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クルスローの騎士
眠らない番犬
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「うぉおおおりゃぁああ!」
雄叫びを上げてル・グロの撃ち込んだ斧が、敵兵の盾を打ち割り吹き飛ばす。
オルウェンら弓兵も、武器を剣や槍に持ち替え、ジロワの左右を固めている。
ジロワらが予想した通り、敵はやって来た。
それも、闇が濃くなり始めて早々のことだった。夜襲と言えば、明け方や深夜など、寝静まり警戒の緩んだ頃を狙うのが常道だが、その常識が油断となった。敵はまだ味方が食事すら終えないうちに襲い掛かってきたのだ。
ベレーム卿勢は、あちこちで食事の焚火が燃えており、メーヌ伯勢はまず、それを目当てに弓兵の掃射を浴びせてきた。
狙いをつけてではなく、焚火の周りにばら撒く様に乱射されたのだ。恐らく直接の被害はそれほど無かっただろうが、恐慌を起こすには十分だった。
弓兵の掃射が止むと、騎兵突撃の轟音が地面を揺らした。
歩兵方形陣や、馬防柵に護られた歩兵に対しては不利な騎兵突撃だが、統制の取れていないむき出しの歩兵に対しては、最大の効果を発揮する。
ベレーム勢中央部は、いくつもの怒号と断末魔、打ち合いの音と火花が散る騒然とした戦場となっていた。
西の端、川沿いの木立の傍に位置していたジロワ勢は、指示された位置につくや、配下の者たちに大急ぎで食事を済まさせ、早々に火を消させていた。
武装は解かせず、半数を休息、残り半数は周囲に怪しまれないよう装いながら、警戒態勢を取らせる。翌朝に城攻めを控えてのこの態勢は、兵を疲弊させる。もし夜襲が無かった場合には、翌日の城攻めに疲労を残して当たる事になるため、危険な選択である。
火を消させていたことで最初の弓兵による斉射の的とならず、ジロワ勢は混乱なく迎撃態勢に入ることができた。
だが、しょせんは小勢。白兵戦の段階になると、その有利も失われる。
むしろ、ベレーム勢主力が、東のベレーム方向へ敗走の状態に移ると、西の端にいたジロワ勢は敵中に孤立することとなるだろう。
剣戟や怒号の様子から、中央部のベレーム卿主力が崩れ始めた様子に見られた。そろそろ危ない。
ジロワはワセリンに命じる。
「殿軍を残して撤収せよ!」
「義父上!」
暗がりでワセリンの表情はよく分からないが、声に滲む感情は伝わった。
「行け!お前たちには離脱してもらった方が、(残敵掃討に割り当てられる)敵の数が減る!」
敵兵が突き出してきた槍をかわして柄を掴み、引き寄せて剣を打ち込む。
「あきらめた訳ではないぞ、儂らも敵は少ない方がいい。行け!」
戦場のやや南方の原っぱ、そこには護衛と側近を引き連れたエルベール伯が戦況を見守っていた。
暗がりの中での戦闘である。
遠目では状況は分からないが、エルベール伯は軍使を多目に使い、細かく戦況を報告させていた。夜襲を仕掛ける時刻が早い分、終始暗闇の中での戦闘となるのは分っていた。それを補うための工夫である。
メーヌ伯爵エルベール一世、当年三十歳。前伯爵ユーグ三世の嫡子として、三年前の一〇一七年に、メーヌ伯爵家当主の地位を継いだ。
暗闇の中、兜と鎖帷子の下は見えないが、戦場暮らしの日々を過ごし鍛え上げられた体、強い意志を宿した碧眼が特徴的で、やや色味の濃い巻き毛の金髪と、口ひげだけの面立ちはまだ充分に若く見え、漲る力を予感させつつも、怜悧な知性を感じさせる佇まいであった。
爵位継承の前年である一〇一六年、アンジューの黒伯フルク三世のモントリシャール城を、ブロワ伯爵オド二世が攻めた。
メーヌ伯爵を継ぐ前のエルベール(当時はメーヌ子爵であった)は、この戦いでアンジュー伯に味方する。
この戦い至る前段として、フルク伯が聖地巡礼に赴き不在となっている間に、ブロワ伯がアンジュー伯領のトゥレーヌを略奪していた。
フルク伯が巡礼から戻ると、ブロワ伯は大軍を編成し、やはりアンジュー伯領であるモントリシャール城攻撃を計画した。この攻城軍は複数の攻城兵器と数万の歩兵を伴う大規模なものであった。
