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番外編SS
春越ゆきみへ2 夏がくる
しおりを挟む※書籍版『モフモフ異世界~2』に収録されている番外編『エピソード0 春待つきみへ』の超ネタバレSSです。
※『春待つきみへ』、および『春越ゆきみへ1』を先に読むことをお勧めします…
※if世界。もし『春待つきみへ』の世界が続いていたら。
※『春待つきみへ』の1年2か月後(『春越ゆきみへ1』の4か月後)。琉夏(高3)優万(高2)倫人(高1)
======================================
優万は手にしていたシャープペンを机に置くと、両手を顔で覆った。
何度参考書を読み返そうと、何度問題を解こうと、頭に入ってこない。些細なことで気が散って、他の生徒がページをめくる音でさえ耳に障った。
こんなことは初めだった。物心ついたときから父のような医者になりたくて、勉学に邁進してきた。目標に向かってする勉強は苦痛ではないし、優万自身学ぶことが嫌いではなかった。それなのに。
ここ数ヶ月――正確には四月から二ヶ月ほど、勉強が手に着かない。イライラして集中できず、何度もスマートフォンを確認してはソワソワする。
そうして勉強がおろそかになれば目に見えて予備校や小テストの点が下がり、目標から遠ざかっている自分に憤りが募った。
予備校の自習室で勉強していた優万は、フーっと静かに息を吐き出す。そして視界に入れないよう鞄の中にしまっていたスマートフォンを取り出し、なんの通知も来ていないことに肩を落とした。
ロック画面に表示されている日付は六月の某日。――土曜日。午後一時。
学校は休みだが、部活はある。そう、琉夏がマネージャーをしているバスケ部もだ。
今頃は昼休憩だろうか。琉夏は食事中だろうか。その隣には……倫人がいるのだろうか。
琉夏と倫人が仲睦まじい時間を過ごしている姿が頭によぎり、優万は乱暴にスマートフォンを鞄の中にしまう。
そして深呼吸をしてから全く頭に入らない参考書を繰り返し読み進めた。
琉夏に異常に懐いている皇倫人が同じA男子校に通うようになったのは、この四月からだ。
今でこそ黒髪にしているが、優万が初めて倫人を見たときには彼は金髪だった。いわゆるヤンキー、不良。どうしてこんな輩が純粋培養人畜無害みたいな琉夏と仲がいいのか謎だったが、倫人が異常なほど琉夏に懐いていることだけはよくわかった。
そして倫人は『琉夏と同じ高校に通いたい』という一心でヤンキーを辞め、猛烈に受験勉強に励み、なんとこの春本当にA男子校に入学してきてしまったのだ。
入学前から倫人の琉夏に対する距離の近さは気になっていたが、入学後それはさらに加速した。
今まで昼休みは、優万は琉夏とふたりだけで過ごしていたのだが、そこに倫人が加わるようになった。それだけでもう優万にとっては大きなストレスだ。
琉夏との密な時間を邪魔されただけでなく、元ヤンキーの倫人はいわゆるお坊ちゃんの優万と徹底的に性格が合わない。琉夏に気まずい思いをさせたくないから不満は口にも顔にも出さないようにしているが、琉夏に接する倫人の一挙一動が癪に障る。
倫人はいちいち距離が近い。琉夏にベタベタとさわる。おまけに図々しい。琉夏に弁当のおかずをひと口くれとねだって食べさせてもらう。言葉が軽薄で、琉夏に向って『好き』だの『結婚しよーぜ』などと笑えない冗談をすぐ口にする。
しかし何より腹立たしいのが、琉夏がまったく嫌がっていないことだ。
一年生のときに友達がいなかったせいか、琉夏は人に好かれることが嬉しいらしい。来る者拒まず、とでもいおうか。
しかし限度というものがあるだろうと、優万はイライラする。『あいつを甘やかしすぎですよ』と言っても、琉夏は『弟みたいで可愛いじゃない』と笑う。何が可愛いものかと、歯噛みした。
それでも昼休みだけだったらまだ我慢できただろう。優万が勉強が手に着かないほどストレスに感じているのが、倫人がバスケ部に入部したことだ。
