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2巻

2-3

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 デタラメだらけの書類なのに優れた身体能力で堂々と入団してきたロイに、リュカは注目せざるを得ない。ベッセルとは違いロイは一兵卒の立場だが、ピートとは随分仲がいいようで補佐のように動いている。
 ベッセルとロイ。なんとも面白い新人が入ってきたものだと、リュカは楽しみとちょっぴりの不安を交ぜた気持ちで歓迎したのだった。


 そんなリュカの期待だか不安だかに応えるように、事件は勃発する。
 それはとある日の夕刻。ちょうど護衛交代の時間でヴァンとピートがリュカの執務室に揃っていたときだった。

「大変です! 宿舎で黄金麦穂団と白銀魔女団の騎士たちが喧嘩を……!」

 ノックの返事を待たず部屋に飛び込んできた侍従の訴えに、リュカも、ヴァンもピートも目をまん丸くした。
 三人ですぐさま騎士団の宿舎に駆けつけると、外にまで大声が響いていた。どうやら問題の現場は一階の談話室らしく、両団の騎士たちが大勢集まっているらしい。
 騎士団同士の決闘や殴り合いはご法度なので手は出していないが、騎士たちは睨み合いながらエラい剣幕で言い合っていた。

「これだから第二護衛騎士団は品性の欠片かけらもないと言ってるんだ! 一兵卒から団長まで、まるでならず者の集団じゃないか!」
「んだと!? 世間知らずのボンボンがピートさんディスってんじゃねぇぞ、コラァ!! テメェんとこの団長こそ身内びいきで弟のしつけがなってねぇんじゃねえか!?」
「貴様こそ兄様のことを悪く言うな!」

 人混みを掻き分けて談話室までやってきたリュカたちは唖然あぜんとする。ベッセルとロイが今にも噛みつきそうな形相で互いの団長をけなし合い、周囲の者がそれに同調の声をあげていた。
 近くにいた者に喧嘩のきっかけを聞いたところ、ベッセルがたまたま見かけたロイに服装の乱れを注意したところ、ロイが反抗して喧嘩に発展したらしい。
 第一騎士団と第二騎士団はもともと少々折り合いが悪い。有事には互いを尊重し協力するが、普段はどうも競い合っているきらいがあった。
 そもそも彼らはあまりにも性質が違う。団長の影響もあるのだろう。第一騎士団はヴァンを筆頭に、名門貴族インセングリムの一族らが代々受け継いできた誇り高く厳格な騎士の集団だ。対する第二騎士団は、戦闘能力にけた多種多様な猛者もさらがリュカへの忠誠とピートの人望でまとまっている。
 第二騎士団の粗野なところを第一騎士団は嫌っており、第一騎士団の気取ったところを第二騎士団は鼻につくと思っていた。それでも皆レイナルド家の騎士である自覚を持ち、醜い争いに発展するようなことはなかったのだが……

「おい、やめろロイ。ダセえ喧嘩売ってるんじゃねえ。リュカ様に迷惑がかかるだろ」

 ベッセルと睨み合っていたロイの頭を、ピートがペシッと叩く。

「お前もだ、ベッセル。リュカ様の御前ごぜんだ、控えろ。第一騎士団員としてあるまじき醜態を晒すな」

 ヴァンはベッセルの首根っこを掴んでロイから引き離すと、呆れた溜息をついた。
 ベッセルとロイをはじめ、いがみ合っていた騎士たちは、そこでやっと団長とリュカに気づき顔を青くして敬礼する。

「お、お見苦しいところをお見せして申し訳ございません!」
「……申し訳ございませんでした」

 ベッセルはぺこぺこ頭を下げたが、ロイはどこか不服そうだ。頭は下げたもののリュカから目をらし、唇をとがらせている。ピートにもう一度頭を叩かれると、彼は涙目になりながら「だって!」と叫んだ。

「そいつから先に喧嘩売ってきたんだ! 第二騎士団はこの屋敷にいる資格がないだとか、団長まで素行が悪いだとか! ピートや仲間がけなされてんのに黙ってられるかよ!」

 ハイエナ族は集団への帰属意識が強く、仲間との絆を重んじる。特にスラムで仲間と助け合いながら生きてきたロイは、その意識が強いのだろう。だがここはスラムではないし、レイナルド家と騎士団の規則がある。感情のままに行動していい場所ではない。ロイの言い分にピートは呆れたような困ったような複雑な表情を浮かべた。

