銭ゲバ令嬢とその侍女は静かに暮らしたい

佐々木りく

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1 婚約解消後のゴタゴタ

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「……すまないローズ。婚約を解消したい」

ある晴れた夏の日。
私は学園の裏庭で公爵令息であるステイル様から婚約解消を言い渡された。
婚約期間は三年。あと半年ほどで学園を卒業したら、来年には式を上げる予定だった。

「理由をお聞きしても?」
「それは……私がクルメ嬢を愛してしまったからだ」
「……そうですか」
「すまないっ……私は気付いてしまった!  クルメ嬢を抱いた時、彼女こそが運命の人だと、そして子供ができたと聞いて、やはり私達は運命の番だと確信したんだっ!」
「あ、はい」

ステイル様は悔い改めるように自身の金色の前髪をくしゃりと掴んだ。そして精巧なビスクドールの如く美しい顔を私に向け、その琥珀色の瞳を一瞬揺らした。気持ち悪いくらい美形だ。

「慰謝料を一括で支払うことで、君の父上も納得してくれた。……後で家令から連絡が入るだろう」
「そうですか……両家が納得しているなら、私に否はございませんわ」
「……あ、ああ。では、これで失礼する」

去っていくステイル様の背中を眺め、息を吐く。
少し離れたところにいた侍女のヲルガがやってきて、私に濡れた布を渡した。よく冷えてる。

「……ふぅ。下履きが尿漏れしたのかと疑うくらいびしょびしょだわ。これだから夏はいやなのよ」
「コラ、……いえ、三年の任務、本当に本当に、お疲れ様でございました」

くわっと緋色の目をひん剥きかけたヲルガ。
彼女はなかなかの可愛い顔立ちなのだが、怒髪天の如く逆立つ茶髪に、まぁまぁ今は魔力を鎮めてくれと手揉みする。

「まぁ、お気持ちは解ります」
「ええ、ほんと疲れたわ。この三年間、ヲルガがいなかったら国外に逃げてたわ」
「……お嬢様」

彼女は男爵令嬢だが、なんの期待もされていない第六子なので我がオメレン伯爵家に私の侍女として奉公にきている。

「お父様も鬼よね。持参金は自分で稼げなんて」

ちなみに私も第六子だ。お父様からは期待されていないどころかたまに存在すら忘れられている。人生いやになる。

「……でもほんといい魚が引っ掛かりましたよね」
「ええ。私の唯一の武器【付与魔法】が役に立ったわ」

うんうんと盛大に頷いたヲルガが書類を出した。

「慰謝料は王都と郊外にある邸宅が二棟ずつに、各所の権利書。あと明日には一括で金貨が千枚届きます」
「それ、公爵閣下が決めたのよね?」
「ええ、そうです。なんせ招待状を配り終え、婚姻の準備が全て終わった後に、クルメ嬢が妊娠ですからね」
「……不動産を手放すとは、いがいにライティ公爵家の財政が圧迫されているのかも」
「お嬢様の勘は当たりますからね」

クルメ嬢も怪しいわね。
本当にステイル様の子種かしら?

「……権利書は各所を確認してから、それと邸宅は全て売り払うわ。公爵家の醜聞が広まってからじゃ値下がりしそうだし。とにかくすぐにでも金だけ持ってトンズラしましょ」
「勿論です。あと学園には退学届を提出済みです」
「……受理はまだ?」
「来年卒業ですからね。元婚約者の伯父である学長が渋りましたが、こちらはお嬢様が傷物にされて社交界で笑われてまで登校させて自害されたらどうするんだと迫ったら退学を了承しました。チョロいっすよ」

得意気な顔で受理証明書を見せるヲルガ。

「ほんと仕事がはやいわ。お給金上げとくからね」
「ありがとうございます!」


そこでヲルガとは一旦別れて、私は路馬車を拾って祖父から譲り受けた隠れ家に戻った。

王都から少し離れた森。
そこに私の隠れ家がある。
レンガ調の建物に木々や蔦が茂り、ひと目見ただけではそこに家があると解らない。絶好の隠れ家なのだ。元は魔術研究所だと祖父が言っていた。

