ジロワ 反撃の系譜

桐崎惹句

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ノルマンディー動乱

モン=サン=ミシェルの和約

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 いかにして、ノルマンディー公はブルターニュ公の軍勢の後背を衝くことができたのか?

 この戦場より東南東に位置するノルマンディー領モルテンあたりから出発したとして、この戦場を通らずに長駆迂回するなら先にブルターニュ国境のポントルソンなりの砦を抜かなければならないはず。
 だが、それらは無防備でも無人でもない。
 侵攻があれば、それら防衛施設からの報告があるはずだ。
 いつの間にか背後に回られていたなどと、いったい全体……。

 その答えは、瞬時に閃いた。

 海だ!

 ブルターニュ半島の対岸、コタンタン半島側の港から兵を満たした軍船を出し、海岸線からドルを襲撃したのだ。

 ブルターニュ公は己の迂闊さに唇を強く噛みしめた。

 ノルマンディー公領が成立してから、周辺諸国へのヴァイキングの襲撃略奪は減少(略奪よりも移住・植民が主となった)していた。
 それとともに海岸警備はおざなりになりがちで、かつまた、ノルマンディーとの公家同士の兄妹二重婚姻により結びつきが強まるとなお一層、海岸線の危険性が薄まって陸地の方へと視線が向いて行ったのだ。
 近年ブルターニュ公が主に干渉していた争いは、メーヌ伯エルベール一世と協力した、対アンジュ―伯抗争である。
 その眼はすっかり海よりも陸に向いており、ブルターニュ人は海岸線の脅威を失念してしまっていた。
 だが、今回ブルターニュ公が刃を向けたのはノルマンディーである。彼らが海を利用しない理由がない。
 彼らノルマンこそ、北方より海を渡ってやって来たヴァイキングの後裔なのだから。
「ドル方面へ斥候を出せ!」
 ブルターニュ公が命じた。
 ドルを攻撃したノルマンディー公の動きを把握しなければならない。遅れれば挟撃される恐れがある。
「公!」
 側近が蒼い顔で彼方を指さす。その方向には土煙が立ち、それはほどなく軍馬の塊であることが明らかになってゆく。
 今度は逆の方から声が上がる。
「アヴランシュの城門から騎馬隊が……!」
 時、すでに遅し。
 ブルターニュ公を挟撃する態勢は完成しつつあった。
 もはや公に残された選択は多くはない。無念の思いが心の内を満たす。
「アヴランシュの方から騎馬が一、二、三騎参ります!……あれは、聖職者坊さん?」
 何? なんで聖職者が……ノルマンディー公は破門され、その領内では聖職禁止令が宣告されているのではなかったか?
 終戦の条件交渉を仲介しに来た、という司祭にそのまま疑問をぶつける。ノルマンディー公は破門されたのではないのか? なぜ御坊らはノルマンディー公のために働くのか? と。
「ノルマンディー公閣下への破門宣告およびノルマンディー領での聖職禁止令は、すでに取り消されております。このたび仲介の労を取られますのは、両公爵閣下の叔父上にあたられますルーアン大司教猊下にございます」
 ブルターニュ公はしばし絶句する。
 そして、なにもかも遅かったのか、と天を仰いだ。



 ノルマンディー公ロベール一世は、ブルターニュ公迎撃のための軍編成を急がせる一方でルーアン大司教との和解工作を進めていた。
 工作、というがほぼ全面的な要求受け入れである。配下が略奪した分も含めて教会財産の返却を約束し、以後の教会財産の保護と不干渉も約束した。
 これにはモンゴメリー卿ら当初からロベール一世に加担していた者たちの反発を生んだ。
 しかし、聖界との和解は既存の大貴族らを味方に引き入れるきっかけとなり、むしろロベール一世の勢力は安定した。
 彼らは当初、ロベール一世に対して冷淡な態度をとっていたが、ほかに有力な継承者もおらず、空位が続くことでノルマンディーに利することなど何もないことを認めざるを得なくなった。
 すでに事実上のノルマンディーの支配者であるグンノール妃もロベール一世の公位を認めており、流れはできていたのだ。
 そして、教会との和解がなされるなら、との口実をきっかけに利用して表面上しぶしぶながら彼らはロベール一世の旗下へと合流した。
 特にグンノール妃の閨閥からクレポー卿が支持者に加わったのは大きい。
 ノルマンディー公家の家令の地位を得たクレポー卿オスベルンは、以後ロベール一世の最大の支援者となった。



 ルーアン大司教が介入した和議の条件は迅速に整った。もとよりブルターニュ公には選択の余地がなかったためでもある。

一、ブルターニュ公はアヴランシュの町が被った損害を賠償すること。
一、ブルターニュ公アラン三世はノルマンディー公ロベール一世に対し臣従の誓約オースを立てること。

 条件はこれだけであった。
 至極、寛大であるといえる。

 そういえば、ロベール一世は謀反の末に降伏し、兄である先代公爵に臣従の誓約を立てたにも関わらず、それに背いて暗殺を行ったという風聞があった。
 ……ノルマンディー公はこの誓約を信用することができるのだろうか?

