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霞たなびく
彼女の話 Ⅸ
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カウンターの奥に入ると住居スペースのような場所に出た。ソファーと椅子と机。そして背の高い本棚。机に積み上がった豪奢な装丁の本。さらに驚いたのは植物の多さだ。全て綺麗に手入れされているが、すごい量が部屋の中にもベランダにも広がっている。
キッチンは端の方にあり、鍋やヘラがいくつか下がっている。
「何のジャムを作るんですか?…えっと、」
店主さんと呼ぶべきかお兄さんと呼ぶべきか悩んでしまう。
「ソウ、だ」
「え?」
「俺の名前。霜って書く」
「霜さん?」
うん。と頷かれ、霜さんと呼ぶことに決める。その名前を口の中で転がしながら綺麗だと思った。
「作ろうと思ってるのはあんずジャムだ」
「あんず!私、旅行先で食べた釜飯の上にのっているのくらいしか見たことないです。でも、あんずのお菓子って美味しいですよね」
「釜飯の上にのってるのか?珍しいな」
「そうですよね!でも、具材との相性最高なんですよ」
「へぇ。すごい旨そうだな。それ、この辺で買える?」
「どうでしょう?あ、でも、駅にたまに出店来てますよ。美味しいのでぜひ食べてみて下さい」
「そうする」
そんなことを話しながら、霜さんはあんずが詰まったかごを持ってきた。黄色や橙色の丸い小さな形。部分的に紅色になっている。何とも愛らしい果物だ。
「かわいいー」
「洗うところまではやったから、次は半分に切って種を出す。これ包丁。気をつけてな」
さっさと切りにかかる彼を横目に私も包丁を握る。緊張してきてしまった。実は私はほとんど料理をしない。あんずどころか果物を切ったことなどもほぼない。でも半分と言っていたし、普通に切ればいいのだろう。恐る恐るあんずに包丁を当てるが、一つ一つが小さい為、少しでも気を抜けば手を怪我しそうだ。私が何とか5つを切り終えることには、彼は10個近いあんずを2つに切っていた。
「早いですね…」
そう言えば、霜さんは顔を上げて私を近くに呼び寄せた。
「あんずはこう切ると早い。まず、この割れ目に包丁を当てる。それで、あんず自体をこうやって手で回すんだ」
すると、すーっと切れ込みが入る。
「で、切り込みを真ん中にして手で持ちながらねじる」
ぎゅっとねじられたあんずは、種がある側とない側で綺麗に2等分になった。私は感激してしまい小さく拍手をする。
「君もやってみな」
そして今度は私にあんずが渡される。さっき教わったようにあんずをしっかり持ち、割れ目に包丁を当てる。くるりと果実を回し、一周分の切り込みが入ったところでぐいっとねじった。すると、綺麗に切り分けられたあんずが現われる。
「わっ!できました」
「その調子だ」
そして、どんどんあんずを切り分け、中の種をくりぬいていく。種が抜かれ、細かく刻まれたあんずを見下ろした霜さんはこちらに笑いかけた。
「切る作業とか1人だと結構面倒なんだ。君のおかげで早く終わった。ありがとう」
「いえいえ、そんな…」
彼は次に大きな鍋と、砂糖瓶を持ってきた。
「次は煮詰めるところだ。砂糖は…」
霜さんは大胆にボウルの7割ほどを白い粉で埋め尽くした。
「えっ!ジャムの砂糖ってそんなに使うんですね!」
「あぁ。驚いた?」
「驚きました…。すごいんですね」
そして砂糖を混ぜ、ある程度時間が経った所で煮詰め始める。砂糖の焦げる匂いとあんずのとろけるような甘い香りがキッチンを包む。霜さんは黙々とアクを取り除いている。私はじーっとそれを見つめていた。
やがてとろみが付き始め、煮詰められたあんずは私も見知ったジャムの姿になる。
「よし。コレで完成だ」
琥珀色のとろりとした液体を、煮沸してあった2つの瓶に移し替える。後は冷めれば完成だそうだ。
ジャム作りが終わり、私はキッチン前の椅子に座っていた。
「おまたせ」
何やらキッチンで作業をしていた彼は、お盆にグラスをのせて戻ってきた。それは炭酸水のようだったが少し琥珀色をしていた。
