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『節制』

仮面ライダー誕生まで、あと六日

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 歴史国道、白銀坂。 
 姶良市脇元から鹿児島市牟礼ヶ岡まで続く石畳の坂道は、昔、薩摩と大隅を二分する国境であった。戦国時代、数々の島津家の武将がこの坂に陣を構えたそうな。
 全長約四キロのこの坂は、現在約2.7キロの道のりが残っており、高低差は300メートル以上。中腹には「七曲り」といわれる急勾配の箇所に石畳が敷かれ、今でも昔の面影を残している、(姶良市観光協会より)

 しかしこのときの俺は知らなかった。行けるだろうと軽く考えて、入山した。
 結果、俺は今ミコにネチネチ文句を言われている。

「だから本当に行けるのって何回も聞いたじゃん!」
「行けるって書いてあったろ、あの看板に!」

 坂のスタート地点に確かに書いてあったんだ、ここから草牟田という所まで道が続いている、2、7キロだと、二時間くらいで着きますって。ご丁寧にデカい地図まで描いてあった。
 なのにどうしてだ。JAの森なるフォトスポットのベンチの上で俺は正座させられている。
 正面で仁王立ちのミコがわざとらしく眉間を揉んだ。

「実際、ここから行けそうと思うの?」
「実際も何も行けるって看板に書いてあったろ」
「その看板、ミコ見てない。満点の星見てたもん」

 ビシッとミコが空を指差した。残念ながらここはJAの森、空は木々に阻まれよく見えない。
 されどもこちらはフォトスポット、空ではないが、間伐で木々が遮らぬ場所がある。このベンチの正面だ。
 そこから見える景色は、今にも夜が明けそうで、星空点数が右肩下がりで急降下中。反対に暗くて見えなかった輪郭がはっきりとし始めた。

「なあ、それミコも悪くないか?」
「何で!? ミコはにぃにを信頼してお任せしてたの? 信頼を裏切ったにぃにが悪い!」
「いやいや、それは丸投げと言うんだぜ、ミコ」
「違うもん!」
「あいこにしよう、ミコ。よく看板を見なかった俺も悪い」
「……一緒に確認しなかったミコも悪い?」
「ああ、だからあいこだ。ミコ後ろ見てみ、朝だ」
「……きれい」

 ここから見える景色に俺達は魅入った。
 桜島の麓から顔を出した朝日。錦江湾に現れた光の道が俺達の方へまっすぐに伸びてきている。その光の道を一隻の漁船が横断し、養殖の生け簀に停泊した。
 湾の海岸線をなぞるように電車が走り、トンネルの中に消えていく。
 自然の額縁の向こうで、社会の「いつも」が始まった。
 ミコが俺の隣に座って体重を預けた。

「……にぃに」
「ん?」
「お腹空いた」
「カップラーメンでいいか?」
「朝から!? ブラボー!」
「湯が湧くまでこれ食っとけ」
「ポポポポッッップコーーーン!!」
「あの施設で拾っておいた」
「にぃに、ブラボー!」

 俺達は満腹感を覚えながら下山した。
 ミコの言う通り道は続いていなかったのだ。
 それでもミコは楽しそうに石畳の上を跳ねるように下り、道の脇に流れる小川に木の葉を流して遊んでいた。

 そして二時間前と同じ場所に出た。
 明るくなって見た看板にははっきりと4キロ中2,7キロ残っていると明記してあり、地図は道が使われていた時代の資料だった。

「ほらみーほらみー。行けんちよー」

 ミコは煽るように地図に色別で示してあるフォトスポットまでの道のりを指でなぞる。
 さすがの俺もそれにはカチンときて、無言で踵を返した。

「あーもう。ごめんて、にぃに。あいこでしょ、ね。 あいこ。あ、ジャンケンする?」

 その焦りようが面白かったから、俺はもう少し無視してやることにした。
 ミコはいよいよヤバいと焦りだし、右から左から話しかけ気を引こうとチョッカイを出し、例のごとく下ネタを連発した。
 そんなときだった。一人のおじさんが話しかけた。