「そ、そもそもお前らが僕をからかうのが悪いんだろう!? 人の家の事情に首突っ込んできやがって! 兄様がどうして結婚しないのかも、僕が家督を継ぐのも、お前らには関係ないじゃないか!」

 言い返したベッセルの言葉に、ヴァンが苦々しい表情を浮かべる。リュカも責任の一端を感じて、心の中で「うわぁ……」とつぶやいた。
 再び言い争いが始まってしまい、リュカはどうしたものかと溜息を吐く。どうやら注目の新入りふたりは大変仲が悪いようだ。彼らの上司であるヴァンとピートも大概だが、ふたりは団長の自覚があり、人前で派手な喧嘩はやらかさない。部下の目があるところでいがみ合えば士気に影響が出るし、リュカの顔に泥を塗ることもわかっているからだろう。
 その辺はさすがだなとリュカが内心思っていたときだった。

「それに、そいつは兄様よりピート団長の方が強いと言った! 僕はそれが許せない! 兄様はこのレイナルド領一番の騎士なのに!」
「てめえだってふたりが戦ったらピートが負けるって言っただろ! 補助武器がなきゃ勝てないだのなんだの言いやがって! ピートは踏んできた場数が違うんだよ、ヴァン団長よりピートの方が絶対に強い!」

 その言葉に、ヴァンとピートの表情が変わった。互いに横目で睨み合い、不敵に口角を上げる。

「ほお……。第二騎士団長は後輩の育成に失敗しているようだな。お前と私のどちらかが強いかも見抜けないとはな」
「その台詞せりふ、まんまあんたに返すぜ。名門騎士の一族と名高いインセングリム家の後継者は、節穴の目をお持ちのようだ」

 しょうもない火種がヴァンとピートに飛び火し、リュカはうんざりするあまり白目をきそうになる。なぜうちの騎士どもは誰も彼も血の気が多いのか。さっき心の中でふたりを褒めたことをさっそく後悔した。

「ヴァン団長のほうが強い! インセングリム家の剣術は大陸一だ! チンピラなんかに負けるか!」
「うるせえ、命かけた戦いにお上品な剣術なんて通用するかよ! ピート団長のほうが強いに決まってんだろ!」

 いったんはおとなしくなった団員たちだったが、団長同士が火花を散らし始めたのを見て再び沸き立つ。
 互いの団長の方が強いとの主張が始まって、もはや場は取り付く島もない。すると、団員たちの熱気に押されたのか睨み合っていたヴァンとピートの手が剣のつかにかかった。

「あんたとは一度ガチで白黒つけなきゃと思ってたんだよ。ちょーどいい、これで負けたらリュカから手ぇ引け」
「望むところだ。徹底的に潰してやるから、貴様こそ綺麗さっぱりリュカの目の前から消え失せろ」

 しかもふたりは小声でとんでもない条件をつけ足しているではないか。リュカは慌てて間に割って入ると大声を張り上げた。

「ストーップ! きみたちまで喧嘩してどうするんだよ! 団員同士の決闘は禁止。まさか団長自ら破るつもりじゃないだろうな?」

 リュカが厳しい目を向けると、ふたりは剣のつかから手を離す。しかし目をらした方が負けと言わんばかりに、睨み合うのはやめない。

「わかってますって。決闘なんてしねえよ」
「そうです。これは決闘じゃなく――勝負です」
「……はあ?」

 ワケのわからないことを言い出したふたりに、リュカはキョトンとする。そんなあるじを置き去りに場はわぁっと盛り上がり、皆がすぐさま談話室のテーブルをガタガタと動かし出した。


 いにしえより戦う男の強さとは力・技・運で決まると大陸では言われている。
 そして力試しのド定番と言えば腕相撲だ。騎士たちの間でも暇潰しの戯れとして親しまれている。

「腕相撲か……。まあ、それなら」

 いったい何が始まるのかと戦々恐々としていたリュカは、思ったより平和な勝負方法にホッと胸をで下ろした。
 談話室の中央には小さな卓がひとつだけ残され、そこでガッチリ手を掴み合ったヴァンとピートが殺気をき出しにしながら開始の合図を待っている。