「さっき作ったジャムで作ったサイダー。どうぞ」
「わぁ、ありがとうございます」
ゴクリと飲めば、甘酸っぱい味が広がった。
「美味しいです!」
するとまた、微かな笑い声が聞こえた。
「あまりにも美味しそうに飲むから」
「美味しいですもん。笑顔にもなっちゃいますよ。…もしかしてすごい変な顔とかしてました?私」
「そんなことないよ。すごい幸せそうな顔で飲むから、俺も嬉しくなっただけだ」
その返答に頬が熱くなるのを感じた。少し感覚が麻痺し始めていたが、最初の印象通り、この人はかなりのイケメンさんなのだ。そんな人に笑いかけられれば恥ずかしくなるのも仕方ないだろう。赤くなっているであろう頬を誤魔化す為に私は話し出す。
「あのっ他には何かお手伝いできることとかありますか?」
「ジャム作り手伝ってくれただけで十分だ」
「ほ、本当に?これでいいんですか?」
「これでいいんですよ。本当に」
少し悪戯に彼が微笑む。私の言い方を真似るような口調。私はそれに笑い返そうとしたのになぜかできなかった。
ほんの僅か、彼の緑の瞳が陰った気がしたからだ。
「霜さん…?」
「ん?」
私の呼びかけにこちらを見た彼の瞳には、さっきの陰りなどもう無かった。でも私にはその一瞬の陰りが色濃く残る。だから何とか言葉を尽くした。
「あ、えっと。何でもないです。…あの、霜さん。もし何か困ってることとかあったらまた教えて下さいね。ジャム作りでも何でも。私、力になれるように頑張ります」
そう言って私は自分が出来る全力の笑顔を見せた。
「…うん。ありがとう。かすみ」
そんな私の言葉を聞いた彼も優しく笑ってくれる。そして唐突に席を立ち、しばらくして戻ってきた。
戻ってきた霜さんの手には、先ほど作ったジャムの詰められた木蓋の瓶と見覚えのあるハンドクリームがあった。
「手伝ってもらったから。これはかすみが持って帰ってくれ」
「ジャムくれるんですか?すごく嬉しいです。ありがとうございます!…でも。ハンドクリームはここの大事な魔法道具ですよね?頂けませんよ。それは私じゃ無い別の人にまたあげてください。私はもう大丈夫なんで」
「…それでも、俺は君に持っていてほしい」
その真剣な目に何も言えなくなり、素直にハンドクリームを受け取った。頭を深く下げる。
「ありがとう、ございます。霜さん」
「どういたしまして」
「ふふふ。あ、霜さん。手作りジャムってどのくらい日持ちするんですか?私、手作りジャムなんて初めてで…」
「そんなに持たない。けど、少し手を加えればいくらでも持つかもな」
「手を加えると?」
すると、また悪戯に彼は微笑む。そして、彼は私の持つ瓶に手を添え、軽く目を閉じた。
「…ラスティング・チェンジ」
そう呟いた瞬間、ジャム全体が淡い光を帯びた。その光はすぐに消えてしまったが、瓶の中にあるジャムの様子は変わっていた。
「何ですか?これ…。もしかして魔法?すごいキラキラしてる…」
さっきまで琥珀色一色だったジャムは金箔を流し込んだかのように煌めいていた。
「あぁ。これでいつまで持つのかとか心配しなくても大丈夫だ」
「ほんとにすごい…。すごいです!」
私は煌めくジャムとハンドクリームを持って店の出口に歩いて行く。満たされた気持ちだ。出口の前で私はもう一度振り向き、霜さんを見据えた。
「ここは素敵なお店です。私、来られて良かった。霜さんにも会えて楽しかったです。ジャムの作り方、ちゃんと覚えますしハンドクリームも大事にします。…また、来ますね」
「うん。その時は待ってる」
「はい!それじゃあ、また」
「…かすみ」
名を呼ばれたと思った瞬間、視界を覆われた。やや遅れて、霜さんが私の目元を手で覆ったのだと理解する。
「あの、」
耳元で、シュッと何かを吹きかけたような音がする。続いて、くらりとする程の良い香りが溢れた。しかしその香りは一瞬で消えてしまう。
「霜さん?今、何かしましたか?」
「おまじない」
パッと手が離れ、そこにいたのは相変わらず静かに微笑んでいる霜さんだ。
「じゃあな。気をつけて」
よく分からないが、もう夕方だし、無事に帰れるための魔法でもかけてくれたのだろう。そう解釈してまた胸が熱くなる。
