俺の幸せの為に

夢線香

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本編

22. アシャレント (下)  ★

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 彼女の弟が出て行くまで、俺は普通を装って大学に通った。遅れた分を取り戻すのが大変だった。

 だが、大学を卒業して就職するまで彼女の弟は出て行かなかった。

 その頃には、死のうとは思わなくなっていた。どうでも良くなったのだ。何もかもどうでもいい。

 淡々と仕事を熟す毎日。暇などなければいい。

 仕事、食う、風呂、寝る、の繰り返し。それを二年繰り返した。



 でも、どうしようもなく虚しくて寂しくなる時がある。

 人肌が恋しくなる……

 一人で家にいるのが嫌で街を徘徊する。

 もう、まともに付き合う事はしない。

 俺は一夜の相手を求めるようになった。

 夜に適当な相手を探して、適当な店に入る。声を掛けて来た相手と一夜限りの関係を持つ。



 たまたま入った店がゲイバーだった。男と寝たことはなかったけれど、知識としてはざっくりと知っていた。女でも男でもどっちでも良い。

 女言葉を話す、体格のいいマスターが話し掛けて来た。

「貴方、ノンケでしょ? 冷やかしならお断りよ」

「一夜限りの相手をしてくれるなら女でも男でもどっちでも良い。――抱く方専門だけど」

「あら、クズな発言ね」

「駄目か? 駄目なら他所を当たる」

 俺が席を立とうとすると引き止められた。

「最初からクズを公言するなら構わないわよ。一夜限りを求める子もいるしね?」

 席に座り直すと酒を出された。

「初めての来店に感謝を込めて。サービスよ」

 礼を言って口を付ける。

「貴方、おかしな性癖だったりするの?」

「普通だ」

「どんな子がタイプ?」

「おかしな性癖がない奴なら、誰でもいい」

「ふふっ……じゃあ、私でも良いわけ?」

 マスターは、ケバい化粧をして台なしにしているが男らしいイケメンだ。俺よりも厳つい身体をしている。いかにも男って感じだ。年齢は大して変わらなさそうだ。

「――俺が抱く方なら、別に良い」

「へぇ……?……じゃあ……お願いしようかしら?」

「ああ」

 マスターは一瞬驚いた顔をしたけど、にっこりと笑って頷いた。



 二人でラブホテルに入って先にシャワーを浴びる。準備があるからと言ってマスターが浴室に向かった。

「なぁ、化粧は落とせよ」

 俺がそれだけを言うと驚いた顔でまじまじと見てきたが、わかったわと了承した。

 結構長いシャワーだった。

 ガウンを纏った姿で戻ってきたマスターは、大工の頭領ですと云った方がしっくり来る見た目だ。

 太い手首を掴んでベッドに押し倒す。

「キスは?」

 一夜限りだと嫌がる相手もいるから聞いておく。

「――私と、キスするつもりなの……?」

「駄目か? 駄目ならしない」

「…………いいわ」

 顔に手を当て最初は触れるだけのキスをする。

「男は初めてだ。駄目なとこがあったら言ってくれ」

 そして、もう一度触れるだけのキスを何度か繰り返して相手が焦れてきた辺りで、深くゆっくりと口付ける。

「ふっ……ぁ……」

 ゆっくり、じっくり丁寧に舐め上げる。

「あっ……ちょっ……!」

「何だ」

 唇は離さず問い返す。

「うっ、まっ……んぁ……」

 話そうとするタイミングで深く口付けて、話させない。

 マスターの顔は真っ赤になって眼が蕩けている。

 口付けたまま立派な胸に手を這わせ、立ち上がった乳首を何度も掠める。その度に身体がヒクリと震えた。

 何か言いかけるたびに、舌を吸い上げて宥めるように舐めてやる。俺の腹にマスターの勃起したナニが当たっている。

 音を立てて唇を離すとマスターは粗く息をしていた。頰を伝って耳元に唇を寄せる。

「――なあ、卑猥な言葉は言うなよ……萎える。あんたはただ、気持ち良ければ感じていれば良い、気持ち良くなければ何もするな。感じてる演技なんかするなよ?」

 耳をピチャりと音を出して舐めてやると、ビクリと体が跳ねた。

「ひゃ……ゃい……」

「いい子だ……可愛いな……」

 囁やいて、ねっとりと耳を舐めてやる。わざと音を立てて執拗に。

「ぅ……ぁあっ……!」

 舐めるたびに、びくびくと身体が跳ねる。

