凛の介抱のおかげもあって塞がっている。念のためにと連れて行かれた病院でも、痕が残ることはないと診断された。

 一番困ったのは、どうしてこんな傷を作ったのかという医師の質問だろうか。折れた刃を見せて、試し斬りの最中に刃筋が悪くて折れ飛んだのだと、中々無茶な嘘をつかせてもらった。
 さすがに医師も首を捻っていたが、幸い、警察への通報等もされずに済んだ。

 現代の斬り合いなど、そんなものでいいと思う。

「覚悟なんて、ないわよ。多分これからも、ずっと」

 赤黒く腫れてしまっている腕を慈しむように、心静かに、目を細くする。
 菩薩のようだとはおこがましいが、きっと今の自分は、そんな表情をしているのだろう。

「ああそうかい……もう少し楽しめると思ったんだけど、心がイッちまったみたいだねぇ」
「さあ、それはどうかしら?」

 榊原の不敵な笑みへと、竹刀を構える。
 どれだけ敵が殺意を向けてこようと、こちらは絶対に、その土俵には乗ってやらない。そう腹を決めるだけで、随分と余裕が持てた。

 そんな姫芽香の足捌きは、彼女自身が心配になるほどにゆっくりである。
 しかし、穏やかな気に呑まれていた榊原は、攻撃の気を起こすことさえできずに、棒立ちのままで――

「無想宿神流奥義『是極一刀ぜごくいっとう』」

 先々の先。姫芽香の面が決まる音が、武道場内に響いた。
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