「はい!ありがとうございます。ではまた!」
彼女の背中を見送り部屋に戻ると、背後に少女が立っていた。
「あのお姉さん、行っちゃったんだ。あたしもお話ししたかったなー」
鈴の鳴るような声が少し悲しげだ。
「はは。ごめんな。呼んでやらなくて。…で、何か用だったんだろ。ヒスイ」
「うん。じいちゃんが霜に用があるんだって。呼んでくる」
「ありがとう」
少女は頷くとその場で一回転した。たちまちその姿は鍵尻尾の黒猫に変わる。緑の瞳がまばたきをし身を翻した。
しばらくして、ヒスイの後ろから大きな黒猫がゆっくり現われた。
「セージ。どうしたんだ」
セージはそれには答えず、鼻を鳴らすような仕草をした。そして、灰色の瞳を微かに見開きこちらへ近づいてくる。
『…霜。お前、あのお嬢さんに馬酔木の花の香水を使ったのか?』
セージが重々しい声で告げる。後ろに居たヒスイは動揺のあまり、ぼんっと音を立てて小鳥の姿になる。
『こらこら。ヒスイ。落ち着きなさい』
するとまたその姿は黒猫に戻る。
『ごめん…。じいちゃん』
『なに。謝ることはないさ。…さて、霜。なぜお前はそこまで…』
セージの灰色の瞳がじっとこちらを見つめる。
「…初めてだったんだ」
ぐっと胸元を握りしめる。彼女の言葉を1つ1つ思い出した。
「…だから、守りたくなった」
『霜…。だが、』
「大丈夫だ。セージ。ちゃんと分かってる」
厳しい表情を浮かべるセージに笑いかけ、扉にクローズの札をかけた。
〈黎明堂 雑貨メモ〉
『あんずのジャム』:店主の好物の1つ。
「ラスティング・チェンジ」という呪文を使えば、傷みを抑えることができ、半永久的に美味しいまま食べられる
『馬酔木(あしび)の花の香水瓶』:中の香水を吹きかけた相手を、あらゆる危害から守ることが出来る。危害というのは精神的・身体的を問わない。だが…
〈黎明堂に住む存在〉
ヒスイ:緑の瞳に鍵尻尾を持つ小さなメスの黒猫。小鳥や小学生くらいの女の子に姿を変えられる。
霜の使い魔的存在。主に、役目を終えた魔法道具の回収や黎明堂への道案内をする。
セージ:灰色の瞳の黒い老猫。ヒスイの祖父に当たる。年齢のせいか魔力や視力は徐々に弱まっているので、あまり自分の部屋から動かない。
誰よりも霜や黎明堂のことを詳しく知っている。
キッチンは端の方にあり、鍋やヘラがいくつか下がっている。
「何のジャムを作るんですか?…えっと、」
店主さんと呼ぶべきかお兄さんと呼ぶべきか悩んでしまう。
「ソウ、だ」
「え?」
「俺の名前。霜って書く」
「霜さん?」
うん。と頷かれ、霜さんと呼ぶことに決める。その名前を口の中で転がしながら綺麗だと思った。
「作ろうと思ってるのはあんずジャムだ」
「あんず!私、旅行先で食べた釜飯の上にのっているのくらいしか見たことないです。でも、あんずのお菓子って美味しいですよね」
「釜飯の上にのってるのか?珍しいな」
「そうですよね!でも、具材との相性最高なんですよ」
「へぇ。すごい旨そうだな。それ、この辺で買える?」
「どうでしょう?あ、でも、駅にたまに出店来てますよ。美味しいのでぜひ食べてみて下さい」
「そうする」
そんなことを話しながら、霜さんはあんずが詰まったかごを持ってきた。黄色や橙色の丸い小さな形。部分的に紅色になっている。何とも愛らしい果物だ。
「かわいいー」
「洗うところまではやったから、次は半分に切って種を出す。これ包丁。気をつけてな」
さっさと切りにかかる彼を横目に私も包丁を握る。緊張してきてしまった。実は私はほとんど料理をしない。あんずどころか果物を切ったことなどもほぼない。でも半分と言っていたし、普通に切ればいいのだろう。恐る恐るあんずに包丁を当てるが、一つ一つが小さい為、少しでも気を抜けば手を怪我しそうだ。私が何とか5つを切り終えることには、彼は10個近いあんずを2つに切っていた。
「早いですね…」
そう言えば、霜さんは顔を上げて私を近くに呼び寄せた。
「あんずはこう切ると早い。まず、この割れ目に包丁を当てる。それで、あんず自体をこうやって手で回すんだ」
すると、すーっと切れ込みが入る。
