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番外編SS
指先テンプテーション
しおりを挟む足の裏は丈夫なリュカだが、手はわりと普通の耐久性である。
それは、リュカが12歳の冬。
「指が痛い~」
つらそうに指先をさするリュカを見て、ヴァンは呆れた溜息をつく。
「手を濡らしたまま歩くからですよ。ハンカチを持ち歩くよう申し上げても、リュカ様はちっとも聞いてくださらない」
「つい忘れちゃうんだよ……つい」
リュカは見た目こそ女の子っぽいが、中身はかなり男子である。昔からハンカチを持ち歩かず、手を洗ったあとはピピッと振って飛沫を飛ばしてはヴァンに叱られていた。
その結果、ついに指先がひび割れるという事態に見舞われてしまったのだ。今年の冬は特に乾燥しているからであろう。
「今、ボンザール先生を呼んできますから待っててください」
小さな手の指先に痛そうな亀裂が入っているのを見て、ヴァンはもうひとつ溜息を吐いた。あらゆる苦難からリュカのことを守りたいと思っているのに、リュカ本人が自ら痛みを招き寄せていれば世話がない。
これからは疎まれようともっと口煩く注意しようと心に決めるヴァンであった。
侍医のボンザールはすぐに痛み止めと保湿成分の入った軟膏を処方してくれた。つまりはハンドクリームだ。手を洗ったあとはこまめに塗るようにとのことである。
さすがに懲りたリュカはボンザールの言うことを聞き、せっせとハンドクリームを塗る日々を過ごしていた。
そんなある日。
「ねえ、ヴァン。ハンドクリームちょっとつけすぎちゃった。少しもらって」
リュカは手をニチャニチャと揉みながらヴァンに近づいてきた。確かに多く取りすぎてしまったようで、リュカの手はテカテカなだけでなく、固まったままのクリームが残っている。
「は? 何をしてるんですか。つけすぎたなら拭けば――」
呆れたヴァンがそう言いかけたときだった。リュカはニチャニチャの手でヴァンの両手を掴むと、クリームをなびるように擦りつけ、さらにニチャニチャと揉んできた。
「っ!! な……っ!?」
思いもよらぬリュカの行為に、ヴァンの顔は一気に紅潮し息が止まりそうになる。
「はい、ちゃんと馴染ませてあげる」
手の甲と平、それから指と、リュカはまんべんなくヴァンの手を擦って揉む。小さな手がクリームの油分でぬめりながら絡みつく感触は、12歳のヴァンにとってあまりにも衝撃的で初めての刺激だった。
「や、やめっ!! もう! 結構ですので!!」
モニュモニュと揉まれる手を勢いよく引いて、ヴァンはえらい剣幕で叫ぶ。大声を出されてリュカは「わっびっくりした」と目を丸くしたあと「よく擦って染みこませた方がいいよ」と自分の手をモニュモニュしながら去っていった。
真冬だというのにヴァンの顔には汗が滲んでいる。それどころか体中が熱い。
(な、なんだ、私は……手を揉まれただけでどうしてこんな……)
思春期真っ盛りのヴァンにとって、これは大事件であった。何故なら彼はこの鮮烈な感触と興奮が忘れられず、その夜初めての自慰と射精を覚えたのだから。
それから七年後。
「いたたたた……指が割れちゃった」
大人になってもリュカは時々ひび割れを起こしていた。ヴァンが口煩く言おうとリュカはハンカチを忘れがちで、それどころかポケットにハンカチが入っていても手を振って飛沫を飛ばす始末である。そして乾燥している年の冬はこうしてひび割れを起こすのがお約束であった。
「まったく。ボンザール先生に軟膏をもらっておきますね」
「うん、よろしく」
ひび割れてからハンドクリームを塗るようになるのもいつものことである。ひび割れ予防として常に塗っておけばいいのに、リュカは面倒くさがるのだ。
リュカは次期当主としては一人前だけど、私生活は未だに男子っぽいところがあるとヴァンは思う。もっとも、リュカの場合は立場上、身の回りのことを従者がやってくれるので本人の意識が甘くなるのかもしれないが。
しかし、いつまでも無防備な男子感覚でいるのはやはりよくないとつくづくヴァンは思う。なぜなら――
「あ、クリームつけすぎちゃった。ねえ、ちょっともらって」
「え、僕ですか?」
リュカはたまたま執務机に書類を運んできた従者に声をかけ、その手を握る。そしてニチャニチャの手でモニョモニョと揉みだした。
「わ、ぁ、うひっ」
「リュカ様!!」
リュカに手を揉まれゾクゾクしている従者を、部屋の隅にいたヴァンは物凄い勢いで駆けてきて強引にリュカから引っぺがす。
「誰彼構わずハンドクリームをわけるのはやめてくださいと言ったでしょう!! つけすぎたなら紙で拭いてください!」
怒筋を立てて怒るヴァンにリュカは「え~」と言いながら自分の手をモニョモニョする。
「なんか拭いちゃうの勿体なくてさあ。捨てるよりお裾分けしたほうがいいじゃん。それに誰彼構わずじゃないよ。うちの従者とか知ってる人だけだよ」
