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3巻
3-2
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国王になってからのリュカは多忙だ。時間も体力もいくらあっても足りない。せっかくルーチェの夜泣きがなくなったというのに、仕事の忙しさと疲れから、一対一でゆっくりエッチをする頻度が激減していた。三人でするときは大抵、ヴァンもピートも一回ずつしか射精していない。リュカの体を気遣ってのことだ。
これはよくないな、とリュカは思う。これではまるで性欲発散のためだけのセックスではないか。しかもヴァンとピートはきっと満足していない。
考えだすとリュカはたちまち不安に襲われる。ふたりが深く愛してくれるものだから、少し慢心していたかもしれない。
(もっとそれぞれとの時間を大切にしよう。……って今より時間を作るとなると、睡眠を削るしかないんだけど……うーん、週一、二くらいなら……)
そんなことを考えているうちに寝室に着き、ベッドの上に降ろされた。ハッとしたリュカに、すかさずヴァンがキスをする。
「ん、ん……っ」
普段より執拗に歯列や口腔を舐めてくるのは、やはり歯磨きに興奮していたからだろうか。
先にキスを奪われたピートが舌打ちして、リュカのガウンをはだけさせる。あらわになった臍に口づけ、そのまま唇を辿らせて陰茎を口に含んだ。
「んっ、は……あ」
性的な刺激にリュカが体を捩ろうとしたときだった。
「――痛っ!」
右手にピキッとした痛みが走った。その声を聞いたヴァンとピートが驚いて、咄嗟に組み敷いていた体を離す。
「どうした? どこが痛いんだ?」
「大丈夫か? またオオカミ野郎に噛まれたのか?」
「私は噛んでいない!」
リュカは体を起こすと、右手を目の前で軽く動かしながら話した。
「手が……右手がちょっと痛いみたい」
「「右手?」」
ヴァンとピートはすかさずリュカの右手と手首を掴む。そして傷はないか、腫れていないか、マジマジと見つめた。
「寝かせるときに捻ったのか?」
「ううん」
「もしかして今日の訓練で痛めてたのか?」
「違うよ、そうじゃなく……」
真剣に心配するふたりを前に、リュカは手を軽く開閉させながら困ったように小声で言った。
「……最近、たまに痛くなるんだ。先週も痛みを感じたから回復魔法をかけたんだけど……治ってなかったみたい」
その言葉を聞いて、ヴァンとピートの顔色が変わった。
リュカは創造神ウルデウスから森羅万象の力と悠久の命を授かっている。しかし悠久の命はヴァンとピートに分け与えたために不完全になり、不死ではなく長命になった。それでも神から授かった命は強く、怪我の回復力や病気に対する免疫力は常人にくらべ桁外れに高くなっている。命を分け与えられたヴァンとピートも同じだ。
そんなリュカが手の痛みを繰り返しているのだ。しかも回復魔法をかけたのに治癒していないとは、どういうことか。
「なぜ早く言わないんだ! ただことではないぞ!」
「すぐ医者に診てもらえ。ボンザール先生、叩き起こしてくる」
甘い雰囲気は吹き飛んで、ヴァンとピートは険しい顔に隠しようのない不安を滲ませる。リュカは乱れたガウンを整え直しながらしょんぼりと耳を垂らした。
「ごめん……。最初はちょっと捻っただけだと思ったんだ。大したことないって思ってたんだけど……」
「~っ、馬鹿! もっと王としての自覚を持てと何度言わせれば気が済むんだ! お前の体は私にとって……この世界にとって、何より大切なんだぞ!」
吠えるようなヴァンの叱責が胸に痛い。自分の体を軽視していたせいでとんでもない心配をかけてしまったと反省する。
(本当に俺ってば情けない。仕事にばっかりかまけて、恋人の時間も自分の体もないがしろにしてた。それで結局迷惑かけちゃうんだから、駄目駄目だ)
耳を垂らし尻尾を丸めすっかり意気消沈していると、侍医のアカシカ獣人ボンザールがピートに連れられて寝室にやって来た。騒ぎを聞きつけたのか、侍従長のシェパード獣人ジェトラも一緒だ。ふたりとも床に就いていたのだろう、寝巻の上に白衣と執事のコートを着ている。それを見てリュカはますます申し訳なさが募った。
「手が痛いとのことですな。ふむ……」
ボンザールはリュカの右手を握ったり揉んだり曲げたりして、じっくりと触診した。
「ボンザール先生、どうなんだよリュカ様の手は」
「何か骨や神経に異常があるのですか」
ピートとヴァンがハラハラした面持ちで尋ねる。するとボンザールは確信を得たように深く頷いてから口を開いた。
「腱鞘炎ですな」
「けんしょう……えん?」
「手指を使いすぎることによって発症する炎症です」
重大な異常ではなかったことに「なーんだ」と安堵の息を吐いたのは、リュカのみだった。ヴァンとピートだけでなく、ボンザールからも厳しい目を向けられる。
「『なーんだ』じゃございませんよ、リュカ様。神のご加護を授かっておられるお体で腱鞘炎が起きているということは、常人ならばとっくに手が使いものにならなくなっているということです。並大抵の疲労の蓄積じゃありません。しかも回復魔法をかけたのに、再発症したというではありませんか。腱鞘炎はしっかり治さないと腱が硬くなり、繰り返すクセがつきます。これはもうクセになりかけているということですよ」
ボンザールに説明され、リュカは自分の手を見つめる。回復魔法で根治しないとは、意外に厄介だ。
「要は働きすぎってことだな。毎日ウン百枚って書類にサインしてるもんな」
「最近は肩が凝っているような仕草もよくされていますね。以前は凝るようなタイプじゃなかったのに」
ピートとヴァンも口々に言う。さらにはジェトラが指を折って考えながら口を開いた。
「リュカ様、まともにお休みを取られたのは八年前ではございませんか?」
その言葉に、ヴァンもピートもボンザールも、そしてさすがにリュカも目を見開いた。
「え……まさか。そんなことないと思うけど」
リュカにだって休日はある。週に一度の安息日は王の仕事も当主の仕事も一応は休みだ。
しかし思い返してみれば、なんだかんだと休日も働いている。祭典や儀式などは安息日に行われることが多いし、自然災害は休日なんかお構いなしに起きる。平日に忙しすぎて手が回らなかった仕事を片付けることもあるし、半日ゆっくりできればいいほうだろう。
さらにリュカにはルーチェの育児がある。手の空いた時間はなるべくルーチェと過ごし親子の絆を深めたいリュカに、ひとりでのんびりする時間はない。
丸一日自由に過ごしたのも、ましてや連休など取ったのも、ここ数年一度もなかった。最後に休日らしい休日を過ごしたのは、おそらく八年前、魔王が出現し十五歳だったリュカが次期当主として公務に携わるようになる前だ。
「……俺、働きすぎじゃない?」
今更ながら、リュカは自分が異常かもしれないと気づいた。
「働きすぎにもほどがあんだろ……」
ピートはもはや狼狽えた声で言う。
「……私の失態です。リュカ様を休ませるのも私の役目だというのに」
