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番外編SS

ルーチェはなんでもわかってる

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※盛大なネタバレあり。本編読了後に読むことをおススメします。




 とある平和な昼下がり。
 リュカの執務室からはルーチェのぐずる声が聞こえる。

「ルー、ちゅまんない~。おしょと行きたい~」
「ごめんね、ルーチェ。ちょっとだけ待って。この急ぎの書類だけ目を通さないといけないから」
「や! 待てないの!!」

 二歳になったルーチェはわんぱくな甘え盛りだ。可愛いのだけれどイヤイヤ期なのもあって、対応にはなかなか手を焼く。

「リュカきやい! ルーおしょと行く!」

 いつものようにリュカの執務室で遊んでいたものの、玩具に飽きたルーチェは外に行きたくてたまらない。
 しかしなかなか執務から手の離せないリュカに業を煮やし、ルーチェはしがみついていたリュカの脚から手を離すと身を翻してドアへと駆けていってしまった。

「あっ! 駄目だよルーチェ! ひとりで外に行っちゃ!」

 リュカが慌てて追いかけようとしたとき、執務室のドアが開いた。
 走っていたルーチェは勢い余って入ってきた人物の脚にぶつかってしまう。

「お、大丈夫かルーチェ」

 入ってきたのはピートだった。
 おでこをぶつけたことにルーチェは一瞬目を潤ませたけれど、ピートの顔を見上げた瞬間パッと満面の笑みを浮かべる。

「ピート!」

 ピートは腕を伸ばしてきたルーチェを抱き上げると、眉尻を下げてホッとしているリュカのもとへ向かった

「またルーチェのイヤイヤに振り回されてたのか? ごくろーさん。こっちは手が空いたからチビは俺が散歩にでも連れてってやるよ」
「助かるよ~。ありがとう、ピート」

 ルーチェの育児は相変わらず三人でやっている。動き回るようになってから目が離せなくなったが、屋敷の者が皆協力的なのもあってなんとかかんとかやってこられている。

「ルー、おしょと行きたい!」
「そーか、そーか。そんじゃ中庭にでも行くかあ」

 ようやく機嫌の治ったルーチェをピートが抱っこして連れていくのを見て、リュカは安堵の息を吐くとようやく執務机に向かって集中できたのだった。


 子供というのは現金なものだ。
 甘やかしてくれる人間が誰なのか、しっかり心得ている。

「あにょね、ピート。ルーね、お菓子しゅき……。ちょっとお腹しゅいてる……」

 中庭へ向かう途中、抱き上げられたまま耳もとでコショコショと話すルーチェに、ピートはハハッと短く笑う。

 ルーチェは三時のおやつ以外はお菓子を禁じられている。
 しかしピートにならおねだりすれば、大目に見てもらえることをわかっているのだ。

 おねだりすらまだ舌足らずでうまく言えないくせに、そういうところはちゃっかりしている。
 そんな子供らしい浅はかな必死さが可愛くて、ピートはつい甘やかしてしまうのだ。もちろん、譲れない部分は譲らない線引きもしているが。

「腹減ってるんじゃしょ-がねーな。厨房寄ってなんか頂戴してくっか」
「ちょーだいしゅる!」

 ルーチェは太陽みたいな満面の笑みを浮かべる。子供の笑顔はただでさえ可愛いのに、それがリュカそっくりのルーチェなのだから、ピートはたまらない。

 そうしてふたりは中庭に行く前に厨房に寄り、ルーチェはナイショのおやつを、まんまとせしめたのだった。


 ご満悦でクッキーを食べたあと、ルーチェは中庭を走り回り、それから大好きな木登りをさせてもらった。

 もちろん二歳児がひとりで木に登れるわけがない。ピートが抱えて庭の樫の木に登るのだ。

 見晴らしのいい高さまで登ると、ピートは丈夫そうな枝を選んでそこにルーチェを座らせた。

「たかーい! ルーがいちばんたかい!」

 中庭が一望できる高さに、ルーチェは大満足だ。小さな脚をパタパタと動かし、尻尾もブンブンも振っている。
 ルーチェは木の葉や近くの枝にとまっている鳥に手を伸ばそうとし、ピートに「あぶねーぞ」と体を掴まれてはキャッキャと笑った。

 ……と、そのとき。

「何をしている!? 危ないだろうが! すぐに降りてこい!」
「げっ、見つかっちまった」

 屋敷の回廊からこちらへ向かって走ってくるヴァンを見つけて、ピートが苦々しい表情を浮かべる。

 樫の根もとからギャンギャン吠えるヴァンに肩を竦め、ピートはルーチェを小脇に抱えるとポーンと身軽に地面へ着地した。

「お前は! 何を考えてるんだ!! ルーチェ様はまだ二歳なんだぞ、万が一落ちたらどうするつもりだ!」

 ピートが褒められたものではない遊びをルーチェに教えるのは、もちろんこれが初めてではない。ヴァンはそのたび口を酸っぱくしてお説教している。
 しかしピートがそれで改まるような性格なら、ヴァンは苦労などしない。

