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修道士

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 オルウェンがクルスローに居着いて一年ほど経った頃の事だった。

 ある朝、水を汲みに泉へ行っていた子供らが、「村はずれの堆肥置き場に、焼け焦げた人の死体がある!」と領主館に駆け込んできた。

 森番は森の脇の小屋に住み続けており、領主館で最初に訴えを聞いたのは家宰のロジェだった。もっとも、ウェールズ人弓兵はまったく喋ろうとしないので、実力行使以外の場合はたいていロジェの出番になるのだが。

 館詰め当番の(本来、寝ていてはいけない)衛兵を叩き起こし、子供たちに案内させたロジェらが現場に向かうと、確かに全身暗い色の痩せた人体が堆肥置き場脇の道端に打ち捨てられている。
 おや? ロジェの脳裏に疑問が湧く。全身黒焦げなのに、体に一部纏わりついている着衣が燃えていないのはなぜか?
 
 話を聞いて駆けつけてきたジロワがロジェに声を掛けた。背後に森番も従ってきている。

「誰の死体か分かるか?」

ジロワの問いにロジェが応えたのは、
「まだ息があるようです。片脚が捻じ曲がっています。館に運んで手当てしましょう。それと、領地の者ではない様です。これは」

「サラセン人というやつではないでしょうか?」



 死体を乗せるために持ってきた板に、行倒れのけが人を横たえて館に運び込んだ。

 沸かした湯で体をぬぐい、冷えた体に毛布を掛けて温め、傷口を洗って酒を掛け消毒する。
そうしているうちに、けが人は意識を取り戻し、苦痛にうめいたあと、ラテン語で呟いた。
『ここは……?』
『この地の領主館だ。フランクの言葉は話せぬか?』
「いえ……分ります……うっ!」
「左脚をひどく痛めつけられている。無理をするな」

 異邦人は自分の左脚を眺めて顔をしかめた後、
「……拙……は……医者です。……言う通りに……していただけますか?」

 男が痛みをこらえながら患部を触って感触を確かめ指示し、衛兵たちが捻じれた脚を引っ張り伸ばして整復した。男が満足する形となったところで今度は、

「棒を……両側から添えて……脚が動かない様に……布で雁字搦めに……縛り固めて下さい……」

 処置が終わると、男は再び意識を失い、次に目覚めたのは翌日の昼だった。

「ご領主様の御慈悲に深く感謝申し上げます」
昨日よりはずいぶんしっかりしたものの、まだ弱々しい様子ながら、床から半身を起こして礼を述べる。

「拙僧は、修道士マルコ・デ・サレルノと申します。ラツィオから北へ向けての旅の途上、心なき盗賊どもに襲われ斯様かような仕儀と相成りました」

 ともに旅をしていた従者は、主人を放り出してさっさと逃げ去った。荷物は従者が抱えたままだったので、恐らく追われて別な所で殺され奪われているのではないか。
自分は空手となったが、身ぐるみを剥がれた後、おなざりに痛めつけられて打ち捨てられた。

 そうした事情が語られた。そして、マイエンヌ卿に語った様に、己の出自来歴を説明し、ジロワらを驚かせた。

「奪われた物はなんとでもなろう。命だけでも助かられて良かった。主の御加護に感謝を」
「アーメン(全くその通り)」

 されど一つ気がかりなことが、と、修道士は続けて懸念されることを説明し始めた。

「ゆえに、ご領主様には拙僧の件、しばしご隠匿下さいますよう」
「万事心得た。ごゆっくり養生召されよ」



 それから数日が過ぎた後の事だった。

 派手だが、どこかちぐはぐな盛装をした先触れの使者がクルスローの領主館を訪れた。

「モンテカッシーノ修道院の修道司祭マルコ・デ・サレルノ閣下が、間もなく当領地を通られる。御旅程の都合上、貴殿の館にて一泊をご所望である。なにとぞ、ご配慮を願いたい」
 モンテカッシーノ修道院長の封緘シールが押された羊皮紙の紹介状を突き付けながら、使者は口上を述べた。頼み事の割には上からの物言いであるし、言葉遣いも洗練されておらず、たどたどしい。

これが奪われた、という紹介状か。

異邦人が懸念し、警告してきたのはこうした事態だった。

「拙僧の持ち物の中で、価値の有るものと云えばあれ位しかございませんので」
そう、苦笑しつつ言ったのだった。

 今となっては既に明らかなことであるが、この時点においてはサラセン人の方が、修道司祭の身分を騙る者である可能性もあった。

 彼は修道士で修道司祭である、と主張しているが、身ぐるみ剥がれた裸一貫では、それを証拠立てるものを何も所持していなかったのだ。

 もし、偽物が先に現れてから、いや本物は私です、と申し出ても、証拠になる紹介状を持たないマルコには至って不利な状況となっていただろう。

 だが、先立ってこういう事が起こり得ますと予言し、それが現実となったならば、少なくとも紹介状と修道司祭の実在について(本人であることも含め)関係の深い人物であることは間違いなくなる。

