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霞たなびく
彼女の話 Ⅹ
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月曜日を迎え、私は少し気合いを入れて起きるが、普段よりかなり早く起きてしまった。もう眠くも無いしどうしようかと考え、ふと思いついた。自分の机の引き出しから新品のノートを取り出す。お気に入りの雑貨屋さんでデザインに惹かれて買ったのだが、もったいなくて使えずそのままにしていた。
「黎明堂のこと、書き留めておこう」
そしてペンをするすると走らせた。実体化する折り紙、音で育つ種、人魚姫の髪飾り、ニチニチソウの栞、ミモザのハンドクリーム。さらに、霜さんが教えてくれたあんずの切り方。数ページに渡って書き終えると私は引き出しの奥の方にそれをしまい込んだ。あのお店は、私だけの秘密。ふふと思わず笑みが浮かんだ。
下に降りればいつもは入れ違いになる父と鉢合わせた。
「おはよう!お父さん」
「おはよう。何だか今日は早いな。学校で何かあるのか?」
「そんな感じ」
「あ、そうだ。かすみが一昨日買ってきたあんずのジャム、すごく美味しかったよ。どこに売ってたの?」
聞かれて少し戸惑う。何とか良い誤魔化しを考えなくては。あのお店のことは、自分の胸にだけ抱えておきたかった。
「えっと、駅に出店が来てたの。何か遠い県の有名店みたい。一昨日が最終日だったんだー」
遠い県の有名店ってなんだ。とっさのお粗末な言い訳に笑いそうになった。
「じゃあ運が良かったんだね。おっと、そろそろ良い時間だな。行ってきます」
「うん!行ってらっしゃいー」
父を見送り、自分の身支度を整える。髪をとかし、コハルちゃんがくれた青いリボンをつけた。食卓に行き、緑茶と食パンとあんずジャムを準備し、座る。相変わらず艶やかに光るジャムをたっぷりパンに塗り口に含めば、濃厚な甘さとなめらかな舌触りを感じた。
「んんー!美味しい…」
美味しいジャムに元気をもらい。私はいそいそと学校へ向かった。
「あっ、かすみちゃん。おはよう」
「コハルちゃん!今日は早いんだね。おはよー」
「何だか早く行きたくなっちゃって。あ、その髪飾り…」
「うん。つけてみたの。どうかな?」
「すごく似合う!やっぱりかすみちゃんは青だね。…使ってくれて、ありがとう」
「こっちの台詞だよ!こんなに可愛い髪飾りくれてありがとう」
笑い合っていれば、リコちゃんとヒナタちゃんも登校してきた。こちらに挨拶をしかけた2人の笑顔が固まる。
「おはよう!2人とも」
「お、おはよう。リコちゃん、ヒナタちゃん」
コハルちゃんが僅かに震えた声で挨拶をする。
「…おはよ」
「…おはよー、コハル。…っていうか、かすみちゃん。そのリボン、前にコハルがあげたやつ?」
「うん。そうなの。リコちゃん、どうかな?」
「似合ってるよ。でも、無理しなくていいんだよ」
「えっ」
「そーだよ。もしかしてかすみちゃん。またコハルに気遣ってるの?前に私らがあんなこと言ったから、コハルに悪いと思っちゃった?だったらごめん。私らが悪かった」
ヒナタちゃんが心配そうに眉根を寄せる。悲しそうに謝る姿は私への優しさに満ちているけれど、やっぱり何か違うのだ。そういうことじゃない。ちゃんと私の気持ちを言うんだ。
「2人ともありがとう。でも、気は遣ってない。私が自分でこのリボンをつけたかったの。本当に。コハルちゃんがリボンをくれた時も、私は嬉しかった!ううん。それだけじゃない。コハルちゃんが私を気にしてくれるのもずっと嬉しかったの」