 小さな乳首を何度も指の背でなぞりながら一頻り耳を虐めてやると、鳴きながら両足を擦り合わせるようにして悶える。

 へぇ、男でも可愛い反応するんだな……

 首筋を軽く吸い上げながら胸を目指す。

 乳首の側に来ても吐息を吐きかけるだけで触れてやらない。その直ぐ側を舐めてやる。

「ん……うぅ……」

 彼は両足をもじもじさせながら熱の籠もった眼で俺を見る。……何かを期待しながら。

 その眼を見据えたまま、殊更ゆっくりと小さな乳首を舐め上げる。

 彼の身体が震える。眼を離さずに唇と舌で突起を虐めてやると、ピクピクと反応する。指で掠めていたもう片方の乳首に軽く指を乗せ撫でるようにクリクリと転がしてやると、大きく身体が跳ねた。

 その瞬間に反対の乳首を強めに吸い上げる。

「んぁああぁっ……!」

 高い声を上げて胸がしなった。

 口を離して耳元で囁く。

「……どうした? そんな可愛い声を上げて……」

 舐めていた方の乳首も同じ様にクリクリしながら問う。

「ひゃ……ぅ……っ……!」

「こうされるの好き……?」

「ふ……んぅ……っ……」

「フフっ……かぁわいいな……」

「ゃ……やぁ……!」

 何か、彼が軽くイッてる気がする……

 立ち上がったそれに、漸く触れてやると腰が跳ねる。

 自分以外のこれを触るのは初めてだ……デカさも長さも形も違う……じっくり観察しながらゆっくりと扱いてやる。身体の割には意外と小さめだ。ピクピク震えて、なんかいじらしいな……濡れそぼってる先端を親指で優しく撫で回す。

「……は……あぁ……んっ……」

 マスターの表情を見ると切なげに眉を寄せている。

 反対の手で根本をやや力を入れながら撫でて、袋も揉んでやる。腰がますます跳ねる。一頻り袋を揉み上げてスルスルと尻の穴を撫でる。

「ふっ……!……」

 あらかじめローションを仕込んできたのか……ヌルヌルしてる。指を……つぷつぷ入れてやると穴がキュッとしまった。でも中の方はふわふわと柔らかい……足元に転がしておいたローションを手に纏わせ、指を一本差し込む。全体のふわふわした壁を小刻みに擦り上げながら……俺の身体を足の間に入れる。

「……ん……ぅ……う……ぅぁ……」

 マスターは俺の指を……きゅむ……きゅむ……絞めながら悶える。

 片脚だけ持ち上げ、太腿の内側の柔らかいところに唇を這わせながらマスターを見る。熱に浮かされた眼と眼が合った……笑いながら眼を離さずに内腿に吸い付いて舌を這わせると……ビクリと震えた。穴に入れた指を痛いほど絞め上げてくる。立ち上がったまま涙を零すマスターのナニを強めに扱き上げてやると簡単にイッた。

「う……うぁぁっ……!」

 出したものを纏わせながらゆるゆると扱いてやると腰が小刻みに震える。

 後ろの穴の指を一本増やす。難なく飲み込んだ。穴を拡げるように指を廻しながら……中の柔らかい肉を擦り上げていると感触が違う部分に触れる。

「んあぁっ……っ……あぁっ……あっ!」

 鳴き声を上げながら身体が、びくびくと大きく跳ね上がる。ああ、前立腺とか云うやつかな……?

 そこを執拗に指で撫でたり、とんとん叩いてみたりいろいろ試しているとマスターは激しく身悶え、鳴きまくった。更に指を増やし虐める。

「ぁあっ……!……やっ!……お……おねがっ……!……もうっ……いれてっ……よおぉっ……!!」

 マスターが涙を流しながら熟れきった顔で懇願して来る。挿れた指はその儘に、耳元に口を寄せて囁いてやる。

「まだダメ……こんな小さな可愛い穴に俺のを挿れるんだ……傷付かないように……もっと、拡げなくちゃ……な……?」

「あああっ……んぁ……あぁん……!」

 マスターは身体をびくびく震わせてまたイった。

「……イったのか……?……お前の可愛い穴が……俺の指をぎゅむぎゅむ絞めてくる……」

 マスターは、荒い息を吐きながら小刻みに震えていた。

「……ホント……何か……可愛いよな……あんた……」

「ううぅ……っ……っ……!!」

 耳元で囁いてやると益々震える。

「……ゃああぁ……か……かわ……い……って……いわ……なっ!」

「……可愛いって言われるの……恥ずかしいのか……?」

 マスターはコクコクと首を振った。

「違うだろ?……可愛いって言われると……」

 耳を舌で嫐る。

「……感じるんだろ……?」

「んああぁぁっ……っ……!!」

 また、びくびくと震えた……イったよな……?

