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しおりを挟む「やあ、麗しい御令嬢方」
彼に世辞を言われたご令嬢方は、ぽっと頬を染める。現国王陛下の若かりし頃の肖像画とよく似た姿をした彼は、アルバートとはまた違った魅力のある美男子なのだ。髪と瞳の色は、吸い込まれそうなほどの黒。美丈夫という言葉は彼のためにあるのだと思わせるほどの恵まれた容姿。
ミネルヴァは僅かに目を見開き、第二王子殿下を見上げる。
ざわり、と先程の御令嬢が上げた声を皮切りに周囲が湧くのを、ミネルヴァは確かに感じ取った。ルシアン殿下がメディシス尊爵令嬢のためにご帰国なさったとの噂は、真であったか。そんな声が、ミネルヴァの耳にも届く。ミネルヴァはバレぬ程度に扇子の内側で小さく息を吐くと、御令嬢方を代表するように、言葉を紡いだ。
「……ルシアン殿下、ご機嫌麗しゅう。ご帰国なさったと風の噂で聞いてはいましたが、まさかこんなにも早くお会いできるとは思っておりませんでしたわ――光栄で胸がいっぱいでございます」
ミネルヴァはにっこりと微笑んで、そう空世辞を吐く。そうして、「……ところで、何ですの、それ」と、彼が手に持つ仮面のようなものを扇で指した。ずっと気になっていたのだ。
「嗚呼、帝国では仮面舞踏会というものが流行っているらしくてね。社交界の華であるミネットに、是非見て貰おうと持ってきたんだ」
彼はそう言って貼り付けたような完璧な笑みを浮かべると、ミネルヴァの両の手を掴み、その「帝国での流行りの品」をミネルヴァに持たせる。嗚呼、成程、この仮面を被って入ってきたため、第二王子殿下が会場に入ってきたことに気づくことができなかったのだ。やられた、とミネルヴァは舌を打ちそうになったが、淑女の名に懸けて何とか堪える。
「まあ、羨ましいですわ、ミネット様!」
御令嬢方は頬を染めてそう言うが、ミネルヴァは「何故仮面?」と首を捻らずにはいられなかった。ミネルヴァは頬が引きつりそうになったのを、慌てて扇で隠す。
――数年ぶりに再会したたった数度しか会ったことのない幼馴染をいきなりミネット呼ばわりした挙句、用意した土産は宝石でもドレスでもなく、仮面。嗚呼、やはり、第二王子殿下は常人には理解できない感性をお持ちだわ。そう思うと、眩暈がした。
けれど、その反面、彼は凡人には思いつきもしない革新的な考えをなさる〝鬼才〟なのだ。油断してはならない。
ミネルヴァはきゃっきゃとルシアンに媚び諂う御令嬢方を一瞥すると、スッと息を吸い込む。そうして、ピシャリと音を立ててミネルヴァが扇を閉じると、その場がしんと静まるのが分かった。
「――そう言えば、帝国では恋仲にない男女でも何度ダンスを共にしてもはしたないとはみられないのでしたよね?」
にっこりと笑ってミネルヴァが問うと、ルシアンはきょとんとした表情を浮かべたが、すぐにミネルヴァの言わんとしていることを察したようで、にやりと口角をあげる。よし、掛かった。ミネルヴァはそう、心中で囁いた。
「ええ、その通りです。ひょっとすると兄上は、私が帝国から帰ってくると聞きつけて、帝国式のお遊びをして私をお出迎えしてくださるつもりだったのやもしれませんね」
そう答えたルシアンに、御令嬢方はまあと声を上げる。
「そうでしたの。私、てっきりアルバート殿下があの御令嬢にうつつを抜かしてらっしゃるのかと」
「まあ、そのような失礼なこと、考えるだけでも不敬にあたりますわ」
「アルバート殿下は市井で話題の〝悲劇の御令嬢〟に御心を傷め、それ故高貴なる者の務めを果たしてらっしゃるのでしょうね」
「きっとそうだわ。だって、殿下はとてもお優しい方でいらっしゃいますもの」
御令嬢方も空々しいミネルヴァたちの芝居を信じるほど愚かではない。しかしミネルヴァが〝烏は白い〟と言えば、烏は皆、白に染まるのだ。
さて、聊か不安も残るが、情報工作の方はひとまずはこれで良いだろう。
残るは、ルシアンに対する借りを利子が高くなってしまう前に返してしまうことだが――ミネルヴァは、ふと、ルシアンを見上げた。すると彼も同じ気持ちだったのか、とある提案をミネルヴァに寄こす。
「ああ、医の女神、貴女とダンスを共にする最大の栄誉を、この私に“も”与えてくださいませんか?」
ルシアンの申し出に、ミネルヴァは一瞬の沈黙ののち、「喜んで」とにっこりと微笑んだ。
そうして差し出された手を受け取り、彼にエスコートされながら会場の中央へと足を進める。繋いだ手が離れないように、ふんわりと腕を広げ、ルシアンと距離を取ると、彼は紳士の礼を、ミネルヴァは淑女の礼を。そうして曲に合わせ、ステップを踏み始めた。
「――言っておきますが、この貸しはダンス程度では返しきれませんよ」
唇と唇が触れそうな距離で、彼が囁く。そんな彼に、ミネルヴァは「あら」と飄々として答えた。
「ダンス二回でどうかしら?」
その言葉に、彼は息を呑む。してやったりとばかりに、ミネルヴァは目を細めて微笑んだ。
アルバートたちがしてしまったように、それは周囲に私たちは恋人ですよと宣言しているようなものなのだ。殊に、第一王子殿下があの男爵令嬢に陥落したとの噂が流れている今、彼と恋仲なのではと噂されていたミネルヴァがルシアンとダンスを二度も踊れば、「メディシス公爵令嬢は、男爵令嬢にうつつを抜かした第一王子殿下を見限り、第二王子殿下に嫁ぐ気になったのだ」と周囲に宣言することになる。
となれば、王位継承争いに当たっては、第二王子派が有利になることは必至。
「本当に、兄を見限ったと?」
ルシアンは僅かに狼狽えたように、しかし大きな賭け事を前に興奮した様子で、ミネルヴァに問う。
「何の話でございましょうか? 帝国では恋人でもない男女が何度ダンスを踊っても許されるのでしょう?」
ミネルヴァが悪戯気に微笑むと、ごくりとルシアンが喉を鳴らしたのが分かった。反撃するように、ルシアンがミネルヴァを抱き上げ、ぐるりと回す。おお、と周囲から感嘆の声が上がった。
一曲目を終えると、ミネルヴァは深く深く礼をする。沸き起こる拍手にミネルヴァは僅かに胸を高鳴らせながら、ルシアンにバレぬ程度に視線を彷徨わせた。すると、視界の端が、彼を捉える。ただ、彼がどんな表情をしているかまでは読めない。――これはもう、賭けだ。ミネルヴァは不安と焦りを隠すように、賭けが始まる前から勝ち誇ったような笑みを浮かべると、二曲目をと手を差し伸べるルシアンの手に、自分の手を重ねた。
否、重ねようとした。
「ミネット……!」
その声が、久方ぶりに、ミネルヴァの名を呼ぶ。他人行儀な呼び方ではなく、親しみを込めた愛称で。
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