ヴァンは額を押さえて項垂れた。ふたりとも、いや、ジェトラやボンザールもリュカがここまで働きづめだとは思っていなかった。休日労働のあとはどこかで休みを調整していたと、てっきり思い込んでいたのだ。スケジュールをリュカ自身で管理していたのがいけなかった。
ボンザールは深く呆れた溜息をついてリュカを見る。
「決まりですな。リュカ様、お休みを取ってください。できれば一週間くらい」
「幸い今はどこの地域でも大きな災害は起きておりませぬ。森羅万象のお力が必要な案件以外なら、一週間ぐらい我々や大臣でなんとかします。安心して休息を取ってください」
ジェトラも休暇を勧め、その言葉にヴァンもピートもウンウンと頷く。
「い……いいのかな、お休みなんかもらっちゃって」
リュカは嬉しいより先に、戸惑いの気持ちが湧いてくる。何せ八年ぶりのまともな休みだ。
「いいに決まってんじゃねえか。今までが働きすぎだったんだ、思いっきり羽伸ばしてこいよ。旅行でも行ってきたらどうだ。屋敷とルーチェのことは俺たちに任せておけ」
「旅行……! お忍びで行ってもいいのかな。普通に観光とかしたり、地元の屋台とかでご飯食べちゃったりして」
「確かに、お忍びのほうがリュカ様はくつろげそうですね。……まあ今は外敵もおりませんし、最低限の護衛でも大丈夫でしょう。休暇の邪魔にならないよう、少数の護衛隊を編成いたします」
すると、ジェトラがふたりを振り返って意外なことを口にした。
「両団長殿。ちょうどいい機会だから、あなたたちも休暇を取るといい。リュカ様ほどではないが、おふたりもずっと忙しくしていたでしょう」
思いも寄らぬ提案に、今度はヴァンとピートが目を丸くした。確かにふたりも側近に就任以来、多忙な日々を過ごしている。それでも週に一度の休みはもちろん、リュカが気を遣い時々は二~三日の連休を取らせたりもしていたが、有事の際には業務時間を超えることも休みがなくなることもざらだった。
「どちらにしろ、休暇中でもリュカ様には護衛が必要だ。三日ずつ、休みを兼ねてリュカ様に付き添われてはどうか。団長殿がそばにおれば他に護衛をつけなくとも大丈夫でしょう」
「つまり三日ずつ……」
「リュカ様とふたりきりでプライベートを過ごせる、と……」
ジェトラの提案に、リュカは目を輝かせて顔をパァッと綻ばせた。
「それいい! 賛成!」
ついさっき、それぞれとの時間をもっと持ちたいと思っていたところなのだ。これは願ってもないチャンスだ。連休がもらえるだけでなく、まさか恋人とふたりきりでゆっくり過ごせる日が来るなんて思ってもいなかった。リュカは嬉しくなって、すっかり興奮してしまった。
そしてまた、ヴァンとピートも隠しきれない喜びを瞳や口もとに滲ませている。
「よろしいのですか……?」
ヴァンが聞けば、リュカは満面の笑みでうんうんと頷く。
「ふたりが嫌じゃなかったら、俺と一緒に過ごしてよ」
ヴァンもピートも、最愛の恋人のいじらしいお願いを断る気などこれっぽっちもない。
「では、決まりですな」
三人の様子を見ていたジェトラが呟く。
こうして翌月に建国一周年を控えた四月、国王リュカはなんと八年ぶりの休暇を取ることが決まったのであった。
第二章 オオカミの恋人
「それでは、いってらっしゃいませ。リュカ様、ヴァン団長」
レイナルド邸の正門の前で、黄金麦穂団の団員がベッセル副団長を中心にずらりと並ぶ。その脇にはジェトラと叔母のサーサ、それにルーチェを抱いたピートが立っていた。お忍びの旅行なので、見送りは彼らだけだ。
「それじゃあみんな、屋敷のことを頼むね」
いつもの法衣姿ではなく、ケープを羽織った旅装束姿のリュカがみんなの顔を見て言う。そしてピートに抱かれたルーチェのほっぺを手で揉み、「お利口にしててね」と微笑みかけた。
「ュア、あっこ」
お留守番を察したのか、ルーチェが涙目になって手を伸ばす。リュカが焦ると、ピートがルーチェを抱き直し、揺らしてあやしながら片手を振った。
「大丈夫だ、ルーチェのことは心配すんな。早く行きな」
彼の心遣いに感謝し、リュカは微笑んで頷くと踵を返してヴァンの隣に並んで歩きだす。
「いってきまーす」
振り返り、リュカは見送りの者たちに大きく手を振った。
「リュカ様も兄上も、国のために人一倍働かれているお方だ。この休暇で癒されるとよいですね」
胸の前で手を振っていたベッセルが、リュカたちを見つめながら言う。
「そのためにゃ万が一にでもリュカ様が呼び戻される事態にならねーように、俺たちがしっかり留守を預からねーとな」
隣に立つピートがルーチェをあやしながら返せば、ベッセルと団員たちの表情が引き締まった。
「もちろんです!」
しかし、団員たちが気合を入れている横で、サーサは眉尻を下げ不安そうな表情を浮かべている。
「リュカ様がご不在の間、何事も起きないといいのですけど。私は代理で書類にサインすることはできても、騎士団に指示したり不測の事態には対応できませんからね。ああ神様、無事にこの一週間過ごせますように」
サーサはリュカの叔母で、レイナルド公爵位の継承権第二位を持っている。ルーチェがまだ幼い現在、有事のときにリュカの代理を務めるのは彼女だ。今までもリュカが魔王に攫われたときや、敵に監禁されたときなど、当主代理を務めさせられた。しかしリュカと違い平凡な能力のサーサには、当主代理の荷は重すぎるのだ。
そのたびに彼女の白髪が増えてしまっていることを知っているピートは苦笑しつつ、空を仰ぐ。
「まあ一週間ぐらいなんとかなんだろ。なんたってリュカ様にはウルデウス様のご加護があるからな。神様もたまにゃリュカ様を休ませてくれんじゃねーの」
よく晴れた春の空は絵の具で描いたように水色で、ヒツジのような雲がふわふわと浮かんでいた。まるで平和を絵に描いたような空に、サーサの不安もグズっていたルーチェの顔も、少し晴れたのであった。
リュカの休暇は一週間。最初の三日間をヴァンと、後半の三日間をピートと過ごすことに決めた。残りの一日は魔王デモリエルのところへ遊びにいく予定だ。
旅行の行き先は、それぞれヴァンとピートが決めた。どうやらふたりは、どちらがリュカの喜ぶデートプランを立てられるかで競っているようだ。
何はともあれ、今日からはヴァンと旅行だ。お忍びなので家紋を外した地味な馬車に乗っていく。目的地はお楽しみということで、まだ教えてもらっていない。
「ヴァンのそういう恰好、初めて見た気がする」
馬車の席で向かい合って座りながら、リュカはヴァンの姿をマジマジと見て言う。
今日の彼は白いシャツの上に茶色いベストを着て、大きなストールをゆったりとマントのように体に巻きつけている。クラヴァットを巻いていないのも、飾り気のないシンプルなシャツも、ラフな素材のベストも、彼が着ているのを初めて見た。細身の脚衣につけている剣帯も騎士団のものと違い、宝石のワンポイントが入っている。
十歳の初対面のときから、リュカの前ではいつだってきっちりした恰好しか見せなかったヴァンにしては、かなりくつろいだ服装だ。いわゆる私服という感じがして、リュカは嬉しくなる。
「一応、休暇だからな。お前だって今まで見たことのない恰好をしてるじゃないか」