(そういえばこれだけ張り合ってるのに、ふたりが何かで勝負するのって見たことなかったな。……ちょっと面白そう)

 周囲の騎士がそれぞれの団長を声高に応援する中、ベッセルとロイが勝負の公正を期すためリュカに合図と審判を頼んだ。
 引き受けたリュカは卓へ行き、組まれたふたりの手の上に自分の手を置いて小声で告げる。

「勝負は正々堂々と。それから俺を賭けの対象にするのはやめて。どっちが負けても俺は追い出さないからね」
「……なら負けたほうは一ヶ月ルーチェの夜泣き当番ってのはどうだ?」
「勝ったほうは夜泣きを気にせずリュカを抱けるということか。いいだろう、乗った」

 結局リュカを賭けてることに変わりはない気がするが、物騒度は下がったのでヨシとした。

「それじゃあいくよ。レディー……ゴー!」

 合図と共にリュカはパッと後ろへ飛び退く。同時にヴァンとピートは持てる力を全開にして、相手の腕をねじ伏せようとした。

「やっちまえ、ピート団長! ぶちかませ!」
「ヴァン団長! 目にもの見せてやってください!」

 熱狂的な声援に囲まれながら、ヴァンとピートは互いに一歩も引けを取らない勝負を展開する。ふたりの逞しい手の甲には青筋が浮かび、食いしばった牙からはうなり声が漏れた。

(ひえぇ……ガチだ。ふたりともカッコいいけど、ちょっと怖い……)

 肉食獣の迫力満点といったふたりの様相に、リュカはたじろぐ。キツネ族のリュカも一応肉食獣だが、やはりオオカミとハイエナの圧は一線を画す。
 互角と思われた勝負だったが、三分を過ぎた辺りで空気が変わった。組まれた手が段々傾き、ヴァンが苦悩の表情を浮かべている。対してピートは片方の口角を持ち上げていた。
 じつはリュカにはピートが勝つ予感があった。彼は入団試験のとき、素手で甲冑かっちゅうをぶち抜くというとんでもない怪力を見せつけているのだ。モンスターと戦うときも、剣技で仕留めるというよりはナイフで撹乱し力任せにぶった斬っていたことが多い。ヴァンももちろん相当の腕力を持つが、規格外の怪力を持つピートの方が一枚上手だと読んでいる。 
 そしてリュカの予想通り、力勝負はピートに軍配が上がった。
 ダァン! という力強い音と共にヴァンの腕をねじ伏せたピートは挑発するように舌を出して笑い、「俺の勝ち」と中指を立てて見せる。その瞬間、第二騎士団からは野太くも黄色い歓声が湧き、第一騎士団からはブーイングが上がった。

「腕相撲勝負は、ピートの勝ち!」

 ヴァンは歯噛みし恨めしそうな目を向けていたが、勝負内容に不満はないのだろう。文句を言うこともなかった。
 しかしこれで決着がついたわけではない。戦う男の強さとは、力・技・運だ。
 辺りは卓を片付けたりとまたバタバタとうるさくなり、ひとりの騎士が何やら大きな木箱に入ったものを持ってきた。
 次の勝負は技。騎士にとって技とはすなわち剣技。ヴァンとピートはそれぞれ自分の尻尾しっぽの先に紙風船をくくりつけると、木刀を手に持った。どうやら紙風船を割ったほうが勝ちというルールらしい。相手の体に打撃を与えたり、部屋の壁や床、備品を壊したりすることは禁止されている。暴力ではなく、あくまで剣の技術を競い合うという前提だ。
 談話室はおよそ教室分くらいの広さで、勝負の邪魔にならないよう騎士たちは廊下や階段から見ている。リュカも安全な階段の踊り場から見物することにした。
 部屋の中央でヴァンとピートが木刀を構えるのを見届け、リュカが開始の合図を叫ぶ。

