上 下
69 / 69
Y組職業体験編

第63話《レイエス様のコーヒータイム》

しおりを挟む


      7


 福本アヤノンは切らした息を何とか繋ぎ止めながら、枯れ葉で埋もれた森々の中を突っ切っていた。
 その右手は血がこびりついた模造品の刀を握りしめ、決して落とさないよう力強く掴んでいる。踏み出す足も1つ1つが命がけだ。
 いつの間にか雲り空はどこかに飛んでいき、その隙間から沈みかけた陽が挨拶している。それを走りながら見たアヤノンは、「あぁ……………」と郷愁気味な声を漏らす。

 一体どれだけの時間が経ったんだろうか。

 福本アヤノンは懐かしむ。
 それは危険肉食獣が自然生息なんてしていない『もとの世界』で、彼女が『男』立った頃に、何気なく見ていた、あの夕焼け空。
 何だかあれを見ると寂しい気分になっていたのは昔の話だ。今はこの朱色の世界がえらく自分に勇気を与えてくれてる気がした。
 ───と、その時、突然、
『ウガアァァァァ!!』
 といった雄叫びが彼女の背後から飛んできた。それと同時に、ドスドスドス────と重く潰されそうな足音まで反響してくる。
 チッ───とアヤノンが見た目に似合わず軽く舌打ちをする。すると福本アヤノンは走るのをやめ、クルリと方向転換し、迫り来る『敵』と相対した。
 ドスドス───と巨大な足音でやって来たのは危険肉食獣『シャプレ』である。牙を下品にむき出し、流血したまなこの視線は勿論福本アヤノンという『エサ』に向けられていた。
 福本アヤノンはさらに強く刀の柄を握りしめる。
「あぁ、もう。何なんだよまったくシャプレってやつはよ…………。何でこんなにも俺を狙うんだ?」
 それに答えたのはポケットからピョコンと頭を出した精霊である。
「シャプレは人間のメスによく食い付く傾向があるなの。きっと異性として魅力的なんじゃない?」
「それ慰めてんのか? てか、アイツ人間じゃねーだろ、なんで別の生物に発情してんだよ」
「異国の人が他国の人に恋して結婚するパターンはあるのなの」
「それとこれとは次元が違うだろーが。変な興味でバトルシーンの観戦ならやめとけよ」アヤノンは眉をひそめると、「お前も味わったと思うけど、下手したらお前外に吹き飛ばされる可能性もあるんだからな」
 そうこう言ってるうちに、敵は目前に迫ってくる。
 シャプレの攻撃力は絶大だった。
 流石は危険肉食獣と言ったところか。シャプレが振りかざした腕は地面を深くえぐり取り、アヤノンがいた足場はいとも簡単に崩れた。
 アヤノンの体が衝撃で宙に吹き飛ばされた。
 少女の周りにはえぐり取られた瓦礫が散乱しながらやはり浮いていた。
 本来の彼女───正確に言えば、『現実世界』のアヤノンであればここで即座のK.O.だろう。
 だが、今の彼女はこの程度では焦りもしなかった。
 今まで休みなくシャプレに追われ襲われ、常に死と隣り合わせの時間を過ごしたアヤノンは今、まるでプロの剣士のような目付きをしていた。
 フォルトゥーナがポケットに捕まるのが感覚的に分かる。今なら好機チャンスかもしれない。
 アヤノンは宙に浮いた瓦礫をまるでジャンプ台のように踏みつけ、一瞬でシャプレとの距離をゼロにする。
 シャプレの顔に、少女が飛んできた。
『グガァァ!?』
 シャプレは驚き、体を避けて回避しようとする。
 だが遅かった。
「はあああああああッ!!」
 アヤノンの刀がシャプレの目に突き刺さる。
 シャプレは声をあげる前にアヤノンの足を掴みとる。だがアヤノンはすぐに刀を目から抜き取り、敵の巨大な手の指を数本斬った。
 さらに傷を負ったところで、ようやくシャプレが叫びをあげる。だがアヤノンは怯まない。すぐに敵の手から脱すると、大きくシャプレの腹を切り裂いた。
『ウガ、ウガアァァァァァァ!!?』
 今のうちだ───ッ!!
 アヤノンは刀を鞘に収めると、その場から逃走した。
「ハァ…………ハァ…………ハァ…………」
 アヤノンはきびすを返す。シャプレは死んではいなかったが、深傷を追って動けなくなったようだ。
「おいおい…………もう俺何しに来たか分かんないな」
「訓練? なの…………かな?」
 精霊がおかしそうに言って、
「…………そうかもな。何か納得いかねーけど」
 少女は走りながら、地獄の底で笑った。
 彼女の次の敵がいつ現れるのか分からない状況で。
「職業体験でこんな思いしたのは初めてだよ。おかげで何か戦闘慣れしたみたいな動きが出来るようにはなったけどさ」
「いいじゃんなの。前の戦いの素人臭い動きより断然マシになったのなの」
「うっせーな。俺はもともと一般市民で、そんな悪党とかと戦う戦隊ヒーローの主人公じゃねーんだよ」
「投げやりにならないのなの。多分あとちょっとで終わると思うよなの」
「そうかぁ? 休んだ記憶もないから分かんなかったよ」
 あのモンスターに追われてから武器を振り回し、こうして逃げてることしかしてない。後はこうして精霊と軽く会話をするだけである。
『ウガアァァァァァ!!』
 休まることなく次の雄叫びがとどろき、次いで深い足音が近づいてくる。
「………たっく。またかよ。俺に少しくらい休憩時間をくれってんだ」
 アヤノンはもう舌打ちをするのは止めていた。終わらせるには、このバカみたいな訓練時間を終わらせるには、嫌々言わず刀を振るうしかないのだ。
 ただ、危険獣がアヤノンの前に現れた時、
「………………ありゃー。今度は複数ってか?」
 1体で倒されるなら複数で───ということだ。やはり知能高きモンスターは厄介なものだ。
 複数体のシャプレが下品に牙を剥く。
 正直気色悪いな、とアヤノンは思った。
「…………フォルトゥーナ。次はもっと激しい戦闘になるから、しっかりつかまっとけよ」
「はいなのー……………」
 気を落とした精霊はポケットに籠った。
 それを確認すると、アヤノンは再び刀を力強く握り直した。