ブロワ伯の攻撃を察知したフルク伯は(この時代の戦争は、配下騎士の召集を大っぴらに行うので、攻撃が事前に察知されやすかった)、エルベールへ援軍の派遣を要請した。
ブロワからモントリシャールの城へ至る経路は二通りあり、フルク伯とエルベールは、二手に分かれてそれぞれ敵襲を待ち構えた。
果たして、ブロワ伯の軍勢が選択したのは、ポンルボイに陣を構えたフルク伯側の街道であった。
フルク伯は、西に1リュー半ほど離れたエルベールの陣へ、救援を求める急使を送り出し、ブロワ伯の突撃を迎え撃った。
だが、ブロワ勢の分厚い陣容には抗すべくもなく、騎馬突撃によりアンジュー勢が崩れ落ちる。フルク伯も落馬し、あわや討ち死にか虜囚となる寸前のこと。
まさにその時、ブロワ勢の左翼から、喊声と共に騎馬突撃を仕掛けてきたのがエルベール率いるメーヌ勢であった。
エルベールは、時間経過にも関わらず、敵勢到来の気配のないことから、ブロワ勢がフルク伯の側の経路を選択したことを推察し移動を始めていたのだ。
フルク伯の送った急使と、途中で行き会ったエルベールは、事情を知るや進軍速度を加速、想定外の早さで戦場に到達した。
メーヌ勢の目の前には、圧倒的優勢で隙のできたブロワ勢の、がら空きの側面が晒されていた。
これ幸いとメーヌ勢は突撃を敢行し、ブロワ勢は一転大混乱に陥った。
奇襲を受けて恐慌をきたしたオド二世と麾下の騎士らは泡を食って逃走し、置き去りにされた歩兵たちは手あたり次第に蹂躙された。
大きな痛手を蒙ったブロワ伯は以後十年ほど、メーヌ・アンジュー方面への侵略を手控えざるを得なくなった。
この大勝利により、エルベールの武名は著しく高まった。また、ブロワ伯の脅威を排除したフルク伯のトゥール方面侵略事業は大いに加速された。
この一〇一六年七月六日アンジュー・メーヌ連合による、ブロワ勢に対する勝利は、『ポンルボイの戦い』と呼ばれる。
一方、エルベールの武勲と名声の高まりの、そのあまりの大きさに、フルク伯は警戒心を抱き、皮肉にもアンジューとメーヌの関係はかえって悪化することとなった。
以後、メーヌ側から見て南西の方角、アンジュー側から見て北東となる、両者の国境地帯は、侵入するアンジュー勢とこれを迎撃するメーヌ勢との間の戦場となった。
いつしか、油断なく国境を守り抜くエルベールは、『起きている犬』、『眠らない番犬』、と呼ばれるようになる。
そのエルベール伯とベレーム卿が、戦火を交えることとなったのは、いかなる事情によるものか。
ル・マンを中心とするメーヌ地方は、メーヌ伯爵とル・マン司教という二大勢力によって支配されていた。
遡ること二百年ほど前のカロリング朝の御世、時のメーヌ伯爵(エルベールとは別の家系。当時のメーヌ伯は西フランク王の指名により度々異なる家系が任じられていた。ル・マン司教の任命権がメーヌ伯爵ではなくフランス王にあったことからも、それが窺われる)の次男ガスリンをル・マン司教としたのが始まりである。
以後、メーヌ伯爵家は興亡と交代を繰り返すが、ル・マン司教は血脈に依存しないことにより、却って安定してこの地方に権威を浸透させていた。
ガスリン司教から下ること数代、先代司教センフロイのとき、後継司教として選ばれたのがセンフロイ司教の甥、アヴェスガルドであった。
センフロイの妹グーデヒルデの夫となったのが先代ベレーム卿イヴ・ド・ベレームであり、その二人が当代ベレーム卿ギョームとアヴェスガルド司教らの両親である。
センフロイ、アヴェスガルドともに、司教位の継承については、それぞれ、当時のアンジュー伯によるフランス王への働きかけがあったと云われる。ル・マン司教は二代続きでアンジュー伯びいきの人物が就任することとなった。
そしてポンルボイの戦い以降、名声を高め勢力を拡大したエルベール伯が、目の上のコブであるアンジュー寄りのル・マン司教と衝突するのは、時間の問題であったといえる。
軍事に疎いアヴェスガルド司教は、エルブラヌス某という騎士を召し抱えてメーヌ伯の軍事的圧力に対抗させた。が、エルベール伯はこの時点ではもう、一騎士の手に負える相手ではなくなっていた。
そして、ついにメーヌを追われた司教は、兄ギョーム卿のベレーム城へと保護を求めて逃れ、弟司教に泣きつかれたベレーム卿ギョームが、渋々ながら軍勢を仕立ててル・マンを目指したのが、この度の戦である。
