運命の番に為る

夢線香

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J−Ⅲ Sleeping Beauty 【眠り麗人】

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 湖から邸宅に戻り、雪乃を俺の部屋のバスルームまで連れて行き、一通りの簡単な説明をして俺も別の部屋のバスルームに向かった。

 熱いシャワーを浴びて髪や身体を洗い、浴槽の湯に浸かった。冷え切っていた身体が、漸く弛緩する。首周りがやけにピリピリすると思ったら、ミミズ腫れのような細い線が何本も出来ていた。

 雪乃に、引っ掻かれていたようだ。

 猫なんかは、俺を見れば一目散に逃げて行くので触ったことはないが、猫の爪に引っ掻かれればこんな感じだろうか……?

 必死にしがみ付く雪乃を思い出して、笑みが溢れる。


 ――あれは、子猫だな。


 浴槽に浸かりながら、雪乃のことを考える。俺の部屋のバスルームに連れて行ってしまったが、よくよく考えてみればおかしなことだと気が付く。

 アルファにとって自分の部屋というのは、いうなれば『巣』だ。その『巣』に雪乃を置いて来た。本当なら自室のバスルームを俺が使って、雪乃にこっちのバスルームを使わせれば良かったのに、そうしなかった。

 番でもない者を『巣』に招き入れるなんて、有り得ないことだ。しかも、ベータをだ。

 雪乃も雪乃で、一番俺の気配が強い『巣』に入っても平然としていた。もし、ベータが俺の『巣』に踏み込んだのならば、気を失っていただろう。余程、感覚の鈍いベータなのだろうか。

 この際、バース性など何でもいいが、雪乃は側に置きたい。

 これが、アルファの執着というものだろうか? こうしている間も、雪乃のことが気になって仕方がない。

 身体が温まったので、さっさと浴槽を出る。

 雑に髪を乾かして、雑に縛って自室に戻った。もしかしたら、雪乃が先にバスルームを出ているかも知れないと思うと、気が気じゃない。

 部屋に戻ると、雪乃はまだ出て来ていなくてほっとする。

 ソファに腰掛けて待って居ても、全然、出て来ない。あまりにも出て来ないものだから、バスルームで倒れているのではと思い様子を見に行った。

 扉越しに声を掛けると、直ぐに返事が返ってきて胸を撫で下ろす。

 部屋に戻ってソファに座り直すが、落ち着かない。

 そうだ、温かい飲み物も用意して置こう。家政婦にスマホから連絡を入れて、程なくしてポットとマグカップが届けられた。寒がるかも知れないから、毛布も用意して置く。

 雪乃が出て来るまで、随分と長い時間に感じられた。漸く、出て来た雪乃を見て安心する。

「雪乃。こっちだ」

 手招いて呼び寄せると、当たり前のように礼を言って俺の隣に座る雪乃。

 マグカップにカフェオレを注いで渡すと、ちびりちびりと飲み始めた。

 風呂に長く入って居ただけあって、頬が赤く上気している。

 そんな雪乃を眺めていると、雪乃が俺の首周りの傷に気が付いて慌て出した。

 別に、大したこともない傷なのに、消毒液を欲しがったので薬箱を渡した。

 雪乃は、臆することもなく俺に手を伸ばし、消毒していく。心配顔で真剣に消毒していく雪乃を間近に見ながら、綺麗な顔を堪能する。薄い碧い眼がとても綺麗だ。

 その後は、雪乃のことを聞き出す。まだ会ってから数時間しか経っていなかったが、湖に落ちるというハプニングのお陰で、大分打ち解けて話すことが出来た。


 そして、俺の事情を話すと哀しそうな顔をする。


 同情しているようだ。正直、俺に取っては諦めが付いていることだ。今更、何とも思ってはいない。

 だが、雪乃を手に入れる為なら何でも使う。同情してくれているのを逆手に取って、憐れみを誘う。

 雪乃は、逆に心配になるほど警戒心がなくて、簡単に俺の言葉を真に受ける。

 嘘を言っている訳でもないが、あんまり哀しそうな顔をするから、その顔に思わず手を伸ばす。頬に触れる瞬間、一瞬触れても良いものか迷う。だが、雪乃ならきっと平気だと思い直して、そっと触れる。


 滑らかな肌だ……


 雪乃は、俺の手に手を重ねてきた。手がピクリと震えた。

「俺は、ジェイに触られても、触れても平気だよ」


 ああ……欲しい……雪乃が欲しい……


 番にしたい訳じゃない。普通に話せる相手として、触れても平気な存在として、友達みたいに側にいて欲しい。もっと、他人の熱を感じてみたい。

「雪乃。――ハグしても良いか?」

 ハグなら普通に挨拶だ。軽い気持ちで応じてくれるはずだ。

 案の定、雪乃はあっさり頷いてソファから立ち上がり、俺に向かって両手を広げた。

 俺も立ち上がって、俺より細い雪乃の腰に腕を回すと雪乃は俺の肩を抱いた。


 何だ……? 恐ろしい程、しっくり来る……


 雪乃が甘えるように俺の肩に額を擦り付ける。離したくなくなって、ぎゅうぅっと更に抱き締めた。

 すっぽりと収まるような、嵌まるような感覚に戸惑う。


 これは……俺のものなんじゃないか……? 俺の為の存在じゃないのか……?


