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禁忌

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 『不幸な事故により捕虜となった』マイエンヌ卿アモンを伴って帰館した夜、領地の主だった人々が招かれてクルスローの領主館の晩餐は宴となった。

 ジロワの隣には主賓としてマイエンヌ卿アモンが座し、大いに飲み食らっていた。
 武具や馬具、昔の戦話を披露しあい、マイエンヌ卿はまったく他意もなく、戦いに生きる者としてお決まりの話題を口にした。

「それで、このご領地ではやはり、ジロワ殿とル・グロ殿のいずれかが最強とされるのですかな?」

 軽い気持ちで口にした戯言であったが、一座から物音が消えた。

 ジロワは困った様に視線を宙に彷徨わせ、ル・グロは顔を赤くして下を向き、口を真一文字に結んでいる。オルウェンは……いつもと一緒だった。

 ほかの参席者たちは、魔物でも出るかのように周りを窺っている。こっそり魔除けの印を切る者もいた。

 マイエンヌ卿ほど面喰ってはいないものの、ワセリンら若い者はほかの出席者とはやや違った反応を示した。何かを恐れたり、気まずげにするのではなく年長者たちの様子を窺っている。

 なんだこの反応は? 酒席で良くする与太話の定番ではないか?

「あー……マイエンヌ卿、申し訳ない。我が領地では、武は自ら磨き高めるもの、人と比べるものではない、ということで技量の優劣を比べる様なことは避ける様にしておりましてな。皆その話題には慣れておらぬのでございます」

 慣れていない? そういう反応か、あれは? 先ほどまで戦話で敵との武技比べをしてたじゃないか?

 釈然としないながら、それぞれの土地にはそれぞれの禁忌が存在する。よそ者がどうこういう事ではないのでここは胸に納めておくとしよう。気になるといえば気になるが。


 翌朝、マイエンヌ卿が目覚めると、館の中庭から木剣を打ち合う音がする。興味を覚え、一応見張りを兼ねている、世話係に案内してもらって中庭に出てみた。

 逃亡に対する監視が緩いのは、昨日までの経緯もあるが、当時として捕虜の逃亡は重罪であり、その立場は名誉ある捕虜から犯罪人に一転してしまう。名のある騎士、マイエンヌ卿にはとてもできる事ではない。そういう事情もあった。

 中庭では、ジロワとル・グロ、それにワセリンら同世代の青年騎士見習い数人が木剣での稽古を行っていた。オルウェンは居ない様だ。礼を交わして、暫し見学する。

 だが、しばらくすると腕がムズムズしてきた。マイエンヌ卿アモンも武士もののふとして武技の鍛錬は毎日欠かさず行っていたのだ。どこかで、声を掛けて組打ちに加えてもらおう、そう考えていると、ある事に気づいた。
 
 ジロワは、マイエンヌ卿の落ち着かなげになる姿を盗み見、「ははあ、さては」と苦笑いを堪えつつ、稽古への参加を誘いかける。
 
 案の定、二つ返事で応諾し、喜び勇んで飛び出してきたマイエンヌ卿だが、ふと立ち止まり言った。
「もしや、ジロワ殿本来の得手得物は、長剣の方であろうか?」

 ジロワがマイエンヌ卿と対戦した際、ジロワの剣は既に折れていて代わりに間に合わせの戦斧で戦っていた。そのため、マイエンヌ卿はジロワの得物は斧、と思っていたのだが、先ほどからの稽古でジロワはずっと刃を潰した長剣を用いている。

 一方、ル・グロは、こちらも刃を潰してあるが、斧を振るっており、特に長剣に限定したものはなく自分の得物での稽古と推察される。ならば、ジロワの方も本来の得物は長剣であったか? マイエンヌ卿が気づいたのはそのことだった。

「いかにも左様、長剣を用いることが多くございますな。愛用の剣は、この老体同様長く使った物で先般の戦でついに事切れてしまいましてな」

 もちろん、予備の剣も持ち込んではいたが、夜襲の有無は半々の賭けであった。翌日また移動することを考慮すると、臨戦態勢で荷解きをするわけにもいかず、予備武装は行李の中にしまったままだ。仕方なく、その辺に落ちていた敵兵の物を拾って使っていたのだ。準備万全の戦場であれば、従者が予備の槍・剣・馬を携え従う。
 