琉夏と倫人が共有する時間は圧倒的に増えた。平日の部活の時間はもちろん、休日でさえ練習のある日は共にいるのだから。
問題なのは時間だけでなく、同じ組織に所属していれば関係も当然深くなる。バスケ部新人の倫人を三年生でマネージャーの琉夏は当然可愛がり、優万には入れない会話も増えた。
優万は何度、自分もバスケ部に入ろうと思ったかわからない。しかし医大付属のエスカレーター学校からA男子校へ外部進学すると決めたとき、両親から条件を付けられたのだ。部活には入らず、今まで以上に学業に励むこと、と。
部活に入れない優万は琉夏と下校時間を合わせるため、なるべく放課後に活動のある生徒会にまで入った。しかしそんな涙ぐましい努力で得た時間も、同じ部活に入っている倫人とは比べ物にならない。
優万は生まれて初めて身を焦がすような思いを知った。悔しい。もっとそばにいたい。奪われたくない。誰にも言えない、口に出せない気持ちが毒のように心を蝕む。
「琉夏先輩……」
声に出さずに呟いて、再び両手で顔を覆う。
同性同士だ、もともと成就する恋だとは思っていない。けれどそれでも一番そばにいられればいいと思っていた。それだけで満足しようと自分に言い聞かせてきたのに。
こんなにつらいのなら、いっそ琉夏から離れたいとさえ優万は思う。けれどそんなに簡単にあきらめられるのなら、両親の反対を押し切ってまで琉夏を追いかけA男子校に入学していない。
もう手遅れなのだ、この気持ちはきっと生まれ変わったって捨てられないだろう。
優万はスマートフォンだけ持って立ち上がり廊下に出ると、窓の外を眺めた。濃い青い空に、コントラストのくっきりした白く大きな雲。外の風景はもう夏だ。
(今日は暑いな。……体調を崩してないだろうか)
何を見たって、何をしていたって、琉夏のことが真っ先に頭に浮かぶ。優万はしばらく空を眺めた後、『ちゃんと水分摂ってますか? 今日はあまり日向に出ないでくださいね』と琉夏にメッセージを送った。
その翌週のこと。
琉夏と優万と倫人は、校庭に面した校舎の隅にある石段に座って昼食を食べていた。
学年の違う三人は教室で食べるわけにもいかず、晴れている日は大体ここだ。冬は暖かいし、夏は少しズレれば日よけの陰もある。雨の日や学食を利用する日は食堂を使うが、琉夏はここで食べるのがピクニックみたいで好きだ。
「あ~腹いっぱい。ねみー」
食事を終えた倫人は石段の上で器用にゴロンと寝そべり、頭を琉夏の腿に乗せる。琉夏は「もー重いよ、倫人」と苦笑しながらも、彼の頭を優しく撫でていた。
優万は倫人に「退け」と叱責しようとし……結局口を噤んだ。どうせ言ったところで、「大丈夫だよ」と琉夏が庇うに決まっている。
優万は食べ終えた弁当箱を片付けると、さりげなくふたりから視線を逸らした。
仲睦まじくじゃれ合う琉夏と倫人など視界に入れたくない。それなのにこの場を離れたくない自分が惨めでたまらなかった。
……去年の今ごろは、この同じ場所で琉夏とふたりきりだった。食事を終えた後たわいもない会話を交わしながら、ふたりで校庭を眺めていた。今思えばなんて幸せな時間だったのだろうと振り返る。
優万が密かに唇を噛みしめたときだった。
「倫人ー!」と遠くから呼ぶ声が聞こえた。顔を上げると校庭でバスケをしていた一年生が、倫人に向かって手招きをしている。
どうやら同じバスケ部の一年のようだ。倫人にゲームに入ってもらいたいのだろう。
「呼んでるよ。行ってくれば?」
琉夏が言うと、倫人は「え~。琉夏センパイの膝枕のほうがいいし」と不服そうな声を上げた。
再び一年生が「倫人! こっち入ってよ!」と遠くから叫ぶ。倫人は知らんぷりして目を閉じようとしたが、琉夏が「カッコいいとこ見せてよ」と言うと、パッと体を起こして立ち上がった。
「しゃーねえ、行ってくっか! 琉夏センパイ、しっかり見てろよ」
倫人は琉夏の頭をクシャッと撫でてから校庭に向かって走っていく。そしてあっという間に仲間たちに交じり、バスケットを楽しみだした。