そう返されたリュカも、今日は珍しい服装だ。襟に刺繍の入った紺色のシャツにリボンタイを結び、膝丈の脚衣にはガーターベルトで留めたソックスを組み合わせている。その上に着ているのはフードのついたキャメル色のケープだ。
「へへ。だって初めてのデートだし。張り切ってコーディネートしちゃった」
リュカは自分の恰好を見て恥ずかしそうに笑う。
実はリュカはあまり私服を持っていない。子供の頃は色々持っていたはずなのに、いつの間にかクローゼットの中は法衣ばかりになっていた。こんなところにも八年間仕事漬けだったことが窺える。
今回ヴァンとピートとそれぞれ旅行に行けると決まって、リュカはウキウキと服を新調した。考えてみれば、ふたりきりで出かけることなど今までなかった。つまりこれが初めてのデートなのだ。気合も入るというものである。……本当はもう少し大人っぽい恰好がしたかったが滑稽なほどに似合わず、少年向けのデザインから選んだことは胸にしまっておく。
リュカの言葉にヴァンはほんのり頬を染めると、柔らかに目を細めた。
「……私もだ」
そのひと言に、リュカの胸がキュッと締めつけられる。あの真面目なヴァンが自分と同じく初デートを喜び、コーディネートに悩んだのかと思うと、くすぐったいような嬉しさが込み上がってくる。
「へへっ、えへへ」
この嬉しさをうまく言葉にできなくて、リュカは肩を竦めて笑う。よく知った幼なじみなのに、目の前の彼にとても新鮮なときめきが湧く。照れくさくて顔を見ることができない。そんなリュカを愛おしさのこもった眼差しで見つめ、ヴァンは手を伸ばすとその頬に触れた。
「リュカ」
呼びかけられて、唇を重ねられる。
(俺、今、恋人とデートしてるんだなあ)
そんな思いがしみじみと全身を巡り、リュカは甘い気持ちに浸った。
馬車を二時間ほど走らせた頃、窓から外の風景を見ていたリュカは目的地に心当たりが出てきた。延々と続く麦畑、その合間に建つ風車小屋、一見どこにでもある風景だが、リュカの遠い記憶を呼び起こす。
「もしかして、この先って……」
「シペタの村だ。今日は祭りがある」
自分の予想が合っていたことに、リュカは顔を輝かせた。
リュカとヴァンの付き合いは十歳の頃からだが、ヴァンがリュカを友達だと認めてくれたのはそれから二年後のことだ。そのとき初めてふたりでお忍びで遊びにいったのが、シペタの村の祭りだったのだ。
懐かしいけれど色褪せない思い出がリュカの胸に花開く。こんな粋なデートコースを決めたヴァンに、思わず抱きつきたくなるほどだった。
それから三十分ほど馬車は走って、村から少し離れた木陰に停まった。ここからは歩いていく。
「どうする? フードを被っていくか?」
先に馬車を下りたヴァンが手を差し伸べながら尋ねる。
この世界でただひとりの王であるリュカは、世界一の有名人だ。水晶を使って世界中に言葉を届けているので、リュカの顔を知らない者はいない。いくらお忍びでの旅行とはいえ、姿を見せれば大騒ぎになることは間違いなかった。
しかしリュカはヴァンの手を取りタラップをピョンと飛び降りると、首を横に振ってから口角を上げてみせた。なんだか得意げな笑顔だ。
「実は今日のためにとっておきの魔法を用意しました! じゃーん!」
おどけた口調で言って、リュカは胸の前で手を組んだ。そして、「見てて!」と、爪先立ちでヒラリと一回転する。その回転に合わせて煌めく粒子がリュカの体を包み、軽やかに弾けた。
「どう?」
光の中から出てきたリュカは、なんとウサギ獣人になっていた。フェネックの特徴的な大きな耳は白く長いものに、自慢のモフモフ尻尾は小さな丸い尾になっている。
ヴァンは呆気に取られながら、マジマジとリュカの耳と尾を見つめた。
「変身の魔法を覚えたのか……」
「便利でしょ。これなら俺が王様だってバレなくない?」
リュカはキツネ族の中でもなかなか珍しいフェネックギツネ獣人だ。おそらく今の大陸にリュカ以外には存在しない。特徴的な大きな耳と尻尾は目立つし、その外見こそがリュカをリュカたらしめんとする所以だ。つまり逆を言えば、フェネックでなくなれば顔が似ていても誰もリュカだとは思わないのである。
「これね、実は変身じゃなくて視認の魔法なんだ。うすーい魔法の霧で覆ってるだけで、本当はもとの耳も尻尾もここにあるんだよ」
そう言ってリュカはヴァンの手を掴むと、自分の尻の近くの空間を触らせた。何も見えないのに確かに手に感じるモフモフに、ヴァンは目をまん丸くする。
「魔法の霧を出しっぱなしにしなくちゃいけないから、結構魔力を消費するんだ。だから前までは使えなかったんだけど、ウルデウス様の力を受け継いだ今ならできるかなと思って」
視認の魔法は単純に見えてなかなか高度だ。眠ったり気を抜きすぎたりすると、魔法の霧が消えてしまう。魔力の消費量といい、リュカ以外に使えるものはいないだろう。
「大したものだな」
感心するヴァンに、リュカは上目遣いに微笑みかける。
「今日の俺はウサギのリュカだよ。行こう、オオカミさん」
キュッと手を繋いできたリュカに、ヴァンは口もとに浅く弧を描いて頷き歩きだす。
「その魔法を使えばどんな姿にもなれるのか?」
「うん。有翼でも爬虫類でも、海獣でもなんにでもなれるよ。明日はペンギン獣人になってみせようか?」
「お前の好きにしろ。私はなんでも構わない」
「じゃあヴァンとお揃いのハイイロオオカミになっちゃおうかな」
のんびりとした会話を交わしながら、ふたりは手を繋いで村の入口まで歩いていった。
シペタの村は春を迎える祭りで大いに賑わっていた。大道芸人や民族団が音楽をかき鳴らし、若い娘たちが薄手の衣装をヒラヒラさせながら花を撒いている。
「わぁ……あの頃とおんなじだ」
昔と変わらぬその光景に、リュカは胸をワクワクと弾ませる。
「あのときは屋台で色々食べたよね。覚えてる?」
「もちろんだ。お前がいい匂いにつられてチョロチョロするものだから、目が離せなかった」
「あはは、そうだったね」
笑い合いながら、繋いだ手に互いに力がこもる。子供の頃もふたりはこうして手を繋いで一緒に屋台を巡った。固く握り合った小さな手はあれから長い時間を経て、二度とほどけない絆に成長した。昔と変わらぬ風景を見ていると、そのことを強く実感する。
「ね、せっかくだからなんか食べよう。俺、肉の串焼き食べたい」
リュカは大通りに建ち並ぶ屋台を指さして言った。ヴァンの返事を待たず手を引いてそのまま走りだす。羊肉にスパイスをまぶし香ばしく焼いている屋台に並び、マレーグマの店員に「二本ちょうだい」と銅貨を渡す。
店員はリュカを見ていかつい顔を綻ばせると、肉の串の先にソーセージを刺してから渡してくれた。
「カップルかい? お嬢ちゃん可愛いねえ、ほら、おまけだよ」
リュカはポカンとしたあと、口をパクパクさせながら顔を真っ赤にした。ヴァンはそんなリュカを見てクツクツと笑いながら串を受け取る。
「お、女の子と間違えられた!」
店から少し離れた場所で、リュカは悔しそうに頬を膨らませて小声で嘆いた。しかし、いつもならリュカが性別を間違われたら『不敬だ!』と怒るヴァンが、今日はおかしそうに目を細めている。