 臣従の儀式のため、関係者は近隣の聖地モン=サン=ミシェル修道院内の教会に会することとなった。
 ブルターニュ側からはアラン三世のほか、側近と従者数名のみ。
 ノルマンディー側からはロベール一世のほか、アヴランシュ子爵が参列、式を執り行うのは急きょ老体に鞭打ちルーアンから駆け付けた、ルーアン大司教その人であった。

 引き潮の時刻。

 海の小島に聳え立つ修道院。そこへと繋がる参道が海中から姿を現す。

 ノルマンディーの兵が道の両脇を固める中、ブルターニュ公の一行は粛々と修道院への道を歩んだ。
 さながら、屠殺場へ曳かれる牛である。

 つい先ほどまで海水に洗われていた石段を昇ると、主教会の小部屋へと案内され、そこでノルマンディー公の到着を待つこととなった。
 屈辱に耐える時間は、ひどく長く感じる。不愉快な儀式はとっとと終わらせてほしいのに、今日の時間神クロノスは寄り道に忙しいようだ。
 やがて大勢の人が動き回る気配で、ノルマンディー公が到着したことが知れた。
 やれやれ、やっと終わるか。
 修道士がブルターニュ公を主教会の祭壇へと導く。
 少し遅れてノルマンディー公、ルーアン大司教が入場した。

 自身と極めて血の近い従兄弟や伯父ではあるが、ブルターニュ公が彼らと相まみえたのは初の機会だった。
 二人の公爵は最も血の近い従兄弟同士であり、大司教は二人の公爵双方からみて伯父叔父にあたる。

 これが、ノルマンディー公か。

 噂に聞く、腹黒い陰謀家とはとても思えぬ優男だ。想像していたのとは、ずいぶんと違っており、ブルターニュ公は戸惑いを覚えた。

 この男に、俺は敗れたのか。

 式はあっけないほど淡々と進み、ブルターニュ公が臣従の誓約をノルマンディー公へ捧げ、ルーアン大司教が誓約の成立を宣告して終了した。

「ブルターニュ公」
 一礼して去りかけたブルターニュ公を、ノルマンディー公が呼び止めた。
「何か?」
「少々、お話をさせていただいてよろしいかな?」
「もちろん」
 もとより敗残の身である。否も応もない。
 だが、これ以上いったい何を話そうというのか?
 ノルマンディー公ロベールはブルターニュ公を身廊の簡素な長椅子へ誘った。
 並んで腰を下ろすと、まずノルマンディー公が口を切る。

「やっと、貴公にお会いすることができました。 私たちは父母が兄妹同士という、他の従兄弟同士よりも、さらには異母兄妹よりも血の濃い間柄」
 自分の両親と、相手の母親が血縁者、つまり互いの父母四人のうち三人が血縁者である者同士という関係、だと言いたいようだ。
 異父母兄弟なら片親だけが血縁なので二分の一、それよりも血は濃い、と。
「私たちよりのち、ノルマンディーとブルターニュはもはや同族、ともに手を携えて未来を切り開いてゆきたい」
 何を、きれいごとを……そんな空念仏を聞かせたくてこの身を呼び止めたのか?
 ブルターニュ公は胸中に沸き起こる疑念が顔に現れぬよう、堪える。

「私にはもうすぐ子が生まれます」
 唐突にノルマンディー公が話題を変えた。
「その子が男子ならば、将来のノルマンディー公となるかもしれません。そして、万が一その子が成人する前にこの身が果てることあらば……その時のために私は信頼する者たちを選任して摂政団を設けるつもりです」
 ノルマンディー公の目に光が宿った。身を乗り出して話す公の言葉には強い意志が秘められているように感じられた。

「ブルターニュ公、貴公にもその摂政団に加わっていただけないでしょうか?」
 
 幼少のアラン三世にノルマンディー出身の母が実家を後ろ盾として摂政となったことが、ブルターニュの属国化を招いた。
 いま、ノルマンディー公は自分が早世して幼少の子が残された際の、摂政役をブルターニュ公に委ねようとしている。
 もちろん、摂政団というからには己一人ではなく、複数の同格者がありノルマンディーがブルターニュの属国化する様な主客の逆転は起きえないであろう。
 だが、この申し出は……ブルターニュがノルマンディーの属国化していた従前の関係を否定し、同格の同盟者として扱おうということだ。
 これは取引だ。
 現ノルマンディー公は、味方を増やす必要があり、利害は一致している。
 問題は、この選択が一つの賭けだという事だ。
 我はこの男に、ブルターニュの未来を賭けることができるのか?



 ノルマンディー公ロベール一世の寵愛を受けたアーレッテは、至極順当な帰結として彼の子を身ごもっていた。
 この時点では性別はまだ不明であったが、その子は男子として生まれ、のちの歴史にその名を刻む。
 ギョーム。すなわちノルマン・コンクエストの主役である、征服王ウィリアム一世その人である。 

 そして、幼少の彼を守護した摂政団ガーディアンズの一員に重鎮としてその名を連ね、その立場を終生貫いたのが、ブルターニュ公アラン三世であった。
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