国王のチャンピオン

桐崎惹句

文字の大きさ
上 下
11 / 18

第11話 夏は来たりぬ

しおりを挟む
 何用だろうか?

 呼び出しを受け、主の待つ部屋の前まで来たところで、彼はひと思案する。

 長年にわたりダイモーク家に仕え、スクリーヴズビー館を取り仕切ってきた老家宰ウィリアムは、自らの記憶をさらってみたが、思い当たる節は見つからなかった。

 というのも、その主からの呼び出しにはメイド長を伴うこと、と付け足されていたからだ。

 家宰とメイド長、二人揃って呼び出されるとなると、真っ先に思い浮かぶのは宴席の催しである。
 だが、近々にその様な催しの予定はなく、また臨時にそれを催すきっかけになるようなことも、心当たりはない。
 メイド長も彼の背後で怪訝な表情を見せている。

 もう一度、自らにやましいことや後ろめたいことがないのを確認してから、家宰は主の待つ部屋の戸をノックした。

 入れ、と許しを受けて入室する。

ご主人様ミ・ロード、御前に」

 室内には主であるダイモーク卿と、その法定推定相続人あととりむすこであるチャールズが座して待っていた。

 おや? と、思う。

 チャールズはいずれダイモーク家当主を継ぎ、ダイモーク卿となるだろう。
 だが、いまはまだ若過ぎる。家政に関わるのは時期尚早だ。

 視線に思いを乗せて主を見つめるが、返ってきた答えは意図せぬものだった。

「ウィリアム、迂闊なことだが、客人との会食を失念しておった。遅ればせながら、ではあるが晩餐の席を設えるよう」

「客人、と申されますと?」

「もちろん、我ら親子に剣の稽古をつけてくれている剣士殿親娘よ。剣の事で頭がいっぱいで任せきりになってしまったが、万事不都合なくお過ごしいただいているであろうな?」

「お客様の御用周りはメイド頭に任せておりますが……」
 そう言いつつ、後ろに控えるメイド頭の蒼い顔を見て家宰は不穏な予感を感じた。
「何か行き届かぬ点がないか、お客様に伺って早速対処いたします」

「頼んだぞ。ダイモークが客人を粗末に遇したなど、名誉に関わるからな」

「はっ。もちろん心得てございます。失礼いたします」

 卒倒しそうなメイド頭を引っ張るように家宰が退出する。

「これでよいかな? チャールズ」
「はい、父上。ありがとうざいます」
「なに。言った通りだ。我らも迂闊だったよ。レディ・スノーデンには礼を伝えておいておくれ」
「はい」
 


 客人扱いとはされていたが、クリスティーナ親娘の扱いは不十分なものだった。

 老人の風体の異様さ、門前でのいきさつがあり、さらには直前まで親娘が旅芸人の一座とともに旅をしていたことが村人の口から知れ伝わったことなどが原因で、メイドたちの間に親娘を軽んじる傾向があった。

 メイドたちの認識は、「主人に気に入られた旅芸人が仮宿している」に過ぎないものだったのだ。

 自然、部屋や食事の質から水場の使用(当時はまだ浴室という設備の普及どころか入浴という習慣自体稀だった。水浴びや湯で体を拭く程度が一般的)まで、制限を受けて不自由な生活が続いていた。

 それでも、旅から旅の生活に比べれば屋根の下で寝台に横たわって寝られるだけでも随分ましなものだった。

 親娘は不満や抗議もせず、黙って受け入れていたのですっかりそれが定着していた。クリスティーナが森の水辺で水浴びをする様になったのも、メイドたちとともに水場を利用することを拒否されたからだ。

 ジェーン・スノーデンの従者であるエマは、ダイモーク家のメイドたちのそうした振舞いを語ったのだった。

 義憤に駆られて今にも飛び出して行きそうな勢いのチャールズを、押し止めたのはジェーン嬢である。

 曰く、このままチャールズがメイドたちを吊し上げに行けばエマが告げ口したのが原因と悟られる。更には未来の当主から面と向かって叱責を受けてはメイドたちも立つ瀬はなく、より深い恨みの原因となりかねない。

