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木剣

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 掛け声とともに、マイエンヌ卿が下段から斬り上げてきた。

 この時期の剣は、素材技術が未発達で「切り裂く」のではなく、主に「殴る」ためのものである。使い方もいかに打撃力を乗せるか、が狙い所となった。

 鋼の精製技術が向上し、剣が薄く軽くなって用法が変化するのは、もうしばらく後のことだ。



 初めての対戦の時も、マイエンヌ卿は下段から斬り上げてきた。

 二度目でジロワが確信したのは、この初撃が牽制のための物だという事だ。

 下段から斬り上げた剣は、打撃力が劣る。だが、打ち込みを先んじることで、それが空を切ったとしても、相手を一旦守りに入らせることができる。

 斬り上げた剣は上段に振り上げられた状態となるが、そこから間髪入れずに、剣の重みによる加速を加えて振り下ろされる。この二撃目が本命だ。剣の重みが加わる分、初撃より『重い』。

 また、初撃が本気の打ち込みではないので、二撃目に移るのが早くて相手は意表を突かれる。剣を振りかぶる動作自体がフェイントとして利用されているのだ。

 初見でいきなり使われたら防ぐのは難しい。だが、二度三度と使える手ではない。ジロワの対応はそうした見切りに基づいた。



 一度見せている手の内である。これを防がれることは、マイエンヌ卿も予想していた。

 驚いたのは、かわされると思っていた初撃が、あわや当たりそうになったからだ。意表を突くつもりが逆に突かれた。だが、もちろん当たった訳ではない。ごく僅か、最小限の動きにより、ジロワは彼の初撃を避けて見せた。

 むぅ。そんな躱しを会得する鍛錬、実剣で積む気にはなれんぞ。

 隣の領地の子息がまだ幼いというのに、激しい鍛錬で障害を負って修道院へ入れられていた。弟が複数いたため、さっさと見限られたのだ。息子を全て修道士にしてしまったらどうするつもりなのか? とは思わずにいられなかった。マイエンヌ卿自身はまだ男子に恵まれていない。

 木剣での鍛錬、悪くないかもしれんな……。

 最小限の動きで躱したため、マイエンヌ卿が二撃目の振り下ろしに入るよりも早く、ジロワの打ち込みが来た。辛うじて掠らせるだけで避けることができたが、ほとんど後ろ飛びに避けたので幾分態勢を崩した。

 すぐさま態勢を立て直し、追撃を弾いて防ぎ、距離を置く。思っていたのよりも、遥かに真剣な立ち合いだ。集中と興奮が高まる。



 狙いは読めていたのに攻め切れなかった。さすがはマイエンヌ卿。
 
 剣筋を見切って最小限の動きで躱すのは、マイエンヌ卿ほどの手練れ相手だから出来ることだ。下手糞のブレブレな軌道では危なくて出来ない。戦場での実戦にはそぐわない、小手先の技である。

 マイエンヌ卿が再び、剣を下段に構える。同じ手ではあるまい。
 今度はどう来る? と、構えていると、下段からの初撃が本気の一撃であった。躱しきれず木剣で受けた打撃に込められた力はフェイクではない。危なかった。
 虚実入り乱れた剣とは、これは厄介だぞ……。



 それから暫しの間、二人は次々と新手奇手繰り出して一進一退の攻防を続け、互いに何度も危ないところに追い詰められながら辛うじて押し返す戦いを繰り返した。

 やがて、追い込まれてついに秘中の秘『三連突き』を繰り出したマイエンヌ卿が辛勝したが、決着がつくや、双方ともその場に崩れ落ちて喘いだ。

「ジ、ジロワ殿、こ、これはっ、ぁあ、はぁつ、なっつ、なかなかっ、」
息切れしながら、マイエンヌ卿が木剣を持ち上げて満足の意を伝えると、自分たちの工夫が認められた誇らしさに、クルスロー領の者たちは喜びを隠し切れない。
「こ、これは重畳ちょうじょう、だ、職人ら、っも、よろこっ、びましょっう」

二人に井戸から汲んできた水が供され、息を整えつつ一休みしている間、ワセリンら若者たちがついにこらえ切れずせがみ始めた。

「マイエンヌ卿、我らにも一手ご指南を賜りたく!」
「まてっ、待て待てぃ! 貴様ら小童こわっぱの前に、まず儂じゃろうが!」
こちらも腕がうずいてしょうがなかったル・グロが叫ぶ。
「お主は獲物が斧ではないか!」
「うつけめ、剣の腕も股座またぐらの剣も、まだまだ貴様らなど我が足下に及ばぬわ!」
「じ、じじいめ! 老いぼれのなまくらなんぞ、折れて怪我するのがオチじゃ、すっこんどれ」
「おーおー、襁褓むつきから横チンして小便まみれになっておった赤ん坊がいまだに泣きわめいとるわ!」
ワセリンは顔を真っ赤にして怒鳴り返す。そんな反応が、まだ青いというものだが。
「そ、それはあんたの巻き方が悪かったからだろう!?」
幼い頃、ワセリンはル・グロに世話をされていた時期がある。まだ、クルスローに来る以前のことだ。

「お前たち。いい加減にせよ」
息の整ってきたジロワが、次第に下品さを増す言い合いに呆れていさめる。

「マイエンヌ卿はまだしばらく当領地に居られる。ご指南願うのは、一日に一人まで、それも卿の御意向次第とする!」
「……いや、ジロワ殿、我はもっといけますぞ。暇を持て余して居るよりずっといいのだが」
マイエンヌ卿の言を、素知らぬ顔で受け流してジロワは続ける。

