30 / 37
第六章 願いのオラトリオ
〈4〉
しおりを挟む
結局、説得を試みた僕は見事に玉砕した。女は強し、ってこういうことを言うのかな。
最大の懸念点であった寝室については、あっさりと解決――もとい、押し切られた。というのも、
『冬彦、もうちょっと寄って』
僕の部屋にあかりが泊まることで可決されたからだ。若い男女がどうこうとか言えば、二人から一斉に変態と罵られ。ベッドは一人用と言えば、母さんから買ったのはセミダブルだと訂正される。あかりから『冬彦が心配だから』と言われ、母さんが『嫌なら私との添い寝になるわね』とニヤニヤしてくるのだから、もう首を縦に振るしかなかった。
あかりがうちに泊まると聞いて、紫さんが着替えを持ってきてくれたのだけど、今思えば、その時に帰れば良かったんじゃないだろうか。
『寄ってと言われても、こっちも狭いよ』
『くっつけば大丈夫だって』
顔が近いということもあり、マシンガンはかなり控えめだった。もぞもぞと身を寄せるあかりから、ふわりと甘い香りがする。……おかしい。今のあかりは我が家のシャンプーを使った後のはずで、普段の母さんからはこんな匂いはしないというのに。
こういう時、女の子って不思議だと思う。と同時に、やっぱりあかりは普通の女の子だと、変なところで実感した。
『あの、さ』
『ん?』
『酷いこと言って、ごめん』
そんな、遅すぎた僕の謝罪に、あかりは口を尖らせる。
『遅い』
『ごめん』
『ん、許す。私もかっとなっちゃってたし』
二人で頭を下げ合って、なんとなく恥ずかしくなって、はにかんだ。
『ねぇ、冬彦』
あかりはじっと僕を見つめながら、ゆっくりとシーツを剥いでいく。
『今は、ちゃんと見えるんだよね?』
そこで僕は、改めてあかりのパジャマ姿を見た。うさぎを模したピンクのフード付きチュニックと、その裾から覗く赤いベビードール。
『見えるよ』
あかりが、紫さんにどのパジャマを持ってきてもらうか悩んでいたのは知っていた。その上で赤を基調としたものを選んだ、あかりの意図も伝わってくる。
また僕の目に異常が起きる前に、この色を、目に焼き付けておこう。
『ちゃんと見えてる。可愛いよ』
手を伸ばして、髪を梳くと、あかりは『ありがと』とくすぐったそうに笑った。
『あのさ』
おずおずと、小さく右手を挙げたあかりは、その薬指だけを立てて見せる。
『あの糸、結んで寝たい』
ほのかに顔を赤らめたお願いを無下にすることはできず、僕は一度ベッドから下りた。
僕はクローゼットからジャケットを探すと、ポケットに入れていた赤い糸を取り出す。乾いた糸は、元の大きさに戻ってくれていた。
輪の片方を自分の指に通してベッドに戻り、もう片方をあかりの指に通す。
寒くないようにシーツをかけると、二人の頭と、糸を結んだ手だけが出ている形になった。
『ねぇ、冬彦。もう一つ提案があるんだけど、いい?』
『何? 何でも言ってよ』
『おやすみって、言い合いっこしよ』
『それだけ?』
どんなお願いが来るのかと思っていて、拍子抜けしてしまった。笑ってしまった僕に、あかりは頬を膨らませる。
『普通のおやすみじゃないんだよ。良く考えて』
ささやかな乙女心によって、急に難題へと変わってしまった。多分、いや、間違いなく、ヒントはあるはず。
『ロミオとジュリエットみたいに?』
『当たり。冬の彦星様からのおやすみが欲しい』
子供が寝る前の絵本をねだるような、それでいて真剣な目に、たじろいでしまう。
『でも、僕は名前負けしてるよ。輝けてなんて――』
言葉の途中で、あかりから手を止められた。そのまま、包み込むようにやさしく摩りながら、あかりは首を振る。
『一度は失ったかもしれない。でも、あの日のコンサートで、冬彦はちゃんと取り戻してるんだよ』
『僕は、取り戻せた?』
『うん。そうじゃなかったら、私がここにいないって、冬彦の方が分かってるでしょ?』
それもそうだった。僕が単なるお節介焼きで、あかりが障害者だからと近づいている男なら、今頃あかりから容赦ない毒のマシンガンを撃たれて終わってると思う。
でも、それはやっぱり僕一人の力じゃない。あかりがいなかったら、僕は未だにピアノとも向き合えないままでいたかもしれない。もしかしたら、別の聾者と知り合って、今回みたいに事故に遭って、病院のベッドで光を失っていたままかもしれない。
僕は、あかりという光があったから、ここにいられるんだ。
『おやすみ』
『おやすみ』
その言葉を合図に、あかりはゆっくりと目を閉じる。
するとすぐに、静かな寝息が聞こえてきた。ここ数日、学校と病院とに通いづめだったんだ。かなり疲れているんだろう。
そんな、あかりの寝顔に、僕は、
「おやすみ」
聴こえないと知りつつささやいて、目を閉じた。
最大の懸念点であった寝室については、あっさりと解決――もとい、押し切られた。というのも、
『冬彦、もうちょっと寄って』
僕の部屋にあかりが泊まることで可決されたからだ。若い男女がどうこうとか言えば、二人から一斉に変態と罵られ。ベッドは一人用と言えば、母さんから買ったのはセミダブルだと訂正される。あかりから『冬彦が心配だから』と言われ、母さんが『嫌なら私との添い寝になるわね』とニヤニヤしてくるのだから、もう首を縦に振るしかなかった。
あかりがうちに泊まると聞いて、紫さんが着替えを持ってきてくれたのだけど、今思えば、その時に帰れば良かったんじゃないだろうか。
『寄ってと言われても、こっちも狭いよ』
『くっつけば大丈夫だって』
顔が近いということもあり、マシンガンはかなり控えめだった。もぞもぞと身を寄せるあかりから、ふわりと甘い香りがする。……おかしい。今のあかりは我が家のシャンプーを使った後のはずで、普段の母さんからはこんな匂いはしないというのに。
こういう時、女の子って不思議だと思う。と同時に、やっぱりあかりは普通の女の子だと、変なところで実感した。
『あの、さ』
『ん?』
『酷いこと言って、ごめん』
そんな、遅すぎた僕の謝罪に、あかりは口を尖らせる。
『遅い』