何がいけないのかまったくわかっていないリュカに、ヴァンは痛むこめかみを指で押さえる。ハンドクリームをお裾分けされた従者は赤面し、みるからにドギマギした様子で「あ、ありがとうございました!」と駆け足で部屋を出ていった。
ヴァンは悩ましい。リュカにその行為がいやらしいと教えるべきかどうかと。しかし教えたところで男同士の性愛を知らぬリュカは「何それ考えすぎだよ!」と否定するだろう。それどころか「そんなこと考えてるのヴァンだけじゃない……?」とドン引きするかもしれない。
「……人によっては接触が苦手な者もおりますし、そもそもあなたは次期当主なのですから無闇に人の体に触ってはいけません」
仕方なく今まで何度も繰り返したお説教をすれば、リュカは不満そうに「ん~」と眉根を寄せた。
(どうせ聞いてくださらないのだろうな)と半ばあきらめた気持ちでヴァンは溜息をつく。これからもなるべくリュカから離れずに、〝お裾分け〟を阻止するしかあるまい。
ところが。
「じゃあさあ、ヴァンにならいい?」
リュカはそう言ってヴァンの手を両手で握ってきた。
「ヴァンは俺に触られるの嫌じゃないよね? ……嫌だったらやめるけど」
まだクリームが残っているのか、リュカはヴァンの手にクリームを擦りつけてニチャニチャと揉んでいく。
なまめかしい刺激にヴァンは一瞬手を引きそうになったが、鼓動を逸らせながらもグッと耐えた。
「……そうしてください。他の者にお裾分けするくらいなら、すべて私がいただきます」
それはもはや不退転の覚悟であった。リュカが他の男にニチャニチャモニュモニュするくらいなら、己が鋼の意志で劣情を堪え受けとめてみせると。
おとなしく両手を揉まれているヴァンにリュカは「ありがと! これでふたりともひび割れ知らずだね」と嬉しそうに顔を綻ばせた。
「私はもともとひび割れ知らずですよ。そもそも手をハンカチでちゃんと拭けば無問題なんです」
「本当それ」
笑顔であっけらかんと言うリュカはあまり反省していなさそうだ。ヴァンは苦笑を零すしかない。
きっとこれから先もリュカはハンドクリームを必要とし、お裾分けするためのヴァンの手も必要とするのだろう。
――ところが。
それから二年後。
「あいたたた、また指先割れちゃった。今年もボンザール先生にハンドクリームもらわなくっちゃ」
「なんだ? ひび割れか?」
相も変わらずひび割れを起こしているリュカの手を取って見つめているのは、ピートだ。
「乾燥してると切れちゃうことがあるんだよね。でもクリーム塗ってればすぐ治るから平気」
そう説明するとピートは「そんじゃ俺がボンザール先生からハンドクリームもらってきてやるよ」と言って、早速取りに行ってくれた。
そうしてしばらくして、ピートは軟膏の入った小さな缶を持って戻ってくる。
「どうもありがとう~」
礼を言ってリュカは缶を受け取ろうとしたが、ピートは手渡さず蓋を開けた。そして中のクリームを指で掬うと「手出しな。俺が塗ってやるよ」とリュカの手を掴んだ。
ピートの大きな手に包まれモニュモニュされ、リュカは「ふひゃヒャヒャヒャヒャ、これくすぐったいね」と変な笑い声をあげる。
「気持ちいいだろ? ほら、しっかり指の間も塗らないとな」
「うひゃひゃヒャヒャヒャヒャ、ゾクゾクする~」
自分から誰かに塗るときはそうでもなかったが、一方的に塗られると妙にくすぐったい。リュカは今さら、ヴァンが誰彼構わずお裾分けするのをやめろと言っていた意味がわかった気がした。すると。
「失礼します、護衛交代の時間で――」
ちょうど護衛交代の時間でやって来たヴァンが、モニュモニュしているピートとされているリュカを見て固まる。
ヴァンは固まったまま目の前の出来事を把握し、何故そうなったかを瞬時に悟り、それから頭の中で「その手があったか!!」と叫んだ。
苦労してリュカを見張ってお裾分けを阻止するくらいなら、最初からハンドクリームを塗る役目を買って出ればよかったのだ。そうすればお裾分けの心配をしなくて済むだけでなく、こちらからリュカにモニュモニュできる。モニュモニュされるのも悪くないが、ヴァンはどちらかといえばリュカにモニュモニュしたい。
目を見開いたまま固まっているヴァンに、ピートは「……なんだよ。別に悪いことしてねえぞ」と怪訝そうな目を向ける。リュカも「ヴァン、おはよう。どうかした?」と不思議そうに小首を傾げた。
我を取り戻したヴァンは「おはようございます、リュカ様」と冷静に挨拶すると、何事もなかったように澄ました顔で室内に入ってきた。しかしピートの横を通り過ぎるときチッと口の中で舌打ちする。じつに腹立たしいが、ハンドクリームに関してはピートのやり方のほうが賢いと認めざるを得ない。
こうしてこの冬、リュカはヴァンとピートからこまめにハンドクリームを塗られまくり、ひび割れが治っただけでなく指も手もモチモチのプルプルになったのであった。
ちなみに翌年からはひび割れが起こる前に先立ってハンドクリームを塗られるようになったので、もうリュカの指が傷むことはなくなったのである。
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