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マティーロ × ラムエル
4. 畏怖に混じる
しおりを挟む「貴方、大丈夫ですか」
自身の身体を抱いて身を縮めている俺に、案内人の男が声を掛けてきた。
「――大丈夫……」
本当は、大丈夫なんかじゃない。
ここに居るのは、怖い。
腹を空かせた獰猛な猛獣が何匹もいる檻の中に放り込まれた気分だ。
「本当に、無理だけはしないでくださいね」
案内人はそれだけ言って離れて行った。
身体を包み込む見えない何かが纏わり付いてきて、全身を悪寒が何度も駆け巡る。自分の中から何かを引き摺り出そうとしてくる見えないものに、恐怖に震えて息をひっそりと潜めながら、僅かでも動いてしまわないようにじっと固まる。
俺だって、今直ぐバスを降りたい。この場所から逃げ出したい。そうしないのは、圧倒的な恐怖の中に優しいものがほんの少しだけ混ざっているから。
そのほんの少しの優しいものが俺にとっては凄く大事なものに感じられて、バスを降りる決心が付かない。
この僅かな優しいものの正体を知りたい。
その思いだけが俺をバスの中に引き留めている。
気が付けば、周りのオメガ達は殆どいなくなっていた。
途中で後続のバスに残っていたオメガ達を俺が乗るバスに纏めて乗せたのに、そのオメガ達も次々と脱落していった。
希少種アルファって、こんなにやべぇのかよ。
俺が今まで会ったことがあるアルファは、数えるほどしかいない。会ったと言うより見掛けたってのが正しいけど、それほど側に近付かなくても奴らはほんのりといい匂いがしていた。
だけど、今俺の周りにある匂いはそんな優しいものじゃない。
いい匂いには違いないけど、なんて云うか……無理矢理ヒートを引き摺り出されるような、俺の意思とは関係なく強力な媚薬を飲ませられているような気がする。
性欲を引き摺り出して来ようとするのに、重苦しいほどの重圧を掛けてくる。
怖い……恐ろしい……畏ろしい……
気持ち的なものだけじゃない。物理的に胸が苦しい。
怖くて苦しくて、何故か泣きそうになる。
バスは目的地の敷地内を走っていた。
早く、用を済ませて帰りたい。
残っているオメガ達の表情も硬くて、誰一人身動ぎ一つしないで息を潜めている。中にはヒートを起こし掛けているのか、息が荒い人もいた。
案内人が緊急用の抑制剤を渡している。
漸く、白い箱が積み重なったような屋敷に到着した。
――どうしよう。バスから降りたくない……
たけど、降りないと駄目だ。
どうして駄目なのか分からないけれど、怖くても降りなきゃいけないと強く感じる。
動こうとしない足を軽く叩きながらなんとか立ち上がり、鉛のように重い足を引き摺るように動かしてノロノロとバスの降り口に向かう。
でも、バスから地面に降りる最後の一歩がどうしても踏み出せなかった。
「クソっ……なんだよ、これ……!」
膝がカクカクと笑って、その場に崩れそうになり、思わず悪態を付く。
情けなく手摺にしがみ付きながら、どうにか身体を支えるので精一杯だった。
恐怖で情けなくも泣きそうになっていると、ずっと感じていた僅かな優しいものがふわりと俺の身体を包み込んだ。
同時になんとも言えない、いい匂いが俺の恐怖心を和らげる。
凄く、いい匂い……
なんの匂いか知りたくて、その匂いを鼻で嗅ぎ取ろうとしたけど、怖い匂いが邪魔をする。
恐怖で震えているのに、身体が熱を持ち始めた。ヒートを起こし掛けている……?
いい匂いは、ちょっとずつ強さを増して行く。
あ……れ……? 俺の運命が……いるのか……?
まさか、本当に……希少種アルファが俺の運命の番なのか……?
こんなに怖い匂いの持ち主が俺の運命……?
その瞬間、胸がキュウゥゥゥっと引き絞られた。鼓動がトクトクと速くなる。
まさか、まさか、と思いながらバスの外へ視線を向けた。
誰かが、こっちに向かって全力で走って来るのが見えた。
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