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1巻

1-2

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「長らくおそばを離れることになって申し訳ございませんでした。ヴァン・ド・インセングリム、本日よりリュカ様の護衛任務に戻らせていただきます」

 一ヶ月ぶりに姿を見せた彼は、相変わらず子供らしからぬほど厳格で慇懃いんぎんだった。以前と変わらず背筋はまっすぐ伸びているし、シャツにも揃いのベストと脚衣にも余計な皺ひとつない。
 しかし、彼を迎えるリュカは今までとは違っていた。
 今まで好んで身につけていた生地の柔らかい子供用のラフなシャツではなく、レイナルド家の者が着用する金色の法衣ほういの子供用を身につけている。

「任務復帰ご苦労様。俺はこれから本を読むから、いつものように警護を頼むね」

 シャンとした姿で向き合うリュカに、ヴァンはかすかにまゆを上げ驚いたように見えたが、すぐ表情を引きしめた。そして胸に手をあて一礼すると、リュカの机の脇にひかえ静かに立った。

(ヴァンが俺のために立派な騎士になろうと頑張ってくれてるんだから、俺もヴァンのために立派な当主にならなくちゃ)

 それが正解なのか、正直なところリュカにはまだよくわからない。けれど、ヴァンに悔しい思いをさせることはもう嫌だった。
 リュカは書斎机の椅子に座り、静かにレイナルド家の歴史と魔法のことを綴った古書を読む。ちっとも面白くないけれど、ヴァンがいない間に頑張って三分の一まで読み進めたものだ。
 今日も難解な文章に苦労しながら一時間ほど読み続けたリュカは、一度ゆっくりと瞬きをしてから視線を本に向けたまま口をひらいた。

「……ヴァン。そのままでいいから、聞いて欲しい」

 返事はなかったけれど、リュカは斜め後ろのヴァンが自分の言葉に耳を傾けてくれているのを感じて話し続けた。

「俺は……友達が欲しかったんだ。次期当主だから仕方ないけど、俺はひとりで外に遊びにいくことはできないし、周囲は大人だらけの環境で育った。だからずっと友達が欲しいって願い続けてたんだ。そんなとき、ヴァンが来てくれて本当に嬉しかったよ。初めて友達ができるって浮かれてて……。けど、そうじゃない。きみはこの家に、俺を護りにきたんだよね。騎士として、次期当主である俺を」

 言葉を切ると、時計の秒針の音だけが部屋に響いた。まるでリュカの声を少しも聞き逃すまいとしているみたいに、ヴァンの呼吸音さえ潜められている。

「きみは嫌がるかもしれないけど、やっぱり謝らせて欲しい。……ごめん。今まで情けないあるじで悪かったって反省してる。これからはヴァンが恥じることがないような、立派なあるじになるから。だから……」

 声が掠れるのを感じて、リュカはあわてて唇を閉ざした。そして感情と共に込み上がってきそうな涙をグッとこらえてから、再び言葉を紡いだ。

「だから……ヴァンが俺を立派なあるじだっていつか認めてくれたら、そのときは、主従だけど……と、友達になって欲しい……」

 黒目がちな大きな瞳が、濡れてウルウルと潤む。リュカは口をへの字に引き結んで一度大きく鼻をすすると、「そ、それから」と震える声で言った。

「……俺のところへ戻ってきてくれて、どうもありがとう」

 こらえきれず溢れた涙が、ポタ、ポタ、と本のページに落ちる。
 リュカは今日、ヴァンが戻ってきてくれたことがたまらなく嬉しかった。父親に言われて渋々戻ってきたとは思わない。部屋に入ってきたときから、抑えきれずに左右に揺れている銀色の尻尾が、彼の心の内を表している。
 ヴァンは何も答えなかった。部屋には時計の秒針と、リュカの鼻を啜る音だけが聞こえる。そうしてようやくリュカの涙と鼻水が止まった頃。

