聖夜のアンティフォナ~君の声は、夜を照らすあかりになる~

雨愁軒経

文字の大きさ
上 下
11 / 37
第三章 嵐の前のメヌエット

〈1〉

しおりを挟む
 今日はいい天気だった。もうだいぶ昇った太陽の日差しを反射して、昨日までに積もった雪がきらきらしている。
 初めてあかりの私服を見た。普段は制服にコートを羽織っているけれど、今日はベージュ色のふわりとしたニットのセーター。モノトーンのマフラーで、口元まで隠れている中、ぴょこんといつものヘアゴムが揺れている。
 思わず、見惚れていた。

『綺麗だね』

 あかりに促されてはっと顔を上げると、わずかに木に残った雪が日の光を反射して、ささやかなダイヤモンドダストを形成していた。
 こんな街中で自然の芸術を見ることができるなんて。

『クリスマスかぁ』
『それはまだ一週間先』

 くすくすと談笑しながら、僕とあかりは駅を発った。
 母さんの勤める施設までは徒歩で二十分ほど。駅から商店街や笹丘方面に向かう東口とは反対に、西口側だ。駅の傍を走る大きな国道を横切り、ぽつぽつと立ち並ぶ住宅地の間を縫っていく。

『こっちの方には、あまり来たことがなかった』
『まぁ、何もないところだからね』

 栄えているのは駅の東口側だけだ。西口からは、出てすぐのところにコンビニがあるくらいで、まだまだ田舎のそれという風景が広がっている。一応ちょっとずつ、独自の発展はしているようで、先日はこの辺りにガールズ農場というのができたと市報で読んだことがある。
 僕はこの景色が好きだった。駅という境界を抜けるだけで、別の世界に迷い込んだような気がしてわくわくするから。

『冬彦の家はどの辺?』

 笹丘で星を見て以来、あかりは、僕のことを「星」という手話名で呼ぶようになった。彦星の話が続いていたと思うと、なんか恥ずかしい

『こことは反対側かな』
『東口?』
『ううん、西口側なんだけど、駅から三角を描いた向こうの方』

 施設前の道路を進むと家までまっすぐ繋がっていて、母さんはそこを通勤路にしている。僕も普段はたいてい、そこを通って施設に向かっていた。

『おお、意外。元ピアニストなら、笹丘の麓に住んでると思ってた』

 笹丘の麓は、今やこの町の一等地だ。大きな商店が近くて、駅の騒音もなく、景色もいい。何の変哲もなかった丘が祭りの会場になってから、一気に人気が高まったらしい。

『ピアニストっていっても、収入はそうでもないよ?』
『そうなの?』
『うん。個人リサイタルができるくらいの人ならいいだろうけど、僕は子供だったし。多分、今あかりが想像している収入から、ゼロを二つ三つ削れば正解』

 おおう、とあかりが戸惑ったように小首を傾げている。一般から見れば花型職だから、イメージが湧かないのかもしれない。

『シフォンと会った時、税関で止められてたって言ったでしょ?』
『けっこう揉めたんだよね』
『あれもそうなんだ。奏者ならヴィオラを持っていても不思議ではないけど、業界でいくら有名な奏者でも、一般的にはそれほど知られているわけじゃなくって。むしろ一般的じゃない道具を持っている分、怪しまれたりするんだよ』
『うわぁ、大変だね』

 あかりは顔をしかめて見せた。
 サンクトぺテルブルにいた時も『スネグーラチカはいいなぁ。ピアノは楽だろ』と言われたことがある。それは演奏が楽ということではなくて、持ち運びに関する意味だったんだけど。
 けれど、それはそれでピアノも厄介だ。他の奏者が自分の相棒を連れてくる中、ピアニストは現地の楽器を使う。どれだけ調律をしっかりして、仮に同じ品番のものを弾いたとしても、普段弾いているピアノとは指に馴染まないというか、感触がかなり違うから。

 そうこうしているうちに、施設の前までたどり着いた。駐車場の端に停めたカローラにもたれながらタバコをくゆらせていた母さんが、僕たちに気付いて手を挙げた。

「母さん、職務怠慢」
「何言ってんの、タバコ休憩は正当な権利よ。ちゃんと分煙してるじゃないの」
「仕切りなんて見当たらないんだけど?」

 固いこと言わないの、と母さんは携帯灰皿にタバコを突き入れ、あかりに向かって流暢な手話で語りかける。

『はじめまして、冬彦の母の月香です。いつも冬彦がお世話になってるわね……っていうか本当可愛い子ねもう抱き締め――』
「っ!?」

 母さんは手話で最後まで言い切ることを放棄して、あかりに飛び付いた。わっしゃわっしゃと撫でまわす腕の中で、あかりは白黒とさせた目を僕に向けてくる。

「……母さんにとってはスキンシップでも、他の人にとっては迷惑なんだからね」
「冬彦は喜んでるじゃない」
「絶対、喜んでない。諦めているだけ!」

 説得では無理がありそうだったので、仕方なく、無理矢理母さんを引き剥がす。

『ごめん。母さん、いつもこんなだから』
『ううん、大丈夫。驚いただけ』

 ファーストインプレッションは最悪だった。

『はじめまして、星川あかりです。今日はよろしくお願いします』

 母さんの手話の勢いに大丈夫と判断したのか、あかりは僕にするより少し早く、お手話べりの機関銃を射ち始めた。
 それに母さんは、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で目を瞬かせる。

『星川? もしかして、お母さんは紫さん?』
『はい、そうですけど』
『紫さんと知り合いなの?』

 僕も会話に混ざる。もちろん手話で。

『うちの手話サークルに来ているのよ、娘と手話で話したいって。あなたがそうなのね』
『母がお世話になってます』
『いえ、こちらこそ。よくお茶をご一緒してもらってるのよ』

 意外な共通点に、世間は狭いと二人は笑い合う。

「(手話サークル、か)」

 今ならきっと、肩肘張らずにあの輪に戻ることができるかもしれない、とは思う。けれど、今は別の意味で、顔を出すことはないんだろうとも感じていた。
 僕は手話をマスターしたいんじゃなくて、あかりと話したいだけだったから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~

八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」  ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。  蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。  これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。  一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

処理中です...