「で、切り込みを真ん中にして手で持ちながらねじる」
ぎゅっとねじられたあんずは、種がある側とない側で綺麗に2等分になった。私は感激してしまい小さく拍手をする。
「君もやってみな」
そして今度は私にあんずが渡される。さっき教わったようにあんずをしっかり持ち、割れ目に包丁を当てる。くるりと果実を回し、一周分の切り込みが入ったところでぐいっとねじった。すると、綺麗に切り分けられたあんずが現われる。
「わっ!できました」
「その調子だ」
そして、どんどんあんずを切り分け、中の種をくりぬいていく。種が抜かれ、細かく刻まれたあんずを見下ろした霜さんはこちらに笑いかけた。
「切る作業とか1人だと結構面倒なんだ。君のおかげで早く終わった。ありがとう」
「いえいえ、そんな…」
彼は次に大きな鍋と、砂糖瓶を持ってきた。
「次は煮詰めるところだ。砂糖は…」
霜さんは大胆にボウルの7割ほどを白い粉で埋め尽くした。
「えっ!ジャムの砂糖ってそんなに使うんですね!」
「あぁ。驚いた?」
「驚きました…。すごいんですね」
そして砂糖を混ぜ、ある程度時間が経った所で煮詰め始める。砂糖の焦げる匂いとあんずのとろけるような甘い香りがキッチンを包む。霜さんは黙々とアクを取り除いている。私はじーっとそれを見つめていた。
やがてとろみが付き始め、煮詰められたあんずは私も見知ったジャムの姿になる。
「よし。コレで完成だ」
琥珀色のとろりとした液体を、煮沸してあった2つの瓶に移し替える。後は冷めれば完成だそうだ。
ジャム作りが終わり、私はキッチン前の椅子に座っていた。
「おまたせ」
何やらキッチンで作業をしていた彼は、お盆にグラスをのせて戻ってきた。それは炭酸水のようだったが少し琥珀色をしていた。
「さっき作ったジャムで作ったサイダー。どうぞ」
「わぁ、ありがとうございます」
ゴクリと飲めば、甘酸っぱい味が広がった。
「美味しいです!」
するとまた、微かな笑い声が聞こえた。
「あまりにも美味しそうに飲むから」
「美味しいですもん。笑顔にもなっちゃいますよ。…もしかしてすごい変な顔とかしてました?私」
「そんなことないよ。すごい幸せそうな顔で飲むから、俺も嬉しくなっただけだ」
その返答に頬が熱くなるのを感じた。少し感覚が麻痺し始めていたが、最初の印象通り、この人はかなりのイケメンさんなのだ。そんな人に笑いかけられれば恥ずかしくなるのも仕方ないだろう。赤くなっているであろう頬を誤魔化す為に私は話し出す。
「あのっ他には何かお手伝いできることとかありますか?」
「ジャム作り手伝ってくれただけで十分だ」
「ほ、本当に?これでいいんですか?」
「これでいいんですよ。本当に」
少し悪戯に彼が微笑む。私の言い方を真似るような口調。私はそれに笑い返そうとしたのになぜかできなかった。
ほんの僅か、彼の緑の瞳が陰った気がしたからだ。
「霜さん…?」
「ん?」
私の呼びかけにこちらを見た彼の瞳には、さっきの陰りなどもう無かった。でも私にはその一瞬の陰りが色濃く残る。だから何とか言葉を尽くした。
「あ、えっと。何でもないです。…あの、霜さん。もし何か困ってることとかあったらまた教えて下さいね。ジャム作りでも何でも。私、力になれるように頑張ります」
そう言って私は自分が出来る全力の笑顔を見せた。
「…うん。ありがとう。かすみ」
そんな私の言葉を聞いた彼も優しく笑ってくれる。そして唐突に席を立ち、しばらくして戻ってきた。
戻ってきた霜さんの手には、先ほど作ったジャムの詰められた木蓋の瓶と見覚えのあるハンドクリームがあった。
「手伝ってもらったから。これはかすみが持って帰ってくれ」
「ジャムくれるんですか?すごく嬉しいです。ありがとうございます!…でも。ハンドクリームはここの大事な魔法道具ですよね?頂けませんよ。それは私じゃ無い別の人にまたあげてください。私はもう大丈夫なんで」
「…それでも、俺は君に持っていてほしい」
その真剣な目に何も言えなくなり、素直にハンドクリームを受け取った。頭を深く下げる。
「ありがとう、ございます。霜さん」
「どういたしまして」