「剣技勝負、はじめ!」

 その声を合図に、ふたりの木刀が目にも留まらない速さで風を斬った。
 ヴァンとピートは互いにすんでのところで剣先を交わし、身をひるがえしては尾の先にある紙風船を狙って木刀を振るう。
 ピートはネコ型亜目特有の身の軽さを活かし、床だけでなく壁を蹴って縦横無尽に動いてはヴァンを翻弄した。その派手な動きに第二騎士団からは歓声が湧く。
 しかし一見ピートが優勢に見えるが、実力の差は明らかだった。あちこち避け回っているピートとは違い、ヴァンは最初の位置からほぼ動かず、剣技だけでピートの攻撃をいなしている。
 リュカはこの勝負も想定済みだった。騎士として代々続くインセングリム家の本家嫡子の座は伊達だてではない。おそらくヴァンより剣を振るい鍛錬を重ねてきた者はこの大陸にいないだろう。受け継がれてきた剣技に加え、本人のたゆまぬ努力、そして実戦で培ってきた勘。剣の腕だけで言ったらヴァンは間違いなく最強だ。
 ピートも十分強いが、彼の強さは補助武器や怪力など〝なんでもあり〟の強さだ。さすがにこの勝負、ヴァンに大きく分があった。
 パン! という間の抜けた破裂音は、ヴァンの木刀を避けたピートが次の一歩を踏み出そうとした瞬間に響いた。本人も気づかぬ隙を突かれたのだろう。ピートはしばらく目を丸くしており、ヴァンは落ち着き払って姿勢を正し木刀を収めた。

「この勝負、ヴァンの勝ち!」

 ヴァンの華麗な勝利に、談話室が割れんばかりの歓声に包まれた。

「相変わらず型もへったくれもないな。粗野で棒っきれを振り回してるのと変わらん。だからお前は騎士ではなくチンピラだというんだ」
「……ちっ。どさくさに紛れて頭カチ割ってやればよかったぜ」

 勝って当然とばかりにツンと澄ましているヴァンに、ピートが苦々しそうに舌打ちする。
 これで勝負は一勝一敗。決着は最後の運勝負へともつれ込んだ。

「運って何で決めるの?」

 力と技に比べ、運勝負とはなんとも曖昧な気がする。そんなものをどうやって量るのかとリュカが小首をかしげれば、近くにいた団員たちがニッと笑って手を見せてきた。

「これですよ」

 グー、チョキ、パー。どうやらジャンケンのようだ。これまた随分シンプルだなとリュカは苦笑する。

(運か。俺が知る限りヴァンはよくもなく悪くもなくって感じだなあ。対してピートはいいときと悪いときで波があるって自分で言ってたっけ。この勝負だけはどっちが勝つか、全然見当がつかないや)

 たかが運、されど運。戦う者にとっては運も立派な実力のうちだ。互いに騎士団の名誉を賭けたこの勝負、果たして勝利の女神はどちらに微笑むのか。
 部屋の中央でヴァンとピートが視線をぶつけ合う。ふたりとも気迫は互角だ。団員たちが固唾かたずを呑んで見守る中、リュカの合図で両者が拳を構えた。

「最後の運勝負、いくよ! ジャーンケーン……」
「リュカ様ぁっ!! リュカ様いらっしゃいますか!?」

 まさに勝負がつこうとしたその瞬間、談話室に侍従長が大声で叫びながら飛び込んできた。

「は?」

 リュカも、ヴァンもピートも騎士たちも一斉にそちらを振り向く。大勢の注目を集めても侍従長は気にする余裕もなくリュカに一直線に向かってくると、慌てた様子で言った。

「こんなところで油を売っていないで、すぐにいらしてください! 大変なお客様です!」
「お、お客様?」

 侍従長の勢いに気圧けおされて、リュカは目をしばたたかせたじろぐ。今日は来客の予定はないはずだ。事前の連絡を寄越さず当主に会おうとする図々しい客人とは誰なのか、見当がつかない。

「いきなり押しかけてきてリュカ様を呼びつけようとは、無礼にも程がある。明日の朝まで待たせておけばよいでしょう」

 リュカのもとへやってきたヴァンが、眉間に皺を刻んで侍従長に言う。回りの騎士たちもそれに同意してうなずいた。我らのあるじを軽んじるような客人なんぞ、もてなす必要はないと思っているのだろう。しかし。