「かすみちゃん!言ったじゃん。もう気遣わなくていいよって。私らは友達でしょ。だからかすみちゃんが我慢すること何てないの。ちょっとわがまま言ったって嫌いになったりしないから!」
リコちゃんが言葉を重ねる。ヒナタちゃんが真剣な目で私を見る。
「分かってるよ。私、前に2人が謝ってくれた時からちゃんと分かってる。コハルちゃんもリコちゃんもヒナタちゃんも私の友達だって分かってる。分かってるから言ってるんだよ」
2人が目を見開いた。
「私は、もう前みたいな変な気は遣ってないよ。だから、だからね、今言ったことは全部本音だよ」
「で、でもさ、かすみちゃんやっぱり居づらかったでしょ。コハルがすぐ謝ってきたり気を遣って来たりするの。それで居心地悪くなっちゃったんじゃ無いの?」
ヒナタちゃんが必死に言い募る。
「…3人とも、ごめん!」
突然コハルちゃんが頭を下げた。
「私、皆に嫌われたくなかった。昔から私は嫌われることが何より怖かった。だから、よく謝ったし皆に仲良くしようよってずっと言ってた。そうすれば、皆が『優しい』って『良い子』って言ってくれるから。…でもね、中学で2人に謝りすぎだって言われて気づいた。私は本当は誰のことも考えてない。いつも自分が大事なだけだったって。だからそういうの止めようと思った。でも、高校になって、かすみちゃんっていう新しい友達が出来て、この子に嫌われたくないってまた思っちゃったの。それでかえってかすみちゃんのこと苦しめた。2人にも嫌な思いさせた。…面倒くさくて本当にごめん」
ヒナタちゃんとリコちゃんが唇を引き結び視線を逸らす。
「私もごめんなさい!」
3人の視線がこちらに向く。
「自分の気持ちとか隠してばっかりで皆を気まずくさせた」
「それは!かすみちゃんのせいじゃない!」
コハルちゃんが強めに言う。
「ありがとう。でも、私は怖がってばかりだった。どうすれば人との正しい距離が分かるのかってことばかり考えてた。昔のことずるずる引きずって、今の皆を見てなかった。コハルちゃんが気に掛けてくれるのも、リコちゃんとヒナタちゃんが私を守ろうとしてくれるのも、ずっと私は嬉しくて仕方なかったんだってちゃんと言えば良かった。だから、ごめんね」
「…かすみちゃん、コハル」
リコちゃんが口を開く。
「私はさ、友達友達ってずっと言ってたけど、分かってないのは私の方だったね。ごめん」
苦しげな表情が向けられる。
「かすみちゃんの気持ちもコハルの気持ちも聞かなかった。聞かないで決めつけて、結局傷つけた」
「…リコに同意。私は結局悪者探しをしてただけ。コハルが気を遣うのをかすみちゃんのせいにした。かすみちゃんが気を遣うのをコハルのせいにした。やってることはずっと変わってない。自分が悪い癖に責任転嫁してただけだった。ほんとにごめんね」
「話してくれて、ありがとう」
「気持ち、教えてくれてありがとね」
2人はやっとぎこちなく微笑んだ。
文化祭が終わり、私たちは一緒に帰っていた。
「ねぇ、お化け屋敷めちゃくちゃ楽しかったよね!」
「何言ってんの。ヒナタが1番怖がってたじゃんー」
「リコもでしょ。でも、かすみの叫び声にはびっくりした」
「恥ずかしいなぁ…。コハルちゃんは平気そうだったね」
「皆が怖がってたからかえって落ち着いちゃった」
コハルちゃんが恥ずかしそうに微笑む。
「あっ!」
「どうしたの?かすみ」
不思議そうにリコちゃんがこちらを見る。
駅ナカに、私のお気に入りの釜飯屋の出店が来ていた。
「あの釜飯のお店、私好きなの。あんずがのっかってるんだよ」
「へぇ!釜飯にのってるんだ。珍しいね」
コハルちゃんの感心したような声があの人の声と重なった。
あの人?あの人って誰だっけ?