「はは、めっちゃ張り切ってる」
倫人の活躍を見ながら琉夏が笑う。しかし優万はとても笑みなど浮かべる気にならず、ただ黙って校庭を眺めていた。
「……あのさ、優万」
ふいに、距離を縮めて声をかけてきたのは琉夏のほうだった。
「俺の思い違いだったらごめん。最近優万、何か困ってる?」
少しためらいがちに尋ねられたそれに、優万は目を丸くしながら琉夏に顔を向けた。琉夏は真剣な表情で優万を見つめている。
「なんだか最近ちょっと元気がないように見えて。……もしだけど何か悩んでることとかあったら、その……俺なんかでよければ相談に乗るっていうか。た、頼りない先輩で申し訳ないんだけどさ」
少し恥ずかしそうにしながらも、琉夏の瞳は優万を映し続ける。大きな黒い瞳に、戸惑いと緊張と――微かな喜びを隠した優万の姿が映っていた。
優万は言葉に詰まる。琉夏が自分のことを気にかけてくれているのが、たまらなく嬉しかった。けれど『あなたのせいです。先輩が倫人と仲良くするのを見ていられない』なんてみっともないこと、口が裂けても言えない。
優万は口を開きかけて、噤む。『大丈夫です』と言いたいが、ちっとも大丈夫ではない気持ちをわかってほしいと、弱くて切ない気持ちが拭いきれない。
優万が口を不自然に引き結んでしまうと、琉夏はしばらく黙ってからやがて膝立ちになった。そしておずおずとした手つきで、優万の頭を撫でる。
「ごめんね、困らせちゃったね。簡単に悩みなんて話せないよね。……でも、あの、俺にできることがあったらなんでも言っていいからね。ジュース奢ってとか、去年のテストの問題見せてとか、あとストレス解消にどっか行こうとか」
小さな手がそっと撫でてくる感触に、優万は泣きたくなる。顔を上げられないまま、声が震えないように気をつけて口を開いた。
「……どうしてそんなに優しくしてくれるんですか」
「えっ? だって優万のこと好きだし」
間髪入れず返されたそれは、心臓が止まりそうになるほど優万の胸を締めつけた。
『友達として』だとわかっている。それでも琉夏の口から零れた『好き』は優万にとってあまりにも大きい。
「優万が元気ないと俺も寂しいよ。だから元気出してほしいって思うのって、我儘かな」
「……なら、もし。僕が琉夏先輩の前からいなくなったら、どうしますか」
「え。えぇっ!? それって転校とか?」
「もしも、です」
「なんだ、よかった。……でも、もしもだとしても寂しい。いつもそばにいてくれる優万がいなくなったら、俺はすっごい落ち込むと思う。けど……進学とか将来の夢のために離れなくちゃいけないんだったら、俺は応援するよ。離れてても友達だし、俺は優万のことずっと好きだと思う……って、ヤバ」
ズッと鼻をすする音が聞こえ顔を上げると、琉夏が赤くなった目元を手で拭っていた。
「『もしも』なのに、なんか想像しただけで泣けちゃった。はは、ヤバい。恥ずい」
瞳を潤ませて恥ずかしそうに笑う琉夏を見て、優万の心を抑えつけていた鎖が弾け飛ぶ。
気がつくと琉夏は優万に固く抱きしめられていて、飲みかけのパックのジュースが倒れて石段に染みを作っていた。
「離れません、絶対。僕は何があってもあなたの一番そばにいます」
「優万……?」
琉夏はキョトンとしている。いつも冷静な優万がこんな激情的な行動をとったのも初めてなら、理屈ではなく感情を優先したような言葉を告げてきたのも初めてだった。
「だから……琉夏も、僕から離れないで」
一瞬声をひそめられたのではっきりとは聞き取れなかったが、『琉夏先輩』ではなく『琉夏』と呼ばれたような気がして、琉夏は心臓が跳ねた。
(……優万の手も体も、大きいなあ)
琉夏は自分の頭が熱くなるのを感じながら、そんなことをぼんやりと思った。そして優万の背に手をまわしポンポンと叩いてから小さく頷く。
「うん。俺たち、ずっと一緒にいようね」
濃く青い空は、夏の気配がする。
もうすぐ季節が変わるのを肌で感じて、琉夏は優万の背のワイシャツをキュッと掴んだ。