「あーはいはい、俺が悪かったですーすんませんでしたー」

 まったく反省していないピートに、ヴァンはぶん殴りたい衝動に駆られる。ルーチェがいなかったら今すぐここで殴り合いが始まっていただろう。

 グッとこぶしを握りしめてこらえ、ヴァンは努めて冷静になり今度はルーチェに向き直る。

「ルーチェ様、あなたもです。こいつの悪い遊びに乗っては駄目です。あなたは大事な大事な次期当主なのですから、危険なことは――」

 しかしお説教役というのは報われないものだ。
 ヴァンの言葉はすっかりふくれっ面になったルーチェの「や!!」という大声に遮られた。

「ヴァンいや!! ルー木登りしゅき! ピートしゅき! ヴァンおこゆからいや!」

 ルーチェのイヤイヤに一番被弾しているのはヴァンだ。
 厳格な性格上お説教役を担うことが自然と多くなってしまうヴァンは、毎日のようにルーチェのイヤイヤを浴びている。

 もう慣れたものではあるが、最愛の息子ともいえるこの可愛い生き物に拒絶されるのは、やはり心を抉るものがある。

 しかしヴァンは心を鬼にして腰を屈めルーチェの目を見ると、「ルーチェ様。世の中には楽しくても我慢しないといけないことがあるのです」と滾々と説教を続けようとした。

 するとイヤイヤが限界突破したルーチェは「や!! ヴァンきやい!」と叫んでその場から逃げていってしまった。

「ルーチェ様! 勝手に行っては駄目です!」

 慌てて立ち上がったが、ルーチェは庭の植え込みを潜って低木の茂みへ入ってしまった。
 姿を見失い、ヴァンとピートが焦って探す。

 子供というのは無垢に見えてしたたかだ。
 甘やかしてくれる人が誰なのかちゃんとわかっているし、怒っても受けとめてくれる人が誰なのかもちゃんとわかっている。

 低木の茂みに逃げ込んだルーチェはそこで立ち止まって腰を下ろした。ヴァンから逃げるため走ってみたものの、これからどうするかなど何も考えていない。

 背後からヴァンとピートの声が聞こえ、振り返って出ていこうとしたときだった。
 目の前の茂みがガサガサと音を立て、大きなアオダイショウがにょろりと顔を出した。
 次の瞬間、中庭にルーチェの絶叫に近い泣き声が響き渡る。

「あーーーッッッ!!! たしゅけて! ヴァン! たしゅけてえー!!」

 涙と鼻水を大放出させて、ルーチェが茂みから飛び出してきた。
 それを見つけたヴァンが咄嗟にルーチェを抱き上げ、茂みの影にいたアオダイショウをブーツの先で蹴っ飛ばす。

「もう大丈夫ですよ、ルーチェ様。どこか噛まれてませんか?」

「こぁかったぁ~~、こぁかったよぅ~ヴァン~~」

 ルーチェはベソベソと泣いて、ヴァンに必死でしがみつく。
 こういうときはヴァンでなくては駄目なのだ。

 怖い思いをしたとき、不安になったとき、どうしていいかわからないとき、ルーチェが呼ぶのは必ずヴァンだ。
 普段は口煩いが、彼なら必ず自分を守ってくれることをルーチェは熟知している。

「食って遊んで泣いて、こりゃそろそろ寝るな。部屋戻るか」

 なかなか泣きやまないルーチェの頭を撫でたピートは、幼児特有のホカホカした温かさを感じ取り眠気を察する。ヴァンも黙ってそれに頷いた。

 こうしてグズグズになったルーチェはヴァンに抱きかかえられたまま、リュカのいる執務室へと戻ったのだった。


「おかえり。ふたりともどうもありがとう、おかげで仕事がひと段落着いたよ」

 書類を片付けていたリュカは三人が戻ってきたのを見て微笑む。
 
 すると抱っこされていたルーチェが身を捩って腕から抜けたがり、ヴァンが床に下ろすとそのままリュカのもとへと駆けていった。

「ルー、ねんね。リュカとねんね」

 リュカは脚に纏わりつくルーチェを抱き上げ、ポンポンと背を叩いてあやす。

 ピートが甘やかしてくれる楽しいお父さんで、ヴァンがいざというとき助けてくれるお父さんならば、リュカはいなくちゃならないお父さんだ。

 理屈じゃない。寝るときも目が覚めたときも、そばにいて当然の存在。
 血のつながりがあるからか、一緒にいる時間が一番長いからか、それはわからない。けれどルーチェの帰るべき場所は〝リュカ〟なのだ。

 寝室へ移ったリュカはルーチェの靴と上着を脱がせ、ベッドへと寝かせる。
 そして自分も横になり、添い寝をした。

 リュカの手をギュッと握ってくる手はまだまだ小さくて、温かい。
 小さな小さな体からは、お日様と草のいい匂いがした。

 あどけない寝顔を眺めているだけで幸せな気持ちが胸いっぱいに込み上がる。

 ふと振り返ると、寝室のドアのところに立ってヴァンとピートも目を細めこちらを眺めていた。

 三人のお父さんに見守られ、ルーチェはなんの憂いもなく眠りに落ちる。
 幸せそうな寝顔は、きっと楽しい夢を見ているに違いなかった。

 おしまい
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