夜明け待ち

わかりなほ

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霞たなびく

彼女の話 Ⅰ

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 高校は、4限の授業が終わると一気に教室の雰囲気が華やかになる。誰かの弁当の匂い。楽しそうな笑い声。狭い教室にふわりと広がるのはどこか特別感のあるオーラだ。皆は当たり前のようにグループを作り、食事を始める。私は1番後ろの席で淡々と弁当箱を開け、おにぎりにかぶりついた。母親が焼いてくれた卵焼きの鮮やかな黄色が目に染みる気がした。そっと顔を上げるも、誰もこちらを見ては居ない。気にも止めていない。透明人間みたいだなと思った。ささっと食事を終えると、意味も無く教科書を開いた。次の授業で予習すべきことなんてない。でもそうしていないと居場所が作れない。

分かっている。悪いのは私だ。4月に入っても自分から話しかけることができなかった。挨拶をすれば返して貰える。でも相手から挨拶をしてもらえることはない。いじめられている訳でも無い。かと言って仲の良い人が居るわけでも無い。そんな宙ぶらりんの状況に追い込んだのは私自身だ。いつの間にか2ヶ月経ち、今は6月。ふと、後ろの黒板を見た。カラフルに装飾された字であと7日と書いてある。これは運動祭までのカウントダウンだった。
女子は、ドッジボール・バスケットボール・バレーボールの3つ、男子は、ハンドボール・サッカー・バスケットボールの3つからそれぞれ1つを選び、クラス対戦するイベントだった。
私は、体育が苦手だ。そんな私は、ドッジボールを選択した。だけど、ドッジボールは他の2科目と違い、それなりに大人数で行う。だから、休み時間に練習などもしていなかった。少人数のスポーツにしておけばもう少しクラスメイトと話せたのだろうか。

そんなことを言っても仕方ない。少しでも、クラスに貢献できたら良いな。とぼんやり思った。


そして迎えた当日。
ドッジボールはバスケットボールの後だ。応援に行こうと、クラスの皆は何人かで連れだって教室を出て行った。私も後ろからゆっくり着いていく。何となく1人の子を探してしまう。そんな自分も嫌だった。
体育館のステージの上に座り、「頑張れー」と声を出してみた。皆と声が合わさり、大きな声援となった。
そのおかげだろうか。私のクラスは圧勝だった。ハイタッチをし合う周りの子にどうしようもない疎外感があった。
「ね、かすみちゃんだよね?」
不意に声をかけられる。そこにはクラスメイトのコハルちゃんがいた。彼女はその明るさで、早くもクラスの皆の中心となっていた。しかし、授業の間の休憩時間では本を読んでいることもあり、少し気になっていた。
「コハル、ちゃん」
「かすみちゃんもドッジボールでしょ?一緒に頑張ろうね」
「う、うん。そうだね」
にこりと彼女が笑う。ごく自然にコハルちゃんとグラウンドに出る形になる。朝からざわざわしていた心が穏やかになっていくようだ。軽く雑談をしながら校庭に出ると、すらりと背の高い女の子とショートヘアーの女の子が近づいてきた。背の高い子は「ヒナタ」ちゃん。ショートヘアーの女の子は「リコ」ちゃん。
「あ、コハル!やっときた」
リコちゃんが声を上げる
「お、かすみちゃんも一緒だー」
ヒナタちゃんがそう言って軽く手を振ってくる。私も恐る恐る振り返した。
「がんばろーね。かすみちゃん」
リコちゃんも私の肩に軽く手を置き笑いかける。その距離感がひどく嬉しかった。

あぁ。疎外感を覚えてたのは私だけで、考えすぎてたのも私だけだったのかもしれない。私も笑みを浮かべる
「うん。頑張ろうね」
そして、ドッジボールが始まる。
私は運動神経に自信は無いが、頑張って避けて最後の方まで残った。そして何回戦かの末、私たちのチームは勝利したのだ。
コハルちゃんたちと写真を撮って、お昼を食べた。その日はとても嬉しくて、弾むような足取りのまま帰宅した。



