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第18話 エピローグ ~ そして今
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チャールズに対し、即位大祝宴での役目に対する報償として二か月後に用意されていた准男爵への叙爵は行われなかった。
理由は明らかになっていない。
チャールズの後半生は政治活動に捧げられた。
一七〇二年アン女王の即位大祝宴でも守護闘士の役を務めたが、その数か月後の総選挙を前にして三十六歳という若さで病死した。
チャールズとジェーンの間に子供は生まれなかった。
ダイモーク家と国王の守護闘士の世襲職は弟のルイスが継ぐ。
スクリーヴズビーはよく晴れた初夏の気持ちの良い日だった。
数年前に夫のチャールズを亡くし未亡人となっていたジェーンは、久し振りに訪れた夫の墓の前で凍り付いた。
夫の墓石の前に、若き日の姿そのままの夫が立っていたからだ。
幻? それとも……迎えに来たの、私を?
「驚かせてしまいましたでしょうか、奥様? ダイモーク卿の身内の方とお見受けいたしましたが……?」
幻かと思った人物が口を開いたことで、それが現実の人であると分かった。
それにしても、似ている。ちょうど二十歳くらいの、あの初めての守護闘士の役目に臨んだ時のチャールズの姿に生き写しの……。
「確かに、私はそちらに眠る……チャールズ・ダイモークの妻です」
ジェーンの答えに、若者はパッと輝く笑顔を見せた。
「あぁ、これは僥倖! 私はロンドンで先代様にご恩を受けておりました者です。ご葬儀の際には外国へ赴いておりましたため参列できず、たまたま所用でエジンバラへ向かう機会がございましたので墓参りに伺った次第でございます」
ロンドン? もしかして……。
「失礼ですが、お名前は?」
「姓は名乗るほどのものではございませんが、名は先代様から頂戴してチャールズ、と名乗っております」
「……お母さまのお名前は……もしかしてクリスティーナさんと仰る?」
「おぉ! 母をご存じでいらっしゃいましたか! さようでございます」
あぁ、ではこの子は、あの時の子供なのか。
クリスティーナの妊娠にいち早く気付き、ルイスからの報告でその父親がチャールズであることを突き止めたのは、彼女、ジェーンであった。
リンカシャーでも筆頭に位置する名家の当主である。愛人の一人や二人など、と覚悟はしていたが、まだうら若き当時は胸が張り裂けそうになった。
それでも、正式な結婚がほぼ望めない以上、生まれてくる子は私生児となる。
誰の子か分からない私生児扱いでは苦労も多かろう、と考えた末、すべてをチャールズの父に伝えたのも、彼女である。
クリスティーナにはスクリーヴズビー、あるいはホーンキャッスルに住居を用意する提案もした。
だがその提案を、彼女は辞退して退去することを望んだ。
その後、即位大祝宴の翌日に決闘を戦った後のことは、何も聞いていなかった。
ただ、その日以降、チャールズは決してジェーンの前でクリスティーナの事を話題にはしなかった、それだけだ。
「お母さまはお元気?」
「母は数年前、先代様が無くなられたのと前後して身罷っております」
「まぁ……ごめんなさい」
「いえいえ、お世話になっておりましたというのにご連絡もせず、こちらこそご無礼を申し上げました」
「もし……よろしければ館でお茶でもいかがかしら? 年を取ると話し相手が恋しくなるの。ダイモークの昔話を聞いて下さるかしら?」
「喜んで! ダイモークのお話なら大歓迎です!」
「では、参りましょう」
教会に隣接する森ではひばりが囀っていた。
繁殖期なのだ。たぶん、つがいだろう。
ジェーンは、心中に思いを込め、このリンカシャーの青空に夫の名を呼んだ。
第二十二代スクリーヴズビー荘領主にして国王の守護闘士、リンカシャー選出議員である故サー・チャールズ・ダイモーク卿の妻、ジェーン・ダイモークは一七四四年、その生涯を終えた。
