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第一章
そうじゃねーって
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夜風が吹いて湯気が晴れてみれば、あの聖職者はいなかった。
かわりにジャグジーを楽しんでいた外国人の二人が母国の言葉で談笑している。
「油断した」
――まさか、親父と自分以外にも魂の領域に相手を引きずり込むことができる奴がいるなんて。
佐伯はお湯で顔を洗い両手で覆いかぶしてから息をついて立ち上がる。湯あたりしたのかめまいが襲い、身体が小刻みに震えた。少しふらつきながら露天を出ると軽くシャワーを浴びる。
「くそ、気持ちわりぃ」
吐き気こそないが、頭のくらくらが余震のように続いている。もしかしたら結構長い時間湯に浸かっていたのかもしれない。佐伯は我慢できずに給水用の蛇口をひねり冷水を口に含んだ。喉を潤すとゆっくりだが頭の中がクリアになってきて五感も研ぎ澄まされてきた。
「……アンネ」
ハッとして、佐伯はすぐに脱衣所に向かった。バスタオルで身体を拭くこともおざなりに服を着て休憩所へ走る。
――俺が敵にいい様にやられていた時、この周囲一帯に張っていた結界は機能していなかった。
もしその間にアンネがさらわれていたら? 誰かに襲撃を受けていたら? 気が気ではなかった。
「アンネ」
休憩所につくなり佐伯はアンネの名前をつぶやいた。
どこにもいない。
佐伯は如(実)の耳を唱えるが、耳鳴りがひどくなるだけで全くアンネの声を拾えない。まだ湯あたりの影響が出ているのだろう。
「すみません。金髪の女の子って見てませんか?」
佐伯は諦めて近くにいたスタッフのおばちゃんに尋ねると、おばちゃんはあらあらと呑気に笑って、「彼女さんとはぐれちゃったの?」人の気も知らないで答えた。
「あの……僕以外の誰かと一緒じゃなかったですか? もう外にでちゃったとか」
佐伯が一生懸命に動揺を隠しながら話てみてもうんうんと頷くおばちゃんの顔色はにこやかなままだ。
「お兄ちゃん、落ち着いてうしろ振り返ってごらん」
藁にもすがる思いで振り向く。そこには不思議そうに小首を傾げているアンネの姿があった。
「アンネ!」
佐伯は返事も待たずに彼女の肩を揺らす。
「大丈夫か!?」
「えっ、はい」
アンネの反応を確認して一度視線を床に向ける。彼女の無事がわかりようやく血の気が戻ってきた。
「あの……なんなんですか? さっきから、恥ずかしいのですが」
そう言われて周囲を見渡すと二人はその場にいる人々から注目を浴びていた。小さな子供には指をさされ、スタッフのおばちゃんは「若いっていいわぁ」とつぶやく。
「ちょっと離れてください、こんなところで……あなた髪の毛しっかり拭いてませんね。まったくもう外でもだらしなくしないでください」
アンネは手提げカバンから新しいタオルを取り出して佐伯の頭の上にのせた。こっちは心配してろくに身体も洗わずに出てきたのにだらしないなんて言われるのは佐伯にとって心外である。
「お前なぁ、人の気も知らないで……」
「あぁ分かりました。イベント風呂混んでて入れなかったんですね。それでいらいらしてる?」
「そうじゃねーって」
「じゃあなんですか?」
佐伯はそこで口を閉ざした。もしさっき起こったことを伝えればアンネは動揺し、その隙をついてまた悪魔が悪さをするかもしれない。
「……なんでもねぇよ、お、お前が初めてだっていってたから寝落ちしておぼれてないかとか、病み上がりで体調を崩してないかといろいろ心配になったんだ」
最後の方の言葉が小さくなる。なんだか自分で言ってて恥ずかしくなってきた。
「……何か飲みます? 好きなのを買ってあげますよ」
アンネは佐伯の腕を組むように寄り添って自動販売機が設置された方へぐいぐい引っ張っていく。
「やめろって」
「どうしてです?」
「どうしても」
ナチュラルリア充をかましてしまった佐伯に他の男たちからの殺意を帯びた視線は耐えがたいものであり、つい最近までそちら側にいた身からして公共の施設でこんなものを見せつけられたらたまったもんじゃない。
佐伯は名残惜しい気持ちを噛みしめながらアンネの腕を優しく払う。
アンネが自動販売機にお金を入れる前に五百円玉を入れて、素早くボタンを押した。
「ほら」
「これは?」
「コーヒー牛乳だよ。温泉から上がったら一発目はこれよ」
自分の分も手に取って佐伯は腰に手を充て、瓶を傾ける。ぷはぁと息を吐いて口元を拭いた。
「ここまでがセットだ」
アンネに促し、見よう見まねでアンネは腰に手を置いた。
「おいしい」
「だろ」
乾ききった体にしみわたるコクのある甘い味は五感を覚醒させてくれる。
「本当においしいですね」
アンネは佐伯が思ったよりその味にハマっていて二本目を買っていた。
「……お腹壊すぞ」
「大丈夫です。欧州人はあなたたちよりも乳製品を消化する能力が高いので」
余裕な顔をして二本目を飲み干したアンネは幸せそうに口元をタオルで拭う。
「……ちょっと休んで飯食って帰ろう」
「そうしましょう」
彼女が同意する。二人は休憩室の共有ソファーに座り一息入れた。佐伯は瞼を閉じてリラックスしているアンネの横顔を眺めながら、