「みな、卿は客人(捕虜)であることわきえよ、よいな」
「いや、ジロワ殿……ジロワ殿、聞いて下され、ジロワ殿」

 いかに木剣とはいえ、まだ練達の域に達しておらぬ若者たちや、血の上りやすさでは若造並みのル・グロらが入れ替わり立ち替わりで挑んでおれば、事故の恐れも増す。ジロワとしてそれはなるべく避けたいものだった。

 マイエンヌ卿も粘ったため、最終的に、毎日勝ち抜き戦を行って一位、二位となった者が卿へ挑むことができる、と決まった。即席の武術競技会を連日行う様なものだ。
 
 話がまとまると、さすがに空腹を感じ朝餉を採ろうと、中庭の脇の、館の厨房に隣接するようにして建てられた木造の衛兵用食堂へ移動した。

 ちょうど、館の外で弓手の稽古をしていた一団が戻ってきてそこへ加わる。
 オルウェンの指導による訓練では、的を極めて遠くに置き、さらに可能な限り速射で射ることを鍛錬する。館の中では距離が足りないし危険であるため、森の外れで訓練を行っているのだった。

 その食堂は奇妙なことに、古い部分と、補修されて比較的新しい部分とが、『まだらに』入り混じっていた。まだらに損壊するとなると、火事などではあるまい。中で大乱闘でもあったのか? 意外に喧嘩っ早い連中なのかもしれんな。そんなことを考えつつ、マイエンヌ卿も続いた。

 ジロワが声を掛けると、食堂の奥の、恐らく厨房に繋がる戸口から初老の女性が顔を出した。
「ル・グロの妻女で厨房頭のアミシアでござる」
とジロワが紹介した。

 館の厨房を仕切るアミシアは、大柄で太目だが、顔立ちは各パーツが整っていて、若い頃は痩せれば「現代的基準での」美人であった。
 最近、亜麻色の髪はだいぶ白いものが混じり始めたが、ヘーゼルの瞳は昔のままだ。畑を荒らしに来た野猪を女だてらに退治し、その日の晩餐の食材にした剛の者である。

 だが、本人曰く「あたしの過去最高の獲物はこの旦那さね」と豪快に笑い飛ばす。そのときのル・グロは表情が消え、瞳は宙を彷徨った。

 供されたのは薄切りのパンにチーズ、水で割ったワインという簡素なものだったが、運動後の空腹という絶対的調味料のおかげか、極めて満足のゆくものだった。
 
 もちろん料理人の腕も良いからだが(大事なこと。作ってくれた人に感謝)



 その夜の晩餐は、前日の宴に比べると、ずっと少人数のものとなった。家族ら内輪との普段の夕食である。

 席に連なったのは、ワセリンとその妻でジロワの長女アーメンガード、まだ幼さの残る次女アワイズ、そしてマルコ修道司祭のみであった。
 脚の不自由な修道士は、晩餐後は館に一泊することになっている。
 
 食卓ではマイエンヌ卿の領地や家族のことが話題に上った。まだ男児に恵まれていないこと、(これは冗談というかお世辞であるが)もし息子がいたなら、将来美しくなること間違いなしのアワイズを嫁に欲しい、などなど。
 
 和やかに晩餐を終えると、ジロワは、マイエンヌ卿とマルコ修道士を別室での飲み直しに誘った。
 
「マイエンヌ卿には木剣をお試しいただけたとのこと、伺っております。あれの考案には拙僧もいささか関わっておりました故、お気に召したとのこと、我が事の様に誇らしゅうございました」
いささか、どころではない。モンテカッシーノが抱える名工に様々問い合わせを行い、ほぼ職人らと二人三脚でこしえたのが修道士である。

「いや、あれは良く出来てございました。戦への心構えは、結局のところ実戦で経験するしかござらん。技を磨く上では余分な怪我などない方がよろしゅうござる」
 出立の際には何振りか、お分けいただけぬか、と問うマイエンヌ卿に、では土産としてご用意いたしましょう、とジロワが応える。

「マイエンヌ卿への挑戦権を賭けた勝ち抜き試合の件では、既に賭けが始まっておりますよ。ル・グロ殿とワセリン殿が初日の一番、二番人気だとか」
 勝ち抜け式なので、日が進むごとに(順当なら)有力候補が抜けていく。現時点では二日目以降の候補者が混戦状態だ、と。
「早いのう。胴元は誰か?」
「拙僧でございますな」
悪びれもせず応える司祭に、ジロワも苦笑する。

はて? マイエンヌ卿が疑問を口にする。
「この領地では、武技の比較は、忌避されているのではありませんでしたかな?」

「あぁ、そのことでございますが」
マルコ修道士が応える。

「実は当夜、拙僧が晩餐にお招き与かりましたのも、その件をマイエンヌ卿にお話しするためでした」
「なんと?」
「ま、大したことではないのですが、客人にご不審を抱かせたままにしておくのは申し訳ない、いささか長い話になりますが無聊を慰めるための夜語りにでも、と」
「ほう?」
修道士の話が始まる。ジロワは各人の酒を注ぎ足した。

「このクルスローには『オルウェンの嫁取り、アミシアの婿取り』という言葉がございまして。といってもここ十年程の間のことですが」
「オルウェンは、かの森番でござるな。アミシア殿には今朝会ったが・・・」
「なかなか気風きっぷのよきご婦人でございましょう?」
「確かに。だが、ル・グロ殿だけ、主人役がひっくり返っておるのが・・・何かの笑い話でござろうか?」
「いや、まぁ、笑い話と云えなくもありませんが……」

 今を遡る事、十年以上前になりますが、と修道士が昔話を始める。
傍らでジロワは、オルウェン、ル・グロ、そしてマルコ修道士がこの領地に居着いた頃のことを思い出していた。
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