あんずのジャム。甘い香り。そんなイメージが浮かんでは消えていく。上手く思考がまとまらない。
「なんかお腹空いたしさ、かすみのお気に入りの釜飯、食べてみない?」
ヒナタちゃんがそう提案すれば、他の2人も頷いた。
「ね?行こ」
コハルちゃんに手を引かれ私も頷く。きっとお腹が満たせれば思考もまとまるだろう。
元気の良い声で釜飯をどんどん売っているおばさんに近づき、受け取る。まだ温かい。
「うわ、美味しそー!これ、すぐ食べた方がいいよね」
ヒナタちゃんが走り出す。
「ちょっとヒナタ!置いてくな!」
「あっちにベンチ見つけたー!」
そう言って2人が走り出す。慌てて追いかけるコハルちゃんに私も着いていく。その瞬間、床の突起につまずいてしまう。
「うわっ!」
「かすみちゃん!」
ぐらりと重心がずれ、手に持っていた温かい袋がするりと自分の管理下を外れた。
転ぶことよりも釜飯を落すことの方が悲しい。だけどもうどうしようもない。何とか体勢を立て直し、怪我は免れたものの、釜飯はあきらめかけた時、突然甘い花の匂いが鼻を掠めた。
気づくと、重力に従って落ちていた袋は誰かの手に無事にキャッチされ、悲惨なことにならずそこにあった。
「大丈夫ですか?」
低い声。すっと誰かの手が差し出され、私に釜飯の入ったビニール袋を手渡す。ポカンとしたままそれを受け取って気づく。目の前の人も、腕に私と同じ釜飯店の袋を提げていた。
「せっかくの釜飯、落ちなくて良かった」
そう声をかけられ、慌てて目の前に立つ人物を真正面から見つめた。そして、思わず一歩後ずさる。その人はとても綺麗な顔立ちをしていた。
涼しげな目元とすっとした鼻筋。私が、まだ見たことの無い程整った容姿の男性だ。でも、それよりも私を引きつけたのは彼の瞳だった。その瞳は、オリーブのような少しくすんだ緑だった。よく見ると、彼の耳には同じような色合いのピアスが光っている。
「あ、ありがとうございます!すみません」
何とかお礼の言葉をひねり出した時、いくつかの足音と声がこちらに向かってきた。
「かすみちゃん!かすみちゃん、大丈夫?」「かすみ!どうしたの?」
「ごめん、置いてって。大丈夫?」
コハルちゃんとリコちゃんとヒナタちゃんが、心配そうな顔で近づいてくる。それを見届けたらしい男性は、静かに微笑んだ。
「どういたしまして。怪我は?」
「大丈夫です!ホントにありがとうございました」
すると、また彼は微笑む。でも、その笑顔はさっきと打って変わって少し悲しそうに見えた。
「…良かった。じゃあな」
そしてくるりと背を向け、男性は歩き去って行った。
「かすみ!本当にごめんね。置いてって」
「大丈夫だよ。ヒナタちゃん。釜飯も無事だったから。あの人が釜飯をキャッチしてくれたの」
「良かったぁ。…でも、あの人すっごいイケメンだったね」
リコちゃんがにやりとする。
「そうだね…。びっくりしちゃった」
コハルちゃんも少し頬を赤らめている。
「えっ?なにそれ。そんなカッコ良かったの?あの人。私ちょうど見えてなかったんだけど」
ヒナタちゃんが不満げな声を漏らす。
「あーあ。残念だったね。ヒナタ。もうすごかったよ。初めて見たもん。あんな美形。ねー、かすみ」
「うん。…初めて見たよ。あんなイケメンさん」
「うーわ!3人ともずるいー」
そうぼやき、私たちに「その男性の容姿を詳しく説明して」とせがむヒナタちゃんに笑いかけ、歩き出した。
4人でベンチに座り釜飯を頬張れば、あっという間に食べ尽くしてしまい、最後に残ったあんずを口に含んだ。
口に広がる甘さ。美味しいなぁと思っていると、急に視界が歪んだ。訳が分からず呆然としてしまう。
「かすみー?泣く程美味しかったの?」
冗談めかした口調とは裏腹に、心配そうなリコちゃんの声。