玄関を開けて室内に入る。そして制服を床に脱ぎ捨ててゆったりめのワンピースを着た。学園指定の硬い靴も床にぶん投げて柔らかいスリッパを履く。

「あ~だる、ないわぁ、三年も畏まらせやがって。こりゃ肩凝りも三年分のしこりが溜まってるわ」

買い込んでおいたワインをあけてソファーに座る。安いワインだ。水の味しかしない。それでも美味しく感じるのは久々に解放感を得られたからだろう。

あー、終わったぁ。
あー、しんどかったぁ。

「ひゃ~ひゃ~あっひゃひゃひゃひゃっ!」

引き笑いも久々。
ヲルガがいたらスリッパで頭を叩かれる。


ワインを三本程あけてうつらうつらしていたら鼻をムギュっと掴まれた。

「ぶえ、っ」
「……お嬢様。まだ貴族令嬢なんですから、ソファーで寝転ぶのはやめて下さい」
「あれぇヲルガ?  ……おっかえりぃ~、機嫌よさそうじゃ~ん?」
「うっへへ、なんとお嬢様。あの邸宅、ぜんぶ旦那様が高値で買い取りましたよ」

ヲルガが異空間収納から金貨をテーブルに出した。それはもう山盛りに。目に痛いくらいの輝き。

「てか……あのお父様がぁ?  なんだじゃあ、価値はあるのか。でも後で空地同然になったら文句言ってきそうね」
「いえ、娼館にすると言ってたので、その心配はないでしょう」
「ぶえぇぇぇっっ!?  娼館!?  お父様ならやりそう!」
「いちおう公爵家の別荘みたいなものですからね。そこで乱舞する客の背徳感はただならぬものがあるでしょう。てかすごそう」
「まぁ、一杯やりなさいよ」

安いワインしかないけどね。
そう思ったらヲルガが色んなサンドイッチに焼きたてのパン、牛肉の串焼きに羊肉のケバブ、更に腸詰めにサラミ、ちょっとお高いワインに果実水も出した。クッキーとかマフィンも。それも大量に。

「どうせしばらく籠るんでしょう?  前々から怪しまれないように少しずつ買っておきました」
「!  有能すぎる……この金貨半分こしよう」
「ありがとうございます!」

よかった。燻製肉と黒パンと水は充分に収納しておいたんだけど、全寮制の学園にいると買い物が出来なかったからね。食堂で出る白パンは毎回おかわりして収納してたけどおかずやおやつが無かったのよ。
私も異空間収納にせっせと食糧を詰める。

「これで今まで稼いだ金貨は三万枚か。完全なる安泰とはいえないわね」
「私は先程の特大ボーナスがあるので六千枚ほど。お嬢様の侍女として生きるには充分ですね」
「明日、各権利書の采配を決めましょう。売れるもんは売って、身軽にしとくのがいいわ」
「ほんとそうですよね」

その日は遅くまでヲルガとカードゲームをして夜更かしした。夜食のクッキー、超美味い。久々に果実水を飲みながら永遠にぐうたらしていたいと思った。


翌朝。
てかもう昼過ぎ。
寝間着の上から腹を掻く。背中が痛い。隠れ家にくるたびベットが固くなっている気がする。そろそろスプリング替えないと。勿体ないからあと三年後くらいに。
ベットの横にメモがあった。
ヲルガは慰謝料の金貨を受け取りに既に実家に向かったようだ。書き置きの最後にヘソを出して寝るなと注意書きがされていた。
あとテーブルに各権利書の数々。
ライティ公爵家は能力的に商売に疎い。だから能力的に商売に強い当家との婚約に前向きだったんだろうけど──てかなんの価値もない権利書ばかりだ。よし、売ろう。ライティ領にある店ばかりだ。公爵家と繋がりが欲しい奴等が買うだろう。

いつの間にかきちんと畳まれていた学園の制服を手に取る。

そして通信魔法でお父様に連絡をとる。

『…………なんだ?』

うわ。
すごい機嫌悪い声。
寝起きか?

『娼館をされるんですか?』
『雇って欲しいのか?』
『……いえ、私の通ってたこの国で一番格式の高いグレート貴族学園の制服があるので型をとって量産して娼婦の仕事着にしてみてはいかがでしょう?  雰囲気のある公爵家の邸宅を娼館にするなら、制服を着た貴族令嬢もどきを用意すると喜ぶお客様絶対いると思いますよ』
『いくらだ?』
『金貨千枚です』
『五百にまけろ』
『八百では?』
『六百だ』
『せめて七百』
『六百……六百五十出す』
『わかりました。後で送りますね』
『ああ、それとその制服は洗濯するな。量産したら本物の貴族令嬢が三年間着ていた制服としてイヴァン侯に卸す』
『どうぞお好きに』

そこで通信が切れた。

ふぅ。
汗かいた。
親でなければ二度と関わりたくない人物だ。
仕立てに金貨百枚近くかかった制服だ。お父様はこれをいくらでイヴァン侯に卸すのかは知らないが元は充分にとれた。

