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本 編
06. 王の庭
しおりを挟む高校を卒業して大学が始まる迄の期間に、家族で旅行することになった。言い出したのは母さん。
当然、父さんは、その望みを叶えるべく段取りを進めた。海外に行くことになったので、周りを固めるべく、一族の皆も一緒に行くことになった。
仕事は大丈夫なのかと思ったら、慰安旅行も兼ねて、そこに研修旅行も混ぜて、会社の仕事として連れて行くみたいだ。当然、番同伴で。
今回、参加出来なかった人は、何回かに分けて実施するらしい。飽く迄、希望者のみ。
一族の皆にしてみても、上位アルファが同伴してくれるので、皆が安心して番を連れて旅行が出来ると喜んでいるらしい。
飛行機はチャーター。ホテルは、ほぼ貸し切り、どちらも大神家の系列会社だ。旅行先のテーマパークも貸し切りにするんだって。十日間、滞在することになっている。
飛行機に乗ってやって来た国は、快適な気温で自然豊かな所だった。
時差を考えて、前の日の昼過ぎ頃に飛行機に乗って機内で睡眠を取り、この国の午前八時頃に着いた。その日はホテルに移動して、ゆっくりと休むことになっている。勿論、元気があるのなら自由に外に出ても大丈夫だ。
ホテルに着くと、父さんが話し掛けてきた。
「雪乃、疲れていないか? もし、疲れていないのなら連れて行きたい所があるんだが」
「? 大丈夫だけど……何処に行くの?」
疑問に思いながらも、疲れてはいないので頷く。
「車の中で説明するよ。おいで」
父さんに手招きされて、側に寄って行く。
母さんを仁乃兄さん達に預けて、父さんと二人、リムジンに乗る。運転手は畑野さんだった。
「何処に行くの?」
走り出した車の窓から景色を眺めながら尋ねる。
「一時間くらい掛かる場所だよ。そこに、私の知り合いが居るんだ」
「父さんの知り合い?」
「そう。知り合いと言っても、雪乃の二つ年上だ。友達もいない、可哀想な奴さ。明日行くテーマパークの近くに住んでいるから、もし雪乃と気が合いそうなら友達になってやって欲しい」
父さんは、にこりと笑って言った。
二つ年上ということは、二十歳。今年、二十一歳か。大学生? 友達がいない?
俺が首を傾げていると、父さんは苦笑した。
「特別な事情がある奴でな。無理なら無理で大丈夫だから、気楽に会ってやってくれないか?」
よく分からないけど頷いた。広い車内に向かい合って座り、ずっと、飛行機の中だったからお互い身体を横にして楽な体勢を取る。
特別な事情、か。父さんは、それ以上話す気はないみたいで、目を閉じてしまう。よく分からないまま、俺も目を閉じた。
目を閉じている内に、少し眠ってしまったみたいだ。のろのろと身体を起こして、外の景色を見る。随分と高い塀が途切れることなく続いている。反対側は、新緑が芽生えたばかりの緑の大地が一面に広がっていた。その更に遠くに、テーマパークらしい建物が小さく見えていた。
「――起きたのか? もうすぐ着くぞ」
座席にゆったりと座った父さんが声を掛けて来た。
父さんは、ダークグレーのスラックスにクリーム色の薄手のカシミアのセーターを着て、その上から深い焦げ茶色の皮のジャケットを羽織り、いつでも車を降りられる状態だった。
「――この塀の向こう?」
途切れる様子のない、白壁の塀を眺めながら尋ねる。
「そうだ。――体調は、悪くないか?」
「んー、思いっきり身体を伸ばしたい」
ずっと、飛行機や車の中だったから、気持ち的にも窮屈に感じる。
腕を伸ばす俺を見て、父さんは笑った。
立派な門を潜り抜けて車は進む。ずっと続く緑の絨毯の向こうに、色んな大きさの箱を積み木みたいに重ねたような白い建物が見える。
父さんが、車の窓を開けた。
新鮮な空気に、思わず、深呼吸をしてしまった。
空気が美味しいって、こういうことかな? 凄く綺麗で澄んでいて、清らかで、静謐っていうか、厳かっていうか――神様がいそうな、聖域みたいな感じ。凄く、心が洗われるって感じだ。
「空気が……凄く綺麗。美味しい……」
顔に当たる風に、目を閉じる。凄く、居心地がいい場所だ。
「――そうか」
父さんは、そんな俺を目を細めて見ていた。
舗装された道を、唯、一台の車だけが進んで行く。やがて、白い建物の前に到着した。
「Hey、Wolf King! 随分と久し振りだな!」
車を降りると、父さんに向かって軽快な声が掛けられた。
ガッチリとした背の高い、褐色に日焼けした男性が父さんに手を挙げながら、笑顔を浮かべて近付いて来る。
