運命の番に為る

夢線香

文字の大きさ
上 下
44 / 66
小話まとめ・短編・番外編

✿ 日常の、ちょっとした幸せ 2

しおりを挟む
「この頃、帰って来るのが遅いね」
 シンクに溜まった洗い物を片付けている僕の背後で、アルビーはコーヒーを飲んでいる。
「イースター休暇前に、レポート提出があるから」
 僕は振り返ることなく応える。仕方なさを装って。
「家ですればいい。見てあげるのに」
「いいよ。きみだって忙しくしているじゃないか。自分で何とかできることで、誰かをわずらわせる訳にはいかないよ」
「僕はちっとも構わないのに」

 背中にアルビーの視線を感じる。僕は身を竦ませて、ぎこちなく洗い物を続ける。彼のコーヒーの香りが纏い付く。この洗剤の香りで消してしまいたい。

 僅かしかない洗い物を、時間をかけて何度も擦った。アルビーがコーヒーを飲み終わって部屋に戻ってくれるのを祈りながら。解っているのに。アルビーの方こそ、僕が洗い終わるのを待っているってこと。

「コウ」
 うなじにかかる彼の息にびくりと肩が震えて、手にしていた皿を取り落としそうになる。
「僕の部屋に来る?」
 ぶんぶんと首を振る。
「レポートが残っているんだ」
 肩から抱き抱えられるように廻された腕が邪魔で、上手く洗えない。
「じゃあ、早く終わるように手伝ってあげる。コウの部屋へ行こうか?」
 密着される躰に身動ぎもできない。首を小さく横に振る。
「それなら、今、ここでする?」

 冗談とも本気ともつかない甘い囁きが耳を擦る。

「アルビーの部屋に行く」
 掠れた声で囁くと、アルビーはくすりと笑った。もう僕は、こんな時、彼がどんな顔をするか良く判っている。獲物を捕らえた猫のような、満足そうな瞳でぺろりと顔を舐めるのだ。僕の……。
 僕は剥製はくせいにでもなったかのように動かない。されるがまま。



 マリーのいない金曜日の夜が来ることが、辛かった。友人の家に泊まりに行く彼女の都合が急に変わって、約束をキャンセルされたから夕食を一緒にたべましょう、とか、相手が風邪で泊まれなくなったとか、そんなメールか電話がないものかと、この瞬間まで願っている。


 
 洗い物を終えたら、今度は自分の躰を念入りに洗う。直ぐに浴室に向かわなければならない。ぐずぐずしていると、彼は「一緒に」って言い出すから。あの日のような恥ずかしい想いは、もう二度と味わいたくない。

 初めての時は本当に何も知らなくて、まさかあんなことをされるなんて想像すらしていなくて、途中で慌ててシャワールームに駆け込んだ。そんなムードも何もぶち壊しなことを、アルビーが許してくれる訳はもちろんなくて……。シャワールームで、こういうことの礼儀と作法を懇切丁寧に実地で教えられた。
 思い出す度に顔から火を噴きそうだ。

 でも彼に言わせると、僕は素直で覚えの良い生徒らしい。言われるままにする。繰り返す。それだけで、僕の躰は僕の意志を離れてアルビーの望むままに作り変えられ、どんどん彼に馴染んでいた。もう、あの時のように、歩けないほど痛いと感じることもない。それどころか……。

 心の中では、もうこんな事は嫌で嫌で仕方がないのに、彼のあの瞳を見る度に、エレベーターで高層ビルの天辺に昇っていっているような、背骨を這い上がり頭頂から突き抜ける欲望に支配される。
 まるでマリオネットのように意志は消え去り、操られるままに踊る自分に吐き気すら覚えるというのに。

 それでも、アルビーが僕を求め、僕が応えていさえすれば、彼をあの闇の中に攫われることはないのではないか、と、そんな希望があったから。だから僕は何とかこの現状を耐えられるんだ。
 ぽっかりと空いたアルビーの心に巣くう巨大な虚空。あんなものに、彼を奪われたくない、その一心だけで。


 熱いシャワーで丁寧に躰を洗い、泡を落とし、禊を済ませる。

 まるで神に捧げられた生贄の供物。僕を支配する美しい神に、こうして幾度となく喰い散らかされても、僕はまたすぐに再生する。何度でも喰われるために。天上の火を地上に与えたプロメテウスのように。果てしなく、この残酷な儀式は繰り返される。

 こうして今日も僕は彼の部屋のドアを叩くんだ。
 痺れるほどに甘美で、虚しい、僕を蝕む毒をこの躰の隅々まで浴びる、それだけのために。







しおりを挟む
感想 52

あなたにおすすめの小説

完結|ひそかに片想いしていた公爵がテンセイとやらで突然甘くなった上、私が12回死んでいる隠しきゃらとは初耳ですが?