「……たくはいいから、次期当主らしくしっかりしてください」

 ささやかに、つぶやくような声が聞こえた。

「うん」

 微笑んでうなずいたリュカは知らない。斜め後ろに立つ彼のほほが、赤く染まっていたことを。


 その年の冬のことだった。
 温暖なレイナルド領にしては珍しく、積もるほどの雪が降った。
 転生してからリュカは雪を見るのは初めてだ。懐かしさと目新しさが入り混じった気分で高揚し、屋敷の庭へ出て駆け回らずにはいられなかった。
 雪だるまや雪兎を作り雪を堪能していたが、そのうち飽きてきた。本当は雪合戦がしたいのだが、周囲には誰もいない。滅多に雪の降らない地域ゆえレイナルドの屋敷も周辺の町も大雪に対処できる設備がなく、みんなてんやわんやなのだ。侍従や騎士らが揃って雪かきに従事し、ヴァンまで駆り出されている始末である。リュカも手伝いたかったが、さすがに公子にやらせるわけにはいかないらしい。
 大人たちは皆忙しく、リュカはせっかくの雪をひとりで楽しむしかなかった。
 やがて庭の雪でだるまを作り尽くしたリュカは、まだ跡のついていないまっさらな雪を踏みしめる遊びに移行した。庭から建物に沿って、点々と小さなブーツの跡が続いていく。
 屋敷の角まで歩いてきたとき、リュカは思い立ってブーツを脱いだ。素足で雪を踏みしめる感触が面白くて、前世のときから裸足が好きだったリュカは弾むような足取りで進む。フェネックギツネの足裏は熱が伝わりにくいので、雪の上を素足で踏んでも平気だ。
 そうして、純白の大地に無駄に足跡をつける遊びも飽きてきた頃、屋敷の裏側まで来てしまっていたリュカは怪しい人影を見つけた。そこは、厨房の裏手にあるゴミ捨て場だった。
 子供と思われる小さな影が、ゴミの山を漁っている。そして食べ物の残骸を見つけては、夢中で口に運んだりふところにしまったりしていた。

「ちょ……っ、何してるの⁉ 汚いよ!」

 あまりに衝撃的な光景に、リュカは気がつくと叫んでいた。その声に驚いた人影は素早く身を翻し、ポケットから出したナイフを両手に構えてこちらを見据えた。
 年齢はリュカと同じかやや小さいくらいだろうか。まだ幼さの残る顔はガラが悪く、垂れた目も目つきが悪い。牙の覗く口もとはうっすらと笑みを浮かべているが、好意的なものではなく嘲笑ちょうしょうにしか見えなかった。
 冬だというのに薄手のシャツを捲った腕には黒い斑点が見えており、丸みを帯びた特徴的な耳から、リュカは彼がハイエナ族だとわかった。

(どうしてこんなところにハイエナの子供が?)

 レイナルド家の従者や家僕にハイエナ族の者はいない。けれどあまりにみすぼらしい彼の身なりを見て、リュカはすぐに理解した。
 おそらく彼は領地のスラムに住む子供だ。滅多にない大雪のせいでライフラインが崩れ、食料難に陥ったのだろう。そうして食べ物を求めてレイナルド家の敷地まで潜り込んできたのだ。
 得体のしれない不法侵入者ではあるが、リュカに彼を捕らえる気はない。空腹の子供を追い詰めてなんになろう。

「つ、捕まえたりしないよ。だからそのナイフおろしてよ、ね?」

 リュカは両手を挙げ敵意がないことを示しながら微笑みかける。しかしハイエナの子は警戒心を解かない。黒い瞳でリュカを見つめたまま、尻尾をピンと立てている。

「お腹いてるんでしょう? よかったら食べ物を持ってきてあげる。だからゴミなんて食べない方がいいよ」

 食べ物と聞いてハイエナの子の耳がピクリと動いた。

「持ってくる! 待ってて!」

 リュカはすかさず背を向けると、そのまま厨房に繋がる裏口へと駆けていった。
 幸い、使用人は総出で雪かきにあたっているようで、厨房には誰もいない。ジャガイモの入っていた麻袋にパンや果物、干し肉などを片っ端から詰め込んで背負い、かまどにかけられていた鍋からスープを一杯すくって椀によそった。