 彼は顔を真っ赤にして涙を零しながら、はぁーはぁーと荒く熱い息を吐く。

「……お……ねが……い…………もう……挿れ……て……」

 弱々しい懇願に、そろそろ虐めるのは止めてやろうという気になった。身体を起こし穴から指を抜く……転がしておいたコンドームを開け装着する。

「……ぅ……そ…………」

 それを蕩けきった眼で見ていた彼の眼が、俺の股間に釘付けになっている。

 高さが合わないので枕を彼の腰に敷く。ヒクつく穴にピトリと先端を充てがって……ぬるぬると擦り付ける。彼に覆いかぶさるように片手をベッドに突いて自身の身体を支え、彼の顔を覗き込む。

「……ちょっとデカくて、……ちょっと長いけど……上手に喰えよ……?」

 俺がニヤリと笑うと彼の顔が引き攣った。

「……ちょっと……じゃ……な……んんっ……」

 皆まで言わせずキスで口を塞ぐ。

 ぐぐっと腰を進めると……ちょっとキツかったが……ぬぷりと先端が入った。

「ん゙ん゙ん゙~っっっ!」

 深く口付け彼の嬌声を呑み込みながら、小刻みにゆっくりと奥に進む……行き止りに辿り着いてそこで一旦腰を止め、唇を開放してやる。

「はっ!……はっ!……」

 彼は引き付けでも起こしたかのように涙を流しながら浅い息を吐き出す。頭を撫でたり胸を撫でながら落ち着くのを待った。

 俺は繋がっているところを見る。

「……全部は無理だけど……上手に呑み込めてるな……」

 男の後の穴に俺のがずっぽりと入っている……

 中は熱くて……柔らかく俺を包んでぎゅうっと絞め上げて離さない。

 漸く落ち着いた頃を見計らって、小刻みに動かし始めると彼は身を捩りだす。

「あ、……あぁぁ……っ……!」

 良い所に当たっているのか、びくびくと跳ねる腰を押さえ付けて、腰をゆるゆると動かす。

 ……中、気持ちいいな……

 カリ首が入り口に引っ掛かるまで抜いて、またゆっくり沈める。それを何度も何度も繰り返した。

 彼は嬌声を上げて鳴き続け、俺に縋り付いて涙をボロボロ零してイきまくった。俺が達した頃にはとろとろのくたくたで……ぼんやりと空を見ていた。

 上から覆い被さるようにぶ厚い身体を抱き締めて顔中にキスをする。

 人肌に飢えている俺は頭を撫でたり身体中を撫でたり、立派な胸に頬擦りしたり、ここぞとばかりに堪能する。

「――すごすぎる……」

 漸く戻ってきた彼が、ぼそりと力なく掠れた声で零した。

 俺は、にこりと笑って唇にキスをして彼を見詰めた。力の入らない彼の眼が揺れる……

「……こんなの……愛されていると……勘違いしてしまうわ……」

 そう言うと彼の顔が泣きそうにくしゃりと歪んだ。

 彼の頭を胸に抱き締めてベッドに横になる。

 その頭と広い背中を撫でながら、彼が寝付くのを待って俺も寝た。



 朝、目を覚ますと抱いていたはずが抱き込まれて寝ていた。逞しくてぶ厚い身体は安心感があって、酷く心地良かった。ぶ厚い身体に抱き付いて立派な胸に顔を埋める。

 傍から見たら俺の方が抱かれた後みたいだな。

 そうしている内にマスターが目覚める。

「おはよ」

 寝惚けている彼に触れるだけのキスをする。

「……ぁな゙た……タチが……ゎるいわね゙……」

 顔を顰めて、ガサガサに掠れた声で落とされた。

「……いきなり酷くないか?」

 水を渡して二人で身体を起こす。

「だってそうでしょ? 一夜限りの相手に、まるでラブラブな恋人みたいなセックスに朝チュン! 酷いのは貴方よっ!」

 マスターに、じとりと睨まれる。

「何で? 俺は抱く相手は可愛がりたいんだよ。実際、あんた可愛かったし」

「なっ……!」

 マスターは顔を真っ赤にして俯いた。

「……本当に質が悪いわね……こんなんじゃ相手が貴方に本気になっちゃうじゃない! トラブルの素だわ!」

「本気になったの……?」

 俺はマスターを見詰めた。俺は今、きっと情けない顔をしている。

