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第二章 異常

誰かのために動く者

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「悪いが少し苦しむことに…………ん?」

 口から指を下げて、布で血と唾液を拭う彼女が訝しんだ。

「お前っ、純黒苦血を飲んだのに苦しくならないのか? 悪夢に耐えるために、より強い苦しみを与えて、抑え込めるようにしていたのに……仕方がない」
「さっきから何のは話をして――ぐわぁっ!?」

 馬乗り状態の彼女は、着物の袖を捲り上げ、白くか細い腕を露わにし、俺の胸へと突き入れた。刺したのではない。水面にスッと腕を入れるようにだ。

(な、なんだ! 腕が身体に入れられてるのに痛みがない! いや、触れられてる感覚もない! まるで幽霊に弄られているみたいに……)

「いまさら驚くなよ、現存していると言っても幽霊みたいなものだ。私は数千年前の過去の人間。実体化するか霊体化するか、自在に決められる。だから……そのぉ~~お前の綺麗な心には悪いけど、この穢れた腕で弄らせてもらうぞ。悪夢の種がどうなっているのか、直に触って確かめておく必要がある……」
「――えっ! どうして俺の考えていることがわかるんだ!?」

ヴァラレイスに思考を読み取られて、俺は動揺してしまった。

「わかるんじゃない。お前の心の声が聞こえてくるんだ……だから、私に心を向けない方がいいぞ」
(えっ……それじゃあ、俺がヴァラレイスに対して抱いている感情も……)
「――だから! それも聞こえてくるから! 何も考えないでくれ! 気色悪い!」

そうまで言われてしまっては、思考の停止に尽力してみるしかない。

「アレ? おかしいぞ……こんなに探してるのに、お前の心から悪夢の種が感じられない。代わりに私に対する気持ちの悪い感情しか見当たらない」
「……何もないなら腕を抜いて、起き上がる許可をくれないか?」

 納得のいっていない彼女だったが、俺の言葉を聞き入れて退いてくれた。俺はようやく起き上がることが出来た。

「自決に追い込むほどの悪夢だったはずだ。どうして種がないんだ。まさか、私に会うための芝居か? だとしたら、お前が世間の異変を――!!」

ヴァラレイスが即座に身構えて警戒する。

「ちょっと待ってくれ……さっきから話が分からない。だいたい俺の心の声がわかるなら、わざわざ訊く必要はないだろ」
「――むっ、そうだが……お前の心の声は気持ち悪いから聞きたくない……なんか、私に向きすぎている、というか……」

そう言って警戒を解いていく。

「……じゃあ、俺から話すよ。たしかに悪夢は見ていたよ。これも悪夢かもしれないけど、追い込まれて、君のいる場所へ逃げ込もうとした。認めるよ自決して楽になりたかったんだ。この世界はもうおかしくなるしか道がないんだと思って……」
「その悪夢だが、今探したけどなくなっていたぞ。それにお前、さっきの間違いを自分で認めたのか? 何もせずに? いったいこの短い間に何があって夢を見なくなって…………あっ」

 彼女が思い至るのを見て、遅れて俺も気がついた。

「そうだ、君が現れた……」

 俺が確信をもって告げると、彼女は耐えられなくなったのだろう、こちらに背中を向けてしまった。

「ふん、そういうことか。私が現れたことで、お前が持っていた本来の夢が叶い、悪夢を見る必要がなくなった訳か……」
「つまり、俺の夢が叶ったんだ」
「ふん、とりあえず……まぁ、なんだ……良かったな」

「それで、折角なんだけど……君に聞いてもらいたいことがあるんだ。やっぱり言葉にして伝えたい。俺、実は君のことが……」
「それを伝えようとするなら、今すぐ私はこの場から消え去ってやるぞ……」

彼女が鋭い視線をこちらに向けた。臆病な僕は従うことにした。

(それは困る。せっかく会えたのに、今消えられるのは困る)

「ふん、心の声が駄々洩れだ。私は何も……お前の自決だけを止めに来たんじゃない。本題はここからなんだ……お前、名前は何だった?」
「……ホロム・ターケン」

そして彼女はヴァラレイス・アイタン。
長く長く伸ばされた純黒の髪は解れて痛んでおり、大きく満開した花飾りが目立ち、さらに数十の小型の髪飾りが付けられている。一見不気味な花模様の着物は、酷くボロボロになっていて乱れており、この場の闇によく馴染んでいるような風貌をしていた。

「……私はなぁ、ホロム。この世界を幸福に満たすために、地獄の底から舞い戻って来たのさ」

薄く笑う少女の顔には何の希望もない。それでも誰もが元気づけられるような表情であったことには違いなかった。
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