「持ってきたよ! ……あれ?」

 スープが零れないように気をつけながらあわてて戻ってくると、そこにハイエナの子はいなかった。逃げてしまったのだろうかと両手で椀を持ちながらしょんぼりと耳を垂らすと、ゴミの山の陰からひょっこりとハイエナの子が顔を覗かせた。
 彼は注意深く辺りを見回し、両手にナイフを握ったままリュカに近づく。そしてリュカの手から椀をひったくるように奪うと、まだ湯気の立つスープを一気に飲み干した。

「ちょ、ちょっと。火傷やけどしちゃうよ」

 ハイエナの子はからになった椀を投げ捨て口もとをペロリと舌で舐めると、リュカの背負っていた麻袋を指さした。

「それも食い物か? 寄越せよ」
「あ、うん。いっぱい持ってきたから食べきれなかった分は持って帰るといいよ」

 彼が初めて喋ってくれたことを少し嬉しく思いながら、リュカは麻袋を差し出した。ハイエナの子は中身を漁るとパンを掴んで食べ始め、それを飲み込みきらないうちに今度は果物をむさぼる。
 よっぽどお腹がいていたんだなあと思いながら、その様子をリュカは少し離れて眺めた。しかし、よくよく考えるとこれはバレたら叱られる案件なのではと不安がよぎる。
 ゴミを漁るほど空腹なのが気の毒でつい食べ物を与えてしまったが、一生面倒を見るつもりがないなら餌付けしてはいけないというのは野良猫や野良犬に接するときの鉄則だ。当然リュカには、彼の一生の面倒を見ることなどできない。
 そもそもこの子は武器を持った不法侵入者なのだ。本来なら警備の騎士がすっ飛んできて牢に入れられるべき人物に無償で食べ物を分けてやっているなど、どうかしている。もしヴァンにでも知れたら、彼はけんに峡谷のような深い皺を刻むだろう。
 リュカは今さらながら困ってしまった。とんでもなく無責任なことをしてしまった気がする。けれど。

「ねえ、これもあげる。足が真っ赤だから履くといいよ」

 リュカは脱いでいた自分のブーツを、裸足のハイエナの子に向かって差し出した。見たところ足のサイズは、そう違わなさそうだから履けるだろう。ハイエナの子は一瞬キョトンとした表情を浮かべ、リュカの足とブーツを交互に見つめる。

「あんたは靴を履くのが嫌いなのか?」
「嫌いじゃないけど、フェネックの足の裏は強いんだよ。だから靴がなくても平気」

 ブーツを手に取るとハイエナの子はそれをマジマジと眺めてから両足に履いた。サイズを確かめるように軽く飛び跳ね、満足したのか口角を上げる。

「悪くない」

 その声はどこか嬉しそうで、リュカも嬉しくなる。

「あと、これも」

 首に巻いていたマフラーも渡すと、ハイエナの子は今度はかんはつれずに受け取った。

「今年の冬は寒いから、温かくして。誰にも言わないでいてくれたら、次来たときには毛布をあげるよ。もちろん食料も」

 マフラーをグルグルと首に巻き付けていたハイエナの子は、さすがに動きを止めてリュカをいぶかしそうに見つめる。

「……何を企んでやがる? それとも同情か? 哀れみか?」

 威圧感を増した声に、リュカはあわてて首を横に振った。

「違うよ! そうじゃなく……その、責任感……かな」
「は?」

 不審そうな視線を浴びながら、リュカは肩をすくめて話し出した。

「きみが飢えたり寒い思いをしたりしているのは、きっと俺のせいでもあるんだ。だってこの領地はうちが……レイナルド家が治めているんだから。きみみたいな飢えた子や貧しい人を生み出してしまっている責任は領主にある。俺はまだ子供だから家業には携わってないけど、でもやっぱりすごく申し訳なく思うよ。だから、俺が当主になったら必ず貧しい子をなくすって約束するから、それまでは……こんなことで我慢してもらってもいいかな」