「ふふふ。あ、霜さん。手作りジャムってどのくらい日持ちするんですか?私、手作りジャムなんて初めてで…」
「そんなに持たない。けど、少し手を加えればいくらでも持つかもな」
「手を加えると?」
すると、また悪戯に彼は微笑む。そして、彼は私の持つ瓶に手を添え、軽く目を閉じた。
「…ラスティング・チェンジ」
そう呟いた瞬間、ジャム全体が淡い光を帯びた。その光はすぐに消えてしまったが、瓶の中にあるジャムの様子は変わっていた。
「何ですか?これ…。もしかして魔法?すごいキラキラしてる…」
さっきまで琥珀色一色だったジャムは金箔を流し込んだかのように煌めいていた。
「あぁ。これでいつまで持つのかとか心配しなくても大丈夫だ」
「ほんとにすごい…。すごいです!」
私は煌めくジャムとハンドクリームを持って店の出口に歩いて行く。満たされた気持ちだ。出口の前で私はもう一度振り向き、霜さんを見据えた。
「ここは素敵なお店です。私、来られて良かった。霜さんにも会えて楽しかったです。ジャムの作り方、ちゃんと覚えますしハンドクリームも大事にします。…また、来ますね」
「うん。その時は待ってる」
「はい!それじゃあ、また」
「…かすみ」
名を呼ばれたと思った瞬間、視界を覆われた。やや遅れて、霜さんが私の目元を手で覆ったのだと理解する。
「あの、」
耳元で、シュッと何かを吹きかけたような音がする。続いて、くらりとする程の良い香りが溢れた。しかしその香りは一瞬で消えてしまう。
「霜さん?今、何かしましたか?」
「おまじない」
パッと手が離れ、そこにいたのは相変わらず静かに微笑んでいる霜さんだ。
「じゃあな。気をつけて」
よく分からないが、もう夕方だし、無事に帰れるための魔法でもかけてくれたのだろう。そう解釈してまた胸が熱くなる。
「はい!ありがとうございます。ではまた!」
彼女の背中を見送り部屋に戻ると、背後に少女が立っていた。
「あのお姉さん、行っちゃったんだ。あたしもお話ししたかったなー」
鈴の鳴るような声が少し悲しげだ。
「はは。ごめんな。呼んでやらなくて。…で、何か用だったんだろ。ヒスイ」
「うん。じいちゃんが霜に用があるんだって。呼んでくる」
「ありがとう」
少女は頷くとその場で一回転した。たちまちその姿は鍵尻尾の黒猫に変わる。緑の瞳がまばたきをし身を翻した。
しばらくして、ヒスイの後ろから大きな黒猫がゆっくり現われた。
「セージ。どうしたんだ」
セージはそれには答えず、鼻を鳴らすような仕草をした。そして、灰色の瞳を微かに見開きこちらへ近づいてくる。
『…霜。お前、あのお嬢さんに馬酔木の花の香水を使ったのか?』
セージが重々しい声で告げる。後ろに居たヒスイは動揺のあまり、ぼんっと音を立てて小鳥の姿になる。
『こらこら。ヒスイ。落ち着きなさい』
するとまたその姿は黒猫に戻る。
『ごめん…。じいちゃん』
『なに。謝ることはないさ。…さて、霜。なぜお前はそこまで…』
セージの灰色の瞳がじっとこちらを見つめる。
「…初めてだったんだ」
ぐっと胸元を握りしめる。彼女の言葉を1つ1つ思い出した。
「…だから、守りたくなった」
『霜…。だが、』
「大丈夫だ。セージ。ちゃんと分かってる」
厳しい表情を浮かべるセージに笑いかけ、扉にクローズの札をかけた。
〈黎明堂 雑貨メモ〉
『あんずのジャム』:店主の好物の1つ。
「ラスティング・チェンジ」という呪文を使えば、傷みを抑えることができ、半永久的に美味しいまま食べられる
『馬酔木(あしび)の花の香水瓶』:中の香水を吹きかけた相手を、あらゆる危害から守ることが出来る。危害というのは精神的・身体的を問わない。だが…
〈黎明堂に住む存在〉
ヒスイ:緑の瞳に鍵尻尾を持つ小さなメスの黒猫。小鳥や小学生くらいの女の子に姿を変えられる。
霜の使い魔的存在。主に、役目を終えた魔法道具の回収や黎明堂への道案内をする。
セージ:灰色の瞳の黒い老猫。ヒスイの祖父に当たる。年齢のせいか魔力や視力は徐々に弱まっているので、あまり自分の部屋から動かない。
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