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第一章

知りたいですか?

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 朝を迎えると、アンネは高熱に襲われていた。

 佐伯は苦しむ彼女の息遣いで目が覚め、またあいつがアンネを襲っていると思い怒りに狂いそうになっていたが、アンネがそれは違うとすぐに否定した。

 高熱と身体全身に痛みがあるのは精神的に不安定なところを修復すべく身体的な要因に変換し補っているだけであり、精神が安定したまま免疫力さえ戻れば完全回復するという。

「とどのつまりただの風邪です。心配ありません」

「そうかい、じゃあなんでお前は学校に行く準備をしてるんだ?」

 顔色悪く、咳をしながら制服がかかったハンガーに手を伸ばそうとするアンネに冷静な口調でつっこんだ。

「起きてないとまた悪魔が来るかもしれません。悪魔は人間の弱みを狙ってきますから、身体が弱っていると憑りつかれやすいのです」

「じゃあ、俺も学校休むからお前も休めよ」

「ダメです。あなたまで休まれては」

 立ち上がっていたアンネはすぐ畳みに膝をついて呼吸を荒げた。

「ほら言わんこっちゃない、今日は安静にしてろよ」

「……でもあなたはちゃんと学校に行ってください。そうじゃないと中島さんがいらぬ心配をするかもしれません」

 そう言えばアンネは中島美知恵が憑かれてしまった原因は第二郷土室と言っていた。昨日第二郷土室を訪れた二人が休んだら彼女はきっと不安な気持ちになるだろう。

「わかった、でも薬くらいは飲んで寝ないとよくならないからな」

「あなたが帰ってきたら寝ます」 

「分かったよ頑固者。でも俺に考えがあるから心配すんな」

 佐伯はアンネを布団に寝かしつけて新しいタオルケットをかけると、冷蔵庫に一パックだけ残っていた冷えピタを彼女のおでこに張り付けた。

 しかし高熱と蒸し暑さに耐えかねたアンネはタオルケットを蹴飛ばして、片足を佐伯が座る方へ放り出した。

「もしかして寝相悪い?」

「もしかしなくてもです」

 扇風機の風を強にして彼女に送る。

「あなたって何者なんですか?」

「何者って言われてもただの人間だよ」

「いいえ、そんなはずは、あなたに助けてもらった時私はあなたが神とは違う別の偉大な何かの使者に見えました。あなたは何かを信仰していますか?」

「うーん、それで言うと神とかじゃないけど、仏様かなぁ」

「ほとけさま?」

 聞き覚えのない言葉にアンネは不思議な顔をしていた。

「まぁ今ここでそれを説明しても分かんねぇよ、それに俺の宗派は実践的で自らが体験し培っていくものだからこればっかりは体験しないとなぁ」

「?」って頭に浮かんで来そうな顔をするアンネに佐伯は眉をひそめた。

「とにかくお前らの国みたいにひとつの宗教からカトリックやらプロテスタントやらに近いような宗派ってのがその時の政治や情勢によって生まれたのよ。そんでその宗派を広めた昔の聖人はみんな悟りってのを開いて、人間の苦しみや悩み、不安なんかを解決する教えを伝えていたんだ。どうだい分かりやすいだろう」

「でも、この国の人たちはそういうものにあまり信仰心がないように見えるのですが」

「いいやそれでいいんだ。宗教観が薄いってことはそれだけ先人たちの教えがこの国の生活に入り込んでるってことの証明になるからな。アインシュタインやフェルマーなんかは俺でもしってるほど有名だけど、たし算やかけ算を発明した人間の名前なんて知らないだろう。本当に必要なものはありがたがられないってな。まぁでもそれがないからこの国の人たちは生きる目的や理由を自分で探さないといけないけど」

「あなたってバカみたいに見えて、詩人ぽいのですね」

「そう。だから俺には友達がいない」

「納得ですね、可哀そう」

「うるせぇバカ」

「フフフ」

 佐伯の力が抜けたつぶやきにアンネは弱々しく笑った。

「お前のご両親とかはなにしてんだ?」

「死にました」

「もしかして……」

 佐伯真魚は布団の中にいるアンネの顔を見る。

 六体の悪魔に憑りつかれ、心の弱みを見せると襲われる。普通の人間ならば精神が崩壊してしまうほどのことを、たった一人で戦って精神を律し何事もないような顔をして生活をしている。神様がいるのならば一体どれほどの苦痛と孤独を彼女に与えれば気がすむのだろうか。

 なのに、アンネは他人を気に掛けることができる。そんなことは誰しもできることではない。

「知りたいですか私のこと?」

 佐伯はすぐには答えなかった。柔らかい声は、クラスメイトの前で猫をかぶっているカタコトな甘い声でもなければ、厳しく指摘するような冷たい声でもなかったからこそ彼女の覚悟を感じた。

 佐伯にしてみればアンネに最初にあった路地裏から見捨てるつもりはなかった。だからこそ彼女が言う悪魔を祓ってしまえば解決できる問題だと思っていたのだが、おそらくそうじゃない。

「やめときましょうか?」

「いや教えてくれ、お前が背負ってるものを」

 それが彼女の古傷をえぐることになっても、佐伯真魚はアンネ・ミッシェルという一人の人間を知りたかった。
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