 なんとも浅はかだと自分でも思うが、今のリュカにできることはこれくらいしかない。
 領地の貧民への支援は父が適切に行っている。けれど、どうしたってすべての人に不足なく支援を行き届かせることは不可能なのだ。予算や人員の都合もあるし、貧困地区に届いた支援物資を独占するあくらつな大人も多い。その皺寄せは子供のような弱者にいく。
 支援の手から零れ落ちた弱い者をすべて救いたいと思うのは、今のリュカには過ぎた望みだ。子供である彼に予算や人を動かす権限はないし、ひとりでその責任を持てるわけもない。
 いつか責任を負える日が来るまで、リュカがやれることはせいぜい自分の物を分け与えることぐらいだ。もちろんそれも、大人に見つかれば叱責を受けるだろう。

「食料はできれば他のお腹をかせてる子たちにも分けてあげて欲しい。日持ちするものを入れたつもりだから」

 きちんと巻けずにほどけてきてしまったハイエナの子のマフラーを、リュカは巻き直してあげながら言葉を続けた。

「……あんた、レイナルド家の当主になるのか?」
「え? あ、うん。一応ね」
「名前は?」
「リュカだよ」
「でかい耳だな」
「はは、よく言われる」

 マフラーを巻き終えて引っ込めようとした手を、ハイエナの子は不意に掴んで顔を寄せた。そしてスンスンと匂いを嗅いでからはなす。

「明日も来るから食いもん用意しとけよ。パンと干し肉は必ず入れろ。もし俺を騙して捕まえようとしたら、そのでかい耳を食いちぎってやるからな」
「だ、騙さないよ」

 物騒なことを言われ、リュカはブルッと尻尾を震わす。

「約束だ。守れよ、当主サマ」

 そう言ってハイエナの子は食料の詰まった麻袋をかつぐと、高い壁をひらりと飛び越えていった。侵入防止のために壁に取り付けてある忍び返しのアイアンフェンスも、彼には意味がないようだ。
 リュカはそれを感心して見届けてから、再び白い雪に足跡を点々とつけて庭へ戻っていった。


 翌日、宣言通りハイエナの子は屋敷のゴミ捨て場の前にやってきた。
 もし大勢仲間を連れてきて「百人分の食料を寄越せ」と言われたら、準備しきれないので少し困るなと考えていたけれど、彼はひとりでやってきて、昨日と同じ分だけの食料と約束した毛布をもらって帰っていった。
 そうして明日もまた来ると宣言し、翌日もその通りにやってくるというのを一週間ほど繰り返した。
 彼に会う時間は長くはないが、さすがに一週間も顔を合わせていれば互いのことを少しずつ話すようにもなってきた。
 ハイエナの子は、レイナルド家の屋敷から八キロも西にある町の貧困地区からやってきていた。リュカが思った通り、大雪のせいで畑が埋もれ水も凍り業者の馬車も来られず、人々は食料難に陥っているのだという。レイナルド家からの支援も出ているが、なにせ馬車が通れないのだから物資も届かない。三日も食べ物にありつけなかったハイエナの子は限界を感じ、金持ちそうな屋敷にあちこち忍び込んでゴミを漁ったり食料を盗んだりしながら、ここまでやってきたそうだ。
 親はいないが、ハイエナ族の仲間と一緒に十人ほどの群れで暮らしていると彼が話したので、それ以降リュカは麻袋に十人分のパンと干し肉とリンゴを詰めるようになった。
 箱入り息子のリュカにとって、ハイエナの子は刺激的な存在だった。
 過酷な環境でもたくましく生きる彼はしなやかで、自由でもあり、何より己の心に素直だ。歯に衣着せずものを言うし、物理的な距離も近い。すっかり警戒心を解いたのか、笑うときに肩を組んでくる彼の大胆さを、前世で人との距離感に悩んだことのあるリュカは羨ましく感じていた。
 ある日彼は、昨日けたばかりだと言って耳に嵌めた小さなピアスを見せてくれた。この世界でもピアスをしている獣人はたまにいるが、こんな幼い子供がしているのを見たことはない。