七角@中華BL発売中
BL
第12回BL大賞奨励賞をいただきました♡第二王子のユーリィは、美しい兄と違って国を統べる使命もなく、兄の婚約者・エドゥアルド公爵に十年間叶わぬ片想いをしている。 その公爵が今日、亡くなった。と思いきや、禁忌の蘇生魔法で悪魔的な美貌を復活させた上、ユーリィを抱き締め、「君は一年以内に死ぬが、私が守る」と囁いてー? 十二個もあるユーリィの「死亡ふらぐ」を壊していく中で、この世界が「びいえるげえむ」の舞台であり、公爵は「テンセイシャ」だと判明していく。 転生者と登場人物ゆえのすれ違い、ゲームで割り振られた役割と人格のギャップ、世界の強制力に知らず翻弄されるうち、ユーリィは知る。自分が最悪の「カクシきゃら」だと。そして公爵の中の"創真"が、ユーリィを救うため十二回死んでまでやり直していることを。 どんでん返しからの甘々ハピエンです。

【完結】相談する相手を、間違えました

ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。 自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・ *** 執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。 ただ、それだけです。 *** 他サイトにも、掲載しています。 てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。 *** エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。 ありがとうございました。 *** 閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。 ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*) *** 2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。

国を救った英雄と一つ屋根の下とか聞いてない!

古森きり
BL
第8回BL小説大賞、奨励賞ありがとうございます! 7/15よりレンタル切り替えとなります。 紙書籍版もよろしくお願いします! 妾の子であり、『Ω型』として生まれてきて風当たりが強く、居心地の悪い思いをして生きてきた第五王子のシオン。 成人年齢である十八歳の誕生日に王位継承権を破棄して、王都で念願の冒険者酒場宿を開店させた! これからはお城に呼び出されていびられる事もない、幸せな生活が待っている……はずだった。 「なんで国の英雄と一緒に酒場宿をやらなきゃいけないの!」 「それはもちろん『Ω型』のシオン様お一人で生活出来るはずもない、と国王陛下よりお世話を仰せつかったからです」 「んもおおおっ!」 どうなる、俺の一人暮らし! いや、従業員もいるから元々一人暮らしじゃないけど! ※読み直しナッシング書き溜め。 ※飛び飛びで書いてるから矛盾点とか出ても見逃して欲しい。  

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

私の入る余地なんてないことはわかってる。だけど……。

さくしゃ
恋愛
キャロルは知っていた。 許嫁であるリオンと、親友のサンが互いを想い合っていることを。 幼い頃からずっと想ってきたリオン、失いたくない大切な親友であるサン。キャロルは苦悩の末に、リオンへの想いを封じ、身を引くと決めていた——はずだった。 (ああ、もう、) やり過ごせると思ってた。でも、そんなことを言われたら。 (ずるいよ……) リオンはサンのことだけを見ていると思っていた。けれど——違った。 こんな私なんかのことを。 友情と恋情の狭間で揺れ動くキャロル、リオン、サンの想い。 彼らが最後に選ぶ答えとは——? ⚠️好みが非常に分かれる作品となっております。

黒とオメガの騎士の子育て〜この子確かに俺とお前にそっくりだけど、産んだ覚えないんですけど!?〜

せるせ
BL
王都の騎士団に所属するオメガのセルジュは、ある日なぜか北の若き辺境伯クロードの城で目が覚めた。 しかも隣で泣いているのは、クロードと同じ目を持つ自分にそっくりな赤ん坊で……? 「お前が産んだ、俺の子供だ」 いや、そんなこと言われても、産んだ記憶もあんなことやこんなことをした記憶も無いんですけど!? クロードとは元々険悪な仲だったはずなのに、一体どうしてこんなことに? 一途な黒髪アルファの年下辺境伯×金髪オメガの年上騎士 ※一応オメガバース設定をお借りしています

出来損ないのオメガは貴公子アルファに愛され尽くす エデンの王子様

冬之ゆたんぽ
BL
旧題:エデンの王子様~ぼろぼろアルファを救ったら、貴公子に成長して求愛してくる~ 二次性徴が始まり、オメガと判定されたら収容される、全寮制学園型施設『エデン』。そこで全校のオメガたちを虜にした〝王子様〟キャラクターであるレオンは、卒業後のダンスパーティーで至上のアルファに見初められる。「踊ってください、私の王子様」と言って跪くアルファに、レオンは全てを悟る。〝この美丈夫は立派な見た目と違い、王子様を求めるお姫様志望なのだ〟と。それが、初恋の女の子――誤認識であり実際は少年――の成長した姿だと知らずに。 ■受けが誤解したまま進んでいきますが、攻めの中身は普通にアルファです。 ■表情の薄い黒騎士アルファ(攻め)×ハンサム王子様オメガ(受け)

最強で美人なお飾り嫁(♂)は無自覚に無双する

竜鳴躍
BL
ミリオン=フィッシュ(旧姓:バード)はフィッシュ伯爵家のお飾り嫁で、オメガだけど冴えない男の子。と、いうことになっている。だが実家の義母さえ知らない。夫も知らない。彼が陛下から信頼も厚い美貌の勇者であることを。 幼い頃に死別した両親。乗っ取られた家。幼馴染の王子様と彼を狙う従妹。 白い結婚で離縁を狙いながら、実は転生者の主人公は今日も勇者稼業で自分のお財布を豊かにしています。

処理中です...