 
      *


「やっているなぁ……………」
 その頃、二人の研修生を高みから見つめる初老の男がいた。
 歳は分からないが程よく伸びた真っ白な髭が印象的である。こんな真っ黒な館であるから、その対照色はよく映えるのだ。
 しかし男はそれに対してやはり黒の服で決め込んでいる。蝶ネクタイすら真っ黒だ。細かな線が微かに見えるだけで、服自体の輪郭は屋敷色に溶け込み、見えなくなっている。
 男の名はレイエス=アイザックという。
 この屋敷に住むアイザック家の現当主である。
 レイエスはコーヒーを飲みながら、窓越しに訓練場を覗きこむ。
 刀を持った一人の少女が、あの難関なシャプレの森で命懸けの戦闘をしている。
 外ではツインテールの少女が、メイド長であるハルトマンと足蹴りの訓練の最中だ。
「若い者は元気だな。あんな過酷な所に放り込まれたら、私は1秒足らずでお陀仏確定だ。おお、怖い怖い」
「なら、さっさと仕事しましょうね?」
 黒髪ショートカットの女が、コーヒーをお盆にのせながら言う。
 女はカトリー=アイザックという。レイエスの妻である。
 カトリーは何故かメイドでもないのに何故かメイド服を着込んでいて、頭には意味もなくカチューシャを付けている。
 歳はレイエスより若く見えるが、肌はまだ艶があり、化粧を施さずとも20代で通るのではと思われるほど若々しい。
「カトリー、私は今休憩中だ。しかもこうやって若いプルプルの美少女をオカズにして、こうコーヒーを……………」
「卑猥な表現はやめてください。いい歳して恥ずかしいと思わないんですか?」
 メイド姿の妻はため息混じりに言う。
「カトリーよ。男というのはいつの頃も心が春なのさね。今だって本当はあの子達に触りたいという欲求を抑えてだな…………」
「止めてください。犯罪者予備軍じゃないですか」
「これで私もお前も犯罪者予備軍第1位」
「私は関係ないじゃないですか。巻き込まないでください」
 これではあの実習生とレイエスを会わせるのが不安で仕方ないカトリーであった。
「…………レイエス。私をあまり不安にさせないでください。こう見えてストレスに弱いんです」
「そうだったか? お前との初夜の日を思い返すと、それはどうも────」
「えいやっ」
 お盆の上のコーヒーが犯罪者予備軍レイエスの顔面に降りかかる。
 アツアツのコーヒーをもろに顔面で受け止めた変態紳士は、びしょ濡れのまま無表情でカトリーを見つめ、
「カトリー。私はこういうプレイは好きではないな」
「別に苛めたい訳じゃないのでご安心を。変態を粛正しただけです」
「もしやコーヒーに微量な媚薬を…………!?」
「だあぁ! もう、あなたはいつもそればかりじゃないですか!!」
 カトリーはデスクに散らばる資料をまとめ、レイエスの目の前に叩きつける。
「仕事をしてください! せっかくあなたの体も調子が良いというのに、これではわざわざこんなぼろ屋敷に来た意味がないじゃないですか!」
「あんな美少女たちに目もくれず仕事なんかできるか!」
「堂々とバカなこと言わないで仕事しなさいッ!!」
 カトリーはお盆でバン! とレイエスをぶん殴ると、歳に合わず(実年齢は不明だが)ぷりぷり怒った様子で書斎を飛び出した。
 カトリーは扉を荒く閉めると、不安そうにため息をついた。
「はぁ………大丈夫かしら、ホントにレイエスあの人が犯罪者にならないか心配になってきたわ」
 もしかするとこんな歳で(もう1度言うが実年齢は不明だ。)夫の思春期を心配しているのは自分だけなのではと思い、先が思いやられるのであった。