「痛くないの?」

 お洒落さよりも痛みの方が気になって尋ねたリュカに、ハイエナの子は声をあげて笑う。

「ビビりだな、リュカは。ちっとも痛くねーよ。それにほら、舌には七歳のときからいてるんだぜ」

 そう言ってベーッと出した舌の真ん中らへんには、チタンの小さな珠がのっていた。リュカは前世でも今世でも舌ピアスを実際に見たのは初めてだ。思わず「ひゃっ」と声をあげて、恐る恐る眺めてしまう。

「カッコいいだろ? これでキスすると気持ちいいんだってさ。大人が言ってた」

 妖艶な笑みを浮かべリュカをからかうように舌なめずりして見せる彼は、とても子供には見えない。なんだかドキドキしてしまって、リュカは赤くなった顔を隠すように俯いた。

「す、すごいね。そういうのってもっと大きくなってからするものだと思ってた」
「は? そんなの時間がもったいねーじゃん。やりたいことは今すぐやるんだよ、大人とか子供とか関係ねえ」

 俯いたまま顔を背けようとするリュカを、逃すまいとばかりにハイエナの子が肩を組んでくる。やっぱり彼の距離感はバグっている。

「きみのそういうとこ、すごいと思う……」
「あんたは次期当主のくせにいちいちビビりだよな」

 ますます鼓動をはやらせながらつぶやいたリュカに、ハイエナの子はおかしそうに大口をけて笑った。

「で? リュカは何年後に当主になるんだよ」

 そう尋ねられ、気が早いなあと思いながらも答える。

「父上が引退を宣言するか、亡くなられてからだよ。年齢は関係ないけど少なくとも俺が成人してからだから、あと十年以上はかかるかな」
「ん? あんたって何歳なんだ?」

 ハイエナの子が不思議そうに目を丸くする。

「十歳だけど……」

 それを聞いた途端、彼は弾かれるように爆笑した。

「マジか! そんな小さいナリしてるから、てっきり五歳くらいかと思ってたぜ」

 実年齢より低く見られることには慣れっこだが五歳はあんまりではないかと思う。それでは幼児だ。

「あんたのこと弟みたいに思ってたけど、俺よりふたつも年上だったんだな。笑える!」
「え⁉ きみって……つまり八歳ってこと⁉」

 まさかこんなにたくましくて兄貴然としたハイエナの子が年下だったとは、リュカの方こそ驚きだ。

「これからはお兄ちゃんって呼んでやろうか。可愛い五歳児のお兄ちゃん」

 よほどおかしかったのか彼はゲラゲラと笑い続け、しまいにはふところにリュカの頭をかかえ込むと髪をグシャグシャと撫でながら、からかってきた。

「もう! 見た目のことは気にしてるんだから言うなよぉ」

 そう訴えながらも、リュカの顔にも満面の笑みが零れる。誰かとこんなふうにふざけ合って触れ合うのは初めてだ。

(もしかしたら俺たちって仲いい? これって……友達だったりする?)

 ふと、そんな考えがよぎって胸が大きく高鳴った。

「あ、あのさ。きみって、俺のこと――」

 ――俺のこと友達だと思ってくれてる? うっかりそう尋ねようとしたリュカだったが、すぐ我に返って途中で口を噤んだ。もし「は? 何言ってんだ、気持ちわりぃ」などと顔をしかめられてしまったら受けるダメージは計り知れない。そもそも彼の名前だってまだ教えてもらっていないのに。
 ハイエナの子は不思議そうに瞬きをすると、不自然に言葉を切ってしまったリュカの顔を覗き込んできた。

「なんか言いかけたろ? 『俺のこと――』のあとはなんだ?」
「いや、なんでもない」

 口に出さなかったリュカの本音を探っているのだろう、彼は瞳をマジマジと見つめてくるが、なにせ顔が近い。鼻先まで触れそうになり、他人とあまり接触したことのないリュカは動揺して首まで赤くなってしまう。