「確かに、泣きたくなるくらい美味しいね。この釜飯。教えてくれてありがとう」
明るい口調で言いながら、ポンポンと私の肩に優しく触れるヒナタちゃん。
「かすみちゃん、これ使って」
手に持ったティッシュをそっと差し出すコハルちゃん。
「うん。すっごく美味しい。でも、何か目にゴミ入っちゃったみたい」
そう言って、コハルちゃんのくれたティッシュで目元を拭った。
何も失ってないはずなのに、何かを忘れてしまった気がする。
満たされているはずなのに、空っぽな気がする。
でも、欠けたものが分からない。それならば。それならば。きっと、これは気のせいなのだろう。
今日は、取り合えず少し早く寝ようと決心する。
よく寝れば、朝にはきっといつも通りになれるだろう。
「黎明堂のこと、書き留めておこう」
そしてペンをするすると走らせた。実体化する折り紙、音で育つ種、人魚姫の髪飾り、ニチニチソウの栞、ミモザのハンドクリーム。さらに、霜さんが教えてくれたあんずの切り方。数ページに渡って書き終えると私は引き出しの奥の方にそれをしまい込んだ。あのお店は、私だけの秘密。ふふと思わず笑みが浮かんだ。
下に降りればいつもは入れ違いになる父と鉢合わせた。
「おはよう!お父さん」
「おはよう。何だか今日は早いな。学校で何かあるのか?」
「そんな感じ」
「あ、そうだ。かすみが一昨日買ってきたあんずのジャム、すごく美味しかったよ。どこに売ってたの?」
聞かれて少し戸惑う。何とか良い誤魔化しを考えなくては。あのお店のことは、自分の胸にだけ抱えておきたかった。
「えっと、駅に出店が来てたの。何か遠い県の有名店みたい。一昨日が最終日だったんだー」
遠い県の有名店ってなんだ。とっさのお粗末な言い訳に笑いそうになった。
「じゃあ運が良かったんだね。おっと、そろそろ良い時間だな。行ってきます」
「うん!行ってらっしゃいー」
父を見送り、自分の身支度を整える。髪をとかし、コハルちゃんがくれた青いリボンをつけた。食卓に行き、緑茶と食パンとあんずジャムを準備し、座る。相変わらず艶やかに光るジャムをたっぷりパンに塗り口に含めば、濃厚な甘さとなめらかな舌触りを感じた。
「んんー!美味しい…」
美味しいジャムに元気をもらい。私はいそいそと学校へ向かった。
「あっ、かすみちゃん。おはよう」
「コハルちゃん!今日は早いんだね。おはよー」
「何だか早く行きたくなっちゃって。あ、その髪飾り…」
「うん。つけてみたの。どうかな?」
「すごく似合う!やっぱりかすみちゃんは青だね。…使ってくれて、ありがとう」
「こっちの台詞だよ!こんなに可愛い髪飾りくれてありがとう」
笑い合っていれば、リコちゃんとヒナタちゃんも登校してきた。こちらに挨拶をしかけた2人の笑顔が固まる。
「おはよう!2人とも」
「お、おはよう。リコちゃん、ヒナタちゃん」
コハルちゃんが僅かに震えた声で挨拶をする。
「…おはよ」
「…おはよー、コハル。…っていうか、かすみちゃん。そのリボン、前にコハルがあげたやつ?」
「うん。そうなの。リコちゃん、どうかな?」
「似合ってるよ。でも、無理しなくていいんだよ」
「えっ」
「そーだよ。もしかしてかすみちゃん。またコハルに気遣ってるの?前に私らがあんなこと言ったから、コハルに悪いと思っちゃった?だったらごめん。私らが悪かった」
ヒナタちゃんが心配そうに眉根を寄せる。悲しそうに謝る姿は私への優しさに満ちているけれど、やっぱり何か違うのだ。そういうことじゃない。ちゃんと私の気持ちを言うんだ。
「2人ともありがとう。でも、気は遣ってない。私が自分でこのリボンをつけたかったの。本当に。コハルちゃんがリボンをくれた時も、私は嬉しかった!ううん。それだけじゃない。コハルちゃんが私を気にしてくれるのもずっと嬉しかったの」
