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第一章

茶化しちゃダメ

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 人生に不条理はつきものであり、ときにそれは人生を豊かにしてくれる糧となる。

「……にしても反省文五枚はねぇだろ、あの生活指導教諭」

 佐伯は生活指導室で今回の遅刻をしこたま怒られ、常識がないとか親の教育が悪いからだとか、社会にでたら通用しないとか……、社会に一度も出たことがない教員から長々とお説教を受け、適当に相槌をしていたらあれよあれよと反省文を書く羽目になったのだ。

 白紙の原稿用紙を呆然と眺めながら廊下を歩く佐伯はバカ正直に二千文字かぁとマス目を数えてしまいさらに気が滅入った。

 そんなこんなで肩を落としながらよたよたと廊下を進む佐伯真魚だった。授業と授業の間の休み時間には階段や廊下にたむろしている生徒は少なく、楽し気な声は聞こえてきても姿はみえない。だからと言って下ばかり見ていると教室のドアから勢いよくおちゃらけた屈強な身体の運動部が突っ込んできて筋肉に跳ね飛ばされることだって十二分に考えられる。

 いくら不条理は人生の糧になると信じていてもできれば肉体が傷つかないほうがいい。

 保育園に通っていた時、引率の先生に言われた言葉を復唱。「遠足は家に帰るまでが遠足です。最後まで気を抜かないように」

 ずっと握っていた作文用紙が手汗で少しずつ湿っていく。地球温暖化なのか知らないがここは中東かと思わずつっこみを入れたくなるほどクソ暑いこの国の夏に、なにが悲しくて二千文字も、反省の言葉を書かなきゃならんのだと佐伯は心の中で叫ぶ。

 そう自問自答していた佐伯は、ふと足元に落ちていた日商簿記検定の取得を促すポスターを気が付いた。どうやら壁に貼り付けてあった画鋲が外れてしまったようだ。

「まぁ気がついちゃったらもとに戻さんとなぁ」

 危うくポスターを踏んづけてしまうところだった佐伯は原稿用紙を窓際に隣接された生徒用のロッカーの上に置きポスターを元あったところに張り付けなおそうとすると、

 不意に風が吹き抜けた。

 吹き曝しになっていた教室の窓から入ってきた生ぬるい夏風が原稿用紙をひらひらとのっけて計ったように廊下側の開けられた窓の隙間に滑り込む。

「ちょっと待って」

 ポスターの位置をまっすぐにしようと背伸びしながら画鋲をとめていた佐伯の身体はすぐに反応できない。急いで画鋲をとめて追いかけるが時すでに遅し。そのまま原稿用紙は窓の外に逃げ、呆然とその行方を眺める佐伯をあざ笑うように夏風に誘われ上空へ消えた。

「まぁこれで反省文書かなくてよくなったか」

 とりあえず深呼吸して開きなってみる。無理だった。そんなわけあるかと自らを戒めなきそうになる顔を無理やり笑顔に変えてみせる。

「俺が何をしたってんだよ。ちょっと寝過ごしちゃっただけでなんでこんな面倒なことに」

 もう一回あの生活指導の教諭に原稿用紙をもらうか、いやいやいや、たった五枚の紙きれをもらうまで何時間かかるか分かったもんじゃない。しかしそうなると……

「買うかぁ、出費がかさむなぁ」

 食費と生活費と学費以外の支出を抑えたい佐伯だったがそうもいかない。新しく購入する以外打開策があるかと言えばない。それほどまであの生活指導の教諭と顔を合せたくないのだ。ならば背に腹は代えられない。

 とは言ったもののなかなか前を向けない佐伯は気配を感じた。

 なんだ? 顔を上げる。
 
 目の前にはアンネが立っていた。
 
「おはよう」

「おはようじゃありません。もう昼過ぎですよ」

 真上から見下してくる金髪碧眼の美少女の圧に思わず佐伯は後退する。

「あぁまぁそうだね。そんなことより帰ったらノート見せてちょーうだぁい」

「……」

 ちょっとだけおちゃらけて見たがアンネは返事をしない。

 あれ、なんか怒ってね。

 と佐伯は思う。

 それから、悟った。

 茶化していい場面じゃなかった。アンネは基本的に堅物だから冗談とか通じない。まして竹本ピアノのCM風に言ったのも悪かった。

「心配してたんですよ、なにかあったんじゃないかって」

 呼吸をしているかすら怪しいほどに物静かな物言いに佐伯は背中をゾクッとさせたが、なんでこうなったかはアンネに伝えるつもりはない。

「なんもねぇよ、それよりも今日買出し行くから」

「えぇすでに予定に組み込んであります。じゃなくってあなたがそういう時って大抵なんかあったときなのでは?」

 核心をつかれてたじろぐが、ちょうど良いタイミングで予鈴が鳴った。

「深読みするなよ、授業はじまっちまうぞ」

 佐伯はアンネの表情を見ずに教室に入る。中には佐伯が遅刻して今来たことなど気にも留めないクラスメイト達は、先生がまだ到着していないことをいいことに永遠にも思える友人同士のおしゃべりを楽しんでいた。
 
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