「『俺のこと――』のあとは、『好き?』って聞きたかったのか?」
「え?」

 予想外の言葉を続けられて、リュカはキョトンとした。ハイエナの子は視線を絡ませたまま、ご機嫌そうに口角を上げる。

「好きだよ、あんたのことは。貴族や金持ちはいけ好かないけど、リュカは特別だ」

 次の瞬間、リュカの鼓動は人生で一番早く脈打った。前世と今世を合わせ二十六年間、友達というものを求め続けてきたが、もしかしたらついに念願が叶ったのかもしれない。いや、特別というのはそれ以上か?
 何を言っていいのかわからず、茹でだこのような顔で「は、わ、わ」と口をパクパクさせてしまう。
 すると、見つめ合っていたハイエナの子がかすかに耳を動かし険しい形相で振り返った。ほぼ同時に音を捉えたリュカも、ビクリと体を跳ねさせる。

「隠れて! 誰か来る!」

 大人の足音が近づいてくるのを察知して、リュカはハイエナの子を焼却炉の陰に押しやると、自分は足音の方へ近づいていった。

「リュカ様! ここで何をしてらっしゃるんですか!」

 姿を現したのは、教育係のロッサムと数人の侍従だ。イヌ族テリア種のロッサムは筆頭教育係で、普段の躾を一任されているだけでなく、帝王学と作法の教師でもある。普段から厳しく口煩くちうるさく心が狭いこの初老の男が、リュカははっきり言って苦手だ。

「リュカ様、最近あなたがコソコソと何かをしてらっしゃることは屋敷の者は皆気づいております。厨房からパンや果物がなくなっていることに、誰も疑問をいだかないとでも? さあ正直におっしゃってください、いったい食料をどこへやったのですか? 大人に隠し事をするなど嘆かわしい。お父上も悲しまれますよ」

 ロッサムはクドクドと早口で捲し立ててくる。リュカが思わず苦々しい表情を浮かべれば、「なんですか、そのお顔は!」とすかさず叱責が飛んだ。
 不満げにほほを膨らませたまま何も言わないリュカを見て、ロッサムはまゆを吊り上げると、周囲をキョロキョロと見回してから侍従に命じた。

「辺りを調べなさい、ここで誰かと会っていたのかもしれません」

 それを聞いてリュカは飛び上がりそうなほど驚くと、声を張り上げた。

「わあああ! ごめんなさいごめんなさい! パンは俺が全部食べました!」
「嘘おっしゃい、そんな小さな体のどこに何十個ものパンが入るというのですか」
「嘘じゃないよ! あ! お腹が痛い! パンを食べすぎてお腹が痛い! 運んで! 今すぐ俺を部屋まで運んで! 丁寧にね、ほら、全員でそっと運んで!」

 あまりにも滅茶苦茶な誤魔化し方だったが、リュカがその場に倒れてお腹を押さえてうずくまると、辺りを調べようとしていた侍従たちが集まってきた。

「こんな見え透いた手には乗りませんよ!」
「あー俺は公子なのに! 次期当主で大事な跡取りなのに! お腹が痛くても部屋に運んでもらえない! 侍従が言うことを聞かないー!」

 ロッサムは憤ったが、リュカが大げさに喚くと、侍従たちは困ったように顔を見合わせてから命令に従って全員でそっと体をかかえて運んでいった。

(これはあとで父上とロッサムからダブルでお説教コースだな。しばらくは外に出してもらえないかも)

 我ながらお粗末な作戦だと思ったが、ゴミ捨て場から全員を遠ざけることには成功した。きっとハイエナの子ならこの隙にうまく逃げてくれるだろう。

(……あの子に、また会えるかな)

 しかし、その願いは虚しくも叶うことはなかった。なぜならリュカの予感通り、その後の一ヶ月は庭へ出ることは禁止され、雪もすっかり溶けてからは周囲に絶えずヴァンや大人がいる生活に戻り、とてもゴミ捨て場へ行けるタイミングなどなかったのだから。
 そうしてようやく監視の目も緩んできた半年後。こっそり向かったゴミ捨て場にハイエナの少年が現れることは、もうなかった。


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