「それだけお前の魔法が完璧だということだろう。誰も今のお前を国王だと認識していない、いいことじゃないか」
「それはそうだけど~」
リュカはヴァンから串を受け取りカプッと口をつける。おまけしてもらったソーセージはおいしかった。
それからふたりはチーズとジャムを包んだ薄パンを買い、広場の噴水の縁に座って食べた。ポカポカと日差しが暖かく、子供たちが辺りを元気に走り回っている。少し離れたところから祭りの音楽が聞こえ、なんとも平和でのどかだ。
薄パンを食べるヴァンの横顔を見ながら、リュカは思う。以前来たときには、潔癖気味なヴァンはいちいち屋台の食べ物に抵抗感を抱いていたのだ。潔癖気味な性格自体は変わっていないが、こうして屋台の食べ物を抵抗なく食べられるようになったのを見ると、随分柔軟になったなと感じる。
「どうかしたか?」
ジッと見すぎていたせいか、ヴァンが視線に気づいてリュカのほうを振り向く。
「ううん、なんでもない」
リュカは慌てて視線を逸らしたが、今度はヴァンがジッとリュカを見つめる。そして「ついてる」とリュカの唇の端についていたジャムを拭おうと手を伸ばしかけ……そのまま顎をすくい、舌で舐め取った。
「……っ!?」
リュカは驚いて目を白黒させる。まさか堅物なヴァンが人目のある場所でこんな大胆なことをしてくるとは、夢にも思わなかった。
ヴァンは微かに口角を上げ、悪戯っ子のような笑みを浮かべている。初めて見る表情だった。
初デートで浮かれているのか、それとも主従という枠が外れたヴァンは案外気さくなのかもしれない。初めて知る恋人の一面に、リュカは嬉しくなってパタパタと見えない尻尾を振った。
「ヴァンのえっち。こんな目立つところでキスした~」
「キスじゃない。お前の顔を綺麗にしてやっただけだ」
キャッキャとからかいながらリュカがふざけてヴァンに凭れかかれば、そのまま肩を抱き寄せられて唇を重ねられる。
「キスとはこういうことだ」
頬を染めながらも得意そうに微笑むヴァンに、リュカは笑いを零すと今度は自分から唇を重ねた。
それからふたりは手を繋いで歩きながら、祭りを楽しんだ。音楽を奏でる民族の若者に交じって一緒に踊ったり、曲芸団の芸を楽しんで銅貨を投げたり、踊り子の投げる花をヴァンがキャッチしてそれをリュカの髪に飾ってくれたりした。途中で迷子を見つけ、母親を捜してあげるというハプニングもあった。
そして楽しい一日はあっという間に過ぎ、日が沈む頃、村ではフィナーレの花火が上がった。
「わあ、綺麗。花火なんてやってたんだね。知らなかった」
「前に来たときは夕方までいられなかったからな」
大通りの隅に立ち止まり、ふたり並んで空を見上げる。仲睦まじく手を繋いでいるその姿は、きっとただのカップルにしか見えないだろう。……リュカが女の子に間違われている可能性は高いが。
「今日、すっごく楽しかった! こんなに長い時間、自由に行動したのって初めてだよ。王様でも当主でもない、ただのリュカになった気がする」
リュカは当主の立場も王様の立場も嫌ではない。苦労も多いが、重荷だと感じたことは一度もない。けれど人目を気にせず好きに振る舞う楽しさを、今日は思い出せた気がする。
〝ただのリュカ〟。たまにはそんな日があってもいい。そして何より思う存分ヴァンと手を繋いで笑い合えて、リュカはたまらなく幸せだと思った。
色とりどりの花火の光に照らされた顔で、リュカは満面の笑みを浮かべている。ヴァンは愛おしそうな目でそれを見つめ、腰を屈めてリュカのつむじにキスをした。
「私たちが主従でなくただの幼なじみだったら……こんな毎日を送っていたのかもしれないな」
リュカは考える。もし自分たちが主従でなかったらと想像して、思わずクスクスと噴き出した。
「どうした?」
「あのね、想像してみたんだけど、主従じゃなくてもヴァンはやっぱり俺の世話をしたがるし、俺は頼りなくてヴァンの手を焼いてたと思う。あんま変わんないかも!」
もし立場が逆転してヴァンが主でリュカが従者だったとしても同じだろう。甲斐甲斐しく従者リュカの世話を焼きたがる当主ヴァンの姿を想像して、リュカはおかしくなってしまった。
「それは言えてる」
ヴァンもつられたように肩を揺らして笑う。そしてひとしきり笑ってから、リュカは繋いだ手に指を絡めた。
「愛してるよ、ヴァン。主従でも、そうじゃなくても、きっとどんな立場だったとしても」
リュカの大きな瞳に、花火の彩に照らされたヴァンが映る。ときめく胸の奥に、何かが一瞬よぎった気がする。忘れている遠い記憶。従者ではない顔をした彼――
「リュカ」
ヴァンの金色の瞳が、リュカを映して揺れる。何かを言おうとして開かれた唇は一度閉じられ、それからリュカにしか聞こえない声で囁いた。
「愛してる」
村には一軒しか宿がなかったが、一番いい部屋をヴァンが予約してくれていた。
「リュカ、リュカ」
「あっ、あ……ヴァン……」
部屋に入るなり、ふたりはベッドにもつれ込む。旅の汗を流す余裕すらないのは、今日の開放的な雰囲気のせいだろう。ずっと手を繋ぎ堂々と恋人として振る舞っていたのだ、いつもより気分が昂るのも当然だった。
ヴァンはリュカを組み敷き、顔や首筋にキスの雨を降らせながら服を脱がせる。ケープは外したものの、シャツのボタンを外すのはもどかしかったようで、捲り上げてリュカの乳首を舐めた。
「ん、ぅ……っ、あぁッ」
ヴァンの舌が、唇が、手が、触れたところが熱い。もっとたくさん、深く触れてほしくて、リュカは無意識に腰を揺らす。
「ヴァン、キスして。いっぱいキスしてほしい……」
リュカがおねだりすれば、ヴァンは瞳により一層情欲の色を滲ませる。片手でリュカの頭を抱えるように撫でながら深く唇を重ね、もう片方の手でせわしなくリュカの脚衣を脱がせた。
「リュカ、私の可愛いリュカ」
熱心にリュカの唇を甘噛みし、歯列をねぶり、舌を吸うヴァンは、本当にリュカのことを食べてしまいそうだ。呼吸も荒く、今にも理性が飛びそうになるのをかろうじて耐えている。
ヴァンはリュカに口づけながら自分の服を脱ぎ捨てようとした。しかしそれすらもじれったかったのか、ストールと剣帯を外しただけで、着衣のまま脚衣の前をくつろがせた。隆起している雄茎がブルンと飛び出し、ヴァンはすかさずそれをリュカの陰茎と触れ合わせる。
「な……、あ、あぁっ」
ふたりの肉竿が密着し擦り合わされる刺激に、リュカは喉を反らせて嘆息した。動くたびに先走りの露でぬめった先端がヌチヌチと淫らな音を立てる。ヴァンが片手でふたりの竿を握ってしごくと、リュカはさらに呼吸を荒くした。
「……ん?」
ヴァンは目をしばたたかせた。長く白かったリュカの耳が霧散するように消え、もとの大きなフェネックの耳に戻っていく。ふと腰のあたりに目をやると、尻尾も同じだった。淡く光る粒子がスッと消え、大きな黄金色の尻尾が現れる。そういえば気を抜きすぎると戻るとリュカが言っていたことを思い出して、小さく笑った。
「まったく。お前のすることは何もかも可愛すぎるな」
