運命の番に為る

夢線香

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07. 交流

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 俺は今、ジェイのエメラルドの眼と見詰め合っている。

 ジェイが、しっかりと握った俺の手を離してくれないからだ……

 どうしよう……本当に、いつになったら離してくれるんだろう。俺から強引に解いてもいいのかな……? 笑みを浮かべた顔が引き攣りそうなんだけど……

 俺が困惑していると、父さんが助け舟を出してくれた。

「皇帝、いつまで握っているつもりだ?」

 ジェイは、はっとしたようにぎこちなく手を離した。それでも眼は俺を凝視したままだ。


 な、何だろう……?


 あまりにも見て来るから、居心地が悪い。

「雪乃、仲良く出来そうか?」

「――ジェイが良ければ……俺は大丈夫だけれど……」

 父さんに頷き返す。

「そうか。じゃあ、これ。ホテルのサンドイッチだ。雪乃、お腹が減っただろう? 皇帝と一緒に食べると良い」

 父さんに手提げの紙袋を渡された。反射的に受け取る。結構、ずっしりと重かった。

「――父さんは……?」

 え、俺、ここに置いて行かれるの……?

 流石に自己紹介だけで放置されるのは辛いんだけど?

「私は朱乃の元に戻る。仁乃達が付いているとはいえ、心配だからな。夜になったら迎えに来るから、それ迄はコイツに付き合ってやってくれるか?」


 え、嘘……本気で置いて行くつもりだ……


「――それは、構わないけど……」

 ジェイ本人を目の前にして嫌だとは言い難い。

 未だに俺を無言でがん見して来るジェイに不安が募る。

「おい、皇帝……ジェイ……ジェイデン!……ジェイデン・アースキングっ!」

 父さんに何度も名前を呼ばれて、漸く俺から彼の視線が外れた。

「――何だ?」

 ジェイは、物凄く面倒臭そうに父さんを睥睨する。

「友達のいないお前の相手に雪乃を置いて行くと言っているんだ」

「ああ、置いて行け」

 ジェイは、至極あっさりと頷いた。

「ジェイデン・アースキング。――わかっているとは思うが、雪乃におかしな真似をしたら――ただじゃ済まないからな?」

 父さんが鋭く睨み付けると、ジェイは頷いた。

「わかっている。――俺だって、狼共を敵に回す気はない」

 ジェイの返答に満足したのか、父さんは頷いた。

「じゃあ、私は行くよ。雪乃、何かあったらこれを」

 渡されたのは、細いチェーンが付いた使いづらそうな太いペンだった。

 何で……ペン……?

 受け取りながら首を傾げる。

「結構、威力のあるスタンガンだよ。危機的状況に陥ったら、迷わず使うんだぞ?」

「――おい」

 もの言いたげなジェイを無視して、ペン、スタンガンの使い方を俺に説明する父さん。説明し終わるとスタンガンを俺の首に掛けてから、すたすたと停めてあるバイクに向かって歩き出す。


「え、父さんっ……!?」


 慌てる俺の呼び掛けに父さんが振り返って、満面の笑みを浮かべながら俺に手を振った。そして、乗って来たバイクではなく、その隣の大きいスクーターみたいなバイクに乗って、あっさりと帰ってしまった。

「…………」
「…………」

 父さんの乗ったバイクが遠ざかるのを恨めし気に見詰めながら、暫し、静寂が訪れる。

 相変わらず俺をがん見して来るジェイに戸惑い、会話の糸口を探す。そして、手にした紙袋に会話の糸口を見付けて、ほっとする。

「俺、この国に今朝着いたばかりなんだ。まだ朝食を食べていないから、一緒に食べない?」

 がん見して来る視線を逸らす為に、持っていた紙袋を目の前に掲げて見せた。

「ああ……」

 ジェイは頷いたけれど視線は外れない。


 ――何ていうか、こう……訝しむような視線というか、何かを探るような視線で見て来るんだよな。


 その視線から逃れるように、釣り竿が設置された桟橋の縁に腰掛けようとした。

「――待て。汚れる」

 ジェイの声に止められた。

「あはは、乾いているし大丈夫だよ。もしかして気になる? だったらジェイは、チェアに座れば良いよ」

 別に女性じゃないんだから直に座ることに抵抗はない。バスケの仲間達と道端の縁石や花壇の縁とか、色んな所に座ったりしていたから俺も慣れてしまった。

 だけどジェイは俺から紙袋を奪い、側にある折りたたみ式の木で出来た小さなテーブルに置いて、俺に椅子に座れと手で示す。でも、椅子は一つしかない。

「え、俺は本当に大丈夫だから、ジェイが座れば良いよ」

 ジェイは、チェアのリクライニングをガチャガチャと弄って平らな状態にすると、向きを変えてテーブルの前にベンチのように設置した。

 ああ、そういうことか。意外と高性能なデッキチェアのようで、デカい男が二人座っても大丈夫そうだ。

 だったら、固辞する理由はない。素直に礼を言って腰掛ける。ジェイも一人分の距離を開けて隣に座った。

 テーブルの紙袋に手を伸ばし、中身を取り出していく。一人分にパッキングされたサンドイッチの箱と、大き目のタンブラー。ヨーグルトの掛かったフルーツサラダに、可愛くラッピングされたクッキーが二つずつ入っていた。