一七六〇年、ルイス・ダイモーク卿が後継者を残さずに死去したため、スクリーヴズビー荘の領主と守護闘士の世襲職は、再従兄弟にあたる、ロンドンのフェンチャーチ・ストリートの商会主エドワード・ダイモークが継ぐこととなった。
シュロウズブリ伯爵チャールズ・タルボットはその後、イングランドに国難が訪れるたび、これを救うために担ぎ出されるものの、用が済めば舞台袖に追いやられることを繰り返した末、一七一八年に五十八歳で死去した。
生前公爵位を叙爵されていたが子供が無かったため、公爵位は断絶した。
マールバラ伯爵ジョン・チャーチルの人生は、浮き沈みを繰り返した。
旧主ジェームズ二世と極秘裏に連絡をとったことや、ウィリアム三世暗殺未遂への関与が疑われてロンドン塔へ収監されるなど、ウィリアム三世の治世下では苦難が続く。
一転して次代のアン女王の治世では、妻サラ・ジェニングスが女王と親密であった縁で表舞台へと復帰し、スペイン継承戦争では戦勝を重ね、飛び抜けた軍功をあげてマールバラ公爵となった。
しかし、その後アン女王とジョンの妻サラの関係が悪化したことで亡命を余儀なくされる。
ジョージ一世の即位により帰国してからは領地に隠棲して生涯を終えた。
彼の子孫には第二次世界大戦で英国を率いた首相サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチルがいる。
またウェールズ大公チャールズの最初の妻ダイアナ妃もまた、彼の子孫であった。
国王の守護闘士が最後に即位大祝宴での儀式を務めたのは、一八二一年ジョージ四世の即位の際であった。
続くウィリアム四世の即位以降は経費節減を理由に即位大祝宴自体が開催されなくなってしまったのだ。
一九〇二年、エドワード七世の即位に際し、時の守護闘士ヘンリー・ダイモーク卿が行った申し立てが請求裁判所で認められ、彼はイングランドの旗手として戴冠式への参加が許された。
一九五三年、エリザベス二世の戴冠式ではロイヤル・リンカシャー連隊連隊長代理ジョン・リンゼイ・マーミオン・ダイモークが連合王国旗の旗手を務めるため、急きょエジプトの任地から呼び寄せられた。
チャールズの時代から三百年が過ぎようとする現在、即位大祝宴の儀式が行われなくなって久しいが、ダイモークは今も国王の守護闘士であり続けている。
理由は明らかになっていない。
チャールズの後半生は政治活動に捧げられた。
一七〇二年アン女王の即位大祝宴でも守護闘士の役を務めたが、その数か月後の総選挙を前にして三十六歳という若さで病死した。
チャールズとジェーンの間に子供は生まれなかった。
ダイモーク家と国王の守護闘士の世襲職は弟のルイスが継ぐ。
スクリーヴズビーはよく晴れた初夏の気持ちの良い日だった。
数年前に夫のチャールズを亡くし未亡人となっていたジェーンは、久し振りに訪れた夫の墓の前で凍り付いた。
夫の墓石の前に、若き日の姿そのままの夫が立っていたからだ。
幻? それとも……迎えに来たの、私を?
「驚かせてしまいましたでしょうか、奥様? ダイモーク卿の身内の方とお見受けいたしましたが……?」
幻かと思った人物が口を開いたことで、それが現実の人であると分かった。
それにしても、似ている。ちょうど二十歳くらいの、あの初めての守護闘士の役目に臨んだ時のチャールズの姿に生き写しの……。
「確かに、私はそちらに眠る……チャールズ・ダイモークの妻です」
ジェーンの答えに、若者はパッと輝く笑顔を見せた。
「あぁ、これは僥倖! 私はロンドンで先代様にご恩を受けておりました者です。ご葬儀の際には外国へ赴いておりましたため参列できず、たまたま所用でエジンバラへ向かう機会がございましたので墓参りに伺った次第でございます」
ロンドン? もしかして……。
「失礼ですが、お名前は?」
「姓は名乗るほどのものではございませんが、名は先代様から頂戴してチャールズ、と名乗っております」
「……お母さまのお名前は……もしかしてクリスティーナさんと仰る?」
「おぉ! 母をご存じでいらっしゃいましたか! さようでございます」
あぁ、ではこの子は、あの時の子供なのか。
クリスティーナの妊娠にいち早く気付き、ルイスからの報告でその父親がチャールズであることを突き止めたのは、彼女、ジェーンであった。