ヴァンは両方の手で竿を握りながら、指先でリュカのピンク色の先端を弄った。敏感な場所を攻められ、靴下を履いたままのリュカの爪先に力がこもる。
「そこ……っ、だめ……!」
赤い顔をして射精に耐えているリュカを見て、ヴァンはうっとりと舌なめずりをする。
これはよくないな、とリュカは思う。これではまるで性欲発散のためだけのセックスではないか。しかもヴァンとピートはきっと満足していない。
考えだすとリュカはたちまち不安に襲われる。ふたりが深く愛してくれるものだから、少し慢心していたかもしれない。
(もっとそれぞれとの時間を大切にしよう。……って今より時間を作るとなると、睡眠を削るしかないんだけど……うーん、週一、二くらいなら……)
そんなことを考えているうちに寝室に着き、ベッドの上に降ろされた。ハッとしたリュカに、すかさずヴァンがキスをする。
「ん、ん……っ」
普段より執拗に歯列や口腔を舐めてくるのは、やはり歯磨きに興奮していたからだろうか。
先にキスを奪われたピートが舌打ちして、リュカのガウンをはだけさせる。あらわになった臍に口づけ、そのまま唇を辿らせて陰茎を口に含んだ。
「んっ、は……あ」
性的な刺激にリュカが体を捩ろうとしたときだった。
「――痛っ!」
右手にピキッとした痛みが走った。その声を聞いたヴァンとピートが驚いて、咄嗟に組み敷いていた体を離す。
「どうした? どこが痛いんだ?」
「大丈夫か? またオオカミ野郎に噛まれたのか?」
「私は噛んでいない!」
リュカは体を起こすと、右手を目の前で軽く動かしながら話した。
「手が……右手がちょっと痛いみたい」
「「右手?」」
ヴァンとピートはすかさずリュカの右手と手首を掴む。そして傷はないか、腫れていないか、マジマジと見つめた。
「寝かせるときに捻ったのか?」
「ううん」
「もしかして今日の訓練で痛めてたのか?」
「違うよ、そうじゃなく……」
真剣に心配するふたりを前に、リュカは手を軽く開閉させながら困ったように小声で言った。
「……最近、たまに痛くなるんだ。先週も痛みを感じたから回復魔法をかけたんだけど……治ってなかったみたい」
その言葉を聞いて、ヴァンとピートの顔色が変わった。
リュカは創造神ウルデウスから森羅万象の力と悠久の命を授かっている。しかし悠久の命はヴァンとピートに分け与えたために不完全になり、不死ではなく長命になった。それでも神から授かった命は強く、怪我の回復力や病気に対する免疫力は常人にくらべ桁外れに高くなっている。命を分け与えられたヴァンとピートも同じだ。
そんなリュカが手の痛みを繰り返しているのだ。しかも回復魔法をかけたのに治癒していないとは、どういうことか。
「なぜ早く言わないんだ! ただことではないぞ!」
「すぐ医者に診てもらえ。ボンザール先生、叩き起こしてくる」
甘い雰囲気は吹き飛んで、ヴァンとピートは険しい顔に隠しようのない不安を滲ませる。リュカは乱れたガウンを整え直しながらしょんぼりと耳を垂らした。
「ごめん……。最初はちょっと捻っただけだと思ったんだ。大したことないって思ってたんだけど……」
「~っ、馬鹿! もっと王としての自覚を持てと何度言わせれば気が済むんだ! お前の体は私にとって……この世界にとって、何より大切なんだぞ!」
吠えるようなヴァンの叱責が胸に痛い。自分の体を軽視していたせいでとんでもない心配をかけてしまったと反省する。
(本当に俺ってば情けない。仕事にばっかりかまけて、恋人の時間も自分の体もないがしろにしてた。それで結局迷惑かけちゃうんだから、駄目駄目だ)
耳を垂らし尻尾を丸めすっかり意気消沈していると、侍医のアカシカ獣人ボンザールがピートに連れられて寝室にやって来た。騒ぎを聞きつけたのか、侍従長のシェパード獣人ジェトラも一緒だ。ふたりとも床に就いていたのだろう、寝巻の上に白衣と執事のコートを着ている。それを見てリュカはますます申し訳なさが募った。
「手が痛いとのことですな。ふむ……」
ボンザールはリュカの右手を握ったり揉んだり曲げたりして、じっくりと触診した。
「ボンザール先生、どうなんだよリュカ様の手は」
「何か骨や神経に異常があるのですか」
ピートとヴァンがハラハラした面持ちで尋ねる。するとボンザールは確信を得たように深く頷いてから口を開いた。
「腱鞘炎ですな」
「けんしょう……えん?」
「手指を使いすぎることによって発症する炎症です」
重大な異常ではなかったことに「なーんだ」と安堵の息を吐いたのは、リュカのみだった。ヴァンとピートだけでなく、ボンザールからも厳しい目を向けられる。
「『なーんだ』じゃございませんよ、リュカ様。神のご加護を授かっておられるお体で腱鞘炎が起きているということは、常人ならばとっくに手が使いものにならなくなっているということです。並大抵の疲労の蓄積じゃありません。しかも回復魔法をかけたのに、再発症したというではありませんか。腱鞘炎はしっかり治さないと腱が硬くなり、繰り返すクセがつきます。これはもうクセになりかけているということですよ」
ボンザールに説明され、リュカは自分の手を見つめる。回復魔法で根治しないとは、意外に厄介だ。
「要は働きすぎってことだな。毎日ウン百枚って書類にサインしてるもんな」
「最近は肩が凝っているような仕草もよくされていますね。以前は凝るようなタイプじゃなかったのに」
ピートとヴァンも口々に言う。さらにはジェトラが指を折って考えながら口を開いた。
「リュカ様、まともにお休みを取られたのは八年前ではございませんか?」
その言葉に、ヴァンもピートもボンザールも、そしてさすがにリュカも目を見開いた。
「え……まさか。そんなことないと思うけど」
リュカにだって休日はある。週に一度の安息日は王の仕事も当主の仕事も一応は休みだ。
しかし思い返してみれば、なんだかんだと休日も働いている。祭典や儀式などは安息日に行われることが多いし、自然災害は休日なんかお構いなしに起きる。平日に忙しすぎて手が回らなかった仕事を片付けることもあるし、半日ゆっくりできればいいほうだろう。
さらにリュカにはルーチェの育児がある。手の空いた時間はなるべくルーチェと過ごし親子の絆を深めたいリュカに、ひとりでのんびりする時間はない。
丸一日自由に過ごしたのも、ましてや連休など取ったのも、ここ数年一度もなかった。最後に休日らしい休日を過ごしたのは、おそらく八年前、魔王が出現し十五歳だったリュカが次期当主として公務に携わるようになる前だ。
「……俺、働きすぎじゃない?」
今更ながら、リュカは自分が異常かもしれないと気づいた。
「働きすぎにもほどがあんだろ……」
ピートはもはや狼狽えた声で言う。
「……私の失態です。リュカ様を休ませるのも私の役目だというのに」
ヴァンは額を押さえて項垂れた。ふたりとも、いや、ジェトラやボンザールもリュカがここまで働きづめだとは思っていなかった。休日労働のあとはどこかで休みを調整していたと、てっきり思い込んでいたのだ。スケジュールをリュカ自身で管理していたのがいけなかった。
ボンザールは深く呆れた溜息をついてリュカを見る。
「決まりですな。リュカ様、お休みを取ってください。できれば一週間くらい」