ちなみに着ていたのは三年じゃなく二年ちょいだが、私だとバレたら困るので三年がちょうどいい。

う~ん。肩凝った。
窓をあけると鬱蒼とした森に強い日差しが射し込んでいる。
風が気持ちいい。

「お嬢様!」
「あ、おかえりー」

ヲルガが帰ってきた。
玄関に向かうと慌てたように自分で脱いだ靴に引っ掛かって転んでいた。

「ちょ、大丈夫?  ねぇ聞いてよー、あの制服とんでもない値段で売れちゃったよ。今夜は劇場でステーキでも食べにいかない?」
「そんな事を言ってる場合ではありません!  クルメ嬢の妊娠が虚言だと明かされました!」
「……は?」
「公爵家はお嬢様とステイル様との婚約をこのまま続行して半年後には婚姻させると騒ぎ立てています!  おまけに慰謝料の金貨千枚も支払うつもりはないようです!」
「はあ?  婚約は解消された筈」
「そうです!  昨夜陛下から認印も押され、婚約解消は受理されております!」
「……それならどうして?」
「旦那様です!  閣下にお嬢様さえお認めになったら婚約を続行すると、今朝慰謝料だった筈の金貨千枚を交渉費として受け取って約束したそうです!」
「……あ、いつ!  さっきは何も!」

パンっと太腿を叩く。
私が貰う筈だった慰謝料とられた!

「とりあえずお父様に手紙を書くわ。あ、その時はそこにある制服も届けてね。金貨六百五十枚と交換だから、必ず貰ってくるのよ?」
「……お嬢様!?  何を悠長にしているんですか、逃げましょうよぅ」
「逃げたら半年後にお父様に捕まってそのまま式を上げさせられるわ。それに逃げるにしても婚約を続行する気はないと意思表示しておかないと」

それにこういう事は通信魔法で怠らず、日付とか手紙とか、きちんと証拠を残しておかないとね。

「……もしかして大丈夫そうですか?」
「うん、私の勘では。だってお父様は私になんの関心もないもの」
「お嬢様の勘は当たりますからね」

書いた手紙をヲルガに渡す。
念のためヲルガの唯一の武器【存在空気】を発動させてから届けさせた。



その日の夜、ヲルガは心身共々ズタボロになって帰ってきた。

「も、むりぃ、疲れたぁ、この世のすべてを恨みますぅ」
「おー、よしよし、よく頑張ったね。まぁ、サンドイッチでも食べて寛ぎなさいよ」

汗だくでソファーに倒れこむヲルガ。
グラスにいれた果実水を渡すと一気飲みして三回おかわりした。

「…………まず、森を出たら学園のまわりにも公爵家の従者がいました。当家の屋敷は凄いことになっていましたよ。閣下が私兵も出動させてお嬢様を探していました。あ、旦那様から金貨はきちんと貰ってきましたよ」
「お疲れ様」

【存在空気】を発動させといてよかった。
それでも凄い神経を磨り減らしたんだろう。帰ってきてからも自分で出した金貨の音におびえている。

「お父様は手紙を読んだ?」
「それが……お読みになられて、凄い引き笑いをされて、まだまだ稼げそうだと、更に凄い引き笑いをしてました。私、思わずスリッパで叩きそうになりましたもん」
「……そう」

ヲルガと一緒にサンドイッチを食べる。
冷めた紅茶で喉を潤しながら今後の作戦を立てる。

「まぁ、新たに収入があったのはでかいわね。この金貨半分こしよう」
「ありがとうございます!」



翌日、お父様から通信魔法がかかってきた。
うわ。やな予感しかしない。

『はい』
『ローズ!  ローズかい!?  私だよステイルだよ!  今どこに居──』

切った。
罠だった。
ヲルガが信じられないようなものを見る目でドン引きしていた。共感しかない。

「……お嬢様」
「恐らく、お父様は一回の通信でステイル様から金貨十枚はもらってるわ。凄いわねお父様。二秒で金貨十枚も稼いだわ」
「……そういやまだまだ稼げそうだって引き笑いしてましたからね」
「でももうこれで私がお父様からの通信に応えることはなくなった。お父様も私にもう用はないからそうしたのよ」
「と、いいますと?」
「次やるとしたらこの隠れ家を教えるでしょうね。金貨百枚とかで」
「……スリッパで叩いておけばよかったです」

それをしていたら制服代を半額に値切られていただろう。ヲルガはまだお父様の本性がわかっていない。

「祖父から譲り受けたこの建物は私の魔力の認証がないと入れないの。とりあえず作戦通りに最初は居留守を使うわ」


翌朝。
隠れ家にステイル様が訪れてきた。
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