      *


 セリア=マルコフは魔法がほとんど使えないY組のメンバーだ。
 別に魔法が使えないからといって生活に支障をきたすことはないのだが、仕事などに影響は出るらしい。
 何でもマリア=ルートピアの話によると、魔法を使わない仕事は何かと低賃金が多いらしい。魔法を使うのは労力のため、目を見張る程ではないが給与がアップするそうだ。
 そこに実力社会というのが出来てるわけだが、今セリアは何となく自信がついていた。
 セリアはハルトマンからスパルタ特訓を受け、足蹴りの作法を学んだのだ。
 今まで魔力がないとバカにされ、身の狭い思いをしたがそれは昔の話だ。
 今彼女には彼女にしかない物を身につけたのだ。それが別にアルバイト給与アップに繋がるわけではないが、それでもセリアは嬉しかった。
 魔法が使えなくとも、これさえあれば対等になれる。そう思ったからだ。
「はぁ………はぁ………疲れましたわ」
 時はすでに夕刻に突入していた。空を閉めていた雲は過ぎ去って、朱色の空が広がっている。
 あれだけ不気味だったカラスさえ、今では夕空に向けて鳴き声を放つのが風流にさえ感じた。
「よく頑張りました。ここまで耐えたのはあなたが初めてです」
 長時間付き合っていたハルトマンだが、彼女は汗1つかいていなかった。やはり超人か。
 そんなメイドの背後には折れに折れまくった樹木がある。根元近くからバッサリとぶち切れたそれは、全てセリアが足蹴りでへし折ったものだ。
「セリア様。どうぞ、お水です」
 ハルトマンがそっと手渡す。
「水分補給は大事にございます。運動の後はこまめに摂ってください」
「ありがとうですわ」
 受け取り、軽く一口含む。とても美味しかった。
「まさか………職業体験に来て足蹴りを覚えさせられるとは思ってませんでしたわ」
「アイザック家の警備をする者ならば、ある程度戦闘に適した人材でなければいけませんので」
「そのためにこんなことを?」
「それもありますが……………」ハルトマンは少しためて、「お二人に自信をつけてもらいたかった、というのもございます」
「自信?」
「お二人は魔力の殆んど無い『Y組』というクラスの方々だとは前々から聞いておりました。『魔法が使えないのがおかしい』というご時世の中で、他の者と対等に渡り合うためには、他の技能で補うしかないのです」
 まるでそんな人を知ってるかのような口振りだった。
「足蹴りが使えるようになったからと言って別にどうにかなるわけではありませんが………それでもあの努力は、あなた方の今後の心の支えになるはずです。余計なお世話だったかもしれませんが」
 この眼帯をした堅い性格のメイドは、そんな事を心配して、わざわざこんな時間を設けたのか。
「………ハルトマンさんは、そんな方を今まで見たことがおありで?」
「………ええ。いつも」
「いつも、とは……………」
 その時。
 アヤノンがいる森からブザーのような音が鳴り、そこで休憩をしていた小鳥たちがいっせいに飛び立った。
「………どうやら福本様の方も終了したようですね」
 ハルトマンは落ち着いた足取りで向かった。それに続いて、セリアが駆け足で後ろについて行った。

 森の中は暗く、道は不確かなものだ。セリアは何度か転けそうになりながらも、見失わぬようハルトマンの背後を追う。
 ハルトマンの歩みが止まった。
 ちょうど厳重な鉄格子が広がっている。
 それにもたれ掛かった1人の少女が、息を切らしながらそこにいた。
 福本アヤノンだった。
「福本さん!」
 セリアが駆け寄り、アヤノンの肩を持つ。
「…………あぁ? おおセリア、かぁ………」
 随分と憔悴している。アヤノンは軽く笑みを浮かべた。
「だ、大丈夫ですの!? こんなにもボロボロになられて…………」
 アヤノンは身体中に痛々しいほどの傷を作っていた。全部掠り傷程度であるのが幸いだ。
「いやぁー………シャプレ全討伐はきつかったっすよ、ハルトマンさん…………」
「しかし、福本様はそれを成し遂げた。だからこうして外にいるのです」
 ハルトマンは頭を下げ、
「過酷な環境下にあなた様を招いたことをここに謝罪します。そしておめでとうございます。これで福本様の訓練は無事終了しました」
「そうすっか…………終わったんすね………」
 アヤノンはそこでガクンッと首を落とし、力尽きたように気を失った。


     





















    
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...