アマツヘグイ

雨愁軒経

文字の大きさ
上 下
15 / 38
第二章 オイカゼヨウイ

(4)エプロンの君

しおりを挟む
 彼の部屋に入ってからは、ひたすら本を物色した。ちょっとした図書館だった。

 まず気づいたのは、小説の類は少ないこと。端のほうに寄せられた映画の原作小説たちは……多分、長谷堂先生の仮面を作る材料だから、これは無視していい。

 本の多くは実用書や哲学書だった。アリストテレスだけで何冊あるんだろう、コレ。あと、地味に多いのがサブカル系。都市伝説とか興味あるんだ。底の見えない彼の頭をぱらぱらと捲っては、一旦戻す。キープの本だけちょっと背表紙を引いておく。ちょっと引きで眺めると、凹凸が脳の皺みたい。

 栄助さんがパソコンの前に座ると、しばらくして、部屋にクラシックが流れた。音のする方に振り向くと、いつの間に開けられていた押し入れの中に大きなスピーカーがあった。

「五月蠅かったら言ってくれ」
「ううん、全然。お構いなく」

 彼はそうかとだけ言って、タバコに火を点けた。パソコンのディスプレイには何かの文書が開かれている。本の海で、クラシックを聴きながらお仕事をするなんて、なんて贅沢。ここで「美少女が傍らに」なんて付け加えられないところが、我ながら芋ったい。

 クラシックといっても、オーケストラよりピアノのソロが多くて、旋律は耳に心地よかった。

 ふと、BGMに気を取られていてつま先をぶつけてしまう。他とは違って、付箋が貼られた本たちだ。その下に、この辺りでは聞き馴染みのない書店の袋がある。セロハンの風は切られていて、ぶつかった拍子に中の本が顔を出していた。

 付箋の貼ってあった本の一冊を拾い上げると、精神疾患の学術書だった。日本の精神神経学会がちゃんと監修した翻訳版のようで、帯には十九年ぶりの全面改訂と書いてある。他の付箋本も、臨床のガイドラインだとか、そういうものばかりで、彼に対する先生という呼び方の意味が変わってきそうな顔ぶれだ。

 付箋が貼られているところを開くと、どの本も、異食症という病気に関する記述があった。

 まさかと思って、袋の中の本をひっくり返す。どれも吸血鬼や人肉嗜食カニバリズム、食人族といったものについての考察がなされたもの。

 彼に気づかれないように持っていた本を戻し、一冊ずつ、こっそり引き抜いてページをめくる。


 初めて、自分の『食事』の病名を知った。カニバリズムの殺人鬼をまとめた本で、自分が感じていた味は、彼らの表現する『少しの苦味』『豚肉に似た甘さ』という言葉に置き換えられてしまった。

 食人族の本では、宗教的に遺体を食べていた部族がクールーという病に感染し、やがて脳がスポンジ状になって死に至っていることが分かった。手が震えた。潜伏機関こそ十年ほどあるけれど、ひとたび発症してしまえば、一年以内に命を落とす。呪いだ。

 私はどうやら、オートカニバリズムというものの延長上にいるらしい。これは鼻血や口内炎を通して誰もが行っているもの。しかし、稀に自ら欲して血を飲むケースがあるのだという。

 一方で、中世ヨーロッパでは人肉を加工したものを薬として利用していたという記述もあった。中国の漢方薬にも紫河車シカシャという、胎盤を乾燥させたものがあり、結核の軽減や脂肪を付きにくくする効能の他、二次性徴の促進や、果ては強精や不妊にまで力を及ぼしたとのこと。

 病を齎し死に至る禁忌かと思えば、今度は命を生かし生殖にも働く妙薬と言われる。私は、いったいどちらを信じればいいのだろう。

 首を振る。言い聞かせる。食人族が病にかかったのは、プリオンというたんぱく質が集中する脳を食べていたから。きっと、血を飲むだけなら問題ないはず。だって、そうでなきゃ、ケガをした指先を舐めたりするいちゃいちゃカップルとか、人体の一部を薬として服用していた人たちとか。そのうちの誰かがクールー病に罹っているはずだもの。

 そうであってほしいと願う。もし、このまま私が死に至ったとすれば、それは栄助さんの血を飲んだからということになってしまうから。食すことで冥府に取り残される『黄泉戸喫ヨモツヘグイ』の原因が、彼になってしまうから。

 もちろん私から、貴方のせいで、なんて詰め寄ることはないのだけれど、これらの本を買ったのは、他でもない栄助さん。私から責めなくても、彼は自分で自分を責めるに違いない。そうやって、元カノと別れた時のように、闇へ堕ちてしまう。私にとって、それは自分が死ぬことよりもずっと、ずっと怖い。


 付箋が貼ってあるということは、彼もこれを読んでいるはず。そんなこと、一度もお首に出されたことがなかった。まるでここだけ、長谷堂先生の仮面が付いているみたいに、思惑が見えてこない。彼のことだから、嫌がらせだとか、そういう理由ではきっとない。だって、何重にもオブラートに包んだ挙句、渡し方を失敗して見透かされるような不器用さんだから。

 どういう気持ちでいるのだろうと、横顔を盗み見ようとしたとき、栄助さんが伸びをした。

「もう、こんな時間か」

 慌てて本を戻し、カーディガンの裾とスカートを直す。

 素知らぬ顔で本棚に向かおうとすると、こっちを向いた彼と目が合ってしまった。

「すっかり遅い時間だな。すまない、腹が減っただろう」
「う、ううん、大丈夫。平気」

 スマートフォンの画面を見ると、もう二十一時を過ぎていた。

「この時間だと、飯屋に行くにも絶望的だろうな」
「ん、それじゃあ、コンビニに行こうよ」

 提案すると、彼は「待っていろ」と言って、部屋を出ていく。すぐに戻ってきた彼の手には、夜半に制服姿を連れ歩くことをカモフラージュする魔法のマントが握られていた。カーキのロングパーカー。薄手だから初夏にも着られるけれど、ピンクが好きそうなエプロンの君とは趣味が違いそうな感じ。尋ねると、お姉さんのものらしい。やはり彼女は候補から除外。

 一度、お手洗いを借りたのだけれど、個室の中にサニタリーボックスは見当たらなかった。エプロンの君と同棲はしていないみたい。あるいは、そういうものを置かないタイプの人。

 カーディガンを脱ぎ、パーカーをお借りすると、やはり来た時に感じた香りとは別の匂いがした。

 ほんとう、エプロンの君は一体何者なのかしら。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

聖夜のアンティフォナ~君の声は、夜を照らすあかりになる~

雨愁軒経
ライト文芸
ある年の冬。かつて少年ピアニストとして世界を飛び回っていた高校生・天野冬彦は、缶コーヒーを落としたことがきっかけで、聾者の少女・星川あかりと出会う。 冬彦のピアノの音を『聴こえる』と笑ってくれる彼女との、聖夜のささやかな恋物語。 ※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係ありません。 ※また、この作品には一般に差別用語とされる言葉が登場しますが、作品の性質によるもので、特定の個人や団体を誹謗中傷する目的は一切ございません。ご了承ください。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

処理中です...