その日以降、私の昼食は1人では無くなった。いつもコハルちゃんとヒナタちゃんとリコちゃんが一緒にいた。そんな日々は楽しくて、温かかった。

でも、最近は何となく苦しくなるのだ。3人は運動が得意。私は運動音痴。3人は社交的。私は内向的。3人は中学が同じ。私は高1で初めて出会った人。3人と私は正反対。疎外感のようなものを感じてしまうこともある。気を遣わせてる?そう思うと余計にぎこちなくなってしまう。嫌だ。また、あの時みたいな思いはしたくない。人との距離感を間違えるのは嫌だ。
「かすみちゃん、大丈夫?なんかぼんやりしてる?」
はっと意識を目の前の相手に向ける。コハルちゃんが心配そうにこちらを見ていた。
「あっ。ごめん!大丈夫だよ。昨日遅くてさ」
「そうなんだ!なら良かった」
コハルちゃんが笑った。すると、リコちゃんが声を挙げた。
「そういえばさ、かすみちゃんって何が好きなの?」
「えっ、と。…本とか」
「本?あー、何かそんな感じだね。良いじゃん」
「そうかな?」
好きなことを受け入れられた。そう思い口が動いた。
「私、宵風雪さんの小説が好きなんだ!ファンタジー作家なんだけど…」
「あははっ」
不意にヒナタちゃんが笑った。
「かすみちゃん、急に話すじゃん。よっぽど好きなんだね」
さっと指先が冷えた。彼女には全く悪意などは無い。単純に面白かったから笑っただけなんだろう。でも、
「それな!びっくりした。…その作家さん、私たち知らないんだー。ごめんね!だから教えて」
なぜか、上手く話せなくなった。
「う、うん。代表作は…」
その説明はひどくぎこちなくて、2人が若干困っている気配を感じた。コハルちゃんは微笑んだまま相づちを打ってくれているが、困っているはずだ。早く終わらせないと。無理に話を変えた。
「皆は、何が好きなの?」
「え?あー私たちはゲームだよね。集まってもゲームしかやってないもん」
けらけらと笑いながら、リコちゃんが話す。するとはしゃいだ声でヒナタちゃんが笑う。
「やーホントにね。中学の時にさぁ…。あ、私たち夜通しゲームしてたことがあったんだけど、その時のコハルが面白くってさ」
「もーやめてよ。恥ずかしい」
ああ良かった。空気が戻った。でも盛り上がる3人の姿がどこか別世界のように見えた。また、私と違う所。

