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しおりを挟むミネルヴァは、この日のために極上の朱子織《サテン》のドレスを設《しつら》え、今宵の夜会に参戦した。
その装いに、周囲は息を呑む。
ミネルヴァの瞳と同じ蒼黒色のグラデーションドレスには、金色《こんじき》の髪に合わせた金粉が散りばめられており、まるで今宵の星空の様な輝きを生み出していた。
ウエストの辺りには、ミネルヴァの頬にさす薔薇水晶《ローズクォーツ》色の大きな花が添えられ、それを包みこむブーケのようにヴェールがドレスの上に幾重にも重ねられている。
宵闇色と薔薇水晶色で作られた、場違いな派手さを感じさせない、何とも鮮やかで斬新なドレスだった。
エスコート役の父が贔屓の貴族に声を掛けられその場を離れる。すると、待っていましたとばかりにどこぞの貴族家の御令嬢たちが、花に群がる蝶の如く、ミネルヴァの下へと駆け寄ってきた。
「ミネット様、以前ミネット様に譲っていただいた美肌水と保湿美容液ですが、あれを使ってからというもの、肌の調子が信じられない程良くって……母娘共々愛用してますのよ」
「もしかして、今日の御髪もメディカ商会の商品を使ってらっしゃるの? もともとお美しかった御髪が、今日は黄金のように輝いておりますわ」
「今日のそのドレスも凄く素敵。一体何処の仕立て屋に作らせたんですの?」
ご令嬢たちの問いかけに、ミネルヴァは嫌な顔一つせず、順番に彼女たちが欲している答えを出して行く。彼のお出ましを、心待ちにしながら。
――すると、ふいに、ざわりとその場が騒めくのが分かった。
会場に入ってきたのは、銀糸のような髪に、極上のアイスブルーの瞳を持つ、まるで絵画から飛び出してきたような美男子だった。彼は、髪の色にあわせた銀色にも見えるシルクで作られたフロックコート型のスーツを身に纏っている。ファッションに煩い社交界の華も、文句のつけようがない装いだった。
完璧なるその紳士は、随分と可憐な淑女をエスコートしていた。息を呑むほど見事な赤毛に、新緑のような優しい緑の瞳。何よりも、その愛らしい顔つきには女のミネルヴァさえ守ってやらねばという庇護心に駆られる。淡いピンクのドレスは、彼女のその愛らしい顔つきによく似合っていた。
ドレスも装飾品もあまり良い品とは思えなかったが、ただ一つ、彼女の髪に輝く薔薇水晶の髪飾りだけは、極上の品のように見えた。淡いピンクのそれが、彼女の見事な赤毛の魅力を最大限に引き出している。
きっと、殿下がお贈りになった貢物だろう。ミネルヴァは心中でふぅんと呟き、ピシャリと音を立てて扇を開き、口元を覆った。
「まあ、第一王子殿下がいらっしゃったわ」
「一緒にいらっしゃるのは……噂のジュリエッタ様ね。ランバート男爵の庶子で、学園入学にあたって引き取られたという……」
「まあ、そのようなお方が、どうして殿下といらっしゃるのかしら?」
ご令嬢が〝噂の〟と彼女の名の頭につけたとおり、ジュリエッタ・ランバートは、今では社交界の噂の的であった。
ランバート男爵と使用人の間に純愛の末に生まれたご令嬢。しかし意地悪な正妻に母娘共に追い出されてしまい、男爵が漸く彼女を見つけ出した時には、既に愛する者は死に、男爵は涙ながらに愛娘を家に迎え入れる――ミネルヴァからしたら、ツッコみ所の多すぎる物語だ。
妾にするでもなく使用人という身分のままの女子に手を出したランバート男爵は下衆の極み。妾ですらない使用人に夫を寝取られた妻が怒り、母娘を追い出すのも当然のこと。それに、母一人子一人の使用人が行く先などたかが知れている、何故男爵は愛する人が死に至るまで放置していたのか。そして何故男爵は今更娘を引き取ったのか。
――嗚呼、もしや、かの男爵様は、上級貴族の御令息を落とすための美しい娘が欲しかったのではないか。そう邪推してしまっても、致し方ない振る舞いを、彼女はしていた。
学園でやんごとなきお方を見かければ、嬉しそう駆け寄り、お付きの者もつけずに二人きりで出かけ、婚約者でもないのに贈り物を受け取り、婚約者の居る殿方を愛称で呼ぶ。
彼女の無邪気な微笑みが一人に対してだけ向けられていたのであればまだ純愛という世辞で片付けることもできたのかもしれないが、彼女はその無邪気を装った笑顔を、複数の殿方に対して――それも有力貴族の御令息ばかりに向けていたのだ。