「おはよう! 朝から登山ね。若い子は元気だね~」
「おはよう。おじさんも朝から元気だね」

 ミコは朗らかに挨拶を返した。
 このおじさんが俺の気を引くのに使えると思ったのだろう。確かに俺はこのおじさんが気になった。
 首から下はがりがりに痩せているのに、肌は艶やかで日本人っぽくない顔立ち、おそらくハーフなのだろう。

「おじさん、日本語ペラペラだね」

 ミコがにこやかに言うと、おじさんは嬉しそうに笑った。

「そりゃ、生まれも育ちも日本だからな」
「あ、ハーフだ」
「いや、純かごんま人よ」
「うっそだー、ね、にぃに? 嘘つきだよこのおじさん」
「嘘じゃねぇ。ちょっと化粧はしてるがな」
「オゥ、マジでか」

 まさかのびっくり発言にミコが一歩引いたが、俺も一緒に反応したのを見逃さなかった。

「……最近のシニアは化粧するの? 進んでるぅ!」
「ああ、するぞ。近い将来、シニアとか女性だけじゃなく、老若男女がその日その時の自分本来の美しさを表現できる世の中が来る、と俺は確信している」
「じゃあ、今、おじさんは好きな顔になってるんだ」
「ああ、ヒュー・ジャックマンだ!」

 まるでエンターテイナーのようにYの字に両手を拾げ、眩しすぎるほどの笑顔を迸らせる、このおじさんには悪いが俺は言ってしまった。

「「だれ?」」

 ミコとハモった。

「にぃにもそう思うよね!? おじさん、誰!? ヒューなんとかって誰なの!?」

 弾けんばかりにミコがおじさんに質問攻めをする。
 おじさんはその勢いにたじろぐも、ヘラッと肩頬をあげた。

「知らんのか? ハリウッド俳優だぞ」
「知らん」

 俺が答えると、ミコも嬉しそうに「知らん」と台詞を被せた。
 するとおじさんは肩を落としやれやれと首を振って「見たことはあるはずだ」と腰を落とした。

「ウヲオオオオオオオ!!」
「ッ!? ミコ!」
「う!」

 俺達は弾かれたようにその場を離脱した。
 ヤバい、あのジジイ、ヤバい。
 シンキの可能性を失念していた。幸神会の施設で子供しか見たことないから、全く警戒してなかった。

 俺とミコは全力で逃げ出した。
 シンキには見た目の年齢が全く当てならないことをいつの間にか忘れていた。
 隣にいつもミコがいるのに。

 結局、また白銀坂まで戻ってきちまった。
 まあ、でも逃げ込めるのはここしかなかった。
 あのシンキのジジイと会ったのはここを降りて少し歩いたところ、二十五メートルプールくらいの田んぼと公園があった場所だった。そこは小学校が近く、住宅が多いから人目がある。加えて近くに大きな国道が走っている。

 幸神会の連中が大挙して俺達を包囲していた可能性を考えるとゾッとした。

 下に比べてここは険しい山の中。道は石畳で整備されているとはいえ朝露に濡れ、ごつごつで足元が不安定。歩く分にはいいが、走るとなるとかなり危険だ。

 でも、俺達は道を無視してシンキ化して突っ切ったが、幸神会の人間連中はそう簡単に上がって来れないはず。
 ジジイシンキはどうか分からない。あの細い足じゃ厳しいと思いたいが、老いぼれてもシンキ、油断は出来ない。

 ……と、思っていたが、誰も来ない。日はどんどん傾いて、今や赤くなった桜島をミコと並んで眺めている。

「普通のじいさんだったのか?」
「だったら悪いことしちゃったね」
「降りてみるか」
「う」

 じいさんと出会った場所に向かってみたが、小学生が公園の片隅で固まってゲームしているばかり。
 本当にただのじいさんだったみたいだ。
 いやいや、だとしても急に雄叫びをあげるじいさん、ヤバいだろ。普通にヤバい人だったのか。ある意味、逃げて正解だったかもしれん。

「まあ、いいや。そろそろ今晩の寝床を探すか」
「う」

 また俺達は踵を返した。
 自然と足が向いたのは、あの坂だ。人が全然来ないし、眺めがいいし、住んでもいいレベルで気に入っている。今晩もそこで世話になろう。

「にぃに、滝があるって。見に行こ?」
「ああ、まだギリギリ明るいし行ってみるか」

 案内に従う。コンクリの道路が木製の遊歩道に変わり、シダだらけの断崖絶壁が両サイドにそびえる。崖の向こうから恐竜が出てきても俺は驚かないだろう。

 ドドドと滝の音が聞こえ、東屋が見え、滝が見えた。
 案内板によると『布引の滝』と言うらしいそれは、名前の通り、白地の布を引っ張ったように見える。おそらく、水が切り立った崖にぶつかりながら流れ落ちるから白く見えるのだろう。

「ちょうどいい。ミコ、食器と服を洗おう」
「う!」

 俺達は柵を飛び越え滝壺の脇に腰を下ろした。
 昼にも使った食器を洗い、ずっと着っぱなしでそろそろ臭い服を脱ぐ。念のためと更生施設で拾っておいたタオルを腰に巻いておく。
 さすがにミコはそれじゃ不味いので、メンズのTシャツを着させてやった。もちろんこれも拾ったヤツだ。
 じゃぶじゃぶと洗っていると怒号が俺達の背を叩いた。

「おい! 何してんだ、お前ら! ……って今朝のあんたらかい、何してんだよ」

 あのじいさんだ。

「そこ、立ち入り禁止だから、戻ってこい!」

 やいやい言うので、言う通り戻る。洗濯はもう終っていたし。
 じいさんは口をへの字にして俺達を見た。ミコを俺の後ろに隠す。しかしじいさんはミコをチラッと見ただけで、すぐに俺の目を見つめ、一つ大きなため息を吐いた。

「何か、訳があるんだろう? いや、いい。聞く気はない」

 こっちも言う気はない。
 じいさんが腕を組んでうんうんと何事か考え出した。
 その様子を俺はじっと観察する。ジジイの肩が上下していた。
 その年だ。自分の体力のなさは知っているはず。なんでここまで来たんだ?
 俺達がここにいるのを……警戒すべきか。しかし、その体では俺達に何が出来る。

「ちょっと、腕を見せてみろ」

 じいさんが俺の二の腕に手を伸ばした。
 このジジイ、そっちか! ミコに目が向かないのも納得だ。
 俺は腕を引いて、掴まれるのを回避した。
 ミコが俺の背から顔を出して、「おお!?」と目を輝かせている。

「おお、すまんすまん。ちょっとチェックしとこうとな。うむ、かなり鍛えられていると見える。なあ、どうせ行くとこないだろ。ウチにこい。雇ってやる」
「はぁ!?」

 何言ってやがる、このジジイ。専属娼夫になれってか。

「ふざけんな。誰がジジイなんぞと。あいにくその趣味は持ち合わせてねぇ」
「は? 何言ってんだ?」

 心底分からんと言った具合に顔を歪ませる。
 マジかよ。俺がそっちだと信じてやがるのか? そんなサインを出した覚えは一度もねえのに。

「兄ちゃんの趣味は知ったこっちゃないが、行くあてがないなら付いてきてくれ。俺はこれから、恩人と一緒に国と戦うんだ」
「はぁ!? 待て待て待て! マジで何言ってんだ、ジジイ!」
「選挙カーを作る! 力仕事だ。どうせ行くとこないんだろ? 雇われてくれよ」

 ミコがキラキラした目でうんうんと頷いている。
 俺は大きなため息を付いた。

「お宅の洗濯機には乾燥機能がつていてますか?」
「脱水なら出来る。明日は晴れだ。洗濯物ならすぐ乾くさ」

 ジジイが片頬あげながら、踵を返す。
 ミコが俺の背中を押した。
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