「かすみちゃん!言ったじゃん。もう気遣わなくていいよって。私らは友達でしょ。だからかすみちゃんが我慢すること何てないの。ちょっとわがまま言ったって嫌いになったりしないから!」
リコちゃんが言葉を重ねる。ヒナタちゃんが真剣な目で私を見る。
「分かってるよ。私、前に2人が謝ってくれた時からちゃんと分かってる。コハルちゃんもリコちゃんもヒナタちゃんも私の友達だって分かってる。分かってるから言ってるんだよ」
2人が目を見開いた。
「私は、もう前みたいな変な気は遣ってないよ。だから、だからね、今言ったことは全部本音だよ」
「で、でもさ、かすみちゃんやっぱり居づらかったでしょ。コハルがすぐ謝ってきたり気を遣って来たりするの。それで居心地悪くなっちゃったんじゃ無いの?」
ヒナタちゃんが必死に言い募る。
「…3人とも、ごめん!」
突然コハルちゃんが頭を下げた。
「私、皆に嫌われたくなかった。昔から私は嫌われることが何より怖かった。だから、よく謝ったし皆に仲良くしようよってずっと言ってた。そうすれば、皆が『優しい』って『良い子』って言ってくれるから。…でもね、中学で2人に謝りすぎだって言われて気づいた。私は本当は誰のことも考えてない。いつも自分が大事なだけだったって。だからそういうの止めようと思った。でも、高校になって、かすみちゃんっていう新しい友達が出来て、この子に嫌われたくないってまた思っちゃったの。それでかえってかすみちゃんのこと苦しめた。2人にも嫌な思いさせた。…面倒くさくて本当にごめん」
ヒナタちゃんとリコちゃんが唇を引き結び視線を逸らす。
「私もごめんなさい!」
3人の視線がこちらに向く。
「自分の気持ちとか隠してばっかりで皆を気まずくさせた」
「それは!かすみちゃんのせいじゃない!」
コハルちゃんが強めに言う。
「ありがとう。でも、私は怖がってばかりだった。どうすれば人との正しい距離が分かるのかってことばかり考えてた。昔のことずるずる引きずって、今の皆を見てなかった。コハルちゃんが気に掛けてくれるのも、リコちゃんとヒナタちゃんが私を守ろうとしてくれるのも、ずっと私は嬉しくて仕方なかったんだってちゃんと言えば良かった。だから、ごめんね」
「…かすみちゃん、コハル」
リコちゃんが口を開く。
「私はさ、友達友達ってずっと言ってたけど、分かってないのは私の方だったね。ごめん」
苦しげな表情が向けられる。
「かすみちゃんの気持ちもコハルの気持ちも聞かなかった。聞かないで決めつけて、結局傷つけた」
「…リコに同意。私は結局悪者探しをしてただけ。コハルが気を遣うのをかすみちゃんのせいにした。かすみちゃんが気を遣うのをコハルのせいにした。やってることはずっと変わってない。自分が悪い癖に責任転嫁してただけだった。ほんとにごめんね」
「話してくれて、ありがとう」
「気持ち、教えてくれてありがとね」
2人はやっとぎこちなく微笑んだ。
文化祭が終わり、私たちは一緒に帰っていた。
「ねぇ、お化け屋敷めちゃくちゃ楽しかったよね!」
「何言ってんの。ヒナタが1番怖がってたじゃんー」
「リコもでしょ。でも、かすみの叫び声にはびっくりした」
「恥ずかしいなぁ…。コハルちゃんは平気そうだったね」
「皆が怖がってたからかえって落ち着いちゃった」
コハルちゃんが恥ずかしそうに微笑む。
「あっ!」
「どうしたの?かすみ」
不思議そうにリコちゃんがこちらを見る。
駅ナカに、私のお気に入りの釜飯屋の出店が来ていた。
「あの釜飯のお店、私好きなの。あんずがのっかってるんだよ」
「へぇ!釜飯にのってるんだ。珍しいね」
コハルちゃんの感心したような声があの人の声と重なった。
あの人?あの人って誰だっけ?