 やはり、ううむ。マイエンヌ卿が唸る。
「万全の状態の貴殿と、立会ってみたかったものです」

 それはジロワも同感である。だが、捕虜として身柄を預かった以上、怪我につながるような危険は避けなければならない。マイエンヌ卿もそのあたりは心得ている。

「木剣じゃだめか?あるじ殿」
ル・グロが割り込んだ。
「木剣か……」

 ワセリンらが稽古に用いている木剣は、中におもりを仕込んで実剣の代用としている。

 重さ自体は実剣並みにあるので生身に当たれば十分に危険なものだが、木剣自体の硬さや耐久は実剣に比べるべくもない。
  しっかり防護を行えば、大怪我をするほどの当たりがあると剣の方が折れる様に作ってある。

 ル・グロとマルコ修道士が知恵を出し合い、若者たちの訓練用に作り上げたものだ。訓練の怪我で障害を負う者が出るのを防ぐためである。その木剣を使う際は、体には厚手の綿入れと鎖帷子を着込み、準備万全で行う。怪我はせぬが……。
 
 ジロワはマイエンヌ卿に語りかけた。
「これだけの備えをして使うものですので、余程運が悪くなければ怪我はしませぬ。だがそれ故に、本物の戦場を潜り抜けてきた貴殿には、死や身を欠く恐れも痛みも無き闘争など、紛い物の役立たずで物足りなく思えましょう」

 現実の戦いにおいて、矢を射ればそれに当たるのは敵だけではない。刃を振るえば、切り落とされるのは自分の指や首かもしれない。それを恐れて動けずにいるなら、その時は自分か、または隣の誰かが狩りの獲物となるだけだ。

 戦かう者が戦士になるためには、まずその恐怖を無いものとして無視できるようにならなければならない。兵士が無鉄砲で刹那的になり、またやたらと縁起や呪いに傾倒するのは、そうでなければ戦うことなどできず、また、運や超自然的な加護くらいしか彼の無事と敵の不運を説明できるものがないからだ。

 新兵が新兵として軽んじられるのは、その「理不尽な理」をその身に宿していないからだ。日常の狂気が、戦場では必要な心構えなのである。初めから戦場そこになじんでしまう者は、すでに人として壊れた、狂気に染まった者なのだ。

「ですが、人を相手に技や太刀筋を研究したり、繰り返し鍛錬するには適しております。稽古相手を壊しませんのでな。また、死や怪我、痛みを恐れぬ狂戦士を相手に戦う、と考えればやりがいのある鍛錬にもなりますよ」

 身も蓋もなく言えば、強くイメージして思い込め、そうすればリアリティはおぎなえる、という強弁だ。
 だが、重大な怪我を回避しつつ本気の打ち込みを行える稽古が、意味がない訳ではない。

 日本の剣術流派、剣聖上泉信綱の新陰流、その流れを受けた柳生新陰流、また鹿島神道流や馬庭念流、小野派一刀流など多くの流派で、「袋竹刀」や「蟇肌竹刀ひきはだしない」といった道具が用いられる。

 現代の竹刀の様に割竹を束ねた構造に革の袋を被せて補強した物だ。武士が鞘全体に被せて汚れや損傷を防いだ「蟇肌」という道具の流用で作られた。

 流派によっては木刀での形稽古に習熟してから袋竹刀と防具を用いた試合稽古を行う。

 戦に臨む精神面とは別に、「技」の鍛錬においてはこうした道具の利用が有効であった。

「捕虜の身で贅沢は申しませんよ」
 木剣を手に取ったマイエンヌ卿は、その重さとバランスが実剣にかなり近いことに驚いた。これは手元から先端まで鉄芯が通してある感じだ。

「鉄芯を通しているようですが、これでは折れなくなりませんか?」
 当たりが強すぎる時には、安全のために剣自体が折れる、というのが木剣の特徴だったはずだ。

「鉄芯を、短く切って並べて入れてあります。当領地の職人の工夫です。木製部の硬さの方は、木の種類や木目の詰まり具合と向きなどで調節しているそうです」
「随分手を掛けてますな。結構な費用になったでしょう?」
「確かに。使用している木も、この領地の森で採れる種類ではなく、商人から買い入れるので出費がかさみます。それでも、実剣を同じ数用意するよりは遥かに安くなりますよ」
「なるほど」

 双方、準備が整い立ち合いが始まる。両者とも楯は持たない。
 楯に激しく打ち付けていたら、木剣が何本あっても足りないうえ、度々の中断で進まなくなる。相手の体に打ち込んで折れるか、折れないまでも、充分に力強く打ち込めれば勝ち、という対戦だ。
 
「いざっ!」
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