「っていうかお客さんって誰なのさ?」
「ガルトマン家ご当主、シュンシュ様でございます」

 リュカの質問に答えた侍従長の言葉に、その場にいた者たちは揃って口を引き結んだ。


 四大公爵家の当主が他の領地へ行くのは、持ち回りで行われる当主合議や一対一で行われる当主会談、新しい当主を迎えたときの継承の儀や慶弔の式典など公的な用事があるときのみだ。その際は当然、予め訪問と受け入れのスケジュールを組んで共有し、迎えるときには大掛かりな準備をする。事前の連絡もなしにやってくるなど前代未聞だ。

「よっぽど緊急の用件なのかな」

 リュカは小走りに近い早歩きで、シュンシュが待つ応接室へ向かう。

「だとしても通信室を使うなり伝言鳥でんごんどりを飛ばすなり、何かしら連絡手段はあるだろ。ただの怠慢か、でなけりゃお忍びの訪問なんじゃねえのか」

 リュカのあとに続いて歩くピートが、怪訝けげんそうに眉をひそめる。

「さっき窓の外にガルトマン家の馬車が見えた。護衛の騎士団も引き連れている。お忍びというわけでもなさそうだぞ」

 ピートの隣を歩くヴァンもいぶかしむように顔をしかめた。
 黄金麦穂団と白銀魔女団の名誉を賭けた勝負は宙ぶらりんになってしまったが、それどころではない。意図の見えないシュンシュの訪問に、リュカもふたりも緊張感を抱いていた。

「お待たせしました。……お久しぶりです、シュンシュ殿」

 リュカが応接室に入ると、シュンシュはソファーから立ち上がって軽く一礼する。赤い衣をまとい、漆黒の髪と伏し目がちな表情は相変わらず神秘的だ。言い換えれば、彼の感情は読みにくい。無口なのもあって何を考えているのかわかりにくい男だ。
 シュンシュのそばには背の高い有翼の男がふたり立っている。腰にガルトマン領独特の武器である鉄のむちを備えているところを見ると、彼らは護衛戦士なのだろう。
 リュカはシュンシュの向かいのソファーに腰を下ろした。あまり離れすぎない位置に、ヴァンとピートが控える。

「出迎えもできず申し訳ありません。急に来られたので驚きました。今日は何か緊急の事態でも?」

 リュカのほうから口火を切ったというのに、シュンシュはしばらく黙って口をつぐんでいた。そしてふところに手を入れ、一通の封筒をテーブルの上に置く。

「来月、ガルトマン領にて私の即位三十周年記念式典が行われる。是非来ていただきたい」

 封筒の中身は招待状だった。記念式典の詳細が書かれたそれを見て、リュカはポカンとしてしまう。

「……もしかして、これを届けにきたんですか?」

 招待してくれるのはありがたいが、こんなものは遣いの者に届けさせれば済むことだ。わざわざ当主が出向く意味がわからない。するとシュンシュは静かにうなずき、それから言葉を返した。

「ところで、今日は神子殿はどちらに?」
「え? ルーチェ……ですか?」
「左様」
「ルーチェなら……」

 答えながらリュカはますます混乱する。まさかルーチェの顔が見たくてわざわざ出向いたのだろうか。それならば連れてきて会わせてあげようと思ったが……なんとなく、やめた。シュンシュの表情は読みにくいが、こちらを見据える黒い瞳が無邪気に赤子を慕っているとは感じられなかったからだ。

「……昨日から熱を出してしまいまして。せっかく来てくださったのに申し訳ないですけど、お顔を見せられそうにありません。次の機会にきっと、元気な姿をお見せしますね」

 咄嗟とっさに嘘をついた。ルーチェなら今頃リュカの部屋で叔母のサーサに遊んでもらっている。シュンシュは黙ったままリュカを見つめていたが、やがて視線を伏せるとソファーから立ち上がった。

「では、来月。我が屋敷でお待ちしている」
「えっ、帰るんですか?」

 ワープゲートを使ったとはいえ、遠路はるばる当主がおもむいてきたのだ。てっきり泊まっていくものだと思っていたリュカは驚く。

「用事は済んだ」

 それだけ言ってシュンシュは護衛を引き連れ部屋から出ようとしたが、ドアの前で立ち止まり振り返って言葉を付け加えた。

「記念式典には是非、神子殿も」

 去っていったシュンシュを、リュカは立ち尽くして見つめる。勝手にやってきてさっさと帰ってしまった。本当に招待状を届けるのが目的だったのだろうか、疑問だらけだ。
 しばらくして窓の外に目を向けると、ガルトマン家の馬車が出立していくのが見えた。

