黒白の護り手~黒に染まりし運命の娘~

織月せつな

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美扇国――鵜丸 1――

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 クハッ、と相手が吐血するのを見ながら、ズルリとその胸元から鎖状の尾を引き抜く。
 先端が三日月の形に戻ったそれは、先程の攻撃では刺突しやすいように三角錐の形に変化していた。
 溢れる血をこぼすまいとするように両手を添えながら、信じられないといった様相でこちらを見るフィリーネ。
 ロミーは表情の変化に乏しいとされる口元を思い切り笑みの形に引き上げて見せる。そうすることで相手を挑発出来ることを学んでいた。

「困りましたね」

 片方の眉を跳ね上げて嘆息してみせる青年。しかし全く困っていないであろうことは、長くない付き合いながらも察せられた。
 青年が登場したことで、ロミーの役目は宙ぶらりんな状態となってしまった。目的の少女を青年が大事に抱えている以上、ロミーが少女の護衛をする必要はないからだ。

「降ろして下さい」

 ギーゼラの声が聞こえた辺りから、その方向へ振り向くことも出来ずにいたアメリアが、躊躇しながらも頼りない声でお願いをしていたのに、

「申し訳ありませんが、お断りします。危ないですから」
「友人の安否を確かめたいんです」
「今、避難しているところですよ」
「あの、じゃあ私も……」
「お嬢さんはわたしがお守り致しますから、ご安心を」
「えっ……?」

 取りつく島もない状態で、ことごとくかわしてしまっている。
 アメリアが心底困惑した様子であるのに、青年はといえば周囲に花でも咲かせそうなゆるんだ笑顔を浮かべていた。
 それはとても珍しいもの――アメリアの琥珀の瞳と同等くらいに――であったが、ロミーにとってはどうでもいい。
 彼女は暇だった。
 大量の玩具である蜘蛛は消えてしまったし、あの様子だとアメリアを自分に任せてはくれないだろう。
 魔族である自分に怯えたようであったのに、フィリーネの糸で体勢を崩した自分に手を差しのべて助けようとした少女の、真っ直ぐな瞳が忘れられない。
 だから、少女に害をなすかもしれない存在は自分が消してしまおうと思った。
 空腹で行き倒れていた自分を拾い、従魔とした六翼の天遣族が、何故彼女だけ「浄化」とは名ばかりの断罪の消滅術の標的としなかったのかが理解出来なかったが、つまりは自分に与えてくれたのだと解釈する。
 下手をすれば一撃で仕留めてしまうかもしれない攻撃をしたのに、止める気はないらしい青年の様子が、解釈の正しさを物語っていると思われた。

「あ、ああっ……」

 フィリーネが膝をつく。
 ロミーの尾には毒があるのだから無理もない。
 心臓から外れた位置に穴を開けたところで、魔物はともかく、魔族が命を落とすことはない。第一、魔族の心臓は一つではないから、貫くならそこでも良かった。
 ただちょっと遊びたい気持ちが、狙う場所を逸らしただけなのだ。