◆
「よぉし! 一年、あがっていいぞ!」
体育館にホイッスルの音が響き、シュート練習をしていたバスケ部の一年生たちが動きを止める。
一年生たちは汗だくの顔で安堵の表情を浮かべながら、三年生のキャプテン・園村に「ありがとうございました! お先に失礼します!」と続々と頭を下げる。そうして体育館から出ていこうとしたときだった。
「倫人。お前はちょっと残れ」
園村にそう呼び止められて、倫人は不満を顔に出さないよう気をつけながら「……うス」と踵を返した。
――期待されてるからだよ。と言っていた琉夏の言葉は五割ぐらいは当たっていると思う。
しかしあとの三割は『どれほどのモンか試してやろう』という驕った根性で、残りの二割は『気に食わない』というイビリだと倫人は思っている。
A男子校のバスケット部はそこそこの強豪校で、練習もハードだ。四月に二十人ほどいた一年生は、六月の今では八人にまで減った。
残った八人の中でも、倫人は飛び抜けて体力も根性もあり技術も抜きん出ている。顧問もコーチもキャプテンも期待をかけている反面、中学時代素行の悪かった彼に厳しい目を向けることも多かった。特に、キャプテンの園村は今日のように倫人にだけ追加練習を課すことが多い。
琉夏はそれを倫人が期待されているからだと素直に思っているようだが、あいにく人の悪意というものをよーく知っている倫人には園村の本意が透けて見えてしまうのだ。
「閉門引っかかるなよ。あと髪、長いぞ。そろそろ切れ」
他の一年より追加で三十本のシュート練習を終えた倫人に、園村はそれだけ言って体育館から去ろうとする。そのとき、まだジャージ姿の琉夏がピョコンと入口から入ってきた。
「あ、いた。ふたりとも、早く体育館出ろって先生が」
トコトコと歩いてきた琉夏の足を止めるように園村は立ち塞がって、琉夏の肩をそっと撫でる。
「琉夏。まだ着替えてないのか」
「あ、うん。大丈夫、すぐ着替えるし。それより体育館の電気消すってさ」
「わかった。お前も部室戻れ」
園村はそのまま琉夏の肩を抱いて体育館を出ようとするが、琉夏は「待って」とその手をすり抜けて倫人のもとまでやって来た。
「お疲れ様。すごい汗、体冷やさないようにね」
琉夏の差し出したタオルを「さんきゅ」と受け取り、倫人は顔を拭く。向こうで園村が眉根を寄せて体育館から出ていくのが見えた。
恋愛的な好意――とは少し違うだろうと、倫人は思っている。
園村は琉夏が虚弱でろくにマネージャー業のできなかった一年生の頃から知っている。それがだんだん自分の体力と折り合いをつけ役立つよう成長し、今や部を支える立派なマネージャーとなったのだ。近くで見守ってきた戦友的な感覚と、いじらしい琉夏に対する過保護な気持ちがあるのだろう。
だから元ヤンキーで小生意気な一年生が琉夏にベタベタ懐くのを、園村が快く思っていないだろうことは、簡単に予想がついた。
園村が琉夏に対して抱いてる感情は恋愛感情ではない。だが、倫人に向けている感情は嫉妬だ。
それはそれでうざったいなと、倫人は思う。
「倫人、髪びしょびしょ」
「ドライヤーしてる時間なかった。まーそのうち乾くんじゃね」
まだ濡れている髪を肩に掛けたタオルで拭きながら、倫人は琉夏と並んで校門まで歩く。部活後、シャワー室で汗を流すのは三分でできるようになったが、さすがに髪を乾かしている余裕はなかった。閉門の時間まであと一分しかない。
「あ、ヤバイ。門閉まる!」
生徒指導の教員が門に手をかけたのを見て琉夏が走り出そうとする。閉門までに学校を出られなかった部活は部員全員反省文の提出だ。
「あんたは走んな」
走り出そうとした琉夏の腕を掴んで止め、倫人は琉夏の小柄な体を脇に抱えて走り出す。
「わぁああっ!?」
琉夏は目を白黒させ、教員も驚きながら「危ないだろうが!」と怒鳴ったが、ふたりは門が締まりきる前に無事に学校を出ることができた。
「セーフ!」
「あは、あはははは! 倫人ヤバイ!」