――明日から徳をためよう。じゃないと今の俺じゃアンネを守れない。
考えていた。
かわりにジャグジーを楽しんでいた外国人の二人が母国の言葉で談笑している。
「油断した」
――まさか、親父と自分以外にも魂の領域に相手を引きずり込むことができる奴がいるなんて。
佐伯はお湯で顔を洗い両手で覆いかぶしてから息をついて立ち上がる。湯あたりしたのかめまいが襲い、身体が小刻みに震えた。少しふらつきながら露天を出ると軽くシャワーを浴びる。
「くそ、気持ちわりぃ」
吐き気こそないが、頭のくらくらが余震のように続いている。もしかしたら結構長い時間湯に浸かっていたのかもしれない。佐伯は我慢できずに給水用の蛇口をひねり冷水を口に含んだ。喉を潤すとゆっくりだが頭の中がクリアになってきて五感も研ぎ澄まされてきた。
「……アンネ」
ハッとして、佐伯はすぐに脱衣所に向かった。バスタオルで身体を拭くこともおざなりに服を着て休憩所へ走る。
――俺が敵にいい様にやられていた時、この周囲一帯に張っていた結界は機能していなかった。
もしその間にアンネがさらわれていたら? 誰かに襲撃を受けていたら? 気が気ではなかった。
「アンネ」
休憩所につくなり佐伯はアンネの名前をつぶやいた。
どこにもいない。
佐伯は如(実)の耳を唱えるが、耳鳴りがひどくなるだけで全くアンネの声を拾えない。まだ湯あたりの影響が出ているのだろう。
「すみません。金髪の女の子って見てませんか?」
佐伯は諦めて近くにいたスタッフのおばちゃんに尋ねると、おばちゃんはあらあらと呑気に笑って、「彼女さんとはぐれちゃったの?」人の気も知らないで答えた。
「あの……僕以外の誰かと一緒じゃなかったですか? もう外にでちゃったとか」
佐伯が一生懸命に動揺を隠しながら話てみてもうんうんと頷くおばちゃんの顔色はにこやかなままだ。
「お兄ちゃん、落ち着いてうしろ振り返ってごらん」
藁にもすがる思いで振り向く。そこには不思議そうに小首を傾げているアンネの姿があった。
「アンネ!」
佐伯は返事も待たずに彼女の肩を揺らす。
「大丈夫か!?」
「えっ、はい」
アンネの反応を確認して一度視線を床に向ける。彼女の無事がわかりようやく血の気が戻ってきた。
「あの……なんなんですか? さっきから、恥ずかしいのですが」
そう言われて周囲を見渡すと二人はその場にいる人々から注目を浴びていた。小さな子供には指をさされ、スタッフのおばちゃんは「若いっていいわぁ」とつぶやく。
「ちょっと離れてください、こんなところで……あなた髪の毛しっかり拭いてませんね。まったくもう外でもだらしなくしないでください」
アンネは手提げカバンから新しいタオルを取り出して佐伯の頭の上にのせた。こっちは心配してろくに身体も洗わずに出てきたのにだらしないなんて言われるのは佐伯にとって心外である。
「お前なぁ、人の気も知らないで……」
「あぁ分かりました。イベント風呂混んでて入れなかったんですね。それでいらいらしてる?」
「そうじゃねーって」
「じゃあなんですか?」
佐伯はそこで口を閉ざした。もしさっき起こったことを伝えればアンネは動揺し、その隙をついてまた悪魔が悪さをするかもしれない。
「……なんでもねぇよ、お、お前が初めてだっていってたから寝落ちしておぼれてないかとか、病み上がりで体調を崩してないかといろいろ心配になったんだ」
最後の方の言葉が小さくなる。なんだか自分で言ってて恥ずかしくなってきた。
「……何か飲みます? 好きなのを買ってあげますよ」
アンネは佐伯の腕を組むように寄り添って自動販売機が設置された方へぐいぐい引っ張っていく。
「やめろって」
「どうしてです?」
「どうしても」
ナチュラルリア充をかましてしまった佐伯に他の男たちからの殺意を帯びた視線は耐えがたいものであり、つい最近までそちら側にいた身からして公共の施設でこんなものを見せつけられたらたまったもんじゃない。
佐伯は名残惜しい気持ちを噛みしめながらアンネの腕を優しく払う。
アンネが自動販売機にお金を入れる前に五百円玉を入れて、素早くボタンを押した。
「ほら」
「これは?」
「コーヒー牛乳だよ。温泉から上がったら一発目はこれよ」
自分の分も手に取って佐伯は腰に手を充て、瓶を傾ける。ぷはぁと息を吐いて口元を拭いた。
「ここまでがセットだ」
アンネに促し、見よう見まねでアンネは腰に手を置いた。
「おいしい」
「だろ」
乾ききった体にしみわたるコクのある甘い味は五感を覚醒させてくれる。
「本当においしいですね」
アンネは佐伯が思ったよりその味にハマっていて二本目を買っていた。
「……お腹壊すぞ」
「大丈夫です。欧州人はあなたたちよりも乳製品を消化する能力が高いので」
余裕な顔をして二本目を飲み干したアンネは幸せそうに口元をタオルで拭う。
「……ちょっと休んで飯食って帰ろう」
「そうしましょう」
彼女が同意する。二人は休憩室の共有ソファーに座り一息入れた。佐伯は瞼を閉じてリラックスしているアンネの横顔を眺めながら、
――明日から徳をためよう。じゃないと今の俺じゃアンネを守れない。
考えていた。
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