ベージュのチノパンに真っ青な厚手のシャツを着た、四十代くらいの男性だ。焦げ茶のドレッドヘアで、肩までの髪を後ろで一つに縛ってある。鋭い茶色の眼は、今は優しげに緩められていた。多分、アルファだ。
この国の言語は英語だ。父さんは勿論話せるし、小さい頃から教えられていたので、俺も普通に喋れる。
「やあ、久し振りだな。マティーロ」
父さんは、マティーロさんの挙げた掌にハイタッチをするように、パシリと掌同士を叩き合わせた。
「WoW! 凄い別嬪を連れて来たな……!?」
マティーロさんが、俺を見て目を見開く。
別嬪って……
「私の息子に手を出したら、許さないよ? マティーロ」
父さんが、目を眇めてマティーロさんを見据える。多分、威圧しているな……
「Ohh……! 手なんか出す訳ないだろっ!」
マティーロさんが青褪めた顔で、慌てて胸の前で両手を振った。
「当然だな。――雪乃、コイツはマティーロ。ここの屋敷の門番みたいな奴だ」
父さんが、俺の背中に片手を置きながら紹介してくれた。
「酷いいわれようだな……よろしくな、ジュニア」
「よろしくお願いします。ミスター・マティーロ」
「ハハ、マティーロでいいぞ」
手を差し出されたので、握手だと思って手を伸ばす。だけど、マティーロの手を父さんが叩き落とした。
「マティーロ――?」
父さんの冷やかな声が、マティーロを射竦める。
「うっ……! ベータでも駄目なのかよっ……!?」
マティーロは、冷や汗をかきながら数歩後退った。父さんは、ふんっと鼻を鳴らす。
「で……? Emperorは?」
「――今日は、湖に釣りに行ったよ」
マティーロは、疲れたように溜め息を吐いて肩を竦める。
「今日、訪ねると連絡していたはずだが?」
「はぁ、伝えてはいたんだが……皇帝だから」
「チッ、あの、くそガキっ……!」
ん……? 父さんの口調がいつになく荒れている。
「マティーロ、バイクを出してくれるか? 二人乗りの、ハーレーがいいな」
「そう言うと思って、用意して置いたよ」
マティーロが立てた親指でクイっと示した先に、黒と銀のデカいピカピカのバイクが置いてあった。
「用意が良いじゃないか。借りるぞ。おいで、雪乃」
歩き出した父さんの後に付いて行く。
父さんは、バイクに跨がって俺に後ろに乗るように言って来る。バイクなんて初めて乗るな。
「父さん、運転が出来るんだ?」
「はは、出来るさ。――この、マフラーの部分にはぶつからないようにな。物凄く、熱くなるから触れると火傷をする」
「わかった。――ヘルメットとか被らなくても良いの?」
「ここは私有地だから、被らなくても大丈夫だ。横転するようなヘマはしないさ」
父さんがバイクのエンジンを掛けると、ドゥクン、ドゥクンと重低音が響く。
「……なあ……狼王。大丈夫なのか……?」
マティーロが心配そうに俺を見てから、父さんを見る。
「まあ、多分な。無理そうなら、連れて帰るだけだ」
「……?」
二人の会話の意味が分からない。
父さんは、いつの間にか側にやって来た畑野さんから手提げの紙袋を受け取って、ハンドルに掛けた。畑野さんの顔が、強張っているように見える。
「雪乃。私の腰に腕を回して、しっかりと捕まっているんだぞ」
バイクのエンジン音に負けないように、声を張り上げて返事を返し、父さんの腰、というか腹に腕を回してしがみ付く。
父さんは、俺の腕をぽんぽんと軽く叩いてから、バイクを走らせた。
車と大差ないスピードに思えるけど、直に全身に風が当たるせいか、速く感じる。
父さんに話し掛けようとしたら、真正面から風圧を受けて息が出来なくて、慌てて父さんの背中に顔を隠した。
「父さんっ! 皇帝って、王様でも居るのっ!?」
父さんの背中に隠れながら声を張り上げて、さっきから気になっていたことを尋ねる。
「ははっ! ただの、くそガキだよっ!」
顔を横に向けた父さんが、同じように声を張り上げて答えてくれた。
「えぇ……!?」
また、くそガキって言ってる……
「生意気なっ……! ただの、くそガキさっ! ――孤独な皇帝陛下だけどな……」
後半は声が低くて、うまく聞き取れなかった。
もしかして、希少種アルファ……? 父さんの『狼王』みたいな二つ名なのかな? 『皇帝』だなんて、凄そうな二つ名だけど……
緑の絨毯に木々が増えて来て、今は、白樺の木立の中を舗装された道を走りながら通り過ぎる。
全身に絶え間なく風を浴びているせいか、体温を奪われて寒い。暖を求めて、父さんの背中に張り付く。
飛行機や車での移動だけだったから、茶色みの強いベージュのチノパン。上半身は中に長袖Tシャツ、その上から、丈の長めな紺色のフード付きのフリースを着ただけなので、風を通してしまって寒い。