リンカシャーでも筆頭に位置する名家の当主である。愛人の一人や二人など、と覚悟はしていたが、まだうら若き当時は胸が張り裂けそうになった。
それでも、正式な結婚がほぼ望めない以上、生まれてくる子は私生児となる。
誰の子か分からない私生児扱いでは苦労も多かろう、と考えた末、すべてをチャールズの父に伝えたのも、彼女である。
クリスティーナにはスクリーヴズビー、あるいはホーンキャッスルに住居を用意する提案もした。
だがその提案を、彼女は辞退して退去することを望んだ。
その後、即位大祝宴の翌日に決闘を戦った後のことは、何も聞いていなかった。
ただ、その日以降、チャールズは決してジェーンの前でクリスティーナの事を話題にはしなかった、それだけだ。
「お母さまはお元気?」
「母は数年前、先代様が無くなられたのと前後して身罷っております」
「まぁ……ごめんなさい」
「いえいえ、お世話になっておりましたというのにご連絡もせず、こちらこそご無礼を申し上げました」
「もし……よろしければ館でお茶でもいかがかしら? 年を取ると話し相手が恋しくなるの。ダイモークの昔話を聞いて下さるかしら?」
「喜んで! ダイモークのお話なら大歓迎です!」
「では、参りましょう」
教会に隣接する森ではひばりが囀っていた。
繁殖期なのだ。たぶん、つがいだろう。
ジェーンは、心中に思いを込め、このリンカシャーの青空に夫の名を呼んだ。
第二十二代スクリーヴズビー荘領主にして国王の守護闘士、リンカシャー選出議員である故サー・チャールズ・ダイモーク卿の妻、ジェーン・ダイモークは一七四四年、その生涯を終えた。
一七六〇年、ルイス・ダイモーク卿が後継者を残さずに死去したため、スクリーヴズビー荘の領主と守護闘士の世襲職は、再従兄弟にあたる、ロンドンのフェンチャーチ・ストリートの商会主エドワード・ダイモークが継ぐこととなった。
シュロウズブリ伯爵チャールズ・タルボットはその後、イングランドに国難が訪れるたび、これを救うために担ぎ出されるものの、用が済めば舞台袖に追いやられることを繰り返した末、一七一八年に五十八歳で死去した。
生前公爵位を叙爵されていたが子供が無かったため、公爵位は断絶した。
マールバラ伯爵ジョン・チャーチルの人生は、浮き沈みを繰り返した。
旧主ジェームズ二世と極秘裏に連絡をとったことや、ウィリアム三世暗殺未遂への関与が疑われてロンドン塔へ収監されるなど、ウィリアム三世の治世下では苦難が続く。
一転して次代のアン女王の治世では、妻サラ・ジェニングスが女王と親密であった縁で表舞台へと復帰し、スペイン継承戦争では戦勝を重ね、飛び抜けた軍功をあげてマールバラ公爵となった。
しかし、その後アン女王とジョンの妻サラの関係が悪化したことで亡命を余儀なくされる。
ジョージ一世の即位により帰国してからは領地に隠棲して生涯を終えた。
彼の子孫には第二次世界大戦で英国を率いた首相サー・ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチルがいる。
またウェールズ大公チャールズの最初の妻ダイアナ妃もまた、彼の子孫であった。
国王の守護闘士が最後に即位大祝宴での儀式を務めたのは、一八二一年ジョージ四世の即位の際であった。
続くウィリアム四世の即位以降は経費節減を理由に即位大祝宴自体が開催されなくなってしまったのだ。
一九〇二年、エドワード七世の即位に際し、時の守護闘士ヘンリー・ダイモーク卿が行った申し立てが請求裁判所で認められ、彼はイングランドの旗手として戴冠式への参加が許された。
一九五三年、エリザベス二世の戴冠式ではロイヤル・リンカシャー連隊連隊長代理ジョン・リンゼイ・マーミオン・ダイモークが連合王国旗の旗手を務めるため、急きょエジプトの任地から呼び寄せられた。
チャールズの時代から三百年が過ぎようとする現在、即位大祝宴の儀式が行われなくなって久しいが、ダイモークは今も国王の守護闘士であり続けている。
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