 サンドイッチの箱を開けると、長方形にカットされたものだった。卵、ハム、レタス。トマト、厚めのチーズ、レタス、キュウリ。白身魚のフライ、タルタルソース、刻んだキャベツ。厚切りベーコン、トマト、レタス。どれも美味しそうだ。手にすると、仄かに温かい。

『いただきます』

 日本語で呟いて、ぱくりとサンドイッチに齧り付く。強めのマスタードと卵のバランスが絶妙。美味しい。お腹が空いていたので、ぱくぱくと食べる。

 視線を感じて隣を見ると、ジェイが俺をがん見している。

「――食べないの?……お腹、空いてない? 美味しいよ。あ、苦手なものがあった? だったら、食べられそうなやつと交換しようか?」

 俺と違って、朝食は食べただろうしな。でも、もうお昼近いから大丈夫だと思ったんだけど、苦手なものがあるのかな?

 首を傾げて尋ねる。

「――いや、大丈夫だ。食べられる」

 ジェイは、漸く俺から視線を外してサンドイッチに手を伸ばした。

 それを見て俺もタンブラーに手を伸ばす。中身はブラックコーヒーだった。豆にこだわりを感じる。

 二人で黙々と食べる。

 お、白身魚のフライに付いているタルタルソースがめちゃくちゃ美味しい! 流石、高級ホテルのシェフ!

「ジェイっ! このタルタルソース、めちゃくちゃ美味しい!」

 感動のあまり、ベータの友達に話すようにジェイに笑い掛けていた。

「――そうか……良かったな」

 幼い子供を見るような目で生暖かく微笑まれて、急に恥ずかしくなった。

 う……だって、感動を分かち合いたいじゃないか……

 話を逸らそうと、湖を眺める。湖面に映り込んだ白樺の白い木肌が水面でゆらゆらと揺れて、何処か幻想的で――美しい。

「この湖では、何が釣れるの?」

 目に映った釣り竿を見ながら尋ねる。

「さあ……? 何が釣れるんだろうな?」

 思いもしない返答が返って来た。――からかわれている?

「え? 釣りをしていたんじゃないの?」

 ジェイを見ると苦笑して肩を竦めた。

「一度も釣れたことがないんだ」

「それなのに釣りをしているの?」

「気分の問題」

 成る程……魚を釣ることが目的じゃなくて糸を垂らして考え込むのが好き、っていう人の話を聞いたことがあるな。それと同じなのかな。

 あらかた食べ切ったのでゴミを紙袋の中に纏めていると、釣り竿が下に引っ張られてしなっていることに気が付いた。

「……ジェイ、何か掛かったんじゃない?」

「ん? まさか」

 そんな訳はない、というようにジェイが釣り竿を見る。

「――掛かっているな……」

 ジェイは、驚いた顔で釣り竿に近付いて竿を握る。大物なのか、随分と重そうだ。ジェイの隣に立って攻防を見守った。

 釣り竿は凄い角度で撓っていて、今にも折れそうだ。ジェイは、強弱を付けながら引いたり緩めたりしている。

「ジェイっ……! 頑張ってっ! ジェイなら出来るっ!」

 俺も思わず手に汗を握りながら、発破を掛けて激励した。

「くっ……! 糸が切れそうだっ……!」

 釣り竿のリールがカラカラと戻ったり、キュルキュルと巻き上げたりしながらの攻防戦は、かなり長いこと続いた。

 たたらを踏むジェイの腰を思わず後ろから抱き締めて、桟橋から落ちないように支えた。

「このっ……!」

 ジェイの喰い縛った口から苛立ちにも似た声が漏れる。その瞬間、引っ張られる力が緩んだのか、ジェイが一気にリールを巻き上げた。

 ザボっ……!! 水音と共に、獲物が宙に姿を現した。


「「Booyahhhhhよっしゃーっ~~!!」」


 思わず二人、スラング英語で叫んでいた。

 宙に舞い上がった獲物は、かなりデカいっ!

 ――デカい、が……アレ、魚じゃなくないかっ……!?

 ジェイの腰に抱き着いたまま、彼の肩越しに黒い物体を見上げる。

 三十センチ程もありそうな楕円の身体から、四本の長い手足をびらりと広げて俺達に向かって飛んで来る……ぬめりとした光沢を放つ獲物……


 アレっ! 馬鹿デカいカエルじゃないかっっ……!?

