上 下
65 / 79
第一章

そうじゃねぇ

しおりを挟む
「アンネ!」

 フーコに身体を支えられたアンネの瞳は虚ろになっている。佐伯がいくら呼びかけても反応は見られない。

「無駄だよ、彼女は起きない」

 ツァラトゥストラは玄関のドアのカギを閉めながら言った。

「あっフーコ靴は脱がなきゃダメだよ」

 アンネを抱えながら土足で部屋に入ろうとしたフーコを淡泊な口調で注意する。

「うるさい、あとお前邪魔」

 土足のまま踏み込んできたフーコは、状況をまだ飲み込めていない佐伯のどてっぱらを蹴っ飛ばしてはねのけた。つま先を立てた蹴りに佐伯はなすすべもなく畳に腰をつけてしまった。

「時間がない、フーコさっそく準備を始めよう」

 ツァラトゥストラは佐伯の存在をなかったように一瞥もくれない。

 手足をぶらつかせ脱力し切ったアンネを畳の上に寝かせつけたフーコは、手で様々な印を結びながら日本語ではない何かをつぶやく。

「結界ははった」

「ありがとう」

 覚悟を決めたようにツァラトゥストラはしゃがみこむ。

 腹を決めた男の低い声に妥協や迷いは一切なく。

 その背中にはたった一人の女性を救うために憎まれ役を買って出た男の面影があるだけだ。

「フーコ、カインが出てきたら頼んだよ」

「無茶言わないで」 

「頑張ってよ、記憶の改変が終わるまでの辛抱だからさ」

 記憶の改変。

 その単語は佐伯の心をえぐった。

「おい……」

 薄々勘づいてはいた。アンネの記憶を改変して精神を安定させることが彼女を救える一番安全な方法で、前例もある。改変された記憶の中で幸せに最後の時まで生きることが彼女にとって、最も苦しまないで快適に過ごすことができる方法かもしれない。

 しかし、それは。

 アンネを本当の意味で救うことになるのか?

「そうじゃねぇんだ」

 佐伯は、唇を噛みしめながら拳の中で爪が突き刺さり、血が滲むほど強く握っていた。

「そうじゃねぇんだよ」

 佐伯は立ち上がりツァラトゥストラの肩を掴む。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】ドクロ伯爵の優雅な夜の過ごし方

リオール
キャラ文芸
アルビエン・グロッサム伯爵──通称ドクロ伯爵は読書が好きだ。 だが大好きな読書ができない夜がたまにある。それはドクロになっている間。 彼は満月の夜になると、呪いでドクロになってしまうのだ。ちなみに体はどこかへ消える。 そんなドクロ伯爵の楽しみは、ドクロの時だけできる行為、領地内の人々の様子を見ること。 「ああ、彼女は今夜もまた来ない彼氏を待っているのだな」 「幼い子供が夜更かししてるぞ」 「あそこはまた夫婦喧嘩か、やれやれ」 それをけして覗きと言うなかれ。ドクロ伯爵はそれを高尚な趣味と信じて疑わないのだから。 そして今夜も彼は目にする。ドクロ伯爵はそれを目撃するのだ。 「……また人が死んでいる」 それは連続殺人。殺人鬼による無差別殺人。 全てを見通せるドクロ伯爵の目からすら逃れるその者を……犯人を捜すべく、ドクロ伯爵は今日も目を光らせる。 ──目、無いんですけどね === ※筆者より注意書き※ 本作品はホラーでも推理物でもありません。 あくまでキャラが濃いキャラ文芸、気楽に読めるラノベです。 特別深い話はございません、淡々と話は進みます。 あらかじめご理解いただきました上でお読みいただきますようお願い致します。 ※注2※ 舞台・年代は近世ヨーロッパ(イギリス)風な感じ(1800年~1900年くらい)、でもオリジナルで実在しない世界となります。パラレルワールド的な。 あまり時代考証とか考えずに気楽に読んでいただければと思います。 (つまり、筆者が細かいあれこれ考えるのが面倒、と)

【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜

鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。 誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。 幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。 ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。 一人の客人をもてなしたのだ。 その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。 【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。 彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。 そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。 そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。 やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。 ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、 「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。 学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。 ☆第2部完結しました☆

婚活パーティーで、国一番の美貌の持ち主と両想いだと発覚したのだが、なにかの間違いか?