 フィリーネは油断していた。
 否、失念していたのだ。
 配下というべき仲間が全滅した中、自分だけ生かされている理由を考えると、候補は幾つかある。
 一つは彼女が「八脚」の雌であるということ。種族の中で雌は貴重である。雄が貴重な魔物も存在するが、魔族として率いる立場となると――魔物と魔族の違いは能力の高さであり、また人の姿と似たものとして誕生するか否かという場合もある――稀なものであった。
 蜘蛛の魔物を率いる魔族は三種ある。
 フィリーネの「八脚」の他に「八眼はちがん」と「四刀柄しとうづか」というものだ。「八眼」の主は雄であり、また人の姿をしていない巨大な蜘蛛の姿をしている。「四刀柄」は群れを持たず雌雄二対で行動する故に主だの王だのは存在しない。
 そして「八脚」の雌は「八眼」の主となるものを産むこともある為、それら両方の女王として君臨することもあるという。
 フィリーネは「女王代理」を名乗っているが、これから先に「八脚」もしくは「八眼」の女王となる可能性は否定出来ない。故に、彼女を生かしておけば数多の蜘蛛の魔物たちをも従魔とすることが可能だ。
 或いは、フィリーネを使って蜘蛛の巣まで案内させて殲滅することも。
 他には単純にフィリーネだけを従魔として戦力に加えることや、魔物や魔族のコレクター(主に体の一部)に売り付けることも考えられる。
 天遣族の中には魔物を使役する物好きもいるが、普通は滅する存在としてしか見ていない。ましてや魔族を従魔にするには六翼程に能力が高く、魔族の存在に「肯定的」でなければ不可能だった。そういった者は同じ天遣族の中でも忌まれるものだ。それ故に敵視され処刑されることもあると聞く。
 青年はロミーというサソリの尾を持つ魔族「鎖尾くさりび」を従魔としていることから、他の天遣族から追われている可能性が考えられる。ならば自分を戦力とする確率が高いと踏んでいたのだ。
 ――だが、考えが甘いとばかりに攻撃を受け、フィリーネは愕然としながら、胸元から溢れ出る血の多さに、そして尾に仕込まれていた毒が一気に全身へ回っていく感覚に失望した。
 絶望ではない。失望したのだ。
 自分の不甲斐なさ、弱さに。
 ガツンッ、とロミーの爪先がフィリーネの顎を蹴り上げる。
 膝をつき、倒れそうになったところへの衝撃で、ガチリと歯が鳴り、目の前を火花が散った。
 仰向けになるには相手の力が足らず、横向きに倒れる。
 何気無く目線を上げると、青年に抱えられた腕の中で、まるで心配しているようにこちらを見つめる少女が映った。

 ――だから能力の高い魔族は人の姿を真似て存在するのですわ。
 嘆息するような思いで、フィリーネは心の中で呟いた。
 先程も、自分がロミーを引き倒そうとした際にも、彼女は無意識に手を差しのべていた。相手が魔族だと――人に危害を成すモノであると承知していても、人は人の姿をしたものに対しての配慮がある。魔族とそう変わらない性根の腐った者でなければ、大抵は目の前の少女のような反応を示す。
 そこに付け入るのが悪人であり魔族なのだ。
 少女は……アメリアは優しい。咄嗟の行動、表情、そして何より神子を目指す者は、己の命を民の為に捧げるという自己犠牲を厭わない精神を持っている。であるが故に、人の姿をしているというだけで、腹を空かせた魔族に自ら肉体を食らわせたという神子の話がある。魔族の間でのみ嘲笑を交えた本当に愚かな神子の話として広まっているものだ。
 フィリーネはそれに対して不愉快な思いを抱いた。何故かは分からない。だが、今なら少しだけ分かる気もする。
 犠牲にされようとして、まだ精神の未熟さ故に贄となることを恐れた神子の中で、彼女だけは違った。
 神子を育てる立場となった者たちも、決して我が身可愛さに子供を贄としようとした訳ではなかった。それは、魔物の襲来に混乱する衆人を眺めていたフィリーネだから、気が付けたことだろう。
 幾人かは確かに犠牲となるかもしれない。だが彼らは、先ずは広場に集まっている衆人を逃すことを優先としていた。微力ながら魔物の一撃やそこらでは致命傷にならない守護術が神子たちの纏うローブに掛けられている。何より舞台全体にも対魔物用の防御術が仕込まれていたくらいだから、時間稼ぎや魔物の意識を神子たちに集めることを目的として、学長が悪者を買って出たのだ。
 そういう「人間らしさ」を見せられると、どうにも自分は甘くなってしまう。
 フィリーネがアメリアを気に入ったのは、その容貌の愛らしさや珍しい瞳よりも先に、そういうところ、なのであった。

「わたくしは、女王なんてとても……」

 だから「代理」で良かった。そう呟く声が届いているかいないのか、或いはどうでもいいのか、アメリアを見上げる視界を阻止するように、フィリーネの前にしゃがんだロミーがそっと彼女の額に自身の尾の先を定める。
 毒に耐性のある体だが、やはり心臓に近い場所を貫かれたことで、こうして僅かながらでも倒れることに抵抗を示すことしか出来ない。
 キッとロミーを睨みつける瞳の力も、少しずつ弱くなっていく。
 そしてフィリーネは…………。

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