アマツヘグイ

雨愁軒経

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第二章 オイカゼヨウイ

(4)エプロンの君

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 彼の部屋に入ってからは、ひたすら本を物色した。ちょっとした図書館だった。

 まず気づいたのは、小説の類は少ないこと。端のほうに寄せられた映画の原作小説たちは……多分、長谷堂先生の仮面を作る材料だから、これは無視していい。

 本の多くは実用書や哲学書だった。アリストテレスだけで何冊あるんだろう、コレ。あと、地味に多いのがサブカル系。都市伝説とか興味あるんだ。底の見えない彼の頭をぱらぱらと捲っては、一旦戻す。キープの本だけちょっと背表紙を引いておく。ちょっと引きで眺めると、凹凸が脳の皺みたい。

 栄助さんがパソコンの前に座ると、しばらくして、部屋にクラシックが流れた。音のする方に振り向くと、いつの間に開けられていた押し入れの中に大きなスピーカーがあった。

「五月蠅かったら言ってくれ」
「ううん、全然。お構いなく」

 彼はそうかとだけ言って、タバコに火を点けた。パソコンのディスプレイには何かの文書が開かれている。本の海で、クラシックを聴きながらお仕事をするなんて、なんて贅沢。ここで「美少女が傍らに」なんて付け加えられないところが、我ながら芋ったい。

 クラシックといっても、オーケストラよりピアノのソロが多くて、旋律は耳に心地よかった。

 ふと、BGMに気を取られていてつま先をぶつけてしまう。他とは違って、付箋が貼られた本たちだ。その下に、この辺りでは聞き馴染みのない書店の袋がある。セロハンの風は切られていて、ぶつかった拍子に中の本が顔を出していた。

 付箋の貼ってあった本の一冊を拾い上げると、精神疾患の学術書だった。日本の精神神経学会がちゃんと監修した翻訳版のようで、帯には十九年ぶりの全面改訂と書いてある。他の付箋本も、臨床のガイドラインだとか、そういうものばかりで、彼に対する先生という呼び方の意味が変わってきそうな顔ぶれだ。

 付箋が貼られているところを開くと、どの本も、異食症という病気に関する記述があった。

 まさかと思って、袋の中の本をひっくり返す。どれも吸血鬼や人肉嗜食カニバリズム、食人族といったものについての考察がなされたもの。

 彼に気づかれないように持っていた本を戻し、一冊ずつ、こっそり引き抜いてページをめくる。


 初めて、自分の『食事』の病名を知った。カニバリズムの殺人鬼をまとめた本で、自分が感じていた味は、彼らの表現する『少しの苦味』『豚肉に似た甘さ』という言葉に置き換えられてしまった。

 食人族の本では、宗教的に遺体を食べていた部族がクールーという病に感染し、やがて脳がスポンジ状になって死に至っていることが分かった。手が震えた。潜伏機関こそ十年ほどあるけれど、ひとたび発症してしまえば、一年以内に命を落とす。呪いだ。

 私はどうやら、オートカニバリズムというものの延長上にいるらしい。これは鼻血や口内炎を通して誰もが行っているもの。しかし、稀に自ら欲して血を飲むケースがあるのだという。

 一方で、中世ヨーロッパでは人肉を加工したものを薬として利用していたという記述もあった。中国の漢方薬にも紫河車シカシャという、胎盤を乾燥させたものがあり、結核の軽減や脂肪を付きにくくする効能の他、二次性徴の促進や、果ては強精や不妊にまで力を及ぼしたとのこと。

 病を齎し死に至る禁忌かと思えば、今度は命を生かし生殖にも働く妙薬と言われる。私は、いったいどちらを信じればいいのだろう。

 首を振る。言い聞かせる。食人族が病にかかったのは、プリオンというたんぱく質が集中する脳を食べていたから。きっと、血を飲むだけなら問題ないはず。だって、そうでなきゃ、ケガをした指先を舐めたりするいちゃいちゃカップルとか、人体の一部を薬として服用していた人たちとか。そのうちの誰かがクールー病に罹っているはずだもの。

 そうであってほしいと願う。もし、このまま私が死に至ったとすれば、それは栄助さんの血を飲んだからということになってしまうから。食すことで冥府に取り残される『黄泉戸喫ヨモツヘグイ』の原因が、彼になってしまうから。

 もちろん私から、貴方のせいで、なんて詰め寄ることはないのだけれど、これらの本を買ったのは、他でもない栄助さん。私から責めなくても、彼は自分で自分を責めるに違いない。そうやって、元カノと別れた時のように、闇へ堕ちてしまう。私にとって、それは自分が死ぬことよりもずっと、ずっと怖い。


 付箋が貼ってあるということは、彼もこれを読んでいるはず。そんなこと、一度もお首に出されたことがなかった。まるでここだけ、長谷堂先生の仮面が付いているみたいに、思惑が見えてこない。彼のことだから、嫌がらせだとか、そういう理由ではきっとない。だって、何重にもオブラートに包んだ挙句、渡し方を失敗して見透かされるような不器用さんだから。

 どういう気持ちでいるのだろうと、横顔を盗み見ようとしたとき、栄助さんが伸びをした。

「もう、こんな時間か」

 慌てて本を戻し、カーディガンの裾とスカートを直す。

 素知らぬ顔で本棚に向かおうとすると、こっちを向いた彼と目が合ってしまった。

「すっかり遅い時間だな。すまない、腹が減っただろう」
「う、ううん、大丈夫。平気」

 スマートフォンの画面を見ると、もう二十一時を過ぎていた。

「この時間だと、飯屋に行くにも絶望的だろうな」
「ん、それじゃあ、コンビニに行こうよ」

 提案すると、彼は「待っていろ」と言って、部屋を出ていく。すぐに戻ってきた彼の手には、夜半に制服姿を連れ歩くことをカモフラージュする魔法のマントが握られていた。カーキのロングパーカー。薄手だから初夏にも着られるけれど、ピンクが好きそうなエプロンの君とは趣味が違いそうな感じ。尋ねると、お姉さんのものらしい。やはり彼女は候補から除外。

 一度、お手洗いを借りたのだけれど、個室の中にサニタリーボックスは見当たらなかった。エプロンの君と同棲はしていないみたい。あるいは、そういうものを置かないタイプの人。

 カーディガンを脱ぎ、パーカーをお借りすると、やはり来た時に感じた香りとは別の匂いがした。

 ほんとう、エプロンの君は一体何者なのかしら。
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