滅茶苦茶な倫人の行動がおかしくて、琉夏は地面に下ろしてもらった後も笑い転げる。体が弱いせいであまり仲間に入れないが、琉夏はこういう男子特有のおふざけが大好きだ。
倫人は笑い転げる琉夏が可愛くてたまらない。無邪気で楽しそうで、一生彼を笑顔にしてあげたいとさえ思う。
ふたりで一緒になって笑い合っていると――
「倫人! お前は何をやってるんだ!」
鬼の形相をした優万が大股でこちらへ近づいてきて、倫人は「チッ」と舌打ちした。
「あんなことをして、もし琉夏先輩を落っことしたらどうするんだ!」
「ぜってー落とさねーし。それに琉夏センパイが走るよりずっとマシだろ」
「そもそももっと時間に余裕を持って出てこい! 他の部員はとっくに帰ってたぞ!」
「知らねーよ、居残りさせるキャプテンに言えよ」
「ま、まあまあ。走ろうとしちゃった俺が悪いんだし。あと、今度はもっと早く練習切り上げるようキャプテンに言っとくから……」
琉夏が窘め、倫人と優万は言い争いをやめる。そして琉夏を真ん中にして、三人で並んで歩きだした。
倫人にとって園村より百倍は厄介なのが優万だ。彼の琉夏に対する好意はわかりきっている。言動からして一目瞭然だ。
そして何より、琉夏にとって大切な人物であることがさらに厄介なのだ。
優万は琉夏の入院していた病院の跡取り息子だという。そして彼自身も将来は難病の患者を救うべく医者を目指しているのだとか。
琉夏の健康に関しては家族の次に……もしかしたら家族以上に深く理解している存在だ。琉夏からの信頼も当然厚い。他者が容易く割って入れない関係と言っても過言ではないだろう。
おまけに優万は過保護だ。運動部でもないのに毎日こうして琉夏を待ち共に下校にするだけでなく、電車を途中下車してまで琉夏を家に送り届けている。もちろん登校もだ。
倫人は優万が最高に鬱陶しい。倫人がまだ中学生だった去年一年は、琉夏と優万は学校でさぞかしふたりきりの時間を過ごしたのだろうと思うと余計に腹が立った。
優万を排除したいのに、琉夏の気持ちを考えるとそれは難しい。本当に厄介だと、倫人は口の中で小さく舌打ちする。
(やっぱ早く俺のモンにしちまうしかねーよな)
幸いなのは、優万が琉夏に気持ちを伝えるつもりがなさそうなことだ。彼の性格を考えれば、男同士の恋愛というものに踏み出す勇気がないのだろう。
ならばさっさと琉夏と恋人という関係を確立し、周囲を牽制するのが最良だと倫人は思う。
告白の機会をずっと窺ってきたが、そろそろ頃合いかもしれない。琉夏と充分に仲を深めた自信はある。もし琉夏が男同士の恋愛に戸惑ったとしても、ここまで仲良くなった倫人を嫌悪し拒むことはできないだろう。
友達を大切にする琉夏の優しさを利用した、少し狡い考えだという自覚はある。だがもう、悠長なことは言ってられない。琉夏は三年生だ、夏の合宿が終われば部活を引退する予定でいる。
部活での蜜月はもうあと数えるほどしかないのだ。大会や時間のあるときなど応援に来ると琉夏は言っていたが、受験に専念するようになればそれも難しいだろう。
――ただの後輩に成り下がってしまう前に、琉夏を確実に手に入れなくては。
密かな焦燥に駆られ、倫人は握り込んだ手の中で汗がじっとり滲むのを感じた。
その週末。
バスケ部はインターハイの都大会が終わったことで、土日はみっちりと練習が詰まるようになった。日々気温が上がっていく時期でもあり、ハードな練習に部員たちはクタクタだ。
そしてそんな中でも、園村の倫人に対する追加練習は課せられていた。他の一年生が練習メニューを終えストレッチしている横で、倫人だけがシュート練習を続けている。
傍目に見ても他の一年の1,3倍は練習量が多い。非常に不満だが倫人が黙って園村に従っているのは、琉夏のためだ。ここで園村に刃向かってトラブルを起こせば琉夏に心配をかけるし、もし退部になれば琉夏を悲しませるだけでなく一緒にいられる時間まで減ってしまう。
不幸中の幸いと言うべきかどうか、倫人は理不尽な扱いをされることには慣れていた。園村の顔面にボールをぶつけてやりたい気持ちを抑え、黙々と練習をこなすぐらいはできる。
そうして追加の三十本シュート練習が終わった頃には倫人はクタクタで、体育館には誰もいなくなっていた。
「クソったれ。人に練習させといて自分はとっとと帰りやがったのかよ」
床に大の字に寝そべった倫人は、いつの間にか園村までいなくなっていたことに気づき毒づく。そうしてヨロヨロと立ち上がりボールを片付けてから、部室へと戻っていった。
部室のドアを開けようとした倫人が手を止めたのは、中から琉夏の声が聞こえたからだ。
それも普通の喋り声ではない、激高している。琉夏が怒るところを見たことのない倫人は驚き、その場で耳をそばだてた。
「あんなのシゴキじゃないか! 倫人を壊すつもり!?」
「ああいうタイプには厳しくした方がいいんだ。甘やかすとつけあがる」
「そんなことない、偏見だ!」
琉夏と話しているのは園村だ。ふたりが自分のことで言い争っているのだとわかって、倫人の心臓がドキリと鳴った。
「倫人は誰より真面目に練習をやってるじゃないか。園村ならわかるでしょ? キャプテンなら後輩のいいところをちゃんと認めてよ」
琉夏は人と言い争うのが嫌いだ。以前友達がいなかった反動だろうか、人とぶつかるのを避ける傾向がある。
その琉夏が付き合いも長いだろう園村に真っ向から反論しているのを聞いて、倫人の顔と胸が熱くなった。
溜息のあと「……考えておく」という園村の声が聞こえた。足音が近づいてくるのを感じ、倫人は咄嗟に物陰に隠れた。
「けど、琉夏。俺に厳しくしすぎるなって言うなら、お前こそ倫人を甘やかしすぎるな。マネージャーはガキのお守りじゃないんだぞ」
そんなことを言い残して、園村は部室を出て昇降口へと向かっていってしまった。倫人は彼が去ったのを見て、部室へ飛び込む。
「あ、倫人。お疲れ様」
さっきまで園村と言い争っていた様子など微塵も見せずに、琉夏は入ってきた倫人に笑顔を向けた。倫人は琉夏を抱きしめたい気持ちをグッとこらえ、急いでロッカーから荷物を出す。
「悪い、俺のせいで部室閉められなくて待たせてたんだな」
「違うよ。俺が倫人と帰りたくて待ってただけ!」
はにかんで言う琉夏を見て、倫人は泣きたくなってくる。誰かを好きになるというのは、こんなに胸が苦しいのかと初めて知った。
(……俺、琉夏を好きになってよかった)
腕にスポーツバッグとタオルを抱きしめ、倫人は琉夏に微笑み返す。
もう焦燥は抱かない。何年だって琉夏が振り向いてくれるのを待てる。彼の優しさにつけこむような真似もしない。ただ、この想いを伝えたいと思った。
窓からの西日に輝く琉夏の笑顔があまりにも綺麗で、倫人はこの瞬間を一生忘れたくないと思った。
倫人がシャワーを浴び終え、ふたり揃って学校を出る頃には、紫色の空に金星が輝いていた。
通い慣れた道を、駅に向かって歩く。いつもは学生で賑わっている遊歩道だけど、土曜日の夕暮れは他に誰もいないほど静かだった。
時々吹く風が琉夏の髪を静かに揺らす。胸に吸い込むと、夏の夜の香りがした。
「もう夏だね。倫人は夏休みどこか行くの?」
無邪気に尋ねる琉夏の髪を指先でそっと弄りながら、倫人が答える。
「プールか海行きたい。琉夏センパイと」
「あはは、俺受験生なのに!」
襟足の髪を弄られた琉夏はくすぐったさに首を竦め、それから「息抜きも必要だもんね。一緒に行こ!」と倫人に向かって笑いかける。
首筋にふれていた倫人の手が琉夏の頬を包む。キョトンとして足を止め見上げた琉夏の唇に、倫人の唇が重なった。
何が起きたのかわかっていない琉夏は、大きな目をもっと大きくして固まっている。夜風が吹いて、夏の香りの中に倫人の制汗剤の匂いを感じた。
「好きだよ、琉夏。俺と付き合ってくれ」
倫人が今まで見せたことのない切ない笑みを浮かべていた。
生まれて初めて知る感情が、琉夏の中で駆け巡っている。
――熱い夏が、始まる予感がした。
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