「宜しいのですか、ミネット様?」
御令嬢たちは、不満げに問う。ミネルヴァは思案気に、ゆっくりと瞳を閉じた。同じ年頃の娘は、ミネルヴァが取り纏めていると言っても過言ではない。ミネルヴァが否と言えば御令嬢たちはジュリエッタに対する嫌がらせを今すぐにでも始めるだろうし、ミネルヴァが捨て置けと言えば、彼女たちはジュリエッタには手を出せない。ミネルヴァの口は、重かった。
ふと、彼らを見る。頬を上気させ、瞳をきらきらと輝かせたその少女は、まさに恋する乙女そのものだった。そんな彼女に、アルバート殿下も柔らかに微笑んでいる。彼は誰に対しても優しいが、その優し気な微笑みは、あの少女にだけ向けられる〝特別〟だ。
「……確かに、近頃殿下はジュリエッタ様に夢中のようね」
「ええ、ええ、社交界の華であるミネット様を差し置いて、何ということでしょう!」
ミネルヴァは、淑女らしさを忘れ醜い嫉妬心を露わにした御令嬢に、侮蔑のこもった瞳を向ける。
この女は、ミネルヴァのために怒っているのではない。公爵令嬢であるミネルヴァに負けるならまだしも、あの、男爵令嬢とはいえ平民の母から生まれた庶子に負けるのはプライドが許さないのだ。
だからこそ、彼女はミネルヴァという大義名分を得ようとしている。しかし、ミネルヴァは誰の駒になるつもりもない――そう、あの人以外の駒には。
心中であらかた悪態をつき終えたミネルヴァはスッと息を吸い込む。
「……あんなにも楽しそうな殿下は、私、“久しぶり”に見ましたわ。王国の臣下である私たちがどうしてそのお邪魔をすることが出来ましょう?」
ミネルヴァは穏やかに微笑むと、扇で口元を隠したまま、ふふふと声を出して笑った。
「それに、私は殿下の婚約者というわけでもありませんし、とやかく言うつもりはございませんわ」
ミネルヴァは、付け足すように、けれど強調して、ゆったりとした口調でそう言う。
夢の中のミネルヴァはアルバート殿下の婚約者であったが、現実の世界ではそうではない。
ただ、〝メディシス公爵令嬢は何れ第一王子殿下に嫁ぐだろう〟という風潮は、もう随分と前からあった。
ミネルヴァはこの国に薬学という概念を取り入れた才女で、薬を安価で製造・販売しているおかげで民草人気も高く、年頃の御令嬢方を取りまとめるほどの権力者でもある。勿論、御婦人方からの評判も良い。そればかりか、お世辞でも仲が良いとは言えない隣国にかつて留学していたという経緯から、ミネルヴァは今や国交においても欠かせない存在になっていた。
――ゆえに、後ろ盾のない第一王子派にとって、ミネルヴァは都合の良い駒であったのだ。
グラシア王国には、当代随一の神力を授かり伯爵家から王家に嫁ぐこととなった第二王妃殿下と、第二の王家と呼ばれるほどの公爵家から王家に嫁いだ第一王妃殿下――この二人の王妃殿下がいる。
そして王国に嫁ぐにしては聊か身分の低いリコリスからアルバートが生まれ、王家に次ぐほどの後ろ盾があるミラベルから第二王子が生まれている――つまり、グラシアは、長きに渡る王位継承争いを避けられない状況に陥っていた。
血筋と後ろ盾という面ではどうしても第二王子殿下に劣る第一王子派は、その両方を満たすメディシス尊爵令嬢をアレクの妻とすることを望んだのである。
そして何よりもアルバートは、ミネルヴァと相思相愛の仲にあるのではないかと囁かれていた。実際アルバートとミネルヴァは友人というには親しすぎる仲にあったし、彼も第一王子派の地位をより盤石なものとするために、敢えて周囲にそう振舞っていたに違いない。
――それだというのに、当の本人があの調子では……。
ミネルヴァは豪奢な扇の内側で、小さくため息を零した。
そうすると、ふと、視界の端に、彼らが楽し気にダンスをしている姿が映る。
「まあ、あの二人、二回目を踊ってらっしゃるわ!」
「見たところ、ダンスを強請《ねだ》ったのはジュリエッタ様のようだけれど……いやだわ、はしたない」
――ミネルヴァはいよいよ、眩暈がするのを隠せずにはいられなくなってしまった。ほんのわずかに揺れた肩に、とんと誰かが触れたのを感じ取る。ミネルヴァは警戒したように、しかし上品さを崩さぬよう振り返ると、その主を見た。
「まあ! 第二王子殿下!」
声を上げたのは、ミネルヴァではなかった。
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