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Spring Season

第10投

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 光栄大学はその後の試合も勝利を収め、港経大から順当に勝ち点を奪い幸先のいいスタートを切った。月曜日は男子硬式野球部が練習休みの日で学校の広い球場を使用できる。いつもの河川敷のグラウンドより設備も道具も揃っているため効率のいい練習ができることもあって皆一様に張り切っていた。 
「真咲さん。慶凛大学戦は私に行かせてください」
 声の主はりかこだった。二十球程度の投げ込みが終わりレフトポールからライトポールを往復するランニングメニューをしていた久留実はブルペンに入って翔子のボールを受ける真咲に野手の練習に交ざっていたりかこが直談判をしている姿を目にした。
「予定通りくるみちゃんを先発させて行ける所まで行かせるよ、りかこはファーストで起用する、だからいつでもいけるように準備ちておいて欲しいな」
「しかし、慶凛大はどうしても」
「私はあなたのバッティングもピッチングと同じくらい評価ちてるの。それに勝ち点を取るためには二勝ちなければいけない。理解ちてくれる?」
「分かりました。バッティング練習に戻ります」
 りかこは不服そうに顔をしかめていたが、押し切られた形でグラウンドに戻った。
 バッティングゲージに入るとマシンの球を鋭く打ち返し心のモヤモヤを発散させる。広角に打ち分けるソヒィーとプルヒッターの真咲に加えりかこも非凡なバッティングセンスがある。
「くるみちゃん師匠たちがバッティング終わったら次私たちが打っていいって」 
 外野を守って打球を捕っていたあんこの声が聞こえる。一年生ながら抜群の身体能力で何でもそつなくこなすあんこは二試合で五打数二安打と二番バッターとしての仕事をきっちりこなしていた。セカンドの守備にも定評がありヒットせいのあたりを何回かアウトにしている。きっと頭で考えるより先に体が動くのだろうボールを捕球するまでの最初の一歩目が異様に早い。
「くるみとあんこ二人が打ってバッティング練習は終わりだから早くゲージに入れ~」
 詩音の声がホームから聞こえて二人は急いで準備した。意気揚々にバットを振るあんこに対して久留実は乗り気ではなさそうだった。ピッチャーのりかこにはなんとなくその気持ちが分かる。木製のバットで芯を外せば手は痺れるし、ましてデットボールの可能性もある。ピッチャーをやっているから分かるが手元がくるう時はある。バッターにぶつけてしまったときは素直に謝るが、ぶつけられたのが自分だったらと思うといつもぞっとする。だからといって打席に入ったらもちろんヒットは狙うに決まっているがそう簡単に打てるものではない。
 隣のゲージで快音を響かせるあんこに対して久留実は空振りばかりでバットにまともにあたらない。
「素振りの練習なら他所でやりなさい。打てないならバントやエンドランのサインを想定しなさいよ、時間が勿体ないわよ」
 りかこは呆れながらも淡々とマシンにボールを入れる。あんこは十球ほど気持ちよく打った後しっかりランナーを想定したバッティングを始めた。
 上手に打ち分けている様に見えるが、上級生たちと比べると凡打の質が低い。例えばエンドランでゴロを転がすにしてもあんこはボールにあてにいく感覚があり力ない打球が多いが上級生たちはしっかりと振り切ったうえでゴロを打っているから打球が強いのだ。コースがよければヒットになる打球を打っている。マシン入れは地味で退屈だがバッティングピッチャーをやっている時よりバッターの調子が手に取るほど分かるのだ。

 バッティング練習が終わるともう陽が落ちかけていた。照明をつければまだできるがリーグ戦期間中はけが防止のため全体練習はこれで終わりだ。ノック、バッティングとシンプルなメニューながら状況や判断の確認をしながら行うので神経を使う。大学野球を始めてからは高校までの野球がいかに何も考えずただやってただけのものだったか実感する。
「りかこ今帰り?」
 バス停に向かう途中翔子と一緒になった。翔子はこれからバイトらしくいつものチームジャージではなく女子大生らしい服装で汗の匂いを隠すためにいつもより多く制汗スプレーを体にかけていた。
「えぇ翔子と同じアルバイト、めんどくさいけど生活費くらいは自分で賄わないとね」
「そうだよね、私もそんなとこ」
 翔子とは高校時代からバッテリーを組んでいる。大学ではバッテリーを組む機会は少なくなったが二人は今でもよき理解者同士だった。
「美香子に会った」
 う~んと唸る翔子は悩んでいた。りかこはつい先日前にことを思い出していた。
「お互いに勝ち点一ずつで対戦できそうね。りかこ」
 ダッグアウトを出たとき久しぶりに憎たらしい奴の顔を見た。胸のエンブレムに慶凛と書かれたジャージを着た鳴滝美香子は相変わらずの厚化粧でケバケバしいメイクをしている。
「何しにきたの挑発にしては半端だし偵察にしては大胆ね」
 りかこが突っ返すと鳴滝は口元に右手をおいてクススと笑った。
「偵察? 冗談でしょ万年Bクラスの光栄大の偵察なんてするわけないじゃない」
「なんだと」
 右肩にかけてエナメルバックを下ろして、鳴滝に近寄った。りかこより頭一つ大きい鳴滝美香子を見上げるように睨みをきかす。
「あぁ怖い怖い、まるで弱い犬ほどなんとやらね」
「ちょっかいをふっかけに来ただけなら消えなさい、喧嘩ならグラウンドでつけてやるわ」
「相変わらず威勢だけはいいわね、でもあなた高校時代から私には勝てたことあったっけ」
 そう言い切った鳴滝の顔は自信に満ち溢れていた。りかこは突発的な怒りを抑えることが難しく拳を握りしめる。
「それじゃあまたグラウンドで」
 離れていく鳴滝を見つめて口を結んだ。厳しい顔つきだった。

「美香子はどうしてりかこを目の敵にするのかな」
「それは、あんたが……」
 そう言おうとして背中がむず痒くなる。
 鳴滝と高校時代レギュラーとしてバッテリーを組んでいたのは翔子だった。右の本格派で有名だった鳴滝と左の技巧派でチームの二番手だったりかこはチームのエースの座をかけ幾度となく争ったライバル同士だ。そんな二人のボールを受けていたのがなにを隠そう翔子であり、慶凜大学の推薦が決まった鳴滝がどうしても一緒に連れて行きたかったのが彼女だった。鳴滝と二人セットならという条件で特別待遇の話しもでていたのに翔子は、「りかこのボールを受けたい」ときっぱり誘いを断り光栄大学野球部に進路を進めた。そのことを鳴滝は今でも根に持っているに違いないのだ。
 二人はバス停に到着するとちょうど駅までのスクールバスが停留所に現れた。運転手さんに頭を下げてバスに乗り込んだ。
「慶凛大戦は久しぶりのバッテリーだからきっと美香子のプレッシャーはすごいと思う。真咲さんの言う通りくるみちゃんの力が必要になってくるよ。だからりかこからいろいろアドバイスしてあげてよ」
「……考えとくわ」
 ぶっきらぼうな返答に翔子は笑顔のまま肩をすくめた。
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