「……何よ……?……その顔……」

 マスターは跋が悪そうに視線を反らした。

「……シャワー、浴びてくるわ……」

 マスターは、そう言って素っ裸のまま覚束ない足取りで浴室に逃げた。

 彼の言うことは分かる。いつも一夜限りの相手をあんな風に抱くから相手に執着される……

 解っていても変えられない。俺が淋しいのだ……人肌が恋しいから、こうやって相手を探して歩くことになる。

 今はまだ若いからいい。その内誰からも相手にされず本当に一人になる……

 ベッドで胡座をかいた自分の脚をぼんやり見詰めていたら、いつの間にか服を着たマスターが立っていた。

「――貴方もシャワー浴びたら?」

「――ああ」

 俺は、のろのろと立ち上がって浴室に向かった。

 もう帰っただろうと思っていたマスターがソファに座って待っていた。

「……ねぇ、またお店に来る?」

「……何で?」

「もし来るなら、お店のお客には手を出して欲しくないのよ。絶対揉めるから……」

「分かった………もう行かない」

「ま、待ってよ! 別に来るなってことじゃないわよっ。お酒を飲みに来るのは構わないわよ……私はずっとお店に居るし……話し相手くらいには……なるわ……」

 マスターが慌てたように言ってくる。

「でも、俺は人に触れたいんだ」

「っ……! わ、私を触ればいいじゃないっ……そのくらい触らせて上げるわよっ……」

 マスターは顔を赤くしてそっぽを向いた。

 でも、そうしたら――――


 あんたも、居なくなるんだろ……?


「――そう……だな。また行くよ……」

 行くつもりはなかったけど、そう嘘を吐いた。



 それから、半年程が経った。

 マスターの店には行っていない。だけど、時々思い出す……抱き締めて、抱き締められた時の安心感を。

 俺はマスターに会いたいのだと、この頃になって実感した。

 だけど、マスターが大事な人になってしまったら……また、失ってしまうかもしれない……

 それが、怖い……

 相変らず夜の街をぶらつく。いっそ風俗にでも行こうか……? でも玄人は感じている演技が嫌だし、時間になった時の変わり身の早さが嫌だ。

 もし、今度失ったら……今度こそ一緒に逝こうか……? それなら……マスターに会いに行っても良いんじゃないか?

 凄くいい考えだと思った。

 足は自然にマスターの居る店に向いた。

「やめてっ! いい加減にしてちょうだいっ!」

 マスターの店に着くと、店の奥の方からマスターの怒声が聞こえた。姿は見えないが店に居る客や店員らしい男の様子から、何か揉めているのが分かった。

 状況が解らないので一旦席に着く。

「はっ、お前だって本当は好きだろう? 隠すなよっ!」

「ふざけないでっ! 貴方と一緒にしないでよっ!」

 奥を気にしながらも店員がおしぼりを出してくる。

「何、揉めてんの……?」

 店員に尋ねると奥と俺を交互に見ながら答えてくれた。

 店員が云うには、最近来始めた客がマスターが自分に気があると勘違いして、俺のことが好きなんだろ? と上から目線で言い寄って来るのだとか。

 しかも相手は加虐嗜好で、マスターを被虐嗜好だと決め付けて店の中でマスターを罵ったり、奴隷のように扱おうとするらしい。出入り禁止にしても毎日のようにやって来て無理矢理店に入り、ああして迫って来るそうだ。

「警察呼んだほうが良いんじゃない?」

 俺が言うと他のお客様の迷惑になるからとマスターに止められていると言う。

「ちょっとっ! やめてっ!……痛いっ!……離してっ……!」

「いいから黙ってついて来いっ! お前には躾が必要だ!」

 奥から、マスターよりも頭一つ背の低い細身の男がマスターの髪を根本から鷲掴みにして引き摺るようにして出て来た。マスターは痛そうに顔を顰めながら必死に髪を掴む手を外そうとしている。