「幸い今はどこの地域でも大きな災害は起きておりませぬ。森羅万象のお力が必要な案件以外なら、一週間ぐらい我々や大臣でなんとかします。安心して休息を取ってください」
ジェトラも休暇を勧め、その言葉にヴァンもピートもウンウンと頷く。
「い……いいのかな、お休みなんかもらっちゃって」
リュカは嬉しいより先に、戸惑いの気持ちが湧いてくる。何せ八年ぶりのまともな休みだ。
「いいに決まってんじゃねえか。今までが働きすぎだったんだ、思いっきり羽伸ばしてこいよ。旅行でも行ってきたらどうだ。屋敷とルーチェのことは俺たちに任せておけ」
「旅行……! お忍びで行ってもいいのかな。普通に観光とかしたり、地元の屋台とかでご飯食べちゃったりして」
「確かに、お忍びのほうがリュカ様はくつろげそうですね。……まあ今は外敵もおりませんし、最低限の護衛でも大丈夫でしょう。休暇の邪魔にならないよう、少数の護衛隊を編成いたします」
すると、ジェトラがふたりを振り返って意外なことを口にした。
「両団長殿。ちょうどいい機会だから、あなたたちも休暇を取るといい。リュカ様ほどではないが、おふたりもずっと忙しくしていたでしょう」
思いも寄らぬ提案に、今度はヴァンとピートが目を丸くした。確かにふたりも側近に就任以来、多忙な日々を過ごしている。それでも週に一度の休みはもちろん、リュカが気を遣い時々は二~三日の連休を取らせたりもしていたが、有事の際には業務時間を超えることも休みがなくなることもざらだった。
「どちらにしろ、休暇中でもリュカ様には護衛が必要だ。三日ずつ、休みを兼ねてリュカ様に付き添われてはどうか。団長殿がそばにおれば他に護衛をつけなくとも大丈夫でしょう」
「つまり三日ずつ……」
「リュカ様とふたりきりでプライベートを過ごせる、と……」
ジェトラの提案に、リュカは目を輝かせて顔をパァッと綻ばせた。
「それいい! 賛成!」
ついさっき、それぞれとの時間をもっと持ちたいと思っていたところなのだ。これは願ってもないチャンスだ。連休がもらえるだけでなく、まさか恋人とふたりきりでゆっくり過ごせる日が来るなんて思ってもいなかった。リュカは嬉しくなって、すっかり興奮してしまった。
そしてまた、ヴァンとピートも隠しきれない喜びを瞳や口もとに滲ませている。
「よろしいのですか……?」
ヴァンが聞けば、リュカは満面の笑みでうんうんと頷く。
「ふたりが嫌じゃなかったら、俺と一緒に過ごしてよ」
ヴァンもピートも、最愛の恋人のいじらしいお願いを断る気などこれっぽっちもない。
「では、決まりですな」
三人の様子を見ていたジェトラが呟く。
こうして翌月に建国一周年を控えた四月、国王リュカはなんと八年ぶりの休暇を取ることが決まったのであった。
第二章 オオカミの恋人
「それでは、いってらっしゃいませ。リュカ様、ヴァン団長」
レイナルド邸の正門の前で、黄金麦穂団の団員がベッセル副団長を中心にずらりと並ぶ。その脇にはジェトラと叔母のサーサ、それにルーチェを抱いたピートが立っていた。お忍びの旅行なので、見送りは彼らだけだ。
「それじゃあみんな、屋敷のことを頼むね」
いつもの法衣姿ではなく、ケープを羽織った旅装束姿のリュカがみんなの顔を見て言う。そしてピートに抱かれたルーチェのほっぺを手で揉み、「お利口にしててね」と微笑みかけた。
「ュア、あっこ」
お留守番を察したのか、ルーチェが涙目になって手を伸ばす。リュカが焦ると、ピートがルーチェを抱き直し、揺らしてあやしながら片手を振った。
「大丈夫だ、ルーチェのことは心配すんな。早く行きな」
彼の心遣いに感謝し、リュカは微笑んで頷くと踵を返してヴァンの隣に並んで歩きだす。
「いってきまーす」
振り返り、リュカは見送りの者たちに大きく手を振った。
「リュカ様も兄上も、国のために人一倍働かれているお方だ。この休暇で癒されるとよいですね」
胸の前で手を振っていたベッセルが、リュカたちを見つめながら言う。
「そのためにゃ万が一にでもリュカ様が呼び戻される事態にならねーように、俺たちがしっかり留守を預からねーとな」
隣に立つピートがルーチェをあやしながら返せば、ベッセルと団員たちの表情が引き締まった。
「もちろんです!」
しかし、団員たちが気合を入れている横で、サーサは眉尻を下げ不安そうな表情を浮かべている。
「リュカ様がご不在の間、何事も起きないといいのですけど。私は代理で書類にサインすることはできても、騎士団に指示したり不測の事態には対応できませんからね。ああ神様、無事にこの一週間過ごせますように」
サーサはリュカの叔母で、レイナルド公爵位の継承権第二位を持っている。ルーチェがまだ幼い現在、有事のときにリュカの代理を務めるのは彼女だ。今までもリュカが魔王に攫われたときや、敵に監禁されたときなど、当主代理を務めさせられた。しかしリュカと違い平凡な能力のサーサには、当主代理の荷は重すぎるのだ。
そのたびに彼女の白髪が増えてしまっていることを知っているピートは苦笑しつつ、空を仰ぐ。
「まあ一週間ぐらいなんとかなんだろ。なんたってリュカ様にはウルデウス様のご加護があるからな。神様もたまにゃリュカ様を休ませてくれんじゃねーの」
よく晴れた春の空は絵の具で描いたように水色で、ヒツジのような雲がふわふわと浮かんでいた。まるで平和を絵に描いたような空に、サーサの不安もグズっていたルーチェの顔も、少し晴れたのであった。
リュカの休暇は一週間。最初の三日間をヴァンと、後半の三日間をピートと過ごすことに決めた。残りの一日は魔王デモリエルのところへ遊びにいく予定だ。
旅行の行き先は、それぞれヴァンとピートが決めた。どうやらふたりは、どちらがリュカの喜ぶデートプランを立てられるかで競っているようだ。
何はともあれ、今日からはヴァンと旅行だ。お忍びなので家紋を外した地味な馬車に乗っていく。目的地はお楽しみということで、まだ教えてもらっていない。
「ヴァンのそういう恰好、初めて見た気がする」
馬車の席で向かい合って座りながら、リュカはヴァンの姿をマジマジと見て言う。
今日の彼は白いシャツの上に茶色いベストを着て、大きなストールをゆったりとマントのように体に巻きつけている。クラヴァットを巻いていないのも、飾り気のないシンプルなシャツも、ラフな素材のベストも、彼が着ているのを初めて見た。細身の脚衣につけている剣帯も騎士団のものと違い、宝石のワンポイントが入っている。
十歳の初対面のときから、リュカの前ではいつだってきっちりした恰好しか見せなかったヴァンにしては、かなりくつろいだ服装だ。いわゆる私服という感じがして、リュカは嬉しくなる。
「一応、休暇だからな。お前だって今まで見たことのない恰好をしてるじゃないか」
そう返されたリュカも、今日は珍しい服装だ。襟に刺繍の入った紺色のシャツにリボンタイを結び、膝丈の脚衣にはガーターベルトで留めたソックスを組み合わせている。その上に着ているのはフードのついたキャメル色のケープだ。
「へへ。だって初めてのデートだし。張り切ってコーディネートしちゃった」