ぽんちゃん
BL
 日本から異世界に落っこちた流星。  その時に助けてくれた美丈夫に、三年間片思いをしていた。  学園の卒業を目前に控え、商会を営む両親に頼み込み、婚活パーティーを開いてもらうことを決意した。  二十八でも独身のシュヴァリエ様に会うためだ。  お話出来るだけでも満足だと思っていたのに、カップル希望に流星の名前を書いてくれていて……!?  公爵家の嫡男であるシュヴァリエ様との身分差に悩む流星。  一方、シュヴァリエは、生涯独り身だと幼い頃より結婚は諦めていた。  大商会の美人で有名な息子であり、密かな想い人からのアプローチに、戸惑いの連続。  公爵夫人の座が欲しくて擦り寄って来ていると思っていたが、会話が噛み合わない。  天然なのだと思っていたが、なにかがおかしいと気付く。  容姿にコンプレックスを持つ人々が、異世界人に愛される物語。  女性は三割に満たない世界。  同性婚が当たり前。  美人な異世界人は妊娠できます。  ご都合主義。

転生者、有名な辺境貴族の元に転生。筋肉こそ、力こそ正義な一家に生まれた良い意味な異端児……三世代ぶりに学園に放り込まれる。

Gai
ファンタジー
不慮の事故で亡くなった後、異世界に転生した高校生、鬼島迅。 そんな彼が生まれ落ちた家は、貴族。 しかし、その家の住人たちは国内でも随一、乱暴者というイメージが染みついている家。 世間のその様なイメージは……あながち間違ってはいない。 そんな一家でも、迅……イシュドはある意味で狂った存在。 そしてイシュドは先々代当主、イシュドにとってひい爺ちゃんにあたる人物に目を付けられ、立派な暴君戦士への道を歩み始める。 「イシュド、学園に通ってくれねぇか」 「へ?」 そんなある日、父親であるアルバから予想外の頼み事をされた。 ※主人公は一先ず五十後半の話で暴れます。

刀一本で戦場を駆け巡る俺は無課金侍

tukumo
キャラ文芸
パラレルワールドの戦国乱世、山本伊三郎は数多の戦場に乱入しては刀一差しに上は着流し下は褌一丁に草履で金目の物と食糧をかっさらって生活していた 山本を見掛ける者達は口揃えて彼を 『無課金プレイヤー(侍)』と呼んだ

怪談あつめ ― 怪奇譚 四十四物語 ―

ろうでい
ホラー
怖い話ってね、沢山あつめると、怖いことが起きるんだって。 それも、ただの怖い話じゃない。 アナタの近く、アナタの身の回り、そして……アナタ自身に起きたこと。 そういう怖い話を、四十四あつめると……とても怖いことが、起きるんだって。 ……そう。アナタは、それを望んでいるのね。 それならば、たくさんあつめてみて。 四十四の怪談。 それをあつめた時、きっとアナタの望みは、叶うから。

サイクリングストリート

けろよん
キャラ文芸
 中学を卒業した春休み。田中結菜は自転車を買ってもらった。  普通だと信じていたその自転車。それになぜか兄の悠真の意思が宿り、彼は行方不明になった。  結菜は事件の謎を解き明かすためにその自転車に乗って町を走ることにした。  兄の彼女の姫子やサークル仲間の葵と出会い、結菜は一緒に事件に関わっているとされる魔王と呼ばれている少女を探すことになる。  少女達と自転車の物語。

やる気ない天使ちゃんニュース

白雛
キャラ文芸
私は間違っているが、世間はもっと間違っている——! Vに沼ったビッチ天使ミカ 腐り系推し活女子マギ 夢の国から帰国子女リツ 鬼女化寸前ギリギリの年齢で生きるレイ 弱さ=可愛さだ! 不幸の量が私らを(特定の人種向けにのみ)可愛くするんだ! 『生きづらさでもごもごしてる奴なんか可愛くね……? オレ、そーゆーの、ほっとけないんだよね!』って禁断の扉を開いてしまう人続出! この不憫可愛さを理解させられろ! 受け止めてみせろ、世の男子! ブーメラン上等! 厄介の厄介による厄介のための歯に絹着せぬ、そして自分も傷付く、おちゃらけトークバラエティー! 始まってます。 パロ、時事、政治、下ネタ豊富です。

処理中です...