夜明け待ち

わかりなほ

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雪の玉水

彼の話 Ⅱ

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 ピリッと指先に走った痛みで目が覚める。そこに視線を向けると赤い切り傷があった。
ソファーに沈めていた体を起こし、戸棚から絆創膏を出すと、無造作に巻く。
『霜』
低い声に顔を上げれば黒猫のセージがこちらをじっと見つめていた。彼は俺の指先に巻かれた絆創膏に少し険しい顔をしたが、それについては何も言わなかった。
『…何かあったのか。帰ってきて早々寝るし元気もなかったってヒスイが心配してたぞ』
「いや。少し疲れてただけだ。もう大丈夫だよ」
しかしセージの瞳はこちらを射貫いたままだ。
『お前は、シゲルの夢を見ていたんだな』
「ん。…久々に見たな。じいちゃんの夢なんて」
『そうか。夢はその人の無意識を現すと言うが…。なぁ霜。お前は後悔しているんじゃないか』
セージに嘘はつけない。でも俺はそれでも悪あがきのように笑って見せた。
「何のことを言っているのか分からない」
『嘘をつくな。…やはり滋の言うとおりだったんじゃないか?…いいんだぞ。店主なんて辞めたって。この店はそもそも滋の代でなくなるはずだった。それで良かったんだ。お前は気づいたのだろう。黎明堂の店主として生きるのがどれ程辛いのか。今なら、まだ戻れる。お前は十分やった。もういいんだ』
「止めろ!」
抑え切れない激情が溢れ出す。心臓が脈打つ。体が熱くなる。

悩みがある者が訪れる黎明堂。魔法道具で人の背中を押す雑貨屋。
しかし、訪れた者の黎明堂に関する記憶は悩みが解決した時点で消える。それが掟。
最初から分かっていた。

いくらたくさんの人とふれ合っても、どんなにお礼を言われても、どんなに誰かを助けられても、俺の記憶は誰にも残らない。報われることはない。それでも人を救い続けるのが黎明堂の店主というモノだ。だから、じいちゃんは亡くなる直前まで俺が店主を継ぐことに反対していたのだ。
俺は、いや。ほとんどの人は彼のように底なしには優しくなれないから。

誰かを救いたかった。ヒーローになりたかった。その気持ちに今でも嘘はない。だけどその一方で酷く苦しくなる。
何度も積み重なる出会いがあれば同じ数だけ一方的な別れがある。結局俺の手元には何も残らない。

救いたい。守りたい。苦しい。寂しい。
一方には店主としての思いを、一方にはただの霜としての感情を載せた天秤がぐらぐら揺れる。

呼吸が馬鹿みたいに荒れ、言葉が続かなくなった。拳を握りしめて俯いていれば突然心臓に突き刺すような痛みが走った。

「ぐっ…」
ズキズキと増す痛みに耐えきれずがくりと床に膝をつく。
「はぁ、っ…はぁ…っ…く…」
必死に深呼吸をし何とか痛みに耐える
『霜!…やっぱり香水のせいか』
セージは灰色の瞳を鋭くさせ、戸棚から柳薄荷やなぎはっかの香水瓶を取り出し、こちらに駆け寄った。
『これを使え!馬酔木の香水瓶の効果が打ち消せる』
その瓶に手を伸ばした時、ふとあの日の記憶がよぎった。

「私は、魔法道具に出会えて、店主さんに出会えて前に進めたんです!だからせめて、私もお兄さんに何かしたいです」
「もし何か困ってることとかあったらまた教えて下さいね。ジャム作りでも何でも。私、力になれるように頑張ります」
そう言って笑った彼女。
この雑貨屋は一方通行だ。訪れた人たちが前に進めたら俺の役目は終わる。だから、人の苦しみを知り悩みを聞くことはあってもその逆はない。それが当たり前だ。
だけど、かすみは違った。彼女はあろうことか俺の苦しみを知ろうとした。俺を助けようとしてくれた。
初めてだった。でも、本当に嬉しかったのだ。だから俺は。

瓶に伸ばしかけていた手を握りしめる。
「…いい。もう治まってきたしな」
『そういう問題じゃないだろう。今は落ち着いているだけだ。早くこれを使え』
「いいって言ってるだろ」
セージの顎下を軽く撫で、立ち上がる。彼は不満げにゆらりゆらりと尻尾を揺らし始めた。
揺れていた天秤がガクンと傾き止まった。
「セージ」
『…何だ』
「今日は取り乱して悪かった。心配してくれてありがとう。でも、俺は店主を続けるよ」
だから、これからもよろしくなと笑った。
見返したセージの瞳は悲しげな色を帯びていて、そういう目はあの日のじいちゃんによく似てると思った。

そして、また店の扉にopenの札をかけるのだ。



〈黎明堂雑貨メモ〉
『馬酔木(あしび)の花の香水瓶』:中の香水を吹きかけた相手を、あらゆる危害から守ることが出来る。危害というのは精神的・身体的を問わない。だが、その守り方は「香水をかけた側」が肩代わりするという方法に限られる。

『柳薄荷(やなぎはっか)の香水瓶』:吹きかけることで、馬酔木の花の香水瓶の効果を打ち消すなど、匂いを介する魔法の解除が出来る。ちなみに掃除にも使える。
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