リュカは自分の恰好を見て恥ずかしそうに笑う。
実はリュカはあまり私服を持っていない。子供の頃は色々持っていたはずなのに、いつの間にかクローゼットの中は法衣ばかりになっていた。こんなところにも八年間仕事漬けだったことが窺える。
今回ヴァンとピートとそれぞれ旅行に行けると決まって、リュカはウキウキと服を新調した。考えてみれば、ふたりきりで出かけることなど今までなかった。つまりこれが初めてのデートなのだ。気合も入るというものである。……本当はもう少し大人っぽい恰好がしたかったが滑稽なほどに似合わず、少年向けのデザインから選んだことは胸にしまっておく。
リュカの言葉にヴァンはほんのり頬を染めると、柔らかに目を細めた。
「……私もだ」
そのひと言に、リュカの胸がキュッと締めつけられる。あの真面目なヴァンが自分と同じく初デートを喜び、コーディネートに悩んだのかと思うと、くすぐったいような嬉しさが込み上がってくる。
「へへっ、えへへ」
この嬉しさをうまく言葉にできなくて、リュカは肩を竦めて笑う。よく知った幼なじみなのに、目の前の彼にとても新鮮なときめきが湧く。照れくさくて顔を見ることができない。そんなリュカを愛おしさのこもった眼差しで見つめ、ヴァンは手を伸ばすとその頬に触れた。
「リュカ」
呼びかけられて、唇を重ねられる。
(俺、今、恋人とデートしてるんだなあ)
そんな思いがしみじみと全身を巡り、リュカは甘い気持ちに浸った。
馬車を二時間ほど走らせた頃、窓から外の風景を見ていたリュカは目的地に心当たりが出てきた。延々と続く麦畑、その合間に建つ風車小屋、一見どこにでもある風景だが、リュカの遠い記憶を呼び起こす。
「もしかして、この先って……」
「シペタの村だ。今日は祭りがある」
自分の予想が合っていたことに、リュカは顔を輝かせた。
リュカとヴァンの付き合いは十歳の頃からだが、ヴァンがリュカを友達だと認めてくれたのはそれから二年後のことだ。そのとき初めてふたりでお忍びで遊びにいったのが、シペタの村の祭りだったのだ。
懐かしいけれど色褪せない思い出がリュカの胸に花開く。こんな粋なデートコースを決めたヴァンに、思わず抱きつきたくなるほどだった。
それから三十分ほど馬車は走って、村から少し離れた木陰に停まった。ここからは歩いていく。
「どうする? フードを被っていくか?」
先に馬車を下りたヴァンが手を差し伸べながら尋ねる。
この世界でただひとりの王であるリュカは、世界一の有名人だ。水晶を使って世界中に言葉を届けているので、リュカの顔を知らない者はいない。いくらお忍びでの旅行とはいえ、姿を見せれば大騒ぎになることは間違いなかった。
しかしリュカはヴァンの手を取りタラップをピョンと飛び降りると、首を横に振ってから口角を上げてみせた。なんだか得意げな笑顔だ。
「実は今日のためにとっておきの魔法を用意しました! じゃーん!」
おどけた口調で言って、リュカは胸の前で手を組んだ。そして、「見てて!」と、爪先立ちでヒラリと一回転する。その回転に合わせて煌めく粒子がリュカの体を包み、軽やかに弾けた。
「どう?」
光の中から出てきたリュカは、なんとウサギ獣人になっていた。フェネックの特徴的な大きな耳は白く長いものに、自慢のモフモフ尻尾は小さな丸い尾になっている。
ヴァンは呆気に取られながら、マジマジとリュカの耳と尾を見つめた。
「変身の魔法を覚えたのか……」
「便利でしょ。これなら俺が王様だってバレなくない?」
リュカはキツネ族の中でもなかなか珍しいフェネックギツネ獣人だ。おそらく今の大陸にリュカ以外には存在しない。特徴的な大きな耳と尻尾は目立つし、その外見こそがリュカをリュカたらしめんとする所以だ。つまり逆を言えば、フェネックでなくなれば顔が似ていても誰もリュカだとは思わないのである。
「これね、実は変身じゃなくて視認の魔法なんだ。うすーい魔法の霧で覆ってるだけで、本当はもとの耳も尻尾もここにあるんだよ」
そう言ってリュカはヴァンの手を掴むと、自分の尻の近くの空間を触らせた。何も見えないのに確かに手に感じるモフモフに、ヴァンは目をまん丸くする。
「魔法の霧を出しっぱなしにしなくちゃいけないから、結構魔力を消費するんだ。だから前までは使えなかったんだけど、ウルデウス様の力を受け継いだ今ならできるかなと思って」
視認の魔法は単純に見えてなかなか高度だ。眠ったり気を抜きすぎたりすると、魔法の霧が消えてしまう。魔力の消費量といい、リュカ以外に使えるものはいないだろう。
「大したものだな」
感心するヴァンに、リュカは上目遣いに微笑みかける。
「今日の俺はウサギのリュカだよ。行こう、オオカミさん」
キュッと手を繋いできたリュカに、ヴァンは口もとに浅く弧を描いて頷き歩きだす。
「その魔法を使えばどんな姿にもなれるのか?」
「うん。有翼でも爬虫類でも、海獣でもなんにでもなれるよ。明日はペンギン獣人になってみせようか?」
「お前の好きにしろ。私はなんでも構わない」
「じゃあヴァンとお揃いのハイイロオオカミになっちゃおうかな」
のんびりとした会話を交わしながら、ふたりは手を繋いで村の入口まで歩いていった。
シペタの村は春を迎える祭りで大いに賑わっていた。大道芸人や民族団が音楽をかき鳴らし、若い娘たちが薄手の衣装をヒラヒラさせながら花を撒いている。
「わぁ……あの頃とおんなじだ」
昔と変わらぬその光景に、リュカは胸をワクワクと弾ませる。
「あのときは屋台で色々食べたよね。覚えてる?」
「もちろんだ。お前がいい匂いにつられてチョロチョロするものだから、目が離せなかった」
「あはは、そうだったね」
笑い合いながら、繋いだ手に互いに力がこもる。子供の頃もふたりはこうして手を繋いで一緒に屋台を巡った。固く握り合った小さな手はあれから長い時間を経て、二度とほどけない絆に成長した。昔と変わらぬ風景を見ていると、そのことを強く実感する。
「ね、せっかくだからなんか食べよう。俺、肉の串焼き食べたい」
リュカは大通りに建ち並ぶ屋台を指さして言った。ヴァンの返事を待たず手を引いてそのまま走りだす。羊肉にスパイスをまぶし香ばしく焼いている屋台に並び、マレーグマの店員に「二本ちょうだい」と銅貨を渡す。
店員はリュカを見ていかつい顔を綻ばせると、肉の串の先にソーセージを刺してから渡してくれた。
「カップルかい? お嬢ちゃん可愛いねえ、ほら、おまけだよ」
リュカはポカンとしたあと、口をパクパクさせながら顔を真っ赤にした。ヴァンはそんなリュカを見てクツクツと笑いながら串を受け取る。
「お、女の子と間違えられた!」
店から少し離れた場所で、リュカは悔しそうに頬を膨らませて小声で嘆いた。しかし、いつもならリュカが性別を間違われたら『不敬だ!』と怒るヴァンが、今日はおかしそうに目を細めている。
「それだけお前の魔法が完璧だということだろう。誰も今のお前を国王だと認識していない、いいことじゃないか」
「それはそうだけど~」
リュカはヴァンから串を受け取りカプッと口をつける。おまけしてもらったソーセージはおいしかった。
