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第二十九話~笑顔で左フックをかます妖精さん~

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「がはぁ…………」

 腹部に加わった強烈な痛みに、俺は後ろによろけて膝をついた。
 その様子を見ながら「きゃはは」と笑顔を向ける、小さな妖精。サクレはすでに撃沈しており、泡を吹いて白目を向いていた。
 一体どうしてこうなった。
 後悔と悔しさに唇を噛み締めながら、一時間ほど前のことを頭に思い浮かべる。



 俺はいつものように料理をしていた。この前作ろうと思い、冷蔵庫にしまったままにしていた豚バラ肉。とりあえずこれで角煮でも作ろうと思ったのだ。
 といっても角煮自体はそこまで難しくない。
 鍋の中に、水、醤油、みりん、調理酒、ショウガ、砂糖を少々加えた特性たれに浸して、2時間ほど煮詰めればそれなりにおいしい角煮が出来る。
 醤油多め、みりんと調理酒は醤油の十分の一ほどの量にするぐらいが好みなので、その分量で作ることにした。
 豚バラ肉を下処理し、鍋に入れる。特性たれを加えて弱火にかけた。
 そしてタイマーをセットして蓋をする。後はタイマーがなるまで待つだけだ。タイマーが鳴った時、おいしい角煮が出来ている。うん、頭に思い浮かべただけで涎が出そうだ。
 一通りの作業が終わった後、ちょっとゆっくりしようと椅子とテーブルを用意して、俺は椅子に座った。
 やることもなかったので本を取り出すと、どこからともなく間抜けそうな声が聞こえて来た。

「ダーリンっ! またいい子をもらってきたわっ」

「変な声が聞こえて来たかと思ったら、サクレか。どうしたんだ」

「変ってどういうことよ。私は女神よ。ダーリンこそ、そろそろ、私を見てかわいいとかきれいとか好きとか愛しているとか言ってもいいんじゃない?」

「前半の可愛いと綺麗は言ってやろう。実際にそうだしな」

「…………え」

「でも好きと愛しているは言わん。なんかこう、言っちゃいけないような気がしてな」

「なんでっ! どちらかといえばそっちの言葉のほうが欲しいんですけど」

 だって俺、までお前の旦那認定認めてないし。けどなんだかんだでこの生活を気に入り始めている自分がいる。なのに、好きとか愛しているとか言って今の生活が壊れたら嫌じゃん。だから絶対に言わない。

「んで、どうしたんだよ」

「あ、そうだった。ダーリン、見て見て。戦神にもらってきたのっ」

 サクレは持ってきた水槽のようなものをテーブルの上に置いた。どこかで見たことがある水槽だと思ったら、前にサクレが持ってきた、チーズをあげると好感度が上がる妖精さんが入っていた水槽のようなものだった。でも、前見た時は綺麗だったような気がするのだが、今はところどころヒビが入っていた。

「きゃはははははは」

 水槽のようなものの中から笑い声が聞こえると同時に、水槽の中が大きく揺れ、ヒビが広がった。ちょっと大きな音が鳴ったので、胸がドキッと高鳴る。
 サクレはそんな俺の姿をニマニマと見つめていた。羞恥心のあまり、あの笑顔を涙に変えてやりたいと思ってしまった。

「んで、何を持ってきたんだよ」

「戦神にやるよドヤ、なんて言われて半ば押し付けられたものなんだけどね、それがかわいいの」

「かわいいって何が。また妖精か」

「お、ダーリン、さすがっ! 今回はね、笑顔で左フックをしてくる妖精さんをいただいて来たわ。この子が今回の迷える魂よっ」

 なんか不穏な言葉が聞こえてきた気がした。まさかなと思いながら水槽のようなものを上から覗いた。中にいたのは、肩に届きそうな漆黒の髪に純白のワンピースを着た女の子だった。よく見ると褐色の肌と服の内側の真っ白な肌が見え、この妖精さんが日焼けをしていることを理解する。
 絶えず笑顔を浮かべる可愛らしい妖精さんなのだが、一つだけ気になることがある。
 この妖精さんが来ているワンピース、なんで赤く汚れているの。これ、返り血だよね、絶対にそうだよね。とても危険な香りがする。
 まじまじと妖精さんを見ていると「っち、みてんじゃねぇよ」という言葉が聞こえて来た。誰が言ったんだと思い、辺りを見回そうと水槽から顔を離したとき、ビュンと風を切る音が聞こえた。

「…………は?」

 今の状況が全く分からなかった。え、何、俺何されたのっ。
 現状がよく分からず、混乱した頭を押さえて唸っていると、サクレが説明してくれた。

「ダーリン凄いわ。この子の左フックを簡単にかわすなんて。今この子が攻撃してきた場所が顎だったから、結構危なかったけど、ダーリンったらさすがね」

「いやまって、え、どういうこと」

「この子ね、左フックに命をかけていて、所かまわず左フックを打ち込んでくるわ。戦神は自分の腹筋を笑顔で左フックをかます妖精さんに打ち込んでもらいながら笑ってたわ」

 それ、痛いのが気持ちいと言っちゃう人種お言葉じゃないんですかね。なんて冗談交じりのことを思い浮かべたが、サクレが思ったよりも真剣な顔をしていたのに気が付いた。
 それにこの妖精さんが来ているワンピースについている返り血……。もしかしてその戦神は……。