 チャールズはいくぶん不満気味ではあったが、エマに迷惑がかかる様では前言を違えることになると指摘され、しぶしぶ思いとどまった。

 そのチャールズに対して、ジェーンはクリスティーナ親娘をダイモーク卿との晩餐の席に招くことを提案した。

 主人の晩餐のテーブルに招かれるような客であれば、メイドたちも疎かには扱えなくなるだろう。

 誰も傷つけずに事態を解決するための方策である。

 チャールズはジェーンの提案を受け入れ、ダイモーク卿に親娘を招くよう提案したのだった。

 その結果、クリスティーナ親娘はダイモーク卿との晩餐の席に招かれることとなったのだ。

 ジェーンは将来、女主人としてダイモーク館の家政に君臨する立場である。

 ダイモークの使用人たちがこの様に振舞うのは、根が善人である彼女の性分としても好ましくないし、ダイモーク家中に波風が立つのも看過できないことだ。

 チャールズにも頼りにされたうえ、提案を称賛されて彼女は大層誇らしい気持ちに満たされた。

 だが、その一方で心の隅に僅かに渦巻くモヤモヤとした感情の澱を感じる。

 チャールズが自分の母親と婚約者であるジェーン以外の女性に、あれほどの関心を見せたことはない。

 正しいことをした、という確信はある。
 だが、ほんとうにこれでよかったのだろうか?
  

 
 親娘と晩餐の共にした翌日の昼過ぎ、いつもの様に森へと分け入るクリスティーナの姿を見つけたチャールズは、その後を追った。

 はたして、彼女の姿はいつもの水辺にあって、だが今日は水には入らず岩に腰かけながらチャールズにも聞き覚えのある古い民謡を口ずさんでいた。

 本来はカノン(輪唱)だが、この場の歌い手は一人だけだ。
 夏を迎える喜びを歌う曲で言葉は古めかしいが、跳ねるように浮き立つ陽気な旋律には生の喜びが溢れていた。

さぁ夏が来た!Summer has come in 歌えよ声高らかにSing loudly,クック―cuccu!

 チャールズは彼女から少し離れた岩に腰かけ、穏やかな気持ちで耳を傾ける。
 歌う合間に交わされた、とりとめのない会話。
 枝の隙間を縫って照らす初夏の日差しに水面は煌めく。
 別れ際、彼女が告げた「ありがとう」の一言が、彼の世界を光で塗り替えてゆく。

 夏は来たりぬ。

 彼の心の深いところに、この日の光景が決して消えぬよう刻み込まれた。
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

真田幸村の女たち

沙羅双樹
歴史・時代
六文銭、十勇士、日本一のつわもの……そうした言葉で有名な真田幸村ですが、幸村には正室の竹林院を始め、側室や娘など、何人もの女性がいて、いつも幸村を陰ながら支えていました。この話では、そうした女性たちにスポットを当てて、語っていきたいと思います。 なお、このお話はカクヨムで連載している「大坂燃ゆ~幸村を支えし女たち~」を大幅に加筆訂正して、読みやすくしたものです。

綾衣

Kisaragi123
歴史・時代
文政期の江戸を舞台にした怪談です。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

黄金の檻の高貴な囚人

せりもも
歴史・時代
短編集。ナポレオンの息子、ライヒシュタット公フランツを囲む人々の、群像劇。 ナポレオンと、敗戦国オーストリアの皇女マリー・ルイーゼの間に生まれた、少年。彼は、父ナポレオンが没落すると、母の実家であるハプスブルク宮廷に引き取られた。やがて、母とも引き離され、一人、ウィーンに幽閉される。 仇敵ナポレオンの息子(だが彼は、オーストリア皇帝の孫だった)に戸惑う、周囲の人々。父への敵意から、懸命に自我を守ろうとする、幼いフランツ。しかしオーストリアには、敵ばかりではなかった……。 ナポレオンの絶頂期から、ウィーン3月革命までを描く。 ※カクヨムさんで完結している「ナポレオン2世 ライヒシュタット公」のスピンオフ短編集です https://kakuyomu.jp/works/1177354054885142129 ※星海社さんの座談会(2023.冬)で取り上げて頂いた作品は、こちらではありません。本編に含まれるミステリのひとつを抽出してまとめたもので、公開はしていません https://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa037/01/01.html ※断りのない画像は、全て、wikiからのパブリック・ドメイン作品です

梅すだれ

木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。 登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。 時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

奇跡を呼ぶ女王・卑弥呼

沙羅双樹
歴史・時代
これはまだ卑弥呼が女王に即位する前の話。卑弥呼は「魏の皇帝と重臣らしい男が自分を呼んでいる夢」を何度も何度も見た。卑弥呼は国王夫妻ー両親ーの許可を得て魏の国に渡り、皇帝に謁見した。皇帝は感激し、卑弥呼に「その不思議な力で魏に繁栄をもたらしたまえ」と頼んだ。しかし、卑弥呼は、夢に出たもう一人の「重臣らしい男」の正体がわからない……。

処理中です...