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第6話 老人と娘
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「よいか? 眼だ」
老人は皺だらけの指で瞼の奥、灰色の瞳を指さす。
「相手の眼を見るのだ。人は攻撃しようとするとき、その場所を注視する」
十四歳のチャールズと二歳年下のルイス。
ダイモーク兄弟は、老人の教えに感嘆の表情を見せる。
たった今、二人そろって師範代との立ち合いに臨み、強かに打ち据えられたところである。あまりにも鮮やかな負けっぷりが、老人の解説に説得力を与えていた。
「だが」
「それで意図を読むことができるのは相手が素人のときだけだ。手練れの使い手ならば、それを逆手にとって罠を仕掛けてくる。」
兄弟の眼は真剣で、老人の言葉を一言も聞き逃すまいと集中している。
「大事なのは、相手の力量を正確に量ることだ。そのうえで、相手の眼を見よ。罠を仕掛けてくるなら、それを利用せよ」
五月の早朝、スクリーヴズビー荘のダイモーク館の庭でのことである。
そこには五人の人影があった。
館の主人である先代ダイモーク卿と、その子であるチャールズとルイスの兄弟。他には客人としてこの一月ほど館に逗留している老人と若者の二人。
まず人目を惹く異彩を放っていたのは、老人である。
その老人、男であることは明らかであるのに、纏っている衣服は見間違い様もなく女物のドレスであった。
女装しているからといって、化粧もしていないし、言動まで女性を模したものにはしていない。仕草にしろ言葉遣いにしろ、あくまで男性のそれなのである。
父のダイモーク卿が折を見てそれとなく理由を問うてみても、「故あって」と答えるのみで明らかにされることはなかった。
キリスト教の倫理観からすれば、自らの本性を欺く行為である異性の装束を纏う事や身分職業を偽る服装というのは罪悪である。
もっと前の時代であれば、(ジャンヌ・ダルクの様に)宗教裁判で裁かれる対象ともなりえた。
そしてもう一人、仔細に観察すれば最後の一人である若者も、同様であった。
若者といっても年の頃はチャールズたちとそう変わらぬ。
やや線が細く感じられるが、服の上からでも窺われる筋肉質でしなやかな体つきはまごうことなき<戦士の身体>だった。
腰まで届くほど不自然に長く伸ばし束ねられた明るい金の髪が目立っている。
そして、ともに時間を過ごしていればやがて違和感を抱き、気が付くのだ。その若者が、女性であることに。
旅行中などに女性が安全のため男装する、ということはあったが、そうした必要性に迫られていない状況でも異性の衣服を着用するというのはやはり好ましいことではない。
彼女は剣の腕前において抜きん出ていた。
父親である老人が、晩年に儲けた唯一の実子だという。
切望されていたのは老人の剣技を伝承する男子であったが、得られたのは娘一人だった。
息子を得ることができなかったのであれば、娘に伝えるしかない。
自ら編んだ剣の技に関してだけは、諦める事など毛頭ない老人である。
娘は幼いうちから老人の剣技を受け継ぐべく鍛え上げられる。
幼少の内に母親を亡くしてからは、父に連れられて武者修行を兼ねた放浪の旅暮らし。
体格は男性としてみればやや細身だが、女性としてはがっちりしており、容貌は整っているのだが、美女というよりは『男前』、中性的である。
母親が付けたという彼女の名はクリスティーナ。長く伸ばした髪とその名だけが彼女の中で女性を強調するものだった。
この親娘がスクリーヴズビー荘にやって来たのは、四月の始め頃のことである。
館を訪れた老人がダイモーク卿に剣の試合を申し込んだのだ。
当初、老人の風体のせいでダイモーク卿は真面目に取り合おうとはしなかった。
だが、試合を断られた老人が、今度は決闘を申し込み、それすらも無視されると館の門前で「臆病者」「卑怯者」と騒ぎ始めた。
いい加減放っておくことも出来なくなり、ダイモーク卿は少しばかり懲らしめてやろうと老人の挑戦を受けたのだが……。
結果はダイモーク卿の完敗だった。
実際にダイモーク卿と手合わせをしたのは老人ではなく、娘の方であった。
クリスティーナは、軽やかな足さばきと的確な攻撃のコンビネーションでダイモーク卿を圧倒。一本目を取られたダイモーク卿の懇願で二本目、三本目と立ち会うもまるで敵せず。
そして、親娘の剣技に感服した先代ダイモーク卿は彼らを客人として招き入れ、親子ともどもその教えを受け始めたのが一月ほど前のことである。
老人の理論立った剣技の指導は、ダイモーク父子にとって新鮮な体験であり、彼らを虜にした。
もともと尚武の家柄である。常に『強さ』を求めてきた彼らは斬新で説得力のある剣技と理論の虜となった。
連日、夢中になって稽古に明け暮れるダイモーク卿父子であったが、それも一日中というわけではない。
上流階級として、また領主としてやらねばならない仕事の数々が存在する。チャールズやルイスにしても家庭教師について学業を修めていかなければならない。
特にチャールズは来年からケンブリッジのモードリン・カレッジに入学する予定となっている。今はその準備のため、多忙な時間を過ごしている。
そんな多忙な時期のある日、そろそろ暖かくなり始めた季節の変わり目、家庭教師のサリバン先生が体調不良で寝込んだ。
そのため、チャールズは自習という名目で軟禁の憂き目にあうことになった。特段課題が与えられている訳でもない。
これなら剣の鍛錬でもしていた方が、と思うチャールズは根が生真面目なのだ。
ふと、窓の外の普段人気のないあたりに動く人影を見咎めた。
なんだ?