やがて、湖が見えて来た。白樺の木がぐるりと囲む湖は、それ程大きいものではなかった。だけど、水は碧く澄んで、周りの景色を鏡のように映していて、とても美しい場所だった。
まるで、聖域みたいなこの場所の空気も相俟って、精霊か神様が住んで居ると言われたら、あながち、嘘ではないような気すらして来る。
桟橋が在る近くの湖畔に、漸く、バイクが停まった。大きいスクーターのようなバイクが側に停まっている。
「雪乃、寒かったか?」
二人でバイクから降りると、父さんが俺を抱き締めて肩や背中を擦って来た。
何か、念入りにマーキングする時みたいな行動だ。
「ちょっとだけ」
父さんの乾布摩擦を受けながら、辺りを見渡す。
十メートルもない桟橋の先に、釣り竿を前にデッキチェアに深く凭れ、顔に麦わら帽子を乗せて寝ている男性が見える。
父さんは、一頻り乾布摩擦を施した後、手提げの紙袋を持って歩き出した。
「雪乃。暫くは、私の後ろに居なさい」
父さんの言葉に頷いて、真後ろを付いて行く。俺の背も大きいけど、父さんの背はもっと大きいので、前から見たら俺の頭の上ぐらいしか見えないだろうな。
「おい、くそガキ。今日、訪ねると連絡しただろう?」
あ、また、くそガキって言った。父さんもこんな風に話したりするんだ。しかも、笑っているけれど圧がある感じだし……
「煩い、狼王……どうせ、ジーノを連れて来たんだろ。アイツには、会いたくない」
低めのバリトンボイスが億劫そうに答える。
「はあ……仁乃は、連れて来ていない。本当にお前は、仁乃が苦手なんだな」
父さんが、呆れたように溜め息を吐いた。
ジーノって、仁乃兄さんのことだったのか。
「じゃあ、誰を連れて来たんだ? ミーノ? ゼーノ?」
都乃姉さんと、禅乃兄さんのことかな?
「どちらも、違う。私の息子だけどな」
「は? まだ、息子が居たのか」
「家の末っ子だ」
父さんが、肩越しに俺を覗き込む。
「――大丈夫そうだな」
「……?」
何が、大丈夫なんだ?
「末息子の雪乃だ。雪乃、コイツが、ジェイデン・アースキングだ。私と同じ希少種アルファで、『皇帝』とも呼ばれているな」
父さんが俺の背中に手を置いて、前に押し出した。
眼の前には、アルファらしいアルファが居た。
背丈は、父さんと変わりない。百九十センチを超えている。黄金色のくるくるの巻き毛は無造作に伸ばされて、肩甲骨の上ぐらい迄ある。それを雑に結っていて、後れ毛とは呼べない程に、結残した髪が乱れている。太過ぎず細すぎない黄金色の眉は、キリっと整えられていて、その下にある、鋭い切れ長の透き通るようなエメラルドグリーンの眼は、じっと俺を見据えている。男性らしい高い鼻梁に厚過ぎない唇。女らしさ等、微塵も感じられないシャープな輪郭。カーキ色のだふっとしたカーゴパンツに、白の長袖Tシャツ。その上に厚手の黒いシャツを羽織っている。その身体は、バランスよく鍛えられ逞しい。
もし、俺のオメガ性が眠っていなければ、何かを感じたかも知れないけれど、フェロモンの分からない俺は、秀麗な男性だなとしか思わなかった。
美形な家族に囲まれているから、美形を見慣れているっていうのもあるのかも知れない。
「初めまして、ミスター・アースキング」
握手をすればいいのかな? 取り敢えず、手を差し出す。
彼は、俺の差し出した手を訝しげに見詰めてから、父さんに問い質すような視線を向けた。
「――握手、しないのか?」
父さんが何故か、意地の悪そうな笑みを浮かべて彼を見る。彼は父さんに向かって、小さく舌打ちしてから俺に視線を戻した。
あれ……? 握手は、駄目だったのかな……?
そう思い当たって、手を引っ込めようとしたら、ゴツゴツとした大きな手が俺の手を握った。
あ、握手してくれるんだ、と思って微笑む。
彼は、俺の手を握ったまま、驚いたように目を見開いて居た。
「――俺のことは、ジェイと呼んでくれ。……ユっ…ノ。ユーキっ…ノ……hmm…ユキ…ーノ……ユキノ……雪乃」
彼、ジェイは、俺の名前を何度も言い直して、ちゃんと発音してくれた。
「うん。よろしくね、ジェイ」
思ったより、フレンドリーなアルファで良かった。『皇帝』なんて、凄そうな二つ名があるから、もっと傲慢に見下してくるアルファなのかと思ったよ。
俺は嬉しくなって、ジェイに向かって笑みを深めた。
俺の手を握るジェイの手に、力が込められた。
何故だか、じっと喰い入るように視てくるジェイに、内心困惑しながら思った。
俺の手、いつになったら離してくれるんだろう……?
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