 いや、だが、雪乃はベータだ。アルファでもオメガでもない。単純に身体の相性が良いだけなのか?

 頭の中でぐるぐる考えていると、雪乃の身体が重くなって来て、俺に体重を預けてくる。

 やっぱり、限界なのだろうか……鈍い雪乃でも、これだけ傍に居続ければ、流石に気を失うのかもな。

「――雪乃?」

「――ん……」

 名を呼ぶと、気の抜けた返事が返ってくる。どんどん俺に寄り掛かって来て、雪乃の身体から力が抜けて行く。

 ――寝かせた方が良いな。

 雪乃の尻の下に腕を回して抱き上げて、直ぐ側にあるソファに腰掛けた。雪乃を抱いたままソファの端に置いてあるクッションに背凭れ、仰向けに寝転がる。

 そうしたら、雪乃が……

「……あったかい……」

 そう呟いて、へにゃっと笑って……すやすやと眠ってしまった。

 気を失ったのではなく、眠った……

 俺の傍で、安心し切って眠る雪乃。

 俺に普通に話し掛けて、俺に触れて、俺の傍で眠る奴なんて、今まで一人も居なかった……

 安らいだ顔で眠る雪乃を見詰める。青みを帯びたふさふさの長いまつ毛が影を落としている。スッと高さのある鼻梁。でも、大き過ぎることはない。形の良い眉毛は、太過ぎず細過ぎず。体毛が薄いのか髭もないし、剃っているようにも見えない。そして僅かに開く唇……薄くもないし厚くもない。それなのにふっくらと柔らかそうに見える。薄い紅色の唇。

 誘われるように、指先でそっとその唇に触れてみる。しっとりと柔らかい……

 項に掛かる、青みを帯びた黒い艶のある髪。緩くうねった柔らかい髪を指先で横に流して退ける。白い項が露わになって、思わず鼻を近付けて匂いを嗅ぐ。ボディーソープの香りしかしない。

 それなのに、無性に舐め回したくなる……

 そんなことをすれば、狼どもが黙ってはいないだろう。もう、雪乃に会わせて貰えなくなるかもしれない。そんな危険は冒せない。

 横に退けた髪をそっと戻す。

 用意してあった毛布を雪乃に掛けてやり、毛布の中で雪乃の身体を抱き締める。

 しっくりとフィットするような抱き心地に酔いしれる。

 雪乃の言う通りだ……
 

「あったかいな……」


 人肌がこんなにも心地の良いものだったなんて、知らなかった。離したくない。

 それとも、雪乃だからだろうか?

 いつまでも、俺の腕の中で安らかに眠っていて欲しい……何処にも行かずに、俺の腕の中にいて欲しい。

 俺は、雪乃の寝顔を飽きることなく、眺め続けた。



 どのくらいの時間が経ったのか……窓の外は暗くなっていた。

 雪乃の頭を時折撫でながら、寝顔を見詰める。本当に飽きないな。湖に落ちて風呂に入った時点で、狼共のマーキングは大分薄くなっていた。だが、希少種のコーガとジーノの匂いは、まだしつこく残っている。

 それでも、俺の匂いの方が強く着いたので満足だ。コーガとジーノの匂いは残っているが、我慢だ。

 扉がノックされ、マティーロが声を掛けて来た。扉の向こうに感じる気配に舌打ちしたくなる。

「皇帝、Goddess女神のお迎えが来たぜ」

 返事もしていないのに扉を開けて入って来たのは、案の定、ジーノだった。一緒に入って来たマティーロと二人、俺と雪乃を見て驚いている。

「皇帝、――これはどういう状況だ……?」

 器用に、俺だけに威圧を放って来るジーノ。……鬱陶しいな。

「雪乃が俺にしがみ付いて眠ってしまっただけだ。――静かにしろ」

 ジーノは、ツカツカと側に来ると雪乃の肩を揺すった。

「雪乃……起きろ、雪乃……!」

「ん~~……」

 ジーノに肩を揺さぶられて、愚図るように唸って俺にしがみ付く雪乃。――可愛いな。

「――おい! 雪乃っ……!」

 ジーノがもう一度、雪乃の肩を揺さぶる。まだ寝たがっているのに無理矢理起こそうとするジーノに苛つく。

「――おい、ジーノ。……やめろ。雪乃が嫌がっているだろ」

 雪乃を抱き込んで、ジーノから遠ざけるようにして頭を優しく撫でる。

「おい――調子に乗るなよ、皇帝。……雪乃を離せ」

 ジーノの眼に鋭く睨まれるが、気にしない。

「黙れ、悪魔狼」

 フンッ、とばかりに鼻を鳴らす。

「――何だ……? その、おかしなネーミングは?」

 ジーノが顔を顰めている。

「俺が考えた、お前の二つ名だ。ジーノにぴったりじゃないか。悪魔狼」

 常々、思っていたんだよ。俺にハバネロシュークリームを食わせた時からな! この、悪魔め!