あんずのジャム。甘い香り。そんなイメージが浮かんでは消えていく。上手く思考がまとまらない。
「なんかお腹空いたしさ、かすみのお気に入りの釜飯、食べてみない?」
ヒナタちゃんがそう提案すれば、他の2人も頷いた。
「ね?行こ」
コハルちゃんに手を引かれ私も頷く。きっとお腹が満たせれば思考もまとまるだろう。
元気の良い声で釜飯をどんどん売っているおばさんに近づき、受け取る。まだ温かい。
「うわ、美味しそー!これ、すぐ食べた方がいいよね」
ヒナタちゃんが走り出す。
「ちょっとヒナタ!置いてくな!」
「あっちにベンチ見つけたー!」
そう言って2人が走り出す。慌てて追いかけるコハルちゃんに私も着いていく。その瞬間、床の突起につまずいてしまう。
「うわっ!」
「かすみちゃん!」
ぐらりと重心がずれ、手に持っていた温かい袋がするりと自分の管理下を外れた。
転ぶことよりも釜飯を落すことの方が悲しい。だけどもうどうしようもない。何とか体勢を立て直し、怪我は免れたものの、釜飯はあきらめかけた時、突然甘い花の匂いが鼻を掠めた。
気づくと、重力に従って落ちていた袋は誰かの手に無事にキャッチされ、悲惨なことにならずそこにあった。
「大丈夫ですか?」
低い声。すっと誰かの手が差し出され、私に釜飯の入ったビニール袋を手渡す。ポカンとしたままそれを受け取って気づく。目の前の人も、腕に私と同じ釜飯店の袋を提げていた。
「せっかくの釜飯、落ちなくて良かった」
そう声をかけられ、慌てて目の前に立つ人物を真正面から見つめた。そして、思わず一歩後ずさる。その人はとても綺麗な顔立ちをしていた。
涼しげな目元とすっとした鼻筋。私が、まだ見たことの無い程整った容姿の男性だ。でも、それよりも私を引きつけたのは彼の瞳だった。その瞳は、オリーブのような少しくすんだ緑だった。よく見ると、彼の耳には同じような色合いのピアスが光っている。
「あ、ありがとうございます!すみません」
何とかお礼の言葉をひねり出した時、いくつかの足音と声がこちらに向かってきた。
「かすみちゃん!かすみちゃん、大丈夫?」「かすみ!どうしたの?」
「ごめん、置いてって。大丈夫?」
コハルちゃんとリコちゃんとヒナタちゃんが、心配そうな顔で近づいてくる。それを見届けたらしい男性は、静かに微笑んだ。
「どういたしまして。怪我は?」
「大丈夫です!ホントにありがとうございました」
すると、また彼は微笑む。でも、その笑顔はさっきと打って変わって少し悲しそうに見えた。
「…良かった。じゃあな」
そしてくるりと背を向け、男性は歩き去って行った。
「かすみ!本当にごめんね。置いてって」
「大丈夫だよ。ヒナタちゃん。釜飯も無事だったから。あの人が釜飯をキャッチしてくれたの」
「良かったぁ。…でも、あの人すっごいイケメンだったね」
リコちゃんがにやりとする。
「そうだね…。びっくりしちゃった」
コハルちゃんも少し頬を赤らめている。
「えっ?なにそれ。そんなカッコ良かったの?あの人。私ちょうど見えてなかったんだけど」
ヒナタちゃんが不満げな声を漏らす。
「あーあ。残念だったね。ヒナタ。もうすごかったよ。初めて見たもん。あんな美形。ねー、かすみ」
「うん。…初めて見たよ。あんなイケメンさん」
「うーわ!3人ともずるいー」
そうぼやき、私たちに「その男性の容姿を詳しく説明して」とせがむヒナタちゃんに笑いかけ、歩き出した。
4人でベンチに座り釜飯を頬張れば、あっという間に食べ尽くしてしまい、最後に残ったあんずを口に含んだ。
口に広がる甘さ。美味しいなぁと思っていると、急に視界が歪んだ。訳が分からず呆然としてしまう。
「かすみー?泣く程美味しかったの?」
冗談めかした口調とは裏腹に、心配そうなリコちゃんの声。
「確かに、泣きたくなるくらい美味しいね。この釜飯。教えてくれてありがとう」
明るい口調で言いながら、ポンポンと私の肩に優しく触れるヒナタちゃん。
「かすみちゃん、これ使って」
手に持ったティッシュをそっと差し出すコハルちゃん。
「うん。すっごく美味しい。でも、何か目にゴミ入っちゃったみたい」
そう言って、コハルちゃんのくれたティッシュで目元を拭った。
何も失ってないはずなのに、何かを忘れてしまった気がする。
満たされているはずなのに、空っぽな気がする。
でも、欠けたものが分からない。それならば。それならば。きっと、これは気のせいなのだろう。
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