雄叫びを上げてル・グロの撃ち込んだ斧が、敵兵の盾を打ち割り吹き飛ばす。
オルウェンら弓兵も、武器を剣や槍に持ち替え、ジロワの左右を固めている。
ジロワらが予想した通り、敵はやって来た。
それも、闇が濃くなり始めて早々のことだった。夜襲と言えば、明け方や深夜など、寝静まり警戒の緩んだ頃を狙うのが常道だが、その常識が油断となった。敵はまだ味方が食事すら終えないうちに襲い掛かってきたのだ。
ベレーム卿勢は、あちこちで食事の焚火が燃えており、メーヌ伯勢はまず、それを目当てに弓兵の掃射を浴びせてきた。
狙いをつけてではなく、焚火の周りにばら撒く様に乱射されたのだ。恐らく直接の被害はそれほど無かっただろうが、恐慌を起こすには十分だった。
弓兵の掃射が止むと、騎兵突撃の轟音が地面を揺らした。
歩兵方形陣や、馬防柵に護られた歩兵に対しては不利な騎兵突撃だが、統制の取れていないむき出しの歩兵に対しては、最大の効果を発揮する。
ベレーム勢中央部は、いくつもの怒号と断末魔、打ち合いの音と火花が散る騒然とした戦場となっていた。
西の端、川沿いの木立の傍に位置していたジロワ勢は、指示された位置につくや、配下の者たちに大急ぎで食事を済まさせ、早々に火を消させていた。
武装は解かせず、半数を休息、残り半数は周囲に怪しまれないよう装いながら、警戒態勢を取らせる。翌朝に城攻めを控えてのこの態勢は、兵を疲弊させる。もし夜襲が無かった場合には、翌日の城攻めに疲労を残して当たる事になるため、危険な選択である。
火を消させていたことで最初の弓兵による斉射の的とならず、ジロワ勢は混乱なく迎撃態勢に入ることができた。
だが、しょせんは小勢。白兵戦の段階になると、その有利も失われる。
むしろ、ベレーム勢主力が、東のベレーム方向へ敗走の状態に移ると、西の端にいたジロワ勢は敵中に孤立することとなるだろう。
剣戟や怒号の様子から、中央部のベレーム卿主力が崩れ始めた様子に見られた。そろそろ危ない。
ジロワはワセリンに命じる。
「殿軍を残して撤収せよ!」
「義父上!」
暗がりでワセリンの表情はよく分からないが、声に滲む感情は伝わった。
「行け!お前たちには離脱してもらった方が、(残敵掃討に割り当てられる)敵の数が減る!」
敵兵が突き出してきた槍をかわして柄を掴み、引き寄せて剣を打ち込む。
「あきらめた訳ではないぞ、儂らも敵は少ない方がいい。行け!」
戦場のやや南方の原っぱ、そこには護衛と側近を引き連れたエルベール伯が戦況を見守っていた。
暗がりの中での戦闘である。
遠目では状況は分からないが、エルベール伯は軍使を多目に使い、細かく戦況を報告させていた。夜襲を仕掛ける時刻が早い分、終始暗闇の中での戦闘となるのは分っていた。それを補うための工夫である。
メーヌ伯爵エルベール一世、当年三十歳。前伯爵ユーグ三世の嫡子として、三年前の一〇一七年に、メーヌ伯爵家当主の地位を継いだ。
暗闇の中、兜と鎖帷子の下は見えないが、戦場暮らしの日々を過ごし鍛え上げられた体、強い意志を宿した碧眼が特徴的で、やや色味の濃い巻き毛の金髪と、口ひげだけの面立ちはまだ充分に若く見え、漲る力を予感させつつも、怜悧な知性を感じさせる佇まいであった。
爵位継承の前年である一〇一六年、アンジューの黒伯フルク三世のモントリシャール城を、ブロワ伯爵オド二世が攻めた。
メーヌ伯爵を継ぐ前のエルベール(当時はメーヌ子爵であった)は、この戦いでアンジュー伯に味方する。
この戦い至る前段として、フルク伯が聖地巡礼に赴き不在となっている間に、ブロワ伯がアンジュー伯領のトゥレーヌを略奪していた。
フルク伯が巡礼から戻ると、ブロワ伯は大軍を編成し、やはりアンジュー伯領であるモントリシャール城攻撃を計画した。この攻城軍は複数の攻城兵器と数万の歩兵を伴う大規模なものであった。
ブロワ伯の攻撃を察知したフルク伯は(この時代の戦争は、配下騎士の召集を大っぴらに行うので、攻撃が事前に察知されやすかった)、エルベールへ援軍の派遣を要請した。
ブロワからモントリシャールの城へ至る経路は二通りあり、フルク伯とエルベールは、二手に分かれてそれぞれ敵襲を待ち構えた。