「おかしな名前を付けるな。――いいから、雪乃を離せ」

 ジーノは、嫌そうに顔を顰めながら、催促してくる。

「嫌だね。雪乃が俺にしがみ付いているんだ。離す訳ないだろ。――雪乃が起きる。あっちに行け、悪魔狼」

 べっ、と舌を出して、シッシッと犬を追い払うように手を振る。

「――お前……」

 蟀谷こめかみに青筋を立てたジーノが重苦しい威圧を放って来るが、俺も負けてはいない。お返しとばかりに威圧を放つ。ジーノの後ろでマティーロが蒼い顔をして固まっている。

「ん……仁乃兄さん……?」

 あ~あ、雪乃が起きてしまったじゃないか。俺とジーノは、さっと威圧を引っ込めた。

「――やっと起きたか、雪乃。いつまでもそんな趣味の悪い枕に、抱き着いているんじゃない。ほら、帰るぞ」

 相変わらず、口の悪い悪魔だ。思わず、睨み付けて舌打ちする。

「ぅわッ……!? ご、ごめん、ジェイ! 俺、寝ちゃってた……!?」

 雪乃は慌てて身体を起こそうとするが、離したくなくて腕の力を緩めなかった。腕の中から出したくない。

「……ジェイ、離して?」

 だが、雪乃にそう言われてしまえば離すしかない。

 嫌だが……本当に嫌だが……仕方がない……

 腕の中から離れて行く温もりに、急に身体が寒く感じた。

 ジーノが雪乃を引き寄せて抱き込み、マーキングを始める。それに苛々とする。

「全く、こんなに皇帝臭くなって!」

 ジーノが苛ついたようにそんなことを言う。

 ふん、俺のマーキングは、そう簡単に消せないからな。

 雪乃は、ふふっと可愛らしく笑っていた。

 ――雪乃が帰ってしまう……次の約束を取り付けておかないと、二度と会えないかも知れない。

「雪乃。また来てくれるか?」

 雪乃の側に寄り、手を取って握り締めながら懇願すると、雪乃は、また来ると言ってくれた。だが、それだけでは足りない。社交辞令のように、流されたら困る。

「いつ?」

「え?」

「次は、いつ来てくれる?」

 雪乃を困らせることは分かっているが、俺に取っては重要なことだ。ここから動けない俺に取っては……会いたくても会いに行けないのだから、絶対に約束は取り付けたい。

 ジーノが口を挟んでくるが、無視だ。ここで引く訳には行かない。

 ジーノが盛大に溜め息を吐いた。

「チッ! ――明日だ。テーマパークにお前も連れて行く。雪乃のエスコートをしろ」

 思わぬジーノの言葉に、耳を疑う。

「……だが、俺は――」

 ――ここから動けない。この敷地内だけが俺が自由に動ける範囲だ。ジーノだって知っているはずだ。

「父さんが、雪乃と一緒なら大丈夫だと言った。明日の朝、迎えに来る。金さえ持っていればいい、準備しておけよ」

 狼王が? どういうことだ? 俺を外に連れ出しても平気だと確信しているのか?

 ジーノも反対しないところをみると、何か策があるのか……そうでなければ、俺を連れて行くなんて危険は冒さないはずだ。


「ジーノ……初めて、お前が良い奴だと思えたよ」


 何か策があるんだな。そういうことなら……さっきは無視して悪かったな、ジーノ。

 俺がジーノに笑い掛けると、嫌そうな顔をしながら雪乃の肩を抱いて歩き出す。

「じゃ、じゃあ……また明日ね、ジェイ」

「ああ…………また明日な、雪乃」

 俺に手を振る雪乃が可愛くて、微笑みながら手を振り返した。



「――狼王は、一体どうするつもりなんだ……」

 雪乃に明日も会えるのは嬉しいが、俺が外に出て大丈夫なのか……?

「皇帝は、女神といると気配が和らいでいるぞ。だから、女神と一緒なら大丈夫なんじゃないか?」

 まだ部屋に残っていたマティーロが答えた。

 雪乃と居ると、気配が柔らぐ……?


「――だから、カエルが釣れたのか……?」


 今迄、一度も釣れたことがないのに、今日はカエルだが……釣れた。

「ハーハハハハハッ……! カエルを釣ったのかッ!? 皇帝が!? フハッ!!」


 マティーロは、ゲラゲラ笑いながら部屋を出て行った。










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