「……なんだったんだろう」

 つぶやいたリュカの隣にピートが並び、耳に口を寄せて小声で告げる。

「警戒したほうがいいぜ。あっちの護衛の鳥野郎、ずっとこちらを窺うような目をしてやがった。少なくとも友好的な目じゃねえな、あれは」
「……まさか」

 ピートの言葉はにわかには信じ難い。シュンシュは愛想はよくないが、同じ四大公爵家の当主だ。この世界でたった四人しかいない同等の立場で、等しく神の力を引く者。三千年もの間、均衡を保ち、魔王出現の際には力を合わせて勇者を呼んだ仲間でもある。シュンシュは敵ではない。というより、敵になりようがない。万が一両家が対立すれば、それは歴史を揺るがす大事になる。

「確かに今日のシュンシュ様の行動は不可解だが、ガルトマン家がレイナルド家に何か害をもたらすとは思えない。四大公爵家はこの大陸の四本柱だ。そう簡単に関係が揺らぐような真似はなさらないだろう」

 ヴァンの言葉にリュカはうなずく。考えとしてはヴァンとほぼ同じだ。

「とりあえず、わざわざ招待状を持ってきてくれたんだ。来月の記念式典には出席させてもらおう。シュンシュ殿に何か思うことがあるなら、このときに話せばいいさ。デボイヤ殿とゴーフ殿も来るだろうし、ちょうどいい。当主たちとの仲を深めるつもりで行くよ」

 テレスから聞いた虚空の神殿の遺跡の件もある。それも踏まえ四人で話し合ういい機会だと思えた。


 その翌週。リュカは恒例になっている魔王デモリエルのもとへ遊びに来ていた。
 相変わらず取り立てて何をするでもない。デモリエルがリュカの尻尾しっぽをモフモフしたり、おやつを食べながら談笑したり、デモリエルが可愛く改良したモンスターを見せてくれるたわいもない時間だ。最近はそこにルーチェが加わり、デモリエルは赤ん坊の成長を興味津々で見ている。

「獣人の赤ん坊は成長が遅いね。モンスターならそろそろ成体になる頃なのに」

 抱っこしたルーチェの小さな手や足を指先でつまんで眺めながら、デモリエルは不思議そうに言う。遺伝子から作られたルーチェだが、水晶から出たあとは普通の獣人と同じ成長を辿たどっている。デモリエルにとってはその成長の部分が未知なのだろう。

「可愛い時期が長くていいでしょ。手もかかるけど、そのぶん愛おしいよ」

 ニコニコとリュカが言えば、デモリエルも嬉しそうにかすかに口角を上げた。

「リュカ、ルーチェ好き? もらえてよかった?」
「うん。本当の息子だと思ってるよ。ありがとう、デモリエル」

 大好きな友達に感謝されて、魔王の青白い肌に赤みが差す。
 リュカのことが大好きなデモリエルだが、どうやら同じ遺伝子で出来ているルーチェには特別な好意や執着は持っていないようだ。リュカのモフモフが大好きで「可愛い」を連呼するが、本当に好きなのは外見でなくリュカの魂なのだろう。