果たして、ブロワ伯の軍勢が選択したのは、ポンルボイに陣を構えたフルク伯側の街道であった。
フルク伯は、西に1リュー半ほど離れたエルベールの陣へ、救援を求める急使を送り出し、ブロワ伯の突撃を迎え撃った。
だが、ブロワ勢の分厚い陣容には抗すべくもなく、騎馬突撃によりアンジュー勢が崩れ落ちる。フルク伯も落馬し、あわや討ち死にか虜囚となる寸前のこと。
まさにその時、ブロワ勢の左翼から、喊声と共に騎馬突撃を仕掛けてきたのがエルベール率いるメーヌ勢であった。
エルベールは、時間経過にも関わらず、敵勢到来の気配のないことから、ブロワ勢がフルク伯の側の経路を選択したことを推察し移動を始めていたのだ。
フルク伯の送った急使と、途中で行き会ったエルベールは、事情を知るや進軍速度を加速、想定外の早さで戦場に到達した。
メーヌ勢の目の前には、圧倒的優勢で隙のできたブロワ勢の、がら空きの側面が晒されていた。
これ幸いとメーヌ勢は突撃を敢行し、ブロワ勢は一転大混乱に陥った。
奇襲を受けて恐慌をきたしたオド二世と麾下の騎士らは泡を食って逃走し、置き去りにされた歩兵たちは手あたり次第に蹂躙された。
大きな痛手を蒙ったブロワ伯は以後十年ほど、メーヌ・アンジュー方面への侵略を手控えざるを得なくなった。
この大勝利により、エルベールの武名は著しく高まった。また、ブロワ伯の脅威を排除したフルク伯のトゥール方面侵略事業は大いに加速された。
この一〇一六年七月六日アンジュー・メーヌ連合による、ブロワ勢に対する勝利は、『ポンルボイの戦い』と呼ばれる。
一方、エルベールの武勲と名声の高まりの、そのあまりの大きさに、フルク伯は警戒心を抱き、皮肉にもアンジューとメーヌの関係はかえって悪化することとなった。
以後、メーヌ側から見て南西の方角、アンジュー側から見て北東となる、両者の国境地帯は、侵入するアンジュー勢とこれを迎撃するメーヌ勢との間の戦場となった。
いつしか、油断なく国境を守り抜くエルベールは、『起きている犬』、『眠らない番犬』、と呼ばれるようになる。
そのエルベール伯とベレーム卿が、戦火を交えることとなったのは、いかなる事情によるものか。
ル・マンを中心とするメーヌ地方は、メーヌ伯爵とル・マン司教という二大勢力によって支配されていた。
遡ること二百年ほど前のカロリング朝の御世、時のメーヌ伯爵(エルベールとは別の家系。当時のメーヌ伯は西フランク王の指名により度々異なる家系が任じられていた。ル・マン司教の任命権がメーヌ伯爵ではなくフランス王にあったことからも、それが窺われる)の次男ガスリンをル・マン司教としたのが始まりである。
以後、メーヌ伯爵家は興亡と交代を繰り返すが、ル・マン司教は血脈に依存しないことにより、却って安定してこの地方に権威を浸透させていた。
ガスリン司教から下ること数代、先代司教センフロイのとき、後継司教として選ばれたのがセンフロイ司教の甥、アヴェスガルドであった。
センフロイの妹グーデヒルデの夫となったのが先代ベレーム卿イヴ・ド・ベレームであり、その二人が当代ベレーム卿ギョームとアヴェスガルド司教らの両親である。
センフロイ、アヴェスガルドともに、司教位の継承については、それぞれ、当時のアンジュー伯によるフランス王への働きかけがあったと云われる。ル・マン司教は二代続きでアンジュー伯びいきの人物が就任することとなった。
そしてポンルボイの戦い以降、名声を高め勢力を拡大したエルベール伯が、目の上のコブであるアンジュー寄りのル・マン司教と衝突するのは、時間の問題であったといえる。
軍事に疎いアヴェスガルド司教は、エルブラヌス某という騎士を召し抱えてメーヌ伯の軍事的圧力に対抗させた。が、エルベール伯はこの時点ではもう、一騎士の手に負える相手ではなくなっていた。
そして、ついにメーヌを追われた司教は、兄ギョーム卿のベレーム城へと保護を求めて逃れ、弟司教に泣きつかれたベレーム卿ギョームが、渋々ながら軍勢を仕立ててル・マンを目指したのが、この度の戦である。
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