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『勇気』

嘘と期待

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「ここで働かせてください」
 ミコと二人で腰を九十度に折る。
 困惑と警戒を脳天から感じた。

 準備中の看板を掲げているのに店に入って来て、開口一番「働かせろ」と言われたのだから無理もない。
 店の主とその女将さんが作業の手を止めて固まっている。
 先に動いたのは女将さんだった。

「えっと、バイト希望の子?」
「はい。バイト希望です。さっき募集の張り紙を見まして」

 店の入口にA5の紙が貼ってあった。
 そこには確かに『アルバイト募集』の文字が印刷されていた。
 店内の壁に貼ってあるものと同じデザインで。

「どうします? お父さん」
「と、とりあえず面接だろ? 面接だ面接」
「そうね、そうよね。じゃここに座ってくれる?」

 お父さんこと店主が厨房から出て来た。
 俺とミコの対面に店主と女将さん。

 俺は背筋を伸ばし胸を張る。
 対面の二人には見えないだろうが、足は肩幅程度に開いて、膝に軽く握った拳を乗せた。
 ミコも俺の真似をして姿勢を正したが、足は閉じてやる。

「えっ、えーっと、じゃあ志望動機はなんですか」
「お金を稼ぐためです」
「何か欲しい物でもあるの?」
「温かい服と十分な量の食料、あと屋根付きの家です」

 店主が眉をひそめた。
 体重を椅子の背もたれに預け腕を組む。

「……君、高校生だよね? あとお嬢ちゃんは……」
「十七です。コイツは十四です」

 店主の深いため息が俺の焦燥をかき立てる。
 正直に答えすぎたか、高望みし過ぎだったか。いや焦るな。
 また次を探せばいい。
 最初からダメ元だったじゃんか。

 店主に変わって静観していた女将さんが背筋をピンと伸ばした。
 体はミコの方を向いている。

「学校には行ってるの?」

 忘れていたが今日は平日だった。

「行ってません」

 ミコははっきりと答えた。

「あなたも?」
「はい」
「……そう。バイトする理由、聞いてもいい?」
「お金がーー」
「そこじゃなくて。もっと前の」

 まっすぐ向けられる目。
 そこには同情も哀れみもない。
 あったのは呆れと怒り。

 作業服の俺とワンピースのミコ。
 兄妹と言い張るには顔の作りがまるで違う二人。
 ぎっしり詰まったリュックとむき出しの毛布。

 社会人と中学生の駆け落ちと思われたか。
 同情を誘って住込と賄いをゲットしようと思ってたが、考えが甘かったな。
 ここで、やっぱいいですなんて言って出て行ったら間違いなく通報される。

 残された選択肢は「この人の思い込みを変えて住込と賄いをゲットする」のみ。
 さて、俺に人の考えを変えるほどのトーク力があるといいのだが。

「……俺達に親は居ません。孤児です。ほんの数ヶ月前までは施設で暮らしていました。
 しかし、ある時、急に施設から追い出されました。
 経営資金と口減らしのために売られたんです、この会社に。」

 作業服の刺繍を指差した。
 店主の背が背もたれから離れた。
 よしよしよし。

「コイツにも買い手がいたのですが、俺を兄のように慕うコイツが泣くのは、どうにも我慢できず、一緒に施設から逃げました」

 俯くミコ。タイミング、ブラボーだ。

「そこの労働環境は最悪でした。朝から晩まで働いても給料は五百円を越える事はなく、押し込まれた部屋は風呂なしの六畳一間。一日の稼ぎは、銭湯で半分以上が消えます」

 女将さんと目を合わせると、目を伏せた。
 変な疑いをかけた事を申し訳なく思っている様子。
 よしよしよし。

「そんな毎日をなんとか乗り越えていたある日、コイツの居場所がバレてしまったんです。それで……逃げて今に至るんです。
 身勝手なお願いである事は重々承知しております。ですがどうか、俺に職をください」
「私も、掃除と皿洗い出来ます」

 俺とミコは二人そろって頭を下げた。
 売られた事以外は全て事実だ。
 さあ、どうだ。

「……はぁ。おっともうこんな時間か。まだ準備が全然終わってなかったんだった。急がないと開店に間に合わんぞ」

 厄介ごとには関わりたくないってか。
 ミコがワンピースのスカートの裾を握りしめる。
 俺は顔を上げぬまま荷物に手を伸ばし、椅子を引いた。

「今から入れるんだろう? 早く荷物置いて、厨房手伝ってくれよ」
「ほら、あなたもよ」
 
 俺とミコは顔をみ合わせた。

「「はいッ!」」

 部屋を与えられた。来客用の部屋だった。
 広さは五畳半。
 前よりも狭くなったが、代わりに風呂とリビングその他諸々を得た。

 俺は厨房であくせく働いた。
 やる事が多すぎる。覚える仕事が多すぎる。 
 機械の代わりにされた工場とは大きく違う。

 ミコは人生初の労働に張り切りまくり、天真爛漫に明るさを振る舞いていた。

 ミコは終止楽しそうで、配膳したラーメンを客の真横で凝視して涎を垂らしては、餌付けしてもらって、女将さんに怒られ。
 注文取りに行くと「ラーメンとは何ぞや」と客と一緒に考え込んで女将さんに怒られ。
 ラーメンをこぼしてしまったときはこの世の終わりのような絶望しきった表情で立ち尽くし、女将さんに怒られ。
 もったいないと拾って食べようとして店にいた全員から怒られた。

 こんな感じでミコは一日にして店の看板娘になった。

 そして俺達は貸してもらった二階の居住スペースの子供部屋で横になった。
 ミコはベッドで俺は床に布団を引いて、羽毛布団まで貸してくれた。

 ホント、ブラボー。
 これ以外に感謝の言葉が見つからない。

「にぃに、まだ起きてる?」
「ああ」
「楽しかったねぇ!」
「ホント、楽しそうだったな」
「ミコ、初めてだったから。バイト、憧れてたんだよぉ」
「そうか。厨房はめっちゃ忙しかったぞ。今でもピピピってタイマーの幻聴が聞こえる」

 たまに車が通ると、カーテンから漏れたライトの明かりが真っ暗な天上の上を走る。

 一階の食堂では夫婦が頭を抱えていた。
 妻のスマホには娘の電話番号が、夫のスマホには児童相談所『はぴねす』のホームページが、それぞれ映し出されている。

『だから、お母さん、孤児を勝手に養うって絶対にヤバいって』
「うーん。でもねぇ。いい子達なのよ。元気で明るくて」
『そりゃそうよ。愛想良くして気に入られなきゃいけないんだもん。当たり前よ』
「でも、播磨君はそこまで愛想良くなったぞ。黙々と仕事してくれたし、ありゃ職人基質だな」
『お父さんまで!?』
「それにね、ミコちゃんはもうお店の人気者になったのよ。売上なんか、あなたがお嫁に行く前日くらいなんだから」
『あのねお母さん。はっきり言う。絶対止めて。確かにその孤児の話が本当なら同情する。可愛そうよ。でも、その話が本当だとしたら、そのミコちゃんを買った人が取り返しに来るわよ、絶対。話し合いで解決できる問題じゃないかもしれないのよ、人身売買するような人なんだから。だからお願い。考え直して』
「それはもちろん考えたさ。情けないが、ミコちゃんを買い戻すお金も力もない。俺達ができるのは少しでも安全な所に保護して貰う事なんだ」
『お父さん』
「あなた……」
「……じゃあ、かけるぞ」
 プルルル、プルルル、プルル、ガチャ。
 『はぴねす』に全てを話した上で保護を願い出た。

「にぃに、お風呂入った?」
「入ったわ! ……え、臭う?」
「ううん。良い匂い。にぃに、お湯の色、ピンクだったでしょ」
「ああ、ピンクだった。ミコが鼻血でも出したのかと思って急いでミコを呼んだな」
「全裸のにぃに、久々見た」
「ハハッ! で、アレなんだったけ、バスロマン?」
「そう! ん? うん、そんな感じの。女将さんが入れて良いよって言ってね。入れたらメッチャ泡! メッチャ泡だったの!」

 その時、ひと際明るいヘッドライトが天上を駆け抜ける事なく止まった。

 路駐か?
 いや待て、こっちにライトを向けて停まるって可笑しくないか。
 店の駐車場に頭から突っ込まないとこうはならない。

 さらに天上に赤い点滅が加わった。パトカーだ。

「ミコ!」
「う!」

 俺達はすぐに荷物をまとめ始めた。

「くっそ!」

 しかし食料は全て一階の冷蔵庫に入れている。
 着替えも全て洗濯に出してしまったが、これは今着てる店主のお下がりでいい。
 ミコもお気に入りのワンピースではないが、部屋の元住人のお下がりで良いだろう。
 ぶっちゃけそっちの方が生地が良いし。

 リュックはびっくりするほどスカスカだ。
 中はコンロと銀のシャカシャカのみ。

「反対の窓から逃げるぞ」
「う」

 俺達は子供部屋を出て、この家のリビングへと向かい、カーテンを開けた。
 すぐに見つけた。
 闇に紛れるように隠れ、こちらに銃口を向ける武装警察。
 世話になった家だ。ここに迷惑はかけたくない。

「……クソ。ミコ、店主と女将さんにお礼しにいくぞ」
「う」

 踵を返した。
 階段を一段一段降りる。
 嫌みを言うなと自分に言い聞かせながら。

 飯もくれた。風呂にも入れてくれた。布団を敷いてくれた。
 だから、嫌みは言うな。

 一階に降りると、食堂の隅っこで目を丸くして肩を抱きあう夫婦がいた。
 嫌みは言うな。

 既に家の中に入っていた児相職員が俺達に気がついて近づいて来る。
 アイツはあの更生施設で声をかけて来たヤツだ。

「初めまして、奥播磨君、奥ミコさん、岩井です。もう大丈夫。私たちが君たちを安全な所で保護しますから」

 岩井はミコの背を押して車まで誘導しようとした。
 車に乗る前にやる事がある。
 嫌みは言うな。

 言い聞かせながらミコとそろって頭を下げた。

「ありがとうでした」

 俺は言わなかった。
 
「一言言って欲しかった、です」

 代わりにその一言が衝いて出た。
 岩井はスリープモードの機械のように突っ立ていた。
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