それから、少しずつ何かがズレ始めた。いや、本当は分かっている。私が、3人とズレていくのだ。
お昼時間、今日の夜にゲームをしようという話が出る。3人は賛成して私も誘ってくれるけど。
「そっか、かすみちゃん。あまりゲームしないよね。無理しないで!普通に通話にしようよ」
コハルちゃんがそう提案して2人も快く頷く。その優しさが辛い。だから、ある日「私に気を遣わなくて良いよ」と伝えた。すると、コハルちゃんが「そう思わせててごめん」と返す。すると、ヒナタちゃんとリコちゃんがコハルちゃんを咎めるのだ。
「コハルが謝ること無いじゃん。べつにかすみちゃんだってそんなつもりで言ったんじゃ無いし」
「そうだよ。コハルはさぁ、悪くないのに謝る癖、やめなよ!ね?かすみちゃん」
そう私に言ったヒナタちゃんの目は少しだけ、不機嫌そうだった。
「そうだよ!むしろ私の方が申し訳なくて…」
それ以降、3人だけで夜にゲームをすることが増えたようだ。寂しくなんてない。私はもう、自分のせいで誰かが傷つくのは嫌なのだ。自分が傷つくだけなら何も痛くない。
だけど、そんな私をいつもコハルちゃんは気に掛けてくれた。お昼の時はゲームの話をしないようにして、私も入れる会話をしてくれて、移動教室の時はコハルちゃんが声をかけてくれる。それが積み重なるほど、私はどんどん申し訳なくなってぎこちなくなる。すると、さらにコハルちゃんは私を気に掛ける。そんな悪循環が続いて窒息しかけた時、それは起こった。
「じゃあ、私、今日は部活あるから先に帰るね!ばいばい」
「頑張ってね。コハル」
「またね。コハル」
「コハルちゃん、ばいばい」
コハルちゃんはもう一度手を振ると立ち去った。教室には私とヒナタちゃんとリコちゃんだけだ。
「ね、かすみちゃん。一緒に帰ろ」
「そうだよ。帰ろ」
「あ、うん」
2人に誘われ、3人で歩く。他愛ない話の後で、不意にヒナタちゃんがこちらを振り向いた。
「実は、かすみちゃんに話したいことがあったんだよね?リコ」
「そう。ごめんね?いきなり連れ出して」
「ううん。別に…」
「あのさ、かすみちゃん。あんまりコハルを困らせないで欲しいんだよね」
リコちゃんが微かに苛立ちを含んだ視線でこちらを見た。心臓がつかまれたような心地
「そ、それは…」
「ちょっと、リコ!言い方キツいって。かすみちゃんもよく分かってるんだろうしさ。ね?」
ヒナタちゃんが笑って私を見るけど、その目には低い温度が宿っている。
「分かって、る。私のせいでコハルちゃんが困ってるなんて」
「ん…。ごめん。言い方キツかったね。…私もさ、あんまりこういうこと言いたくないんだよ。かすみちゃんと仲良くしたいし。でもさ、かすみちゃんがそういう気まずそうな顔する度に気を遣うコハル見てたら黙ってられなくて」
「リコの気持ちも分かるよ。あのね、かすみちゃん。コハルは、昔から凄い優しいんだよね。中学の時からやたら人に気を遣ってて、自分のことは二の次って感じ。私らで色々頑張った結果、無事コハルは私たちには気を遣わなくなった。自分のこと、大事にするようになった。だけど、最近またその悪い癖が出ちゃって…」
それは、私のせいなのだろう。
「ご、ごめん。私のせいで…コハルちゃん困らせてごめん…」
違う。言うべきはこれじゃない。間違えた。案の定、2人の苛立ちが強くなったのが分かる。
「いや、だからさ。そういうの。そういう申し訳なさそうな顔とか気まずそうな所とかがコハルに気を遣わせてるんだって。普通に分かったって言えば、この話だってもう終わりじゃん。謝られたらこっちが悪いみたい」
リコちゃんの声。
「…何かさ、かすみちゃんっていつもそんな調子だよね?私たちと居てもおどおどしてて感じ悪いよ。もっとさ、気楽にしたら?その方がこっちも楽だし、コハルも気を遣わなくて済むんじゃないかな」
出来ない。分からない。頭が真っ白になり、背中にじわりと汗が滲む
「わた、わたし。ごめん、ごめんなさい」
「だから、謝れって言ってるんじゃないって…。そういう態度がコハルを困らせるんだよ」
ヒナタちゃんが堪えかねたように口にする。
「ヒナタの言う通りだよ。ねぇ、そういう態度止めなよ。…私らの友達困らせないで。…とらないでよ」
ひゅっと変な音が私の喉から漏れた。『私の友達をとらないで』って泣きじゃくった顔。突き飛ばされた体。生々しい感触が蘇る。指先の震えが止まらない
「リコ…!」
ヒナタちゃんが咎めて。
「っ…。ごめん。かすみちゃん。今のナシ」
リコちゃんが唇を噛んで気まずげに俯く。
また、また、間違えた。
「…ごめんなさい」
キッと2人がこちらを見つめる
「だからっ!」
「ねぇ、いい加減に…」
もう嫌だ。
「ごめん。ごめん…!ごめんなさい!!」
それだけ叫んで私はその場を逃げるように立ち去った。背後から慌てて呼びかける2人の声なんて耳に入らない。後から後から涙が流れて息が詰まる。ただひたすらに私は走った。
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