 それを見て頭に血が登った。

 気が付けば、俺は男の腹を力加減なしで蹴り上げていた。

「うゴッ……!!」
「痛っ……!」

 床に倒れた男はマスターの髪を鷲掴んだ手を離さなかった為に、マスターまで髪を引っ張られて床に倒れた。

 あ、ごめんマスター……離さないこいつが悪い。

「さっさっとその汚い手を離せよ、豚野郎」

 マスターの髪を掴んでいる男の腕をぎりぎりと踏み付けた。加虐嗜好の奴は痛みに弱い。

「痛えぇっ!!……やめろ! 何しやがるっ……!?」

「さっきから、マスターもやめろって言ってるだろ?」

 まだマスターの髪を離さないので更に踏む力を強くする。

「ち、違うっ……! 誤解だっ! 俺達はこういうプレイが好きなんだよっ! 同意の上だっ……!」

「同意なんかしてないわよっ……!!」

 マスターは、掴まれた髪が余程痛いのか目をきつく閉じながら叫んだ。

「同意なんかしてないってよ」

「SMのプレイだっ……! 嫌よ嫌よもってやつだっ!!」

「そんな訳ないでしょ!? 貴方の性癖と一緒にしないでよっ……! この変態っ……!!」

「いでででででっっ……!!」

 更に力を入れて腕を踏み躙ると漸く髪を離した。

「は、マスターに被虐趣味なんてねぇよ。マスターは、トロっトロに溶かされてドロっドロに甘やかされんのが好きなんだから、な?」

「――え……?」

 マスターは顔を歪めながら頭を押さえていたけど、そこで始めて俺に気付いて惚けたように俺を見た。

「また来たよ」

 俺がにっこり笑って言うとマスターの顔が泣きそうに歪んだ。

「貴方っ……! 来るのが遅いのよっ……!!」

 マスターは、床に座り込んだまま俺の脚に抱き着いて来た。

「なあ、マスターは俺のだからさ……手を出すのやめてくんない?」

「痛えよっ……! いい加減に足退けろっ!!……大体、俺が店に来る度に色目使って来たくせにっ……! 俺が来るのを待ってたんだろうがっ!」

「違うわよっ!! 私が待ってたのはこの人よっ……!!」

 マスターが男を睨みつけて怒鳴った。女言葉だが声はがっつりドスの利いた男の声だ。

「ああ゙っ!? 本当に素直じゃねぇなっ!?」

「何なのっ!? コイツ……! 話しが全く通じないわっ!!」

 マスターが最高潮に苛立っている。

 俺は腕から足を退け、四つん這いになっていた男の腹を蹴ってひっくり返す。そして男の股間を踏み付けた。

「ぎゃぁあああっ……!!」

「躾が必要なのはお前の方だな」

 凄い悲鳴を上げて暴れる男の股間を更に踏み躙る。

「や、やめろぉっ……っ……!!」

「マスター。マスターもやりなよ? 被虐趣味じゃないって証明しなきゃ、だろ?」

「――そうね……加虐趣味でもないけど……仕方ないわね」

 マスターは、今迄の鬱憤を晴らすようにゲシゲシと男の股間を踏み潰し、最終的に男が泣いて謝るまで止めなかった。

 男がヨロヨロと内股で店を出て行くと、店先に塩を撒いていた。

「大丈夫?」

 マスターのぐしゃぐしゃになった頭を撫でてやる。

 マスターは顔をくしゃくしゃにして俺に抱き着いて来た。厚みは彼の方があるけど背の高さは俺の方が拳ひとつ分くらい高い。俺の首筋に顔を埋めて鼻を啜った。

「ずっと待ってたのに……やっと来たっ……!」

「うん。マスターを食べに来た」

 そう言うと抱き締めてくる力が更に強くなった。



 その日から俺とマスターは付き合い始めた。

 三ヶ月程経ってから俺のマンションの部屋で同棲するようになった。

 彼は料理も上手で性格も合って、二人の生活は上手く行っていた。

 一度彼が遠くの実家に帰省した時は、落ち着かなくて不安で不安で堪らなかった。戻って来ると言っていた時間に戻らず、メッセージを何度送っても既読が付かなくて俺は恐慌状態に陥っていた。

 予定より三時間程過ぎて戻って来た彼を震える身体で縋るように抱き締めて、彼を散々貪った。

 あまりにも俺の様子がおかしかったので、問い詰められて彼に全てを話すことになった。彼は俺を抱き締めて次からは絶対連絡すると約束してくれた。

 そして半年が過ぎたある日、家に帰ると別れの手紙と合鍵がテーブルの上に置かれていた……

 俺は、力が抜けて床にへたり込んだ。

「ははは……死ななくても…………失うんだな…………」



 後から、彼の店の近くに行ったら店はなくなっていた。

 彼と二人で過ごしたマンションの部屋が辛くてアパートに引っ越した。暫く経ってから彼の店の常連と行き合って、彼が病気で亡くなったことを知った……


 別れを告げられた後では、彼を追うことも出来ず……俺はまた、仕事をして食べて寝るだけの人間になった……



 ――ただ、大事な人と一緒に居たい。


 たったそれだけの望みが叶わない。


 ――俺には神様などいないのだと思い知った。










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