「ダーリン、聞いて。この子、戦神が変に教育したせいでかなり性格が悪くなっているの。今回、このペットを転生することになった経緯はね、戦神がこの子を飼えなくなったことが原因なの」

 なんだろう、ペットを飼うのが思ったよりも大変だったのでそこら辺に捨ててしまいました的な展開は。

「その戦神、今はこの妖精さんにやられた傷口が酷すぎて、療養中よ」

「りょうようちゅう」

「そう、そして私たちの役目は、この子を転生させることっ!」

「それはわかったけど、こんな手に負えない妖精を転生させていいの?」

 俺が質問すると、サクレは困ったような笑みを浮かべた。

「本当はダメなの。この子、いろいろと問題あり過ぎて……。しかもこの妖精さんが認める人が現れるまで転生は拒否するって、さっき脅され……お願いされて」

 こいつ、今脅されているって言いそうになっただろう。こいつにコテンパにやられたんだろう。そして、こいつに認められないからって全部こっちに押し付けようとしているだろう。ふざけんなっ!

「という訳で、ダーリン、頑張っーー」

 サクレは最後まで言い切ることが出来ず、その場に崩れ落ちた。
 これは俺も予想外だった。まさかこの妖精さんが水槽のようなものから脱走して、サクレのあごに左フックをきめるとは。

「きゃはははははは」

「いいか、落ち着け、俺、敵じゃない」

「あたいのひだりふっくをうけつづけてくれたら、あたいはあなたのいうこときいててんせいするっ」

「…………どれぐらい耐えればいいの?」

「えっと、いちじかんはんっ」

「ド畜生っ! かかってこいやっ」

 俺はやけになって、妖精さんに言いつけた。サクレには後で文句を言ってやろう。もう二度と、こんな妖精さんを連れてこないように。



 そんな経緯があって、俺はこの妖精さんに殴り続けられていた。特によく打ち込んでくるボディーフックのせいで、腹が大変なことになっている。
 まだ何とか耐えられるのは、健康のために運動しようと買った『健康になる秘訣~運動は体を元気にしてくれる~』に載っていた腹筋運動のおかげだ。やってよかった。

「きゃははははは、すげぇ,すげぇ! こんなになっても倒れない奴初めて、初めてっ!」

 妖精さんが肩をくるくると回す。にやりと笑う笑顔は、まるでどこぞかのプリティーでベルなマッチョの魔法少女のような、本当にさわやかな笑顔だった。

「さいご、さいごっ! これで、とどめっ」

 笑顔のまま俺に迫ってきた妖精さんは、先ほど打ち込んだ腹めがけて、ボディーフックを打ち込んできた。
 何発も打たれたことによるダメージが蓄積され、腹がえぐり取られるのではと思わせるような痛みが体全体を巡った。

 そんな俺の状況なんて知らない妖精さんがきゃきゃと笑っている。

「すごい、はじめて、すごい、かんどうした、しゅき、ふっくうってもへいきでいるあなたがしゅきぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」

 このタイプの妖精さんは一定条件を達成すると、好感度が上限突破するそうだ。
 というかこの妖精、打ち込んだフックに耐えると好感度が上がる妖精さんだ……。神様、なんでこんな妖精作ったんですか……。甘えてくる妖精さんを撫でながら、俺は静かに泣いた。

 妖精さんがデレッデレになって10分がったったころ。サクレが目を覚ました。
 サクレは俺の状況についていけず、さらに「妖精に浮気したっ!」とわめきだす始末。
 あまりにもうるさかったのか、イラっと来た妖精さんの左フックでサクレが地面を転がった。今回は気絶していなかった。
 サクレは「この怖いのさっさと転生させてやるっ」と言って、かたくなに俺から離れようとしない妖精さんを無理やり引きはがした。

「おまえ、唐突にやるなよっ!」

「だって、だって~~~~」

 左フックが痛かったのか、妖精さんがいなくなったスペースにサクレがやって来て、泣き始めた。俺は頭を撫でながら、サクレをなだめる。
 厄介なものを押し付けやがってと思ったが、今回はこんなにも泣いているし、怒るのは勘弁してやるか。そう思った時、あの妖精をサクレが持ってくる前に自分が何をしていたのかを思い出した。ちょうどいいタイミングでタイマーの音が聞こえてくる。
 あ、角煮のタイマーがなっちゃった、けどサクレがこんな状態だし…………しゃあないよな。
 そう思った俺は、背中を擦ったり優しい声をかけながら、サクレが落ち着くまで、なだめ続けた。
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