 そして、盗用防止のために仕組まれていた備えは、まだあった。

 それにしても、こ奴、芝居が下手じゃのう……。仕方ない、こちらから合わせるか。
「これはこれは! 名高きモンテカッシーノ修道院の修道司祭閣下にご来泊いただけるとは光栄至極、ぜひとものお越しをお待ち申し上げます」

 互いの地位や階級による、こうしたやり取りの機微など知らないのであろう。修道院長その人ならいざ知らず、いくら大修道院の修道司祭(の使者)だからといって、ここまで領主たる騎士に対して居丈高になれるものではない。

 ふざけるな! と一喝してもいいところだが、逆に慇懃いんぎん丁寧に振舞って見せると、案の定この(偽)使者は調子に乗った。

 やれ酒は極めて上等のものでなければならん、出立に際しては手土産として金品貴重品を提供せよ、などなど。
 恐らく言っている本人でさえ、何を要求したか覚えていまい。少なくとも同じものを二度要求することが三回あった。

 一通り、言いたい放題の要求を聞き流し、善処いたしますと応えた後、ジロワは言った。

「この様な田舎では大修道院の書状など目にする機会もござらん。願わくば、仔細に拝見したく存ずる」

 上流社会の貴族・領主でも、ほとんどが文盲だった時代である。ジロワも例に漏れず、文字は読めない。辛うじて特許状に署名するため、自分の名を書くことができる程度だ。

 汚すなよ、破るなよ、としつこく念を押されつつ渡された羊皮紙を、いかにも文字の読めぬ田舎領主らしく眺めまわしつつ、さりげなく裏面の左上隅を確認した。思わずニヤリとしそうになる。

 そこには、特徴をよく捉えた、異邦人マルコの肖像が描かれていた。



 盗賊が最初に狙ったのが、クルスローだったのは幸運である。

 マルコの懸念を受け、ジロワは近隣領主たちに対して密使(もちろんオルウェンではあり得ない)を送り、警告をしてあった。だが、マルコの肖像を確認できるのは、本人に直接会っているクルスローのジロワらだけである。

 その物腰や在り様から、ジロワは直観的にはマルコの真正を信じていたが、それはあくまで心証である。だが、心証でもこれだけダメ押しされると、その確信は固まる。もう後は最後の仕上げである。

 (偽)使者が意気揚々いきようようと引き上げた翌日、十数名のお伴を伴った「マルコ・デ・サレルノ修道司祭ご一行様」がクルスロー領主館を訪れた。

 なんとも珍妙な一行である。あちこちから一張羅いっちょうらを掻き集めて間に合わせたかの様に不統一で、着慣れていないのがあからさまに分かる。聖職者の一行だというのに、どの顔もひどい悪人顔である。お前ら本当に騙す気があるのか? と問い詰めたくなる。

 ジロワは呆れたうえ、面倒臭くなり、もういいだろ、充分だ。こいつらまとめて捕まえてしまおう。そう言うと、当のマルコから、

「動かぬ証拠を押さえてからでなければ、判断してはなりません。安易な断罪は、冤罪えんざいを生みまするぞ」
と、諫められた。
 お主、なんであ奴らに味方する? と思わなくもなかったが、お説教が始まりそうなのでやめておく。

 修道司祭を名乗る一行の中で、話すのは前日やってきた使者役のみであった。恐らく、さすがに他の者が話すとボロが出る、と警戒したのだろう。司祭役の男ですら頷くだけで一言も喋らなかった。他の者同様、この男もまったく司祭らしく見えないが。

 一行の中で、一人だけ異彩を放っている者が目についた。装いは最下層の下男のものであったが、その体躯、物腰、所作には他の者たちとは異なる、人としての『格』が感じられた。もしかすると、衣装は偽装でこの男が一味の首領なのかもしれん。

 夜は当然、宴会であったが、使者役の男が、料理と酒を広間に用意したら館の者は締め出せ、と要求してきた。会話を徹底的に避ける腹積もりの様だが、頭隠して尻隠さず、こんな要求自体が非常識であった。それでいて後から、「女がおらん」などと文句を付けてくる。下々の乱痴気騒ぎしか知らぬのであろう。

 作法は時代により変遷してゆくものだが、この時代、領主貴族層の晩餐においては、女性は同席するものではなかった。女性たちは別室で男性たちとは別に食事を行う。せいぜいあったとしても、主人の妻が同席する程度であった。給仕は騎士見習いの少年たちなどが行い、そこで貴人の目に留まることが彼らの「就職活動」にもなった。

「はて、やんごとなき身分の司祭殿が晩餐の席に婦女子を同席させるなど、その様な不作法をなさるとは思えませぬが、まことにその様に仰せで?」
と返してやると、口の中でモゴモゴ誤魔化しながら引き下がっていった。
 
 夜半、一行の者たちは腹を満たして宛がわれた部屋へ引き取り、宴の後片付けも終わっていつもなら皆が寝静まったころ合い。
 
お約束通り、一行の者たちは、手に刃を握ってそれぞれの寝所から忍び出てきた。

騒がしい夜が始まろうとしている。
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