『ごめん』
『ん、許す。私もかっとなっちゃってたし』
二人で頭を下げ合って、なんとなく恥ずかしくなって、はにかんだ。
『ねぇ、冬彦』
あかりはじっと僕を見つめながら、ゆっくりとシーツを剥いでいく。
『今は、ちゃんと見えるんだよね?』
そこで僕は、改めてあかりのパジャマ姿を見た。うさぎを模したピンクのフード付きチュニックと、その裾から覗く赤いベビードール。
『見えるよ』
あかりが、紫さんにどのパジャマを持ってきてもらうか悩んでいたのは知っていた。その上で赤を基調としたものを選んだ、あかりの意図も伝わってくる。
また僕の目に異常が起きる前に、この色を、目に焼き付けておこう。
『ちゃんと見えてる。可愛いよ』
手を伸ばして、髪を梳くと、あかりは『ありがと』とくすぐったそうに笑った。
『あのさ』
おずおずと、小さく右手を挙げたあかりは、その薬指だけを立てて見せる。
『あの糸、結んで寝たい』
ほのかに顔を赤らめたお願いを無下にすることはできず、僕は一度ベッドから下りた。
僕はクローゼットからジャケットを探すと、ポケットに入れていた赤い糸を取り出す。乾いた糸は、元の大きさに戻ってくれていた。
輪の片方を自分の指に通してベッドに戻り、もう片方をあかりの指に通す。
寒くないようにシーツをかけると、二人の頭と、糸を結んだ手だけが出ている形になった。
『ねぇ、冬彦。もう一つ提案があるんだけど、いい?』
『何? 何でも言ってよ』
『おやすみって、言い合いっこしよ』
『それだけ?』
どんなお願いが来るのかと思っていて、拍子抜けしてしまった。笑ってしまった僕に、あかりは頬を膨らませる。
『普通のおやすみじゃないんだよ。良く考えて』
ささやかな乙女心によって、急に難題へと変わってしまった。多分、いや、間違いなく、ヒントはあるはず。
『ロミオとジュリエットみたいに?』
『当たり。冬の彦星様からのおやすみが欲しい』
子供が寝る前の絵本をねだるような、それでいて真剣な目に、たじろいでしまう。
『でも、僕は名前負けしてるよ。輝けてなんて――』
言葉の途中で、あかりから手を止められた。そのまま、包み込むようにやさしく摩りながら、あかりは首を振る。
『一度は失ったかもしれない。でも、あの日のコンサートで、冬彦はちゃんと取り戻してるんだよ』
『僕は、取り戻せた?』
『うん。そうじゃなかったら、私がここにいないって、冬彦の方が分かってるでしょ?』
それもそうだった。僕が単なるお節介焼きで、あかりが障害者だからと近づいている男なら、今頃あかりから容赦ない毒のマシンガンを撃たれて終わってると思う。
でも、それはやっぱり僕一人の力じゃない。あかりがいなかったら、僕は未だにピアノとも向き合えないままでいたかもしれない。もしかしたら、別の聾者と知り合って、今回みたいに事故に遭って、病院のベッドで光を失っていたままかもしれない。
僕は、あかりという光があったから、ここにいられるんだ。
『おやすみ』
『おやすみ』
その言葉を合図に、あかりはゆっくりと目を閉じる。
するとすぐに、静かな寝息が聞こえてきた。ここ数日、学校と病院とに通いづめだったんだ。かなり疲れているんだろう。
そんな、あかりの寝顔に、僕は、
「おやすみ」
聴こえないと知りつつささやいて、目を閉じた。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)
チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。
主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。
ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。
しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。
その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。
「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」
これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

優等生の裏の顔クラスの優等生がヤンデレオタク女子だった件
石原唯人
ライト文芸
「秘密にしてくれるならいい思い、させてあげるよ?」
隣の席の優等生・出宮紗英が“オタク女子”だと偶然知ってしまった岡田康平は、彼女に口封じをされる形で推し活に付き合うことになる。
紗英と過ごす秘密の放課後。初めは推し活に付き合うだけだったのに、気づけば二人は一緒に帰るようになり、休日も一緒に出掛けるようになっていた。
「ねえ、もっと凄いことしようよ」
そうして積み重ねた時間が徐々に紗英の裏側を知るきっかけとなり、不純な秘密を守るための関係が、いつしか淡く甘い恋へと発展する。
表と裏。二つのカオを持つ彼女との刺激的な秘密のラブコメディ。


女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』
コバひろ
大衆娯楽
前作 “雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ”
(全20話)の続編。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/329235482/129667563/episode/6150211
男子キックボクサーを倒したNOZOMIのその後は?
そんな女子格闘家NOZOMIに敗れ命まで落とした父の仇を討つべく、兄と娘の青春、家族愛。
格闘技を通して、ジェンダーフリー、ジェンダーレスとは?を描きたいと思います。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる