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番外編SS
春越ゆきみへ1 バレンタイン
しおりを挟む※書籍版『モフモフ異世界~2』に収録されている番外編『エピソード0 春待つきみへ』の超ネタバレSSです。
※エピソード0を読んでから読まれることをおすすめします…
※if世界。エピソード0のままの世界が続いていたら。
※エピソード0の10ヶ月後。琉夏(高2)・優万(高1)・倫人(中3)。
==================================
それは、春の足音が聞こえてきた二月の半ば。
部活の時間が終わり、着替えを済ませた琉夏は急いで校門へ向かう。
琉夏は相変わらずバスケ部のマネージャーだ。以前よりだいぶ体力もついたおかげで、二年になってからはそれなりにマネージャー業をこなせている。
練習のあと道具を片付け部室の鍵を閉めるのはマネージャーの仕事だ。だから学校を出るのは少々遅くなってしまう。
それでも閉門時間には十分間に合うのだが、琉夏には急ぐ理由があった。それは――。
「優万、お待たせ」
毎日校門のところで優万が待ってくれているからだ。
門柱に凭れ掛かりスマホを弄っていた優万は、琉夏の姿を見るなり身を起こし近づいてくる。
「走ってきたんですか? 急がなくていいって言ってるじゃないですか」
軽く息を弾ませる琉夏に、優万はスマホをポケットにしまいながら心配そうに眉根を寄せた。
「走ってないよ、早歩き」
「早歩きもしないでいいです。普通に歩いてきてください」
「だって、寒い中優万を待たせちゃ可哀相だと思って……」
琉夏が眉尻を下げると、優万は複雑な胸の内を表すように顔を顰めた。けれどその頬は微かに赤い。
「僕のことはおかまいなく。好きで琉夏先輩のことを待ってるんですから」
琉夏の体を慮った言葉だが、実際その通りでもあった。
優万は入学したときから通学も下校も琉夏に合わせている。
成績トップで入学した優万は、部活には入らず生徒会に所属している。生徒会も放課後に会議や業務などはあるが、運動部ほど遅くはならない。
バスケ部の琉夏とは下校時刻が三十分以上ズレるのだが、優万は毎日必ず校門で琉夏を待ち、一緒に帰るようにしているのだ。
もちろん琉夏が頼んだわけではない。優万が勝手にやっていることだ。出会ったときから過保護な彼は入学してからさらに過保護になり、通学下校に加え昼休みも必ず一緒に過ごしている。
琉夏としては正直嬉しい。優万は同じ学校で初めてできた友達だ。おかげで琉夏は学校でぼっちになることはなくなった。お昼も優万と一緒に食べるし、行事のときだって彼は必ず琉夏のもとまで顔を出してくれる。
それに、優万と一緒にいることで気持ちに余裕が生まれたのか、琉夏は一年生のときより人付き合いがうまくなった。クラスにも馴染めているし、バスケ部のメンバーとも打ち解けている。
琉夏はもう孤独ではない。すべて優万のおかげだ。
優万には感謝しているし、彼の存在は琉夏の中で大きい。大切にしたいと思っている。……だからこそ彼に毎日放課後の時間を三十分も無駄にするような真似はさせたくないのだが、優万は頑として譲らないのだ。『僕が琉夏先輩と一緒に帰りたいだけですから』と。
「いつもどうもありがとう」
琉夏が微笑んで礼を言えば、優万は視線を逸らしマフラーに鼻先をうずめる。その頬はさっきよりも赤い。
「……別に、礼を言われることはしてません。それより、早く帰りましょう」
そうしてふたり並んで歩きだしたときだった。
「さ、西園寺くん……!」
電柱の陰からひとりの女子が飛び出してきた。隣町の女子高の制服を着ている。
小中は学校に通っておらず高校は男子校の琉夏にとって、同年代の女子というのはなかなか縁のない存在だ。近くに寄ってきた女子高生にドギマギしてしまう。
かなり可愛い顔をしているその女子は、優万に向かって「これ、もらってください」とピンク色の紙袋を差し出してきた。それを見て琉夏はハッとし、この場から離れようとする。
ところが、さりげなく離れようとした琉夏の腕を優万はしっかりと掴む。
そして琉夏の腕を放さないまま女子に向かって「悪いけど受けとれない」とすげなく答えた。
女子は何か言いたそうに悲しげな表情を浮かべたが、優万の興味がこれっぽっちも自分に向けられていないことを悟ったのか、無言のまま背を向けて駆けていってしまった。
「……いいの?」
戸惑いながら尋ねた琉夏に、優万は「他人からもらった食べ物は口にしたくない」と淡々と答えた。
優万は少々潔癖気味なところがある。あまり人とベタベタ触れ合うのも嫌いらしい。……ただし琉夏に対しては平気らしく、こうして体にも触れるしドリンクの回し飲みもするけれど。
「でもあの子、可愛かったのに。あれバレンタインのチョコだよね。俺、バレンタインに告白する女子初めて見ちゃった。自分のことじゃないのにドキドキしたよ」
今日は二月十四日。一年で一番男子が浮足立つ日だ。
とはいえ琉夏たちの学校は男子校なので校内で甘いイベントなど起こるはずもなく、ほとんどの生徒が「彼女が欲しい」だとか「バレンタインなんか嫌いだ」などと嘆いていたのだが。
それなのにまさか校門前で他校の女子がチョコを渡しにくるなど、思いもしなかったサプライズだ。これこそ男子たちが夢見る憧れのシチュエーションではないだろうか。
他人事なのに琉夏までドキドキしてしまったというのに、優万はドキドキどころか非常に冷めた顔をしている。むしろ不機嫌そうだ。しかも。
「あの子、知ってる子? 同中とか?」
「地区の生徒会の集まりで顔を合わせたことがあるだけです。まともに話したこともない」
「へー。モテるね、優万。カッコいいもんね」
「興味ないです」
会話をしていくうちに優万の機嫌はさらに悪化していった。明らかに声のトーンが低くなっていくのを感じて、琉夏は彼がこの話題を嫌がっているのだと悟り口を噤んだ。
……しかし。優万にとっては残念なことに、彼は駅でもふたりの女子に待ち伏せされ、さらに機嫌を悪くしてしまったのであった。
「……別にあの子たちだって優万に迷惑かけようとした訳じゃないんだから、そんなに怒らなくても」
電車に乗り込んだ琉夏は、隣に立つ優万に小声で話しかける。
「怒ってないですよ。面倒だと思ってるだけで」
優万はそう答えるが、眉間にはくっきりと深い皺が刻まれていた。
琉夏は不思議に思う。何故女子に告白されただけでそんなに不快になるのだろうかと。告白どころか女子とまともに喋ったことのない琉夏には、モテる男の気持ちはわからないなと思った。
「……琉夏先輩は彼女とか欲しいんですか」
吊輪に掴まり前を向いたまま、優万がボソッとそう尋ねた。自分の話題になると思っていなかった琉夏は少々驚き、目を丸くして口を開いた。
「う、うーん? そりゃ俺だって男だから欲しい……かも?」
しかし少し考えてみると、そうでもないなと思い直す。
「でも今はいいかな。女子と付き合うとか、なんか難しそうだし。今は優万や友達といるのが楽しいから」
友達作りに失敗した苦難の一年を乗り越え、ようやく友達と楽しい学校生活を手に入れたのだ。琉夏は毎日が幸せだ。いずれは彼女を作りたいと思うが、別に今でなくてもいいやと思う。
すると、隣でピリピリしていた優万の雰囲気が和らぐのが伝わった。
「そうですか……」
(ん?)
今の会話のどこに彼の機嫌が治るポイントがあったのだろうと琉夏は小首を傾げる。ふと隣を見ると、同じくこちらを見ていた優万と目が合った。彼は微かに目を細める。
優万との付き合いも一年半になるが、琉夏は時々彼のことがわからない。突然不機嫌になったり、逆に妙に嬉しそうなときがある。彼のツボはどこにあるのだろうか。
(まあ機嫌が治ったならいいや)
楽観的な琉夏はそう考え、ニコッと優万に微笑み返した。
家の最寄り駅に着き、琉夏と優万は揃って電車から降りる。
優万の家は隣町だが、彼はわざわざ電車を降り琉夏を自宅前まで送らないと気が済まないのだ。琉夏は散々「送ってもらわなくても大丈夫」と説得したが意味はなく、もはやこの日常を受け入れている。
すると、駅を出たところで「琉夏センパイ!」と明るい声に呼び止められた。
声のした方を振り返れば、制服姿の倫人がニコニコと手を振りながら駆け寄ってくるのが見えた。
一年と三ヶ月前に出会ったときには金髪だった倫人だが、今の彼は黒髪だ。幾つもあった耳のピアスも取っている。私服と混同するほど着崩していた制服も、今は学ランの詰襟を緩めているぐらいだ。
中学三年生の倫人は受験真っただ中だ。三日後に一般入試を控えている。
しかも彼の第一希望は琉夏と同じA男子高校である。偏差値も高いし倍率も定員数を上回っている。
倫人は琉夏と同じ高校に行くと決めた中二の三学期から真面目に勉強するようになり、周囲が驚くほど成績を上げた。塾にも通っているし、琉夏も時々勉強を見てあげたことがある。
『勉強なんてつまんねー』とボヤいていた倫人だが、言葉とは裏腹に頭はかなり良い。教えられたことはスポンジのように吸収するし、理解力も高い。
もともと地頭のいい子だったのだ。今までは目標のない未来のために勉強をする気が起きなかっただけで。
そうして本人の努力の甲斐あって、倫人はこの一年で偏差値を二十以上も上げ、第一希望であるA男子高校の合格圏内にまで収まったのだ。
倫人は琉夏と同じ学校に通うことをとても楽しみにしている。琉夏がバスケ部のマネージャーだと聞いて、絶対にバスケ部に入ると息巻いているほどだ。
勉強も学校も嫌いだった倫人だが運動は好きで得意らしく、球技大会では引っ張りだこなんだそうな。特にバスケは得意でバスケ部に何度も勧誘されたが、身だしなみを整えるのが嫌で結局入部しなかったとのことだ。
琉夏はそんな倫人の入学を楽しみにしている。彼が入学したら学校生活がさぞかし賑やかになるだろう。
出会ったときは倫人に少々ビビっていた琉夏だったが、一年と三ヶ月を経てすっかり友達になった。
見た目はヤンキーだが倫人は素直な優しい子だ。肩ひじを張らなくていい関係が、琉夏には心地いい。それに案外甘えん坊なところもある。大人びた彼のそんな可愛らしい一面が琉夏は密かに気に入ってたりする。
ただし、えっちな話題でからかわれるのだけは少々困ってしまうが。
「早かったね、待った?」
琉夏も倫人に手を振り返し、彼に近づいていく。倫人は「いや、今来たとこだからへーき」とポケットに手を突っ込んだ姿勢で軽く腰を屈め、琉夏の目線の高さに合わせた。
どうやら琉夏が倫人と駅で会う約束をしていたようだと察して、優万の表情が再び硬くなる。
琉夏の後ろに優万がいることに気づいた倫人は、「あ、ちーす」と一ミリも興味も敬意もない態度で形だけ頭を下げた。
そんなふたりの不穏な気配に気づかないまま、琉夏は背負っていたリュックを下ろすと、中から銀のリボンがかかった小さな箱を取り出した。
「はい、これ。口に合うといいんだけど」
「やった! サンキューな、センパイ!」
琉夏の差し出した箱を受け取って、倫人はパァッと顔を輝かせる。頬を染めギュッと目を細めるその喜びようは、今にも飛び上がりそうだ。
「これで受験勉強めちゃ頑張れるわ。ぜってー合格する」
「うん、あとひと息だよ。頑張って!」
琉夏はこぶしを握ると、倫人はニッと八重歯を見せて笑い自分のこぶしをコツンと合わせた。そしてふたり揃って気合を入れるように頷き合う。
そのやりとりを見ていた優万は眉間にこれでもかというほど深い皺を刻んで「……なんですか?それ」と琉夏に聞いた。
その質問に、琉夏は少し恥ずかしそうに笑う。
「チョコクッキー。い、一応俺の手作りっていうか」
「は!?」
「倫人が、受験勉強の励みになるからバレンタインに手作りのチョコが欲しいって言うから……」
十日ほど前に倫人とコンビニで会ったとき、彼にそう頼まれたのだ。『琉夏センパイの愛の籠もったチョコがほしーな~。そしたら勉強頑張れんのにな~』と。
愛が籠るかどうかはわからないが、倫人の受験勉強を応援している琉夏としては、そう言われては断れない。今の時代、同性同士で友チョコのやり取りだって普通だし、男子がお菓子作りをするのだって珍しくないことだ。琉夏は快くそのお願いを聞いてあげた。
「うち、お母さんがよくクッキー焼くから教わりながら作ったんだ。初めてだけど楽しかったよ」
優万は目も口も大きく開いてポカンとしている。倫人は勝ち誇ったように腕を組んでニヤニヤ笑っていた。
「でも倫人なら俺なんかにもらわなくても、女の子にいっぱいもらえそうなのに」
琉夏が不思議そうに言うと、倫人はふいにギュッと琉夏の体を抱きしめてきた。琉夏も驚いているが、優万は声も出せないほど驚愕して固まっている。
「俺は一番好きなやつからもらいてーの。だから琉夏センパイがいいんだよ」
「え……へ、へへ。そっかぁ」
じつに照れくさいが、琉夏は嬉しい。今は倫人も優万も友達だし、クラスメイトや部活のメンバーとも仲がいい。けど長年友達を乞い続けていた琉夏にとって、一番好きとまで言われたらそれはまさに感無量だ。
「受験、頑張ってね。倫人と学校通えるの楽しみにしてるよ」
琉夏は抱きしめられたままポンポンと倫人の背中をたたき、そっと体を離す。
彼の距離の近さにももう慣れた。正面切って抱きしめられたのは初めてだけど、肩を組んだり手を握ったり、なんなら座ってる倫人の脚の上に乗せられたこともある。
倫人に触れられるのは嬉しいと琉夏は感じる。彼は年下だが大きな手はやけに安心感があるし、触れられたぬくもりは心地いい。スキンシップも彼の魅力のひとつだなと、琉夏は最近思うようになってきた。
「ん。じゃーまたあとで電話する。またな」
倫人は名残惜しそうに何度も振り返りながら去っていった。これから塾なのだろう。試験までラストスパートだ。
琉夏は彼の努力が報われるといいなあと思いながら、姿が見えなくなるまで手を振った。そして背後で暗い顔をしている優万に気づき「うわっ」と肩を跳ねさせる。
「あ、ご、ごめん。待たせちゃって……」
倫人とのやり取りは十分にも及ばないものだったが、無関係な優万からすれば退屈な時間だっただろう。申し訳なく思い謝った琉夏だったが、優万の顔は晴れない。
「……別に」
そう呟いて、優万は重そうな足取りで歩き出す。こんなときでもきちんと琉夏を家まで送ってくれるようだ。
しかし優万はずっと沈んだ雰囲気のままで、琉夏が何か話しかけても「ええ」「はあ」などの生返事が返ってくるだけだった。
結局、琉夏の家に着くまでふたりに会話はほぼなかった。彼を不快にさせてしまったことに、琉夏は胸が痛い。
「送ってくれてどうもありがとう」
家の門の前で琉夏が礼を言うと、優万は無言のまま頭を下げて踵を返した。
琉夏はその背を見つめながら「あの……」と声をかけようとして躊躇い口を噤み、家に入ろうとしてやはり気を取り直して、優万の背に向かって叫ぶ。
「優万!」
驚いた優万が振り返ると、琉夏が小走りで自分に向かってきていた。優万は慌てて琉夏に駆け寄り、その肩を押さえる。
「駄目じゃないですか、走らないでください」
「ちょっとぐらい平気だよ」
琉夏は二十メートルも走っていない。息も乱れておらず優万がホッとしていると、琉夏は再びリュックを下ろし中から金色のリボンがかかった小箱を取り出した。
「あの……これ、もし嫌じゃなかったら……」
差し出された小箱を、優万は目を大きく見開いて見つめる。受け取ろうと手を伸ばすと、自分の指先が少し震えていることに気づいた。
優万が受け取ったのを見て、琉夏ははにかんだ笑みを浮かべ「よかった」と肩を竦める。
「優万にはいつもお世話になってるから、お礼がしたくて。でも優万、バレンタイン好きじゃなさそうだし、それにさすがに手作りは引くかなって思って……なかなか渡せなくて」
倫人にお願いされたチョコクッキーを作るとき、琉夏の頭にはもうひとりあげたい人物の顔が浮かんだ。優万だ。
琉夏にとって家族以外で一番大切なのは優万と倫人だ。彼らは初めての友達だし、自分にとても良くしてくれている。もし許されるなら、チョコを通してふたりに感謝と好意を伝えたいと思ったのだ。
しかし今日の優万の言動を見ていたら、手作りのチョコクッキーなどあげていいものか琉夏に躊躇いが湧いた。かえって迷惑かもしれない。
このまま渡さないで終えようかとも思ったが……琉夏は思い直した。受け取ってもらえなくても、捨てられてもいい。感謝の気持ちだけ伝えられたらそれでいい、と。
ところが。
「あ…………ありがとう、ございます……」
優万は拒絶するどころか、みるみる頬を赤くしていく。表情はクールなままだが瞳はキラキラしていて口角が上がりそうで、喜びのオーラを隠しきれていない。もし彼に立派な尻尾がついていたら、きっとブンブン振ってしまっていたことだろう。
そんな優万の姿を見て、琉夏も嬉しくなってくる。
「優万、甘いの好きでしょ? だから普通のチョコクッキーとホワイトチョコクッキーの二種類にしたんだ。あ、でも不味いと思ったら無理して食べなくてもいいからね!」
わざわざ二種類も用意してくれたことから、倫人のおこぼれではないことが伝わって、優万はますます頬を紅潮させる。もう耳まで真っ赤だし、上がらないように耐えていた口角も限界だ。
「……大事に食べます。…………嬉しい……」
口もとを手で押さえながら小さな声で言ったそれは琉夏の耳にちゃんと届かなかったが、喜びの気持ちはしっかり伝わった。
思った以上に喜んでくれた優万を見ているうちに、なんだか自分まで気恥しくなってきてしまい、琉夏は「また明日ね! バイバイ、気をつけて帰ってね!」と慌てて踵を返すと家に向かって駆けていく。
すぐさま「走らないでください!」と後ろから声をかけられ、早歩きに切り替える。そして門の中に入ってから一度だけ振り返り、優万に向かって手を振った。
優万はそれに手を振り返し、もらった小箱を大事に胸に抱えて歩き出す。バレンタインを楽しいと思ったのも、泣きたくなるほど嬉しいプレゼントをもらったのも、胸のときめきが止まらないのも、二月の夜空がこんなに綺麗だと思ったのも、初めてだった。
夜の十一時。
塾から帰った倫人は引き続き自室で勉強していた。
問題集を解きひと段落したところで、お楽しみの小箱を開ける。
銀色のリボンを解くと、四分割された箱の中に猫の形をした二色のクッキーがお目見えした。手作りにしてはなかなかの見栄えだ。
色が濃いのはチョコクッキー。ビターで甘すぎず、倫人好みの味だ。色が白いのはジンジャーパウダーとシナモンが入っている。スパイシーでこちらも倫人好みだ。
倫人の嗜好を知っている琉夏が、倫人を思いながら作ってくれたというのが伝わってくる。それだけで倫人は嬉しくて嬉しくて、その場で歌って踊りたくなるほどだった。
しかし夜中に暴れるのもなんなので、代わりに琉夏に電話をかける。この時間ならまだ起きているはずだ。
数秒のメロディコールのあとに「もしもし?」と出た声に、倫人はたまらず顔が綻ぶ。上機嫌を隠せない声で「センパイ、クッキーうまい!」と言えば、スマホの向こうからも「そう? よかった」と嬉しそうな声が返ってきた。
「マジでセンパイ作ったの? 料理うますぎじゃね? こんなんもう結婚できんじゃん、俺と結婚してよ」
興奮気味に言う倫人に、琉夏はあははと笑う。
倫人は最近よくこういった冗談を口にする。結婚しようぜだの、俺の彼女になってよだのと。琉夏はもちろん、距離が近い倫人なりのジョークだと思っている。
しかし、倫人のほうは半分本気だ。自分は異性愛者だと自覚しているが、琉夏が相手ならば同性愛だろうがなんだろうが構わないと思っている。
むしろ最近では琉夏に夢中で女子は眼中にない。知れば知るほど琉夏のことが好きでたまらず、ときめく胸も沸き上がる情欲も恋だとわかっている。
付き合いたいし、キスもしたいし抱きたいとも思っている。けれど琉夏が異性愛者だということを倫人は知っている。無理強いはもちろん、本気の想いを告げたところで断られる未来しか見えない。
だから今は伝えたい想いを冗談のオブラードに包む。じれったいが、友達ならば琉夏は大体のことを受け入れてくれた。今はそれで満足しなくてはならない。
――あともう少し、琉夏が俺に夢中になってくれれば。恋心を知っても俺を否定できないほど友達として好きなってくれたら。一瞬でも俺にときめいてくれたら。
倫人はそのチャンスを窺う。獲物を狙う獣のように、全身全霊で。
四月になり琉夏と同じ高校に通うようになれば、きっと今よりチャンスは近くなるだろう。その日を信じて、今はまだ息を潜めるしかなかった。
「琉夏センパイ。俺さあセンパイと一緒にガッコ通えるのすげえ楽しみ」
銀色のリボンを指で弄びながら言えば、「まだ試験もこれからなのに気が早いなあ」と笑われた。確かに、と思い一緒に笑おうとしたときだった。
「でも俺も楽しみにしてるよ。倫人に毎日会えるようになったら嬉しいし」
琉夏のそのひと言が倫人の胸を甘く締めつけ、俄然やる気を湧かせる。
「ぜってー受かるから、待ってて」
倫人は心に誓う。必ず琉夏と同じ学校に入学して、来年のバレンタインも彼から愛の籠もったチョコをもらうのだと。
きっと来年のチョコは今年と一味違う。恋人になった琉夏が作ってくれるチョコは、とても甘くてスパイシーだろうなと、倫人は思いを馳せた。
――さかのぼること、二月十三日、日曜日。
キッチンで母から指導を受けながらせっせとクッキーを作っている琉夏のもとに、外出から帰ってきた楓が顔を出した。
「えっ、琉夏が作ってるの?」
玄関を開けたときから漂っていたいい匂い。てっきり母がお菓子を焼いているのだと思ってキッチンのドアを開けた楓は、弟がエプロンと三角巾をつけクッキーの型抜きをしている姿に驚いた。
「お兄ちゃん、おかえり」と琉夏は犬の形をした型を手にしたまま顔を上げて微笑む。途中で顔を擦ったのか、小麦粉が頬についていた。
テーブルにはすでに焼き上がったクッキーが粗熱を取るため置かれている。こちらは猫の形だ。さらにはラッピング用の箱やらリボンまで隅に置かれているのを見て、楓は目を丸くした。
「もしかして……明日のバレンタイン用? 誰かにあげるの?」
尋ねた楓に、琉夏はギュッと口角を持ち上げて頷く。
「友チョコだよ。後輩なんだけど、受験を応援してあげたい子と、いつもお世話になってる子。応援とお礼っていうか……これからも仲よくしてねって気持ちであげたいなと思って」
「……女の子?」
「まさかあ! ふたりとも男子だよ」
楓はいささかホッとした。弟に彼女ができるのを反対したい訳ではないが、それはやはりちょっと寂しい。もうちょっと琉夏の一番近い存在でいたいと思うのは、長年入院中の弟を支えていた兄としては決して我儘ではないはずだ。
しかし。
「ふたりとも喜んでくれるかなあ」
そう言って瞳を輝かせている琉夏の顔は、果たして友達を思ってのものなのだろうか。
そこに幸福とちょっぴりの不安と――ときめきが滲んで見えるのは、楓の気のせいだろうか。
兄だけが気づいた弟の変化。琉夏が自覚していないほどささやかな恋心が、一年後には満開になっているなど、このときはまだ誰も知らない。
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