「ギャああぁぁぁっ!!」

 あまりの気持ち悪さに、人生でこんなに驚いたことがないくらいの絶叫を上げた。

「っっ!? お、おいっ……!?」

 ――後から思い返せば、火事場の馬鹿力だったんだと思う。俺は、顔に向かって飛んでくるカエルを避けようとして、世界最強とも呼べる希少種のアルファを持ち上げて横に飛び退いた。

 ………つもりが、勢い余って桟橋から湖にダイブした。


「「っ……!?」」


 ザッッバアァッッン~ッッ……!!


 パニックを起こした俺は、水の中で溺れて藻掻いた。

 息が出来ないっ! 苦しいっ……!!

 水も飲んでしまい、益々暴れる俺をジェイが正面から俺の動きを封じるようにガッチリと抱き込んで拘束され、水面に顔を出される。

「ゲホッ、ゲッホッ……ゴフッ……!」

 口の中の水を吐き出しながら、必死でジェイの身体にしがみ付いた。

 二人で、はあ、はあ、と息を荒げながら呼吸を落ち着かせる。水の冷たさに正気に戻ると周りを見る余裕が出来た。

 その時、俺達のすぐ横をデカいカエルが……スィーっと泳いで通り過ぎた。

「ヒィッっ……っ!!」

 ぞわり、と怖気が奔って、しがみ付いているジェイの腰に脚までガッチリと絡めて更にしがみ付く。


「――何で……平気なんだ……?」


 ボソリと呟かれた言葉に耳を疑う。反射的に言い返していた。


「全然っ!! 平気じゃないよっ……!?」


 何処をどう見たら平気そうに見えるのさっ!? こんなにビビっているのにっ……!!

 俺は、がばりと顔を上げてジェイの顔を至近距離で凝視しながら必死に反論した。

「え、ああ……そうだな……うん」

 ジェイは曖昧に頷きながら、蝉のようにしがみ付く俺を抱えて動き出した。どうやら湖の底に足は着いているみたいだ。

「ヒッ……!」

 移動している間にもデカいカエルが泳いでいるのが見えた。ジェイの首に顔を埋めて、回した腕でガッチリと掴まった。


「ジェイっ! 早くっ……! 早くっ、湖から上がってっ……!!」


「はい、はい。――ククっ……!」


 子供をあやすようにお座なりに返事をされながら、どうにか岸に辿り着く。喉の奥で笑っているジェイに少しだけムッとしながらも、離されると困るので文句を言うのは我慢した。

 ずぶ濡れになってしまったせいで、寒い。カタカタと震えながら服の裾を絞って水気を切る。

 ジェイは、湖畔に設置された小さな木造の物置から大き目のブランケットを取り出して渡してくれた。お礼を言って受け取る。

「濡れた服は脱いだ方が良いぞ。そのままだと体温が奪われる」 

 ジェイはそう言いながら自身も服を脱いで地面に落としていく。

 頷いてジェイに背を向け、上半身の服を脱いでからブランケットを羽織り、周りに身体が見えないようにして下も下着ごと脱ぎ去った。

 寒さで震える手で、濡れて身体に張り付いた服を脱ぐのは大変だった。

 乾いたブランケットにくるまって少しだけほっとする。ジェイも同じようにブランケットに包まりながら何処かに電話をしている。

 落ち着いてよくよく考えてみたら、俺がジェイの腰を抱き上げて湖に飛び込んだことに気が付いた。

「ううっ……ジェイ。巻き込んで、ごめんね……」

 電話を終えて近付いて来たジェイに、寒さでぶるぶると震える唇をどうにか開いて謝罪した。噛み合わない歯がカチカチと鳴る。

「気にするな」

 ジェイは、微笑んで許してくれた。

「迎えの車を呼んだから、ちょっとだけ待っていてくれ」

「バイクはどうするの?」

 さっきの電話は迎えを呼んでいたのか。でも、バイクを置いて行って大丈夫なのかな?

「こんなずぶ濡れの状態でバイクなんかに乗ったら、あっと言う間に風で体温を奪われて大変なことになるぞ?」

 来る時のことを思い出して納得した。

 既にガタガタと寒さに震えているのに、更に強風を浴びたら本当に洒落にならない。

「唇が真っ青だな……」

 心配顔で言うジェイの唇も青紫色だ。

 うっ、俺が道連れにしたから……罪悪感が湧いて来た。ジェイに近付いて、寒さに震える手でブランケットの上から彼の肩や腕を擦る。

 そうしていたら自分のブランケットを広げたジェイに抱き込まれた。


「こうして居た方が暖かい」


 距離が近かったのでジェイの裸体は見えていない。抱き込まれたお陰で寒さは和らいだ。


 迎えの車が来るまで二人で抱き合ったまま……温もりを分け合った。












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