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Summer Camp

第53投

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「くるみちゃん。なんで急に帰っちゃったの? びっくりしたよ」

 電車で鉢合わせたあんこは少しご立腹で小さな体を精一杯使ってぷんすかしている。

「ごめんってば、そんなことよりあんこはピッチング順調なの?」

 するとさっきまで欲張りリスみたいにぱんぱんにほっぺを膨らませていたあんこの表情が晴れる。

「へへ~ん。いい感じだよ。ピッチャーって意外に簡単だね」

 カチーン、とくるような言い方をしてくれる。あんこに悪気はないとはいえピッチャーはあんこが言うようにそんな簡単にできるポジションじゃない。

「あ、そうなんだ。私もバッティング練習してるんだけど、昨日いい感じな感覚を掴んだんだ。今度は簡単にヒット打てるかも」

 あんこの眉毛がぴくぴく動いた。ヒットはそんな簡単に打てるものじゃないって言わずとも伝わる分かりやすい表情だ。

「へ、へ~そうなんだ。あたしも秋季はピッチャーに専念しようかなって思ってて、なんか三振とかコツさえつかめば簡単にとれるしタイトル狙えそうだから」

「でもピッチャーするならスタミナつけないと、まだ完投したことないでしょ。中継ぎのワンポイントじゃタイトルは厳しいかな」

 こいつめ。久留実はあんこに対して敵意をむき出しにした。

 なんでも器用にこなすあんたに私の苦しみが分かってたまるかと言わんばかりに両目が吊り上がる。

 あんこは口をへの字にとんがらしてあからさまな態度で睨む。

 こいつだけには負けたくない。電車を降りてグラウンドに向かうまでの道すがら久留実たちは一言もしゃべらなかった。

 いつかあんこをあっと言わせてやる。


 今日も体が溶けるくらい暑くなる。

 しかし久留実はやる気に満ち溢れていた。負けたくない。野球をして初めて抱いたこの気持ちを抑えることができるほど久留実は自分が器用じゃないのを知っているから。

 簡単なアップを済ませシートノックに入る。外野は内野のノックが終わるまで玄武大学の学生コーチが打つサイドノックを受けることになっていた。

「あの、詩音さん教えてもらいたいことが」

 今日はAグラウンドに振り分けられた詩音は久留実からの質問に驚いていたがすぐに笑って「なにが分からないの」と聞いてくれた。

「背走が上手くできなくて、詩音さんは背走上手いじゃないですかだからコツとかあるのかなって」

「センスかな」

 泣きそうになる。うつむいた久留実を見て詩音は笑いながら言った。

「そんなことい言われたら元も子もないじゃないですか」

 そう言って迫ると詩音は「ごめん、ごめん」と悪びれた様子もなく再び笑った。

「コツってわけじゃないけど私は打球の正面に入らないようにしてるよ」

「正面に入らない? なぜですか正面に入るのは基本でしょ」

「正面に入ると風の影響や目線の僅かなブレでボールの位置が判断しにくくなる。たとえば掲げたグラブの逆方向にボールが流れたら対応できない。でも常に左右どちらかにボールを追っていればボールの落下点の判断が早くなり、打球に対して余裕をもって対処できるんだ。まぁ実際にやってみせるのが早いか」

 「お願いします」詩音はノッカーに呼ぶと打球は後方に打ち上げられた。久留実は詩音の動きをよく観察する。打球が飛んでくる落下点に向かって詩音は右に若干ずらして視点を置きグラブをあげると吸い込まれるようにすっぽりと入った。

「と、まぁこんな感じでボールを追うことを癖づければ簡単だよ。たまに瀬戸ちゃんみたいに頭の後ろに目があるみたいな動きをする子もいるけど、あれだってこの基本があってこその感覚だと思うから、くるみは、くるみらしくやってみ~」

「はい。ありがとうございました」

 それから午前中の練習は詩音にくっついて学んだ。詩音のバッティングの感覚や意識していることは久留実には高等過ぎて理解できないことばかりだけど、それでも気になることがあったら常にメモをとって歩いた。

「あ、ししょー、調子はど……」

 ブルペンから投げ込みが終わったあんこが詩音に声をかけかけてやめたのは久留実が詩音に張り付いていたからだろう。でもそれは久留実も同じだった。

「あんこ、今日の午後の試合はノースロー調整だからピッチャーメニューを受けてきて」

 真咲があんこと今後のメニューについて話ししている姿を見るのは胸が締め付けられるくらい苦しい。

 もしかしたら真咲は自分のボールを捕っていた時よりわくわくしながらあんこの投げるボールを捕っているかも知れないし、あんこの成長スピードの速さに期待して胸を踊らされているんじゃないかと考えると悲しくなる。

「くるみどうした?お昼食べいこジュースくらいおごるぜ」

「はい」

 詩音の背中を追って歩き出す姿をあんこはじっと眺めていた。

 ――でもそれはあんこが私に意地悪なこというから悪いんだよ。私から真咲さんをとったからいけないんだ。

「おっす。く~ちゃん、シッチ」

「美雨さん、それに雅さんも」

 日焼けして小麦色になった美雨と絶対に日焼けしたくないと日焼け止めクリームを塗りたくって白いままの雅のでこぼこコンビも合流し、四人で仲良くお昼休憩をとりに行く。午後からは紅白戦だ。
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