チャールズが窓辺に寄って先ほどの影を追うと、それはここ数か月ですっかり見慣れた姿である、クリスティーナが森へと分け入ろうとするところだった。
老人は皺だらけの指で瞼の奥、灰色の瞳を指さす。
「相手の眼を見るのだ。人は攻撃しようとするとき、その場所を注視する」
十四歳のチャールズと二歳年下のルイス。
ダイモーク兄弟は、老人の教えに感嘆の表情を見せる。
たった今、二人そろって師範代との立ち合いに臨み、強かに打ち据えられたところである。あまりにも鮮やかな負けっぷりが、老人の解説に説得力を与えていた。
「だが」
「それで意図を読むことができるのは相手が素人のときだけだ。手練れの使い手ならば、それを逆手にとって罠を仕掛けてくる。」
兄弟の眼は真剣で、老人の言葉を一言も聞き逃すまいと集中している。
「大事なのは、相手の力量を正確に量ることだ。そのうえで、相手の眼を見よ。罠を仕掛けてくるなら、それを利用せよ」
五月の早朝、スクリーヴズビー荘のダイモーク館の庭でのことである。
そこには五人の人影があった。
館の主人である先代ダイモーク卿と、その子であるチャールズとルイスの兄弟。他には客人としてこの一月ほど館に逗留している老人と若者の二人。
まず人目を惹く異彩を放っていたのは、老人である。
その老人、男であることは明らかであるのに、纏っている衣服は見間違い様もなく女物のドレスであった。
女装しているからといって、化粧もしていないし、言動まで女性を模したものにはしていない。仕草にしろ言葉遣いにしろ、あくまで男性のそれなのである。
父のダイモーク卿が折を見てそれとなく理由を問うてみても、「故あって」と答えるのみで明らかにされることはなかった。
キリスト教の倫理観からすれば、自らの本性を欺く行為である異性の装束を纏う事や身分職業を偽る服装というのは罪悪である。
もっと前の時代であれば、(ジャンヌ・ダルクの様に)宗教裁判で裁かれる対象ともなりえた。
そしてもう一人、仔細に観察すれば最後の一人である若者も、同様であった。
若者といっても年の頃はチャールズたちとそう変わらぬ。
やや線が細く感じられるが、服の上からでも窺われる筋肉質でしなやかな体つきはまごうことなき<戦士の身体>だった。
腰まで届くほど不自然に長く伸ばし束ねられた明るい金の髪が目立っている。
そして、ともに時間を過ごしていればやがて違和感を抱き、気が付くのだ。その若者が、女性であることに。
旅行中などに女性が安全のため男装する、ということはあったが、そうした必要性に迫られていない状況でも異性の衣服を着用するというのはやはり好ましいことではない。
彼女は剣の腕前において抜きん出ていた。
父親である老人が、晩年に儲けた唯一の実子だという。
切望されていたのは老人の剣技を伝承する男子であったが、得られたのは娘一人だった。
息子を得ることができなかったのであれば、娘に伝えるしかない。
自ら編んだ剣の技に関してだけは、諦める事など毛頭ない老人である。
娘は幼いうちから老人の剣技を受け継ぐべく鍛え上げられる。
幼少の内に母親を亡くしてからは、父に連れられて武者修行を兼ねた放浪の旅暮らし。
体格は男性としてみればやや細身だが、女性としてはがっちりしており、容貌は整っているのだが、美女というよりは『男前』、中性的である。
母親が付けたという彼女の名はクリスティーナ。長く伸ばした髪とその名だけが彼女の中で女性を強調するものだった。
この親娘がスクリーヴズビー荘にやって来たのは、四月の始め頃のことである。
館を訪れた老人がダイモーク卿に剣の試合を申し込んだのだ。
当初、老人の風体のせいでダイモーク卿は真面目に取り合おうとはしなかった。
だが、試合を断られた老人が、今度は決闘を申し込み、それすらも無視されると館の門前で「臆病者」「卑怯者」と騒ぎ始めた。
いい加減放っておくことも出来なくなり、ダイモーク卿は少しばかり懲らしめてやろうと老人の挑戦を受けたのだが……。
結果はダイモーク卿の完敗だった。
実際にダイモーク卿と手合わせをしたのは老人ではなく、娘の方であった。
クリスティーナは、軽やかな足さばきと的確な攻撃のコンビネーションでダイモーク卿を圧倒。一本目を取られたダイモーク卿の懇願で二本目、三本目と立ち会うもまるで敵せず。
そして、親娘の剣技に感服した先代ダイモーク卿は彼らを客人として招き入れ、親子ともどもその教えを受け始めたのが一月ほど前のことである。
老人の理論立った剣技の指導は、ダイモーク父子にとって新鮮な体験であり、彼らを虜にした。
もともと尚武の家柄である。常に『強さ』を求めてきた彼らは斬新で説得力のある剣技と理論の虜となった。
連日、夢中になって稽古に明け暮れるダイモーク卿父子であったが、それも一日中というわけではない。
上流階級として、また領主としてやらねばならない仕事の数々が存在する。チャールズやルイスにしても家庭教師について学業を修めていかなければならない。
特にチャールズは来年からケンブリッジのモードリン・カレッジに入学する予定となっている。今はその準備のため、多忙な時間を過ごしている。
そんな多忙な時期のある日、そろそろ暖かくなり始めた季節の変わり目、家庭教師のサリバン先生が体調不良で寝込んだ。
そのため、チャールズは自習という名目で軟禁の憂き目にあうことになった。特段課題が与えられている訳でもない。
これなら剣の鍛錬でもしていた方が、と思うチャールズは根が生真面目なのだ。
ふと、窓の外の普段人気のないあたりに動く人影を見咎めた。
なんだ?
チャールズが窓辺に寄って先ほどの影を追うと、それはここ数か月ですっかり見慣れた姿である、クリスティーナが森へと分け入ろうとするところだった。
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