「リュカが嬉しいと僕も嬉しい」

 デモリエルはルーチェを手渡すと、ルーチェを抱いたリュカごと自分の膝の上に乗せた。そしてリュカの大きな耳と小さな頭にスリスリと頬を寄せる。

「いい匂い。可愛い。リュカ大好き」

 恍惚こうこつとした表情でスリスリしていたデモリエルだったが、ふと何かに気づいたように顔を離すと、上から覗き込むようにジッとリュカの胸もとを見つめた。

「……何か変なもの持ってる? リュカじゃない魔力を感じる」
「え?」

 言われてリュカは小首をかしげるが、すぐに思いあたってふところから布に包んだ欠片かけらを取り出した。

「もしかしてこれかな。虚空の神殿付近で見つかった遺跡の欠片かけらなんだ」
「……虚空の神殿……なるほど」

 テレスから受け取った遺跡の欠片かけらをリュカは所持している。今はまだ内密にしているため屋敷に保管はできず持ち歩いているのだ。

「デモリエルは欠片かけらから魔力を感じられるんだね。さすが魔王だなあ」

 リュカは感心した様子で言う。欠片かけらが帯びている魔力はかすかだ。持ち歩いていても誰もその気配に気づかない。先日対面したシュンシュでさえ、まったく気づいた様子がなかった。
 しかし大好きなリュカに褒められたというのに、デモリエルは今度は喜ばない。渋い表情を浮かべ鼻をヒクヒクさせている。

「だってその魔力嫌いだから」
「あ。そうだったね、ごめん。しまっとくね」

 欠片かけらをグルグルと布に包みながら、リュカは以前にデモリエルから聞いた話を思い出した。
 彼と友達になったあと、リュカは好奇心で訊ねたことがある。デモリエルはゲーム『トップオブビースト』では突如現れたことになっていたが、いったいどこから来たのかと。
 すると彼はなんと『別次元の世界から来た』と答えたのだ。そこでは命の在り方がこの世界とはまるで違っており、家族や生殖といった概念もなく、魔王は混沌こんとんから自然と発生した命らしい。
 そんな世界からやってきたのだから、デモリエルの魔力もこの世界のものとは性質が異なる。リュカの魔力は神から授かったもので、デモリエルの魔力は己の体内で作り出しているものだ。非常に相性が悪く、強い神の力を魔王は侵せないらしい。
 それを聞いたとき、リュカは不思議に思った。魔王の魔法は強力で、火山を容易たやすく凍らせたり、大勢の瀕死の人間を一瞬で回復させたりできる。この世界で最高峰の魔法使いであるリュカでさえできない芸当だ。単純に考えてデモリエルの魔法のほうが強いと思っていた。
 質問を重ねたリュカに、デモリエルは『えーと……』としばらく考えてから説明してくれた。

『どっちが強いっていうんじゃなく、相性が悪いだけ。だからシンプルに力の大きい方が勝つ。聖剣とかリュカの〝神籬ひもろぎ〟は僕の魔力より大きいから、僕は勝てない。……でも、それ以外のこの世界の魔法は正直言ってカス。僕を傷つけられない。ただ、目障りではある』

 それを聞いてリュカは納得すると同時に、小首をかしげた。

『目障り?』
『相性が悪い魔力は臭い匂いみたいなものだから、傷つけられなくても不快。だから昔はこの世界の魔力を全部滅ぼしてやろうと思ったこともあった。でも今はしない。滅ぼすとリュカが悲しむから』
『うん。っていうか、俺は? 多分この世界で一番魔力を持ってるのは俺だと思うけど、臭くないの?』

 するとデモリエルはリュカをギュウッと抱きしめ、頭に鼻を押しあててスンスン匂いを嗅いだ。

『リュカは不思議な匂い。嫌な匂いもするし、神籬ひもろぎはすごく嫌な感じなんだけど……でも、いい匂いと混じってる。懐かしくて、ずっと欲しかった匂い。こんな匂いするのリュカだけ』

 なんとも抽象的な言葉に、リュカは『う、うん?』と返事に詰まる。懐かしくて欲しかった匂いとはなんなのだろうか。鼻腔で感じる香りではなく、魔力とか力の根源のようなものを指しているのはわかるのだが。
 考えても答えが出るものでもないので、そのときのリュカはこの話を終わりにして、ただおとなしく匂いを嗅がれ続けたのだった。


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五珠 izumi
BL
人族、魔人族、獣人族が住む世界。 その中の獣人族にだけ存在する番。 でも、番には滅多に出会うことはないと言われていた。 僕は鳥の獣人で、いつの日か番に出会うことを夢見ていた。だから、これまで誰も好きにならず恋もしてこなかった。 それほどまでに求めていた番に、バイト中めぐり逢えたんだけれど。 出会った番は同性で『番』を認知できない人族だった。 そのうえ、彼には恋人もいて……。 後半、少し百合要素も含みます。苦手な方はお気をつけ下さい。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

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