それからふたりはチーズとジャムを包んだ薄パンを買い、広場の噴水の縁に座って食べた。ポカポカと日差しが暖かく、子供たちが辺りを元気に走り回っている。少し離れたところから祭りの音楽が聞こえ、なんとも平和でのどかだ。
薄パンを食べるヴァンの横顔を見ながら、リュカは思う。以前来たときには、潔癖気味なヴァンはいちいち屋台の食べ物に抵抗感を抱いていたのだ。潔癖気味な性格自体は変わっていないが、こうして屋台の食べ物を抵抗なく食べられるようになったのを見ると、随分柔軟になったなと感じる。
「どうかしたか?」
ジッと見すぎていたせいか、ヴァンが視線に気づいてリュカのほうを振り向く。
「ううん、なんでもない」
リュカは慌てて視線を逸らしたが、今度はヴァンがジッとリュカを見つめる。そして「ついてる」とリュカの唇の端についていたジャムを拭おうと手を伸ばしかけ……そのまま顎をすくい、舌で舐め取った。
「……っ!?」
リュカは驚いて目を白黒させる。まさか堅物なヴァンが人目のある場所でこんな大胆なことをしてくるとは、夢にも思わなかった。
ヴァンは微かに口角を上げ、悪戯っ子のような笑みを浮かべている。初めて見る表情だった。
初デートで浮かれているのか、それとも主従という枠が外れたヴァンは案外気さくなのかもしれない。初めて知る恋人の一面に、リュカは嬉しくなってパタパタと見えない尻尾を振った。
「ヴァンのえっち。こんな目立つところでキスした~」
「キスじゃない。お前の顔を綺麗にしてやっただけだ」
キャッキャとからかいながらリュカがふざけてヴァンに凭れかかれば、そのまま肩を抱き寄せられて唇を重ねられる。
「キスとはこういうことだ」
頬を染めながらも得意そうに微笑むヴァンに、リュカは笑いを零すと今度は自分から唇を重ねた。
それからふたりは手を繋いで歩きながら、祭りを楽しんだ。音楽を奏でる民族の若者に交じって一緒に踊ったり、曲芸団の芸を楽しんで銅貨を投げたり、踊り子の投げる花をヴァンがキャッチしてそれをリュカの髪に飾ってくれたりした。途中で迷子を見つけ、母親を捜してあげるというハプニングもあった。
そして楽しい一日はあっという間に過ぎ、日が沈む頃、村ではフィナーレの花火が上がった。
「わあ、綺麗。花火なんてやってたんだね。知らなかった」
「前に来たときは夕方までいられなかったからな」
大通りの隅に立ち止まり、ふたり並んで空を見上げる。仲睦まじく手を繋いでいるその姿は、きっとただのカップルにしか見えないだろう。……リュカが女の子に間違われている可能性は高いが。
「今日、すっごく楽しかった! こんなに長い時間、自由に行動したのって初めてだよ。王様でも当主でもない、ただのリュカになった気がする」
リュカは当主の立場も王様の立場も嫌ではない。苦労も多いが、重荷だと感じたことは一度もない。けれど人目を気にせず好きに振る舞う楽しさを、今日は思い出せた気がする。
〝ただのリュカ〟。たまにはそんな日があってもいい。そして何より思う存分ヴァンと手を繋いで笑い合えて、リュカはたまらなく幸せだと思った。
色とりどりの花火の光に照らされた顔で、リュカは満面の笑みを浮かべている。ヴァンは愛おしそうな目でそれを見つめ、腰を屈めてリュカのつむじにキスをした。
「私たちが主従でなくただの幼なじみだったら……こんな毎日を送っていたのかもしれないな」
リュカは考える。もし自分たちが主従でなかったらと想像して、思わずクスクスと噴き出した。
「どうした?」
「あのね、想像してみたんだけど、主従じゃなくてもヴァンはやっぱり俺の世話をしたがるし、俺は頼りなくてヴァンの手を焼いてたと思う。あんま変わんないかも!」
もし立場が逆転してヴァンが主でリュカが従者だったとしても同じだろう。甲斐甲斐しく従者リュカの世話を焼きたがる当主ヴァンの姿を想像して、リュカはおかしくなってしまった。
「それは言えてる」
ヴァンもつられたように肩を揺らして笑う。そしてひとしきり笑ってから、リュカは繋いだ手に指を絡めた。
「愛してるよ、ヴァン。主従でも、そうじゃなくても、きっとどんな立場だったとしても」
リュカの大きな瞳に、花火の彩に照らされたヴァンが映る。ときめく胸の奥に、何かが一瞬よぎった気がする。忘れている遠い記憶。従者ではない顔をした彼――
「リュカ」
ヴァンの金色の瞳が、リュカを映して揺れる。何かを言おうとして開かれた唇は一度閉じられ、それからリュカにしか聞こえない声で囁いた。
「愛してる」
村には一軒しか宿がなかったが、一番いい部屋をヴァンが予約してくれていた。
「リュカ、リュカ」
「あっ、あ……ヴァン……」
部屋に入るなり、ふたりはベッドにもつれ込む。旅の汗を流す余裕すらないのは、今日の開放的な雰囲気のせいだろう。ずっと手を繋ぎ堂々と恋人として振る舞っていたのだ、いつもより気分が昂るのも当然だった。
ヴァンはリュカを組み敷き、顔や首筋にキスの雨を降らせながら服を脱がせる。ケープは外したものの、シャツのボタンを外すのはもどかしかったようで、捲り上げてリュカの乳首を舐めた。
「ん、ぅ……っ、あぁッ」
ヴァンの舌が、唇が、手が、触れたところが熱い。もっとたくさん、深く触れてほしくて、リュカは無意識に腰を揺らす。
「ヴァン、キスして。いっぱいキスしてほしい……」
リュカがおねだりすれば、ヴァンは瞳により一層情欲の色を滲ませる。片手でリュカの頭を抱えるように撫でながら深く唇を重ね、もう片方の手でせわしなくリュカの脚衣を脱がせた。
「リュカ、私の可愛いリュカ」
熱心にリュカの唇を甘噛みし、歯列をねぶり、舌を吸うヴァンは、本当にリュカのことを食べてしまいそうだ。呼吸も荒く、今にも理性が飛びそうになるのをかろうじて耐えている。
ヴァンはリュカに口づけながら自分の服を脱ぎ捨てようとした。しかしそれすらもじれったかったのか、ストールと剣帯を外しただけで、着衣のまま脚衣の前をくつろがせた。隆起している雄茎がブルンと飛び出し、ヴァンはすかさずそれをリュカの陰茎と触れ合わせる。
「な……、あ、あぁっ」
ふたりの肉竿が密着し擦り合わされる刺激に、リュカは喉を反らせて嘆息した。動くたびに先走りの露でぬめった先端がヌチヌチと淫らな音を立てる。ヴァンが片手でふたりの竿を握ってしごくと、リュカはさらに呼吸を荒くした。
「……ん?」
ヴァンは目をしばたたかせた。長く白かったリュカの耳が霧散するように消え、もとの大きなフェネックの耳に戻っていく。ふと腰のあたりに目をやると、尻尾も同じだった。淡く光る粒子がスッと消え、大きな黄金色の尻尾が現れる。そういえば気を抜きすぎると戻るとリュカが言っていたことを思い出して、小さく笑った。
「まったく。お前のすることは何もかも可愛すぎるな」
ヴァンは両方の手で竿を握りながら、指先でリュカのピンク色の先端を弄った。敏感な場所を攻められ、靴下を履いたままのリュカの爪先に力がこもる。
「そこ……っ、だめ……!」
赤い顔をして射精に耐